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 まず歓喜の声をあげたのはアリシアだ。

 表情どころか全身で喜びを表し、両腕を広げてメアリに抱きつこうとし……。


「だ、だめ……!」


 と自分を制した。

 妊婦に抱きつくのは危険と判断したのだろう。ただの抱擁ならまだしも、今のアリシアの喜びようを考えるに抱擁の域ではすまないはずだ。

 だからこそ己の腕を自ら掴むことでとどめ、溢れだそうとする感情を押さえつけている。微かな震えは、それだけ彼女の胸の内で喜びが溢れているということだろう。

 そうしてしばらく己の腕を押さえ、ふと顔を上げた。


「……乳母」


 まるで「これだ」と名案が浮かんだかのような顔である。


「育てさせないわよ」


 間髪を容れずにメアリが一刀両断する。

 いったいどこの世界に乳母に名乗り出る王女がいるというのか。いたとしても渡すものか。

 そう睨みつけて拒否するも、アリシアに、それも浮かれた状態のアリシアに届く訳がない。ゆるみきった表情で「楽しみですねぇ」ととろけきった声を出している。


「メ、メアッ、メアリッ、さまっ……!」


 と聞こえてくる声はパルフェットのものだ。

 彼女は感動と歓喜で普段よりも小刻みに震え、両腕を広げながら一歩また一歩とメアリに近付いてくる。瞳は潤み、目尻にたまった涙が振動で震えている。

 そうしてメアリの目の前までくると、はっと息を呑んだ。己の両腕を見るのは、彼女もまた抱きついてはいけないと考えたからだろう。

 メアリからしてみれば、先程の勢い余るアリシアならばまだしも、今のパルフェットにならば抱きつかれてもどうということはない。というかこれを受け止められないなら、今後は毛布にくるまれてクッションに埋まって生活せねばならない。

 だから大丈夫だと宥めようとするも、それより先に「パルフェットさん!」と彼女を呼ぶ声が割って入ってきた。

 アリシアが両腕を広げている。まるでこちらにおいでと言わんばかりの彼女の姿に、パルフェットがふらふらと近付いていき……、


「アリシア様!」

「パルフェットさん!」


 と、女二人が熱い抱擁を交わし合った。


「アリシア様、わ、私も立派な乳母になれるでしょうか……!」

「えぇ、もちろんです。パルフェットさん、ともに乳母の道を極めましょう!」

「はい!」


 二人が抱擁したまま決意を固める。

 それを周囲は微笑ましく眺め、メアリだけは一人、


「だから育てさせないわよ」


 念を押すように拒否した。

 ジロリとパトリックとガイナスに視線をやるのは、いい加減この二人を回収に来いという訴えだ。ガイナスがそれに気づくとパルフェットの肩を優しくさすり、アリシアからそっと自分に抱きつくように誘導する。


「メアリ様、アディ様、この度はおめでとうございます」

「ありがとう。つい勢いで言っちゃったけど、正式な場で公表するから、それまで黙っていてちょうだいね」

「かしこまりました。お祝いはそのときに正式に送らせていただきます」

「楽しみにしてるわ。……でもそうね、もしもパルフェットさんが言いそうになったら、そのときは口を塞いで良いからね。今回は邪魔はしないから安心してちょうだい」


 冗談混じりにコロコロと笑いながら告げれば、ガイナスが僅かに目を丸くさせ……「かしこまりました」とうわずった声で返すと頬を赤くさせた。雑に頭を掻くのは居心地の悪さからだろう。

 パルフェットもポッと頬を染め、「メアリ様ってばぁ」とか細い抗議の声をあげる。彼女もまた、昨夜キスをしようとしていたところに割り込まれたのを思い出したのだ。

 メアリが上機嫌で笑う。だがその笑みをふと静め、パトリックへと視線を向けた。

 彼はいまだ呆然としている。


「ねぇパトリック、幼なじみの吉報におめでとうの一言もないのかしら」

「え、あ、あぁ……。そうか、メアリとアディに子供か……」


 ようやく実感がわき始めたのか、パトリックが次第に表情をゆるめていく。

 まるで自分の事のように、胸の内にわき始めた喜びが滲み出るような表情だ。藍色の瞳が細められ、メアリへと向けられる。


「参ったな、俺も君のことを抱きしめたくてたまらないよ。まさかメアリが母親になるなんてな」

「私自身もびっくりしてるわ。でも妊娠を胃もたれと勘違いするなんて、パトリックってば案外に抜けてるのね」

「はは、そうだな。ところでメアリ、この手鏡を見てくれ。何が映ってる?」

「美人」

「それでこそメアリだ。君がまったく変わっていなくて安心したよ」


 パトリックが肩を竦める。それでも改めて「おめでとう」と告げてくる声は優しく、メアリも微笑んで返した。

 次いでパトリックがアディの肩を叩いて祝いの言葉を告げる。普段よりも強めに叩いているのは、それほど喜び祝ってくれているということだ。


 その光景を眺め、次にメアリが様子を窺ったのは、もちろんラングとルシアンである。

 彼等は今の今まで騒ぐこともなく静かにしていた。陰陽真逆のくせにそろってうるさい彼等には考えられないくらいの沈黙である。今も立ち尽くし、メアリが見つめてもピクリともしない。


「……まさか、喜びのあまり気絶してるんじゃ」

「それはそれで動き出した瞬間がすごそうですね。あ、兄貴が起こして……」


 起こしてくれる、というアディの言葉が止まった。というより、ドスッという低い音でかき消された。

 何の音か? ロベルトがラングとルシアンの首元を手刀で一撃した音である。迷いのない一閃に、ラングとルシアンの口から同時に「ぐぅっ」と低い唸り声があがった。


「ロベルト、お前主人である俺達に! ……いや、そうじゃない、今はその話じゃなくて、メアリに子供が!?」

「……ロベルト、さすがに手刀は不謹慎で訴え……。違う……今はそれを気にしている場合じゃない……。メアリに、子供……?」


 さすが双子というべきか、揃えたようにロベルトを咎めようとし、これまた同じタイミングで我に返り事態を理解する。

 それで先程のロベルトの狼藉を流してしまうのだから、なんとも彼等らしい。もちろん、「そうです、今はメアリ様の子供の話です」としれっと煽ることで無罪を勝ち取るロベルトも含めて『彼等らしい』と言えるだろう。

 相変わらずだ、とメアリとアディが顔を見合わせた。メアリが皮肉混じりに「兄弟揃って無礼だけど、暴力を振るわないだけアディの方がマシね」と言ってやるも、「今はその話をしている場合ではありません」とこれまた誤魔化してきた。


「メアリ、子供って本当か?」

「そうよ。私とアディの子供がお腹にいるの。()()()()()()()()()。私一人で生んだわけじゃないし、アディが産むわけでもないのよ」

「……子供……。メアリとアディの子供……」

「えぇ、けして私が分裂するわけじゃないわよ。アディも分裂しないけど」


 兄達が誤解しないように念を押しつつ話す。こうでもしないと、浮かれきった兄達がなにを言い出すか分かったものじゃない。

 もっともいくら念を押したところで、兄達の浮かれ具合を完璧には抑えられない。現に二人は事態を理解すると顔を見合わせ、


「パーティーだ! 天使の光臨を祝って、三日三晩パーティーを開こう! 鐘を鳴らして盛大に祝うんだ!」

「……天使の誕生を世界中に知らせなければ。まずは手始めに市街地を一周するパレードを開こう……。華やかに、我が国最大のパレードを、出発の合図に鐘の音を……!」


 一瞬にしてはしゃぎだした。

 メアリとアディが顔をしかめる。やっぱりこうなったか……と、互いに口にせずとも気持ちは同じだ。そのうえ、兄達までも『鐘の音』と言い出しているではないか。

 まったくとメアリが肩を竦めてロベルトへと視線を向けた。やってちょうだい、と言葉にせず彼に命じれば、意図を汲んでくれたのだろうロベルトが一度頷いた。

 はしゃぐラングとルシアンの背後にロベルトが立ち、ゆっくりと手を挙げ……。


 次の瞬間、ズドッという鈍い音が響いた。


 アリシアが「あらまぁ」と間の抜けた声をあげ、パトリックが相変わらずだと溜息を吐く。ふるふると震えながらもパルフェットがアンナの目を手で塞ぎ、パルフェットの目をガイナスが塞ぐ。

 そんな周囲の反応すらも気にせず、ロベルトが呻くラングとルシアンを引きずって馬車へと向かっていった。強引に押し込み、最後にこちらにくるりと向き直ると深く頭を下げた。


「我々は先に失礼いたします。まだ時間もありますのでこのままアルバート家へと戻り、酒でも酌み交わそうかと」

「騒ぐ前に酔い潰すのね」

「必要とあらば、先程の一件の記憶も飛ばしますが」

「恐ろしい事をさらっと言う……。とにかく、私達が戻るまでにお兄様達を落ち着かせてちょうだい。極力記憶はそのままで」

「かしこまりました。では」


 穏やかに微笑んでロベルトが乗り込めば、ゆっくりと馬車が進みだした。

 誰もが相変わらずだとそれを見届け、メアリが肩を竦める。


「とりあえずお兄様達のことはロベルトに任せましょう。もし記憶を飛ばされてたとしても、それは必要な処置だったのよ」

「……そしてその八つ当たりが俺にくるんですね」

「それもまた必要な犠牲ね」


 メアリが結論づければ、アディが盛大に溜息を吐いた。

 なんとも理不尽な話ではあるが、同時に今更な話でもある。自分も兄のように上手くやれれば……とアディが溜息混じりに呟けば、メアリが宥めるように彼の腕をさすってやった。

 だが次の瞬間にきょとんと目を丸くさせたのは、いつもならばまったくと溜息で終わらせるはずのアディがなぜか好戦的な表情をしたからだ。


「アディ?」

「俺も今まで通り八つ当たりされてばかりじゃいませんよ。父親になるんですから!」


 子供の前では情けない姿を見せられないということか、僅かに頬を染めつつも意気込むアディに、メアリはお腹を撫でつつ「格好良いお父様ね」と話しかけた。



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[一言] 安心してください、メアリ様。あなたが拒否してもアリシア王女はいつの間にか、極々自然に乳母をやってます。
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