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18

 


「お爺様、領地を手放すってどういうことですか!」


 聞こえてきた声に、帰り支度をしていた誰もが驚いて振り返った。

 こちらに向かってくるのは一人の女性。メイドや使いが宥めようとしているが、それを聞かずに怒鳴りながらこちらに歩いてくる。

 見てわかるほどに険しい顔で、怒声に怯えたアンナとエレーヌがビクリと体をふるわせた。

 ロベルトがさっと片手でアンナを己の後ろに移し、ラングとルシアンがエレーヌを庇うように前に立つ。

 荒い怒声に息を呑んだパルフェットをガイナスが庇い、アディとパトリックもまたそれぞれの伴侶を守ろうとし……、


「活きの良いのが来たわね! あいつでスカっとしましょう!」

「はい! ようやくこてんぱんタイムです!」


 と、獲物を見つけたと言わんばかりに瞳を輝かせるメアリとアリシアに、慌ててその腕を取った。


「お嬢、こういう時は大人しくしていてください!」

「いやよ、フロウルは大人しく退いてくれたけど、あの子はそうもいかなさそうじゃない。ようやく全力で倒せるのが来たわ!」

「アリシア、さっきまでの落ち着いた態度はどうしたんだ」

「王女タイムは終わりました!」


 まったく伴侶の言うことを聞かず、メアリとアリシアが瞳に闘志を宿しつつ女性を睨みつける。

 彼女がフロウルの孫娘だろう。周囲からはミレニアと呼ばれている。

 華やかなワンピースに仕立ての良い装飾品。落ち着いていれば凛とした美しさの女性に見えただろう。

 だが今は怒りも露わにしており、美しい顔には苛立たしさが露骨に現れている。その矛先は祖父であるフロウルに向けられており、詰め寄るように「なんて馬鹿なことを!」と声を荒らげた。


「お爺様、領地を手放して引退なんて馬鹿なことを言わないでください!」

「私が決めたことだ、撤回はしない。それより客人の前だぞ、落ち着きなさい」

「そんなことどうでもいいんです! これじゃ今までの生活が続けられないじゃない。せっかく婚約も決まりかけていたのに……!」


 どうしてくれるの! とミレニアが声を荒らげる。

 曰く、狙っていた貴族の子息との婚約がうまくいきかけていたらしい。そんな中でのこの悲報だ、彼女が必死になるのも無理はない。

 それも「あれだけお金を使ったのに」だの「他の令嬢に出し抜かれる」だのと訴えているあたり、己の領地や資産をそうとう武器にして迫ったのだろう。あまり聞いていて気分の良いものではない。

 祖父であるフロウルも同じ気持ちなのか、ミレニアの訴えに対して眉をひそめている。メアリ達との話し合いでも見せなかった嫌悪と呆れの表情だ。


「お爺様、私に領地をくれるって言ったじゃない!」

「だがお前は自ら領地を治めようとはしなかっただろう」

「当たり前よ。どうして私がそんなことしなくちゃいけないの。私は領主の孫娘として結婚するの。だって領主の家系に生まれたんだもの!」


 それが当然と話すミレニアに、誰もが顔を見合わせた。

 フロウルの孫娘らしい発言ではないか。『生まれこそすべて』と言われて育ち続けたミレニアは、まさにその通りに育ったのだ。


「けして揺るがない信念は立派だと思うけど、その結果がこれっていうのも皮肉な話よね」


 メアリが鼻で笑うように告げる。

 それを聞き、ミレニアがギロリとこちらを睨みつけてきた。この事態をメアリ達のせいだと考えたのだろう。「この人達にそそのかされたのね」とフロウルに問う口調には敵意が漂っている。

 否定するフロウルの言葉に耳も傾けず、スカートを翻してこちらに歩み寄ってくる。険しい表情だ。勢いのままに掴み掛かってきてもおかしくはない。

 アディが庇うように前に出てくる。だがそれをメアリは片手で制して、あえて真っ向からミレニアの鋭い眼光を受け止めた。

「せっかく領主の家系に生まれたのに、残念な結果になったわね。貴女がさっさと跡を継いでいればよかったのに」

「私が? 女の私が領主なんて出来るわけないじゃない」

「そうかしら。女だってやってみなくちゃ分からないわよ。少なくとも、継いでいれば貴女に決定権があったんだもの。今後も領主を続けられたかもしれないわ」


 残念だったわね、とメアリがわざとらしく肩を竦める。

 ミレニアは領主ではない。あくまで『領主の孫娘』でしかなく、決定権はフロウルにあり、いくら喚いたところで彼女にはこの決定を覆す権利はない。

 だが彼女が領主を継いでいれば話は別である。メアリ達はミレニアと話し合う事になり、彼女は領主の名の下に徹底抗戦出来たのだ。

 それを指摘され、ミレニアがカッと目を見開いた。


「なんで女の私が領主なんてやらなくちゃいけないのよ!」

「領主の孫娘なんだから当然でしょ? 立場を利用するなら、それに見合った働きをするのは当たり前のことじゃない」

「なによさっきから。そもそも、お爺様の客人だからって偉そうな口を叩かないで!」


 ミレニアが声を荒らげ、メアリに掴み掛かろうとする。

 驚いたメアリが咄嗟に身を引けば、それとほぼ同時にグイと抱き寄せられた。アディがメアリを抱き寄せ、庇うように間に割って入ってくる。

 だがのばされたミレニアの手はメアリにもましてやアディにも届かず、ヒュンッと軽い音をあげて振りおろされた杖に叩き落とされてしまった。

 フロウルの杖だ。孫娘に対して容赦のない一撃に、悲痛な声と共に手を庇うミレニアはもちろん、メアリ達すらもぎょっとして彼を見た。


「お、お爺様……。どうして!」

「お前も領主の孫娘なら、そのお方に逆らうんじゃない。メアリ様、申し訳ございません」

「……メアリ様って」


 まさか、と言いたげにミレニアがメアリへと視線を向けてくる。

 それに対して、メアリはツンと澄まして彼女を見据えた。

 メアリ・アルバートの名前はシルビノにも知れ渡っている。名家アルバート家の娘にして跡継ぎ候補。本来ならば兄達が座るはずの当主の椅子に、自らが座ると名乗り出たのだ。

 生まれに拘り、それでいて『女だから領主にはならない』と言いのけたミレニアとは真逆と言えるかもしれない。

 だからこそメアリは冷ややかに彼女を睨みつけた。


「生まれがどうの女だから云々、古くさい考えはもう終わりにしてちょうだい」

「そんな……アルバート家のお方だなんて……」


 ミレニアが弱々しく呟く。

 そこに先程の勢いは無い。メアリ・アルバートを前に逆らう気が削がれたのだろう。信念を持って退いたフロウルのような気高さは無く、ただ笠に着ていた祖父の権威が効かない相手に臆しているだけだ。

 それでもと言い返そうとするミレニアに、メアリが「黙りなさい」とピシャリと言い切った。


「生まれが全てだなんて、今の時代に合わない古くさい考えよ。誰しも幸福に、誰かに虐げられることなく平穏に暮らす権利があるの。恵まれた環境にいる者は、その恩恵を受けると同時にそれを守り支える義務があるのよ」

「で、でも、私は女で……」

「性別なんて関係ないわ。領主の家系に生まれた身としてその恩恵を受けるなら、貴方自ら他者にその分を返すべきなのよ」


 きっぱりとメアリが断言する。

 この言葉に、ほぅと吐息を漏らしたのはアリシアだ。パトリックやガイナスも同感だと頷いている。ラングとルシアンに至っては「さすが俺達のメアリ」となぜか自分の事のように得意げだ。

 この場にいる誰もがメアリの話を正論だと考え、そして言い切るメアリを立派だと感じているのだろう。

 これにはフロウルすらも感銘を受けたのか、もしくはメアリと自分の孫娘を比較したからか、落胆の表情を浮かべている。これが新しい時代なのか、そう小さく呟いた声は彼らしくなく覇気がない。

 ……だがメアリだけは、冷ややかにミレニアを見据えつつ、心の中でポツリと呟いた。


 良いことを言い過ぎてて、なんだか自分でしっくりこないわ……と。


 もちろん先程の訴えはメアリの本心だ。

 恵まれた立場に居るものは、その恩恵を受けると同時に他者に還元すべきである。

 だがどうにもしっくりこない。

 違うとは言わないが、さりとて感動されるほどの善良さは己には無いとはっきり分かる。

 仮にこれがパトリックやガイナスの訴えならば、さすがだと拍手でも送ってやっただろう。アリシアの場合は素直に誉めるのは癪なので、「王女ならそれぐらい考えていて当然よ」とでも言い切ってやったはずだ。


「……でも、私はそこまで善良じゃないのよね」


 自分の発言ながら、自分の中ではしっくりとこない。まるで他人の言葉を借りたかのような感覚だ。

 なんとも言い難い違和感を覚え、メアリが僅かに眉間に皺を寄せる。周囲に気付かれない程度にだ。

 さすがにここで「やっぱりちょっと違うわ」とは言えない。それは分かるし、この違和感を悟られてもいけないだろう。

 だけどしっくりこないのよ……! とメアリが思わず小さく唸れば、隣にアディが立った。


「アディ……」

「お嬢、さすがでした。立派なお考えですね」

「あ、ありがとう……。そうよね、立派な考えよね」

「えぇ、ですから」


 穏やかに微笑んで、アディがそっと手をのばしてきた。

 いつものように隣に立ち、腰を抱いて支えてくれるのだろう。

 だがメアリがきょとんと目を丸くさせて自分の腹部を見たのは、腰を支えるはずのアディの手が、腰を越えて腹部に触れているからだ。


「アディ、どうしたの?」

「耳を塞いでます」


 きっぱりと告げるアディの言葉に、メアリが目を丸くさせたまま彼と自分の腹部を押さえる手を交互に見た。

 アディの手はメアリの腹部に触れている。……が、きっとこれはメアリのお腹の中にいる赤ん坊の耳を塞いでいるのだろう。もちろんまだ赤ん坊は小さく、聴覚以前の話だが。

 それでも耳を塞ぐアディの言わんとしていることを察し、メアリがふっと小さく笑みをこぼした。


「そうね、やっぱりこういう真面目で清らかな訴えは私の性に合わないわ」

「えぇ、確かにご立派な考えですが、お嬢が言うとどうにもしっくりきませんでした」

「後でパトリックあたりに言い直してもらいましょう」


 そう冗談めいて話し、メアリが自分の腹部へと視線を落とす。

「真似しちゃダメよ」と念のために声をかけるのは、子供とは覚えて欲しくない言葉ほど覚え、使いたがると学んだからだ。

 そうして改めてミレニアへと向き直った。

 一連のやりとりを怪訝に見守っていたミレニアが僅かに身構えた。さらに追い打ちがくると考えたのだろう。

 そんな彼女を、メアリは冷ややかに見据えてやった。


「貴女は所詮『領主の孫娘』。領主を継ぐ覚悟もなければ、みっともなくフロウルの背後で暴利をむさぼってるだけよ。そんな女が、アルバート家を継ぐ覚悟をした私にかなうわけがないじゃない」

「そ、それは……」

「領主の孫娘っていうなら、メアリ・アルバートに生まれたこの私に口答えするんじゃないわよ。最後まで領主の孫娘を貫いて、さっさとこの土地から出て行きなさい!」


 強い口調でメアリが言い切れば、ミレニアが悔しげに見つめてきた。きゅっと強く唇を噛み、それだけでは足りないのか小さく震えている。

 だがなにも言えずにいるのは、今この状況においても『生まれがすべて』という考えに捕らわれているからだ。

 憐れだわ、とメアリが冷ややかに彼女を見据えた。

 ここでメアリに刃向かうなり、領主の座を奪還するなりしてほしいところだ。それぐらいの気概があればメアリも認めてやっただろう。

 だがミレニアはうなだれ、「なんでよ……」と小さく呟くだけだ。メイドや使い達もどうしていいのか分からず、遠巻きに彼女を見つめている。

 そんな中、メアリに声を掛けてきたのはフロウルだ。


「このたびは孫娘が失礼をいたしました」

「あの程度、私の相手じゃないわ」


 メアリが皮肉を込めて告げれば、フロウルが顔を渋くさせた。

 目の前ではいまだミレニアが弱々しくうなだれており、恨みがましそうにこちらを一瞥するとメイド達に腕を取られて去っていった。後ろ姿からは落胆が漂っており、派手なワンピースとの温度差が感じられる。

 もっとも、フロウルが領主を引退したからといって、べつに落ちぶれたり貧困を味わうわけではない。この地を退くだけで、十分恵まれた生活が出来るだろう。

 フロウルは自ら領主の座を引いたのだ。国をあげてのやり玉に挙げられるわけでもなければ、国家間の問題を引き起こしたわけでもない。今ほど豪華とはいかないが快適な隠居生活を送れるだろう。

 だがミレニアはそれでは満足出来ないのだろう。かといって自分が領主になろうとするわけではないのだから呆れてしまう。


「生まれがすべて、ね。どうやら彼女は貴方の望んだ通りに育ったみたいね」

「……これは手痛い」

「あの子と一緒にこの土地から去りなさい。そうすれば追い打ちはかけないわ。……ただし、もしも戻ってきたら、そのときは私と貴方の生まれの違いがどれほどかを分からせてあげる」


 淡々とした声色でメアリが告げる。

 これは警告でもあり、メアリなりの最大限の譲歩だ。

 それはフロウルも分かっているのだろう、恭しく頭を下げ、杖を着いて孫娘を追うように歩き出した。



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