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「……なにこれ」


 メアリの低い声がシンと静まった馬車内に響く。

 誰もが答えをはぐらかすように顔を背けており、誰かが吐いた溜息だけがそれに続く。

 平穏だったはずの窓の外の景色は一転し、日が当たっているはずなのにどんよりとした暗い影がはびこっている。並ぶ建物はどれも老朽化が目立ち、ひび割れた窓の家も少なくない。

 たった数十分馬車を走らせただけだというのに、子供の黄色い声も、活気も、すべてが消え去ってしまった。先程の微笑ましい光景が嘘のようだ。

 だがアンナにとってはこれが日常の風景なのだろう、窓からぴょこと顔を出し、家はこの近くだと言い出した。


「そう……。アンナの家はこの近くなのね……」

「でもお母さんもいないし、おうちに誰もいないの……」

「それならもう少し一緒にいましょう。これからちょっとお話をしにいかなきゃいけないんだけど、アンナが一緒に来てくれたら心強いわ」


 付き合ってくれる? とメアリが尋ねれば、アンナがぱぁと表情を明るくさせて頷いた。

 誰もいない家に戻されると思っていたのだろうか。もちろんそんな事をするわけがない。

 もっとも、領主との話し合いに彼女を同席させるわけにはいかない。子供には難しい話だし、口論になればアンナを傷つけかねない。


 幼いアンナに厳しい話は聞かせたくない。

 ……のだが、


「お話って、こてんぱんにするんだよね!」


 というアンナの発言に、メアリがしまったと眉をひそめた。


「ち、違うのよ。それはつい言葉の綾で……。そんな物騒な言葉使っちゃ駄目よ」

「こてんぱんにして、うばいとるんでしょ!」

「まずいな、悪影響を与えてしまった」


 しまった、とメアリとパトリックが顔を見合わせる。『こてんぱん』も『奪い取る』も自分達が口にした言葉だ。幼いアンナはその物騒さを理解せぬまま覚えてしまった。

 親御さんに申し訳ない……とメアリがうなだれる。今後口癖になってしまったらどうしよう。

 パトリックもしきりに「その言葉は使わない方が」と正しているが、ほかでもない自分が口にしたのだから説得力は皆無だ。


「お嬢もパトリック様も、そう気になさらない方がいいですよ。子供っていうのは、覚えてほしくない言葉ばかり覚えて使いたがるもんですから」


 苦笑を浮かべつつアディが慰めてくる。

 それに対してアンナが更に追い打ちをかけるように「こてんぱんでうばいとるの」と続け、アディにパフと手で口を覆われると楽しそうに笑った。

 やりとりを見てメアリが己の腹部をさする。我が子もアンナのように、覚え立ての言葉を――それも親が困ってしまうような言葉を――楽しそうに口にするのだろうか。出来れば綺麗な言葉だけ覚えてほしいところだが、そううまくもいかないのかもしれない。


 そんなメアリの仕草に気付いたのか、パトリックが名前を呼んできた。どうしたのかと問われ、メアリが慌てて腹部から手を離す。

 彼はもう気付いているのだろうけれど、アリシアはまだメアリの妊娠を知らない。『知られれば大騒ぎになるから、今は控えるように』とパトリックも言いたいのだろう。藍色の鋭い視線に、メアリが頷いて返した。


「なんでもないわ、気にしないでちょうだい」

「アンナを思って意気込むのは分かるが、あまり無理はしないようにな」

「えぇ、ありがとう」


 言葉を濁しつつ気遣い、そのうえ誤魔化しにも乗ってくれる。なんて頼りになるのだろうか。

 それに感謝を示しつつ、誤魔化せただろうかとメアリがアリシアをチラと一瞥し……。


 厳しい瞳で窓の外を眺める横顔に息をのんだ。


「アリシアさん……」と呼びかけた言葉が止まる。それほどまでに今のアリシアの表情は厳しく、そして見惚れてしまうほどに美しい。

 紫色の瞳は突きつけられる貧富の差をしっかりと捕らえ、形の良い唇は憤りを堪えるためかきゅっときつく結ばれている。その表情は威圧感さえ覚えかねないほどで、仮にメアリが出会ったのが今のアリシアならば敬意と尊厳を抱いただろう。


 彼女から漂う威圧感を感じていたのはメアリだけではないようで、アディも意外だと言いたげな表情でアリシアを見ている。彼女の隣に座るパトリックもまたアリシアの横顔を見つめ、そっと腕をさすった。

 はたと我に返ったアリシアがこちらを向く。金の髪をふわりと揺らし、紫色の瞳をきょとんと丸くさせる。いつものアリシアらしい表情だ。


「あ、申し訳ありません。私、考え事をしていて……。えぇっと、何のお話でしたっけ?」

「……アリシアさん、随分と難しいことを考えていたみたいね」

「それは……。景色が変わってから、子供が一人でいるのをよく見かけるんです……。エルドランド家の使いの方に詳しい話を聞かせていただいたんですが、シルビノの一部の地域では子供を育てられない親が少なくないらしくて……」


 切なげな表情でアリシアが再び窓の外を眺める。

 曰く、シルビノの貧富の差は激しく、一部の領地では働き口は皆無。あっても富裕層の者達が殆ど仲介料として己の懐に納めてしまうのだという。

 おかげでより貧富の差は激しくなり、そして虐げられる者達は生活するための金さえ稼げなくなっていく。


 困窮の果てに、アンナの父親のように稼ぎ手が家も出ることもあれば、育てられず子供をよそに預けることもある。孤児院はどこも満員状態だという。

 アンナだって、このまま母親の体調が戻らなければ孤児院で生活せざるを得ないのだ。

 そんなアンナに、そして親から引き離される子供達に、かつて孤児院で暮らしていた自分を重ねているのだろう。


「私がいた孤児院にも、色々な理由で預けられる子どもがいました。仕方ない子もいれば、預けられるのが一番だという子も。もちろん孤児院での生活が悪いわけではありません。……だけど、親も子も一緒に居たいのに、それが苦しい生活を強いられてかなわないなんて」


 困窮ゆえに親子が引き離され、それを領主は見ぬ振りをする……。

 その現状が許せないのだろう。声色こそ落ち着いてはいるものの、アリシアの言葉一つ一つに言いしれぬ圧が漂っている。

 いつものふくれっ面で不満を訴えるのではなく、一国の王女として他国の杜撰な体制を憤っているのだ。

 紫色の瞳がメアリへと向けられる。美しく、気高さを感じさせる瞳だ。


「メアリ様、私、アンナちゃん達がこれ以上苦しい思いをするなんて許せません。この話し合い、力になれるのなら王女として同席いたします」

「え、えぇそうね、それがいいわ……」


 アリシアの断言に、メアリが気圧されつつ返す。

 てっきり「アンナちゃんと領地を守りましょう!」と握手でもしてくるかと思っていた。それどころかいざゆかんといつもの調子で突撃するかだ。

 だが今のアリシアはそれとは真逆。孤児院で育った幼少時の記憶を胸に、うちに渦巻く憤りを押しとどめ、つとめて冷静に、なにより力のある王女として振る舞おうとしているのだ。

 僅かだが気圧されかけたメアリが皮肉混じりに「王女らしく振る舞いなさいよ」と告げてやれば、いつもの調子に戻ったアリシアが「任せてください!」と自分の胸元を叩いた。


 そんなアリシアの決意を後押しするように、ゆっくりと馬車が止まった。

 見れば先程までの景色が再び穏やかなものへと戻っている。どうやら一区画抜けて、再び富裕層の住む地域に着いたらしい。

 これが一つの領地内に同時に存在しているというのだから、あまりの落差に目眩がしそうだ。

 だが嘆いている暇はなく、馬車の扉がノックされた。ゆっくりと開けて顔を覗かせるのはガイナスだ。


「到着しました。ここで領主がお待ちです」

「ここは?」

「領主の別荘です。……数あるうちの」


 唸るような声色でガイナスが告げる。

 といっても、別荘自体が悪しき習慣なわけではない。アルバート家も別荘はいくつか所有しているし、エルドランド家だって同様だ。貴族に限らず、裕福な家ならば離れた地に別宅を構えて休暇を過ごすこともある。

 もしも仮に、これが普通の場であれば、メアリも「立派な別荘ね」と軽く流していただろう。

 だが先程の光景がいまだ脳裏に焼き付いている今、この別荘を誉める気にはとうていならない。むしろ腹立たしさが増すだけだ。


 困窮し壊れ掛けた家で生活せざるを得ない領民を横目に、領主の別荘がいくつも建っていく。

 これほど傲慢な話があってたまるか。


 これはどうにかせねばなるまい。

 そう決意を改めた瞬間、「アンナ!」と高い声が響いた。

 誰からともなく振り返り、そしてアンナが「お母さん!」と声を上げて駆け出す。

 そこに居たのはラングとルシアン、その背後にはロベルト。

 ……そして一人の女性。

 年はメアリより十は上だろうか。随分と細身で顔色も悪く、今にも倒れそうで見ているこちらが不安になるほどだ。

 その女性はしきりにアンナの名前を呼び、僅かによろつきながらも駆け寄っていった。

 飛びつくようなアンナの強い抱擁を、同じように女性の手が小さなアンナの体をひしと抱き留める。


「おかあさん、おかあさん……!」

「アンナ、どうしてちゃんと施設に行かなかったの! アンナが施設にいないと知って、お母さん心配で……!」

「ごめんなさい、おかあさん、どうしても私……お母さん!」

「無事で良かった……。不安だったでしょう。怖かったでしょう……!」


 互いの無事を確認するように、抱きしめ合ったまま名前を呼ぶ。

 ついにはアンナが母親の胸元に顔を埋め、感極まったのか声をあげて泣き出した。今まで堪えていた不安や寂しさが溢れ出したと言わんばかりの、大きく、叫ぶような、子どもらしい泣き声だ。

 それを抱きしめる母親もまた肩をふるわせており、小さなアンナを潰してしまいそうなほどに強く抱きしめている。

 母娘の再会に、誰からともなくほっと安堵の息を吐いた。




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