13
翌朝、朝食をとり出発の準備を整える。
ガイナス曰く、まだメアリ達が寝ている明け方にラング達は出発してしまったらしい。メアリ宛に残されていた手紙には、先にシルビノに行ってアンナの母親を捜してくると書かれていた。
厄介な兄達ではあるが、あれでも実際は社交界でも群を抜いて出来る男だ。――『メアリがいない場所ならば』という条件がつくのが惜しいところである――
そんなラング達が自ら言い出したのであれば、アンナの母親に関しては任せておいて大丈夫だろう。
「食事の用意はできましたが、予想外に早く出発をされたので給仕が追いつかず、至らぬところがあったかもしれません」
「気にしないで良いわよ。お兄様達って、出掛ける日の朝はやたらと早く起きるの。食べ損ねたって自業自得、お腹がすいたら適当にお菓子でも買って食べるでしょ」
大丈夫、とメアリが言い切れば、ガイナスが頬をひきつらせた。
何か言いたげだがすんでのところでそれを堪えている。おおかた、「まるで子供のようだ」とでも言いたいのだろう。まったくもって同感である。
「アンナのお母様については任せたいけど、領地に関してはお兄様達に先を越されるのは癪だわ。私達も出発しましょう! こてんぱんタイムよ!」
「だからどうか不穏な発言は……。パトリック様も、不穏な発言に惹かれて笑顔でこちらに来ないでください!」
慌ててガイナスが制止すれば、メアリがコロコロと上機嫌で笑った。
そうしていざ出発……となったのだが、一台の馬車に全員乗るにはいささか無理がある。
なのでエルドランド家からも馬車を用意してもらったのだが、
「メアリ様、別の馬車に乗っても、わ、私のことは忘れないでください……!」
というパルフェットの悲痛な台詞といったらない。
いったい何がそこまで悲しいのだろうか。むしろなぜ違う馬車に乗った程度で忘れられると思っているのか。
といっても、乗り込む際にガイナスに手を取られている様は満更でもなさそうだ。きっと馬車の中では二人の空間に酔いしれていることだろう。
「あのお姉ちゃんは泣き虫なの?」
不思議そうに尋ねてくるアンナに、馬車に乗り込んだ全員が同時に頷いた。
パルフェットは泣き虫である。むしろ常に泣いているので『泣き虫』という表現さえ甘いくらいだ。これに関してはメアリもフォローをする気にはなれない。
だがその話に対してアンナはアディの燕尾服の中に身を隠し、自分も昨夜泣いてしまったことを告げた。燕尾服の隙間から顔を覗かせ、随分と恥ずかしそうだ。自分も泣き虫だと恥じているのだろう。
それを聞き、アディが心配そうにアンナの様子をうかがった。頭を軽く撫でれば、アンナがアディを見上げてためらうように口を開いた。
「……アディお兄ちゃん」
と。
メアリ達と同じ呼び方だ。彼女はメアリ達に対して「お姉ちゃん、お兄ちゃん」と呼んでいる。
だがアディに対してだけはかたくなに『お父さん』と呼び、アディ本人がいくら違うと言っても話を聞かずにいた。そもそも、この騒動の始まりは彼女がアディを父と呼んだことである。
だというのに、アンナは今アディのことも『お兄ちゃん』と呼んだ。アディが父親ではないと認めたのだ。
その表情が不安げでまるで縋るように弱々しいのは、父親でないと認めたら放り出されるかもしれないと考えているからだろう。
昨夜打ち明けてくれたアンナの胸の内を思いだし、メアリが案じるようにアディとアンナを見つめる。
アンナからの呼び方の変化に気付いたのか、アディが僅かに何かを言い掛け……。
「大丈夫だよ、アンナ」
と優しく告げると、彼女の頭にポンと手を乗せた。
自分と同じ錆色の髪を掬うように撫でる。
そうしてチラとメアリに視線を向けると、「泣くといえば」と明るい声で話し出した。
「お嬢もアンナと同い年くらいの頃はよく泣いてましたね。お嬢が泣いた時の声と言ったら、屋敷の端に居ても聞こえるほどでしたよ」
「アディってば、私の話なんてやめてよ。それに、私はもっと上品に可憐に泣いてたわよ」
「嘘泣きの時は、ですよね。嘘泣きは本当に可憐でか弱くて、子猫のように丸まって泣くのに、本気で泣くとそりゃもうひどくて……」
「子供の頃の話なんて卑怯よ! ちょっとアリシアさん、なにいそいそとノートに書き記してるのかしら。パトリック、そのノートを奪ってちょうだい!」
「そういえば、パトリック様は滅多に泣かないけど、一度だけ派手に転んだ時に大泣きした事がありましたね」
「しめた! 矛先がパトリックに向いたわ! その話を詳しく聞かせて!」
自分の話題でなければ良しと、メアリが打って変わってアディを煽る。
アリシアは誰の昔話が聞けてもいいのだろう、次はパトリックの話かと期待に瞳を輝かせている。
これに慌てたのはもちろんパトリックだ。
アルバート家とダイス家は昔から懇意にしており、アディは幼少時からパトリックと付き合いがある。そしてアディは五歳年上なのだから、当然だがパトリックよりも記憶は鮮明だ。
文武両道眉目秀麗、まさに完璧を実現させたようなパトリックとはいえ、さすがに幼少時は幼さゆえの言動がある。
「懐かしいですね。ダイス家の旦那様が弟に構ってばかりだと涙目で話してくれたこともありました」
「そ、それより。今はシルビノの領地について話をした方がいいだろう。なぁアリシア、君もそう思うだろう?」
「私は小さい頃に孤児院の先生と喧嘩して、泣きながら孤児院の裏にテントを張って家出をしました!」
パトリックの話題そらしを自分の番だと勘違いしたのか、なぜかアリシアが自ら語り出す。彼女だけ恥じらいも何もないのは、子供の頃の可愛い話と割り切っているからだろうか。
しかし孤児院の裏にテントとは、近場でありながらも強硬手段の家出ではないか。メアリが自分の大泣きを棚に上げて「手間の掛かる子だったのね」とあざ笑った。
「三日目に台風が来て、先生が迎えに来てくれたんです」
「あなたみたいな田舎くさくて手間の掛かる子、先生もさぞや困ったでしょうね。……三日もったの!?」
「夜は眠ったあとに先生が部屋に運んでくれて、朝方にテントに戻してくれていたらしいんですが、気付かずに三日間テント生活していました」
えへへ、とアリシアが照れくさそうに幼い頃を話す。
これは照れ笑いですませて良い話なのだろうか。そもそも、いくつの時かは分からないが、テントを張って三日過ごすとは実力行使にもほどがある。
「この迷惑な田舎娘に比べたら、私達はなんて大人しくて手の掛からない子なのかしら。ねぇ、アンナ?」
アリシアに冷ややかな視線を向け、メアリが彼女を鼻で笑う。
アンナを抱き寄せて身を寄せるのは仲間意識を見せつけるためだ。アンナもそれが分かったのか、クスクスと笑いながらメアリにくっついてくる。
疎外感を覚えたのか、アリシアがぶぅと頬を膨らませた。
思わずメアリが「田舎くさいふくれっ面」と彼女を窘める。
そのやりとりで気分が晴れたのか、アンナが楽しそうに笑い、アリシアを真似るように頬をぷくと膨らませた。
シルビノの国土に入り馬車が進むに連れ、次第に景色が変わっていく。
だが貧富の差というほどではなく、ちょっとした国の違いと取れるだろう。
むしろこれぐらいの変化ならば国内においてもそう珍しいものではない。並ぶ建物や店に違いが見えるだけで、行き交う者達は誰もが平穏そうだ。
「なんだ、言うほど酷いわけじゃないのね」
良かった、とメアリが安堵しつつ窓の外の景色を眺めた。
若い夫婦が歩いている。母親は小さな赤ん坊を抱き、父親の周りには年子らしい男の子が二人足下にまとわりついている。とりたてて貧しさは感じられず、どこにでもいる平穏な家族そのものだ。
アルバート家とは比べものにならないが――そもそも、アルバート家と比べられる家など王族やダイス家ぐらいなものだ――困窮の色は見えない。
「みんな大袈裟に話してるのかしら。でもこれなら、領主から無理矢理奪うこともないわね」
「メアリ、違うんだ」
「……違う?」
パトリックの低い声に、メアリがいったい何のことかと彼に視線を向けた。
窓の外を眺める彼の表情は随分と険しく、まるでどこか遠くを哀れむかのようだ。
「違うって、何が違うの?」
「俺も噂程度にしか聞いたことはないが、じきに境目を越えるだろう。そうしたら分かるさ」
「境目?」
国境ならばまだしも、国内において境目とは何の話か。
だがパトリックの様子を見るに詳細を求めても期待はできそうにない。まずは自分の目で見るのが一番だと、そう言いたいのだろう。
ならばここは大人しく待つべきか。パトリックの話では境目とやらまでそう距離は無いようで、ならば無理に話を聞き出すより自分の目で確かめる方が手っ取り早い。
そう考え、メアリも流れる景色に視線をやった。
景色がガラリと変わり、窓の外から陰鬱とした重苦しい空気が入り込んだのは、それからすぐのことである。