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12

 


 メアリが深夜に目を覚ましたのとほぼ同時刻、ガイナス・エルドランドは己の自室で使いから報告を受けていた。

 だがあまり好ましくない報告が続き、ガイナスの表情が自然と渋くなっていく。


「……アンナちゃんはそんな酷いところで生活していたのですね」


 溜息混じりに呟いたのはパルフェットだ。

 ガイナスの仕事が終わるのをコクリコクリと頭を揺らして待っていた彼女は、使いの話を聞いて悲痛そうに眉根を寄せている。

 マーキス家で蝶よ花よと大事に育てられ、自身も穏和な性格の彼女にとって、貧民街の話は聞くに耐えないものだろう。

 ガイナスがそれに気付き、パルフェットを手招きして呼んだ。片腕で抱き寄せて大丈夫だと宥める。


「パトリック様もおっしゃっていたように、必要とあればエルドランド家で領地の対応にあたろう」

「よろしいんですか? 他国の問題になりますが……」

「アルバート家やダイス家ほどじゃないが、うちも多少は権威を持っているつもりだ。それに、このまま放ってはおけないだろ」

「ガイナス様、お優しく頼りがいがあるのですね。……二十点です」


 ほんのりと頬を染め、パルフェットがガイナスにもたれかかる。

 先ほどまで貧民街の現状について渋い表情で話していた使いもこれには苦笑を浮かべ、「報告の続きは明日に」と一礼して去っていった。空気の読める良い使いである。

 その気遣いを無駄には出来ない。そう考え、ガイナスが待たせていたことを詫び、仕事は終わったとパルフェットに告げた。実を言えばまだ少しやることは残っていたが、ここで仕事に戻るなど出来るわけがない。


「待たせて悪かった、もう寝よう」


 ガイナスが誘うようにゆっくりとパルフェットへと顔を寄せれば、期待したパルフェットも彼を見上げたまま瞳を閉じ……、



「そこまでよ! 食料を出しなさい!」



 と、割って入ってきたメアリに、二人同時に目を丸くさせた。


「強盗!? いえ、メアリ様!?」

「ガイナスさん、夜分遅くにごめんなさいね。ちょっと食事を用意してほしいの」

「食事ですか? 夕食が足りませんでしたか?」

「そうじゃないの。アンナがお腹がすいて起きちゃったのよ。軽く食べさせて早く寝かさないと、明日に響くでしょう?」


 事情を説明し、メアリが改めて頼み込む。

 それに対し、頬を赤くさせて恥じらっていたパルフェットが「それなら私が」と名乗り出た。


「誰かに頼んで、用意いたします。少しお待ちくださいね」

「えぇ、お願いするわ」


 頬を赤くさせたまま、パルフェットがパタパタと走りさっていく。

 その背を見送りほっと一息つくと、次いで隣に立つガイナスをチラと一瞥した。

 頬を赤くさせて去っていくパルフェットとは対極的に、こちらはずいぶんと顔を青ざめさせている。言葉こそ発していないが、「置いていかないでくれパルフェット」と悲痛な彼の声が聞こえてきそうなほどだ。


「婚前なのにベッドに誘うなんて、意外に大胆なのねぇ? ガイナスさん」

「い、いえ、それは……その、ベッドに誘うと言いましても、添い寝程度でして……やましいことはけして……」

「パルフェットさんが戻ってくるまで、ちょっと詳しくお聞かせくださるかしら?」


 おほほほ……とメアリが品よく笑うも、ガイナスの顔色は青ざめる一方だ。

 だがはっと何かに気付くと、慌てて「そういえば!」と話題を変えてきた。


「シルビノに出していた使いが戻ってまいりました。明日にでも件の領主と話ができます!」

「それでパルフェットさんをベッドに誘う話なんだけど」

「戻ってきた者も言っておりましたが、問題の領地は俺が想像していたよりも酷いようです」

「やましいことは無いと言っていたわね。その『やましいこと』っていったいどんなことを想像していたのかしら」

「幸いシルビノには親戚もおりますし、そちらに領地の管理を任せることも出来ます。国家間の問題とまでは発展しないでしょう」

「私もとやかく言う気はないけど、いち友人として色々と話を聞かせてもらいたいのよね」


 ガイナスの必死な抵抗をメアリが悉く叩き切る。

 領主との話し合いの場を設けてくれたことは感謝するが、それはそれである。

 これはまずいと感じたのか、ガイナスの額に冷や汗が伝う。それでもなんとか話題を逸らそうと、「そういえば……」と掠れた声をだした。


「こ、今回の件、その……前世の記憶とやらと関係は……」

「まったく無関係よ。それで貴方の言う『やましいこと』なんだけど、いったいなにかを具体的に、今までパルフェットさんを相手にしたことがあるのか、無いのであれば今後をどう考えているのか、具体的に聞かせてくれないかしら」


 おほほ……と上品に笑いつつ、メアリが肘でガイナスを突く。

 傍目には華麗な令嬢のちょっとした意地悪と見えるだろうか。もっとも、よく見ればメアリの一撃は確実に彼のわき腹を抉っており、肘で突かれるたびにガイナスが小さく呻いている。これを『ちょっとした意地悪』と呼ぶには無理があるだろう。


「……パルフェット、早く戻ってきてくれ」


 ガイナスの情けない声が、エルドランド家の静かな通路にむなしく響いた。




 パルフェットが用意してくれたのは、一口サイズのサンドイッチだ。

 それらをもって部屋へと戻れば、小さな明かりをつけた部屋でアンナが出迎えてくれた。サンドイッチを見て瞳を輝かせ、用意するなり嬉しそうに食べ始める。

 だが、食事も終えて就寝の準備も済ませ、さぁ寝よう……となったところで、アンナはベッドには戻らず再びソファへと座ってしまった。

 ポツリと「メアリお姉ちゃん」と呼ぶ声からは、美味しそうにサンドイッチを食べていた時の覇気はない。

 またもうなだれてしまった彼女を案じて顔をのぞき込めば、錆色の瞳を滲ませて今すぐにでも泣きそうではないか。


「どうしたの?」

「……ごめんなさい」


 消え入りそうなほど弱々しいアンナの言葉に、メアリがきょとんと目を丸くさせた。

 いったい何に対しての謝罪なのか。


「大丈夫よ、こんな時間に起きちゃっても、誰も怒ったりしないわ。たまの夜更かしはいいものよ」

「……ちがうの」

「それなら遅い時間にご飯を食べたこと? 仕方ないわよ、疲れて寝ちゃったんだもの」

「……そうじゃないの」

「もしかしておねしょしちゃったの!? 大丈夫よ、すぐにお風呂を借りて着替えましょう。恥ずかしいならアディのせいにしてもいいわ!」

「お父さんじゃないって、わかってたのに……」

「アンナ……」


 うなだれつつ弱々しく話すアンナに、メアリが気遣うように彼女を呼ぶ。

 次第に声が震えしゃくりあげだし、そっと彼女の小さな肩をさすれば大粒の涙が目から溢れ落ちた。


「ほ、ほんとうはっ……お父さんじゃないって……でも、お父さんじゃないって言ったら、おうちにひとりで、帰れって……」


 しゃっくりと共にアンナが必死に訴える。両手で目元をこすっては涙をこぼし、またこすって……と、痛々しい。

 メアリが慌ててハンカチを持ち出し、そっと頬を拭ってやった。雑に擦ったせいで目元が赤くなってしまっている。


「ごめんなさい……。み、みんなに……めいわく……」

「大丈夫よ、迷惑なんかじゃない。アンナはお母様を助けたくて、頑張ったんだもの。誰も貴女に一人で帰れなんて言わないわ」

「おかあさん……おかあさんに会いたい……でも、病気って……。お母さんまで、いなくなっちゃたら……どうしよう……そうしたら……!」


 自分は一人ぼっちになってしまう。そう訴え、耐えきれなくなったアンナが泣き出した。

 とっさにメアリが彼女を抱きしめる。慰めの言葉よりも先に己の腕が彼女を抱き留めたのだ。アンナもまた必死にメアリに抱きつき、胸元に顔を埋めて泣きじゃくる。

 なんて小さな体だろうか。

 母と離れる不安、父に会えるかという不安、そしてアディを『お父さん』と呼び続けることへの罪悪感。受け止めるにはこの体は小さすぎる。

 だがアンナは頼れる人もおらず、胸の内を吐き出すことも出来ず、潰されまいと必死に一人で耐えていたのだ。

 それを思えば、自然とメアリの腕にも力が入る。


「大丈夫よ。アンナのお母様もすぐに元気になるわ。アンナ達が安心して暮らせるようにしてあげるから」

「……メアリお姉ちゃん」


 グズグズと泣きながらアンナがメアリの名前を呼ぶ。

 そんな中「どうしました?」と低い声が聞こえてきた。

 アディだ。どうやらこの騒ぎで起きてしまったようだが、低い声とはっきりしない口調からいまだ思考は夢の中といったところか。

 ベッドからおりてこちらへと近付いてくる。その動きもどこか緩慢で、ほとんど寝ぼけているのだろう。


「大丈夫よ、特に問題は無いわ。ちょっと話をしていただけだから」

「……寝ましょう」

「そうね。アンナも、もう寝ましょう」


 メアリがアンナを落ち着かせようと優しい声色で話しかける。……が、その横からすっと腕が伸びてきた。

 言わずもがなアディの腕である。ひょいと軽々とアンナを抱き上げてしまう。

 そうしてそのままふらふらとした足取りでベッドへと戻ってしまうのだ。これにはメアリも後を追うしか無い。

 小さな子供を抱き上げるアディの背中。見慣れた背中を、見慣れぬ小さな手がきゅっと掴んでいる。なんだか不思議な気持ちだ。


「もう……寝よう。明日は、早くから出なきゃ……」

「……おやすみなさい」

「おやすみ、アンナ」


 布団に入ったアンナをアディの手がポンポンと軽く叩く。

 だがその手の動きも長くは続かず、ぱたと力なく落ちると代わりに寝息が聞こえてきた。もとより半分近く意識は眠っていたのだろう。明日の朝、先程のことを覚えているかも定かではない。

 メアリが苦笑を浮かべ、アディを起こさないように自らもそっと布団に入った。


 アンナを挟むようにして横になれば、アディを見ていた彼女がコロンと転がってこちらを向いた。

 まだ目が赤くなっているが、強制的に寝かしつけられたことで少しは落ち着いたのだろう。先ほどのように泣きじゃくる様子はなさそうだ。


「アディお兄ちゃん、もう寝ちゃったね」


 隣で眠るアディを気遣ってか、小声でアンナが話しかけてくる。


「えぇ、そうね。彼、寝付きが早いのよ」

「……お父さんも、アディお兄ちゃんみたいに優しかったのかな」


 幼いながらに溜息混じりに呟くアンナの言葉に、メアリが小さく息をのむ。

 そっと手を伸ばし、布団の中でアンナの体を優しくさすってやった。小さくて暖かい。


「ねぇ、アンナ。アンナとお母様がよければ、うちで働かない?」

「メアリお姉ちゃんのおうちで?」

「えぇ。アンナのお母様には、優しい良い子を育てた先輩として私に教えてほしいの」

「優しい良い子?」

「アンナのことよ。この子にも、アンナみたいなお母様思いの良い子に育ってほしいの」


 アンナを撫でていた手をそっと彼女の体から離し、視線を誘導するように自分の腹部を撫でる。

 その動きで察したのか、アンナが目を丸くさせた。先ほどまで涙をこぼしていたというのに、途端にキラキラと輝き出す。

 だが声を出してはアディを起こしてしまうと考えたのか、小さな両手でパタと口元を押さえ、「ほんとう?」と声を潜めて尋ねてきた。


「まだ皆には言わないでね。秘密なの」


 約束よ、とメアリが穏やかな声色で告げれば、アンナが嬉しそうに笑って頷いて返してくれた。

『秘密』や『約束』というものは不思議と子供の心を弾ませるのだ。それが良いことなら尚更だ。

 その話題で気分が晴れたのか、切なげだったアンナの表情が明るくなり、そして明るくなったと思えばとろんと虚ろになった。

 サンドイッチを食べてお腹も満たされ、胸中を打ち明けて泣き疲れ、そしてメアリの話に心を弾ませ、その果てに眠気がやってきたのだろう。相変わらずコロコロと変わる表情に、メアリが穏やかに微笑んで彼女の頬を撫でた。


 雑に擦ったことでほんのりと赤くなった目元を指先で擦れば、くすぐったいのか目を閉じ……そのまま寝入ってしまった。小さな唇からスゥと微かな寝息が漏れる。

 先ほどまで泣いて、笑ったかと思えばすぐに眠ってしまう。子供というのはなんと目まぐるしいのだろうか。この目まぐるしさに振り回されるとなれば、なるほど親が「子育てはあっと言う間」とメアリ達を愛おしむのも分かる。

 だがこれほど目まぐるしく愛らしいアンナが、いや、アンナ以外にも件の領地で住む子供たちが、貧しく苦しい生活を強いられている……。


「問題の領主には痛い目を見せてやらなきゃいけないわね。二度と領地を治めようとなんて思えないほどこてんぱんにしてやりましょう。……まさか、これが母性ってやつかしら!?」


 己の中に生まれた強い使命感に気付き、メアリが瞳を輝かせる。

 パトリックあたりが聞けば「随分と攻撃的な母性だな」とでも言いそうなところだが、浮かれるメアリがそれに気付くわけがない。

 思わずアンナを抱き寄せ、予行練習と言わんばかりに彼女の体をポンポンと叩いてやる。


「領地を奪い取ってやりましょうねぇ」


 優しい声で物騒なことを囁き、メアリもまたゆっくりと眠りについた。



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