10
エルドランド家の屋敷はアルバート家にこそ劣るものの、風格も威厳もある立派な屋敷だ。
メイド達が常に磨き上げているのだろう埃一つ無く、季節に合わせた生け花や絵画が飾られている。隅々まで手入れがされており、家の威厳と、そして新米当主がいかに慕われているかが分かる。
そんな屋敷の通路に、パタパタと不釣り合いな足音が響く。
「メアリ様っ……! メアリ様ぁー!」
泣きながら駆け寄ってくるのはパルフェットだ。
かなり距離がある段階で既に両腕を広げ、オフホワイトのワンピースの裾をひらひらと揺らしながら駆け寄ってくる。そうしてメアリの目の前まで迫ると、再会を喜ぶように抱きつこうとし……。
さっと割り込んできたアディに流れるように軌道を変えられ、アリシアへと抱きついた。
「メアリ様、お会いしたかっ……違う、この感触はメアリ様じゃない! アリシア様!?」
気付けばアリシアに抱きついており、パルフェットが目を丸くさせる。
そんなパルフェットに対し、間違えられたアリシアはそれでもぎゅっと彼女を抱きしめかえした。
「パルフェットさん、お久しぶりです!」
「アリシア様もお久しぶりです……!」
麗しい女性二人が再会を喜んで抱擁を交わす。なんと美しい光景だろうか。
一人外されたメアリは相変わらずだと肩を竦め、チラと横目でアディを見上げた。
「パルフェットさんが抱きつくぐらいなら平気だと思うけど?」
「いけません。何人たりともお嬢を抱きしめさせません」
「あら、誰も抱きしめてくれないのね。しばらく寂しい思いをしそうだわ」
「……俺は別ですけど」
頬を赤くさせつつすました顔で断言するアディに、メアリが苦笑を浮かべる。
そうして視線を向けたのは、パトリックと挨拶をするガイナス。
エルドランド家の当主であり、いまやこの国を代表する一人と言えるだろう。メアリからしてみればパルフェットの尻に敷かれる男でしかないが、その実態は国内はおろか他国にまで顔の利く名家当主だ。
彼の影響力は大きい。それが隣接するシルビノに対してならばなおのこと。
一部始終を説明し終え、メアリが笑顔を浮かべたままパンッと手を叩いた。
「というわけで、ぜひガイナスさんにはシルビノのやり方に口を挟んで、アンナの住んでいる地域の領主に痛い目を見せてほしいの」
「メアリ様、国家間の問題になりかねないので、もう少しオブラートに……」
「こてんぱんにしておやり!!」
「……善処いたします」
ガイナスがうなだれつつそれでも了承の返事を返せば、パトリックが宥めるように彼の肩を叩いた。
穏やかで麗しい微笑みでガイナスを見つめ、まるで気持ちは分かると言いたげに深く一度頷き……、
「再起不能まで追い込もう」
と追い打ちをかけた。
その瞬間のパトリックの良い笑顔といったらない。言葉の物騒さに反して輝きは二割り増しである。
呆れなのか、もしくはあまりのキラキラとした輝きに眩んだのか、ガイナスが目を細める。
「パトリック様まで……」
「俺も立場があるから、不用意に他国の領地に口を挟めないんだ。一国の代表が異国の貧民街に私情で肩入れとなれば問題だろう。だがエルドランド家ならば別だ」
「確かに。最近は我が国にもシルビノから渡ってくる者が多く、その件についてならば話もしやすいでしょう。むしろシルビノの貧富の差については度々問題にもあがっていたので、良い機会かもしれません」
「あぁ、よろしく頼む。いざとなったらエルドランド家の領土にするくらいの気持ちでいってくれ」
「パトリック様も、どうか穏便な姿勢で……」
「根こそぎ奪い取ろう」
「……善処いたします」
こちらも言っても無駄だと考え、ガイナスがガクリと肩を落とす。
そんなガイナスをアディが呼んだ。いつにもなく深い声色で、錆色の瞳でじっとガイナスを見つめる。
威圧感さえ漂わせるアディの様子に、隣に座るメアリも変化に気付いて彼を見上げた。真剣な表情だ。落ち着いてはいるものの、錆色の瞳の奥には炎のように熱い感情が渦巻いているのが分かる。
「ガイナス様、どうかよろしくお願いいたします」
「アディ様……」
「言うまでもありませんが、アンナは俺の娘ではありません。ですが勘違いとはいえ、俺の手を取り助けを求めてきました。あんな小さな子が一人で何日も歩いてきた。どれほど不安で怖かったか。それを思えば、送り届けただけで終わりなんてできません」
真剣な声色で告げるアディに、話を聞いていた誰もが視線を向ける。
今の彼からは冷ややかな怒気すら感じられる。アンナの境遇を思い、その不条理さに押しとどめ切れぬ感情を抱いているのだろう。
それを受け、ガイナスもまた表情を真剣なものに変えて改めてアディへと向き直った。
「すぐにでも領主と話せるよう、使いを出しましょう」
「お願いします」
「出発は明日にしたほうがいいかと。みなさん、今日はお疲れでしょうから部屋をご用意いたします」
泊まるように促すガイナスに、メアリ達が礼を告げてその言葉に甘えることにした。
エルドランド家は大きな屋敷だ、客室は十分にあるだろう。それにここでメアリ達を宿に泊まらせてはエルドランド家の沽券に関わる。
時には遠慮せず好意に甘え、そして別の時に借りを返す。これもまた家同士の関係を深める手段だ。
アンナの相手をしていたパルフェットとアリシアもこの話を聞き、互いにペコリと頭を下げた。
「どうぞごゆっくりお過ごしください」
優雅に歓迎を示すパルフェットは、既にエルドランド家夫人の貫禄を漂わせている。
対してアリシアもまた「お世話になります」と頭を下げた。王女が容易に頭を下げるのは問題だが、これは『友人の家に泊まる』ための挨拶なのだから不問だろう。
二人の間に座っていたアンナがアリシアとパルフェットを交互に見比べ、まるで真似するようにぺこりと頭を下げた。可愛らしいその仕草とたどたどしい「おせわになります」という言葉に、二人が黄色い声をあげる。
その穏やかな光景にメアリ達も毒気を抜かれて笑みをこぼし、そういえばとメアリがガイナスへと向き直った。
「お兄様達の部屋も用意してもらってもいいかしら。ちょっとシルビノについて情報を集めてくるって言って別れたけど、きっとここに戻ってくるはずだわ」
「ラング様とルシアン様ですか。もちろん構いません」
「うるさいから一室に押し込めといて良いわよ」
「さ、さすがにそれは……。お二人にもきちんと部屋を用意いたしますので。それとアディ様のお兄様にも」
「そうね。ロベルトには一室用意してあげてちょうだい」
「扱いの差がおかしくありませんか?」
ガイナスがひきつった表情を浮かべる。
普通ならば隣国の名家嫡男を二人一部屋に押し込み、その従者に一部屋を与えるなど考えられない話だ。失礼だと怒りを買うし、常識知らずと言われても当然である。
だがメアリは念を押すように「お兄様達は一部屋で良いわ」と告げた。もはや遠慮ではなく、兄達の対応が面倒なので一カ所にまとめてしまいたいという気持ちだ。
「で、でしたら、並びで三部屋ご用意いたします。ご本人達に自由に部屋を選んで頂ければよろしいかと」
「それだと一部屋に三人で過ごすことになるわね」
「なぜ一番狭い選択肢を……。とりあえず部屋は人数分ご用意いたしますので、どうぞお好きに割り振ってください」
ガイナスが肩を落としてうなだれる。このまま話していても埒があかないと考えたのだろう。
そうして使い達に指示を出すべく場を離れるのを見送り、メアリは深く一息ついた。ようやく腰を落ち着けて休むことができた。
あちこち回って、既に日が落ちている。終始馬車での移動だったとはいえ、それはそれで疲労が溜まるものだ。
こんな長距離を、アンナはたった一人で移動してきた。それも薄汚れた絵はがきだけを頼りに。
今日はゆっくりと休ませてあげようと考えれば、一礼して部屋に入ってきたメイドにガイナスが夕食について命じるのが聞こえてきた。どうやら突然の訪問だが食事も用意してくれるらしい。
ここは彼らの好意に甘えようとし……、
「メアリ、君は食事は気をつけた方が良いんじゃないか?」
と、パトリックに声を掛けられた。
きっとお腹の子供のことを言っているのだろう。
確かにとメアリが自分の腹部を見下ろした。今から食事を気にするなど心配しすぎな気もするが、遠出している最中の食事ならば心配しすぎなくらいがいいのかもしれない。
ガイナスにも話が聞こえたのか、おやとこちらを振り返った。
「メアリ様、なにか嫌いなものでもありましたか?」
「いえ……。でもそうね、ちょっと夕食の件で話をしたいかも」
「かしこまりました。ではメイド長を呼びますので、彼女に言い伝えてもらってもよろしいでしょうか」
「えぇ、ありがとう。お礼に五点……いえ、全員宿泊するんだもの、全員から十点送らせてもらうわ」
「それならデザートと、部屋にはチョコレートでも用意しておいた方がよさそうですね」
冗談混じりにガイナスが告げ、メイド長を呼ぶためか部屋を出ていく。
それを見届け、メアリはアディを呼んだ。
「そういうわけで、私の食事についてメイド長に話してもらえる?」
「任せてください。お嬢の食事は俺が管理します」
「……心配しすぎて、野菜が少しだけなんて事にならないようにしてよ。逆に大量に用意されても嫌だけど」
冗談めかしてメアリが告げれば、アディが己の過保護ぶりを笑われていると察し「大丈夫ですよ」と拗ねるように返してきた。
部屋にメイド長が入ってきたのはちょうどそのときだ。これ幸いとアディが彼女のもとへと去っていく。
それを見届け、隣でやりとりを眺めていたパトリックをチラと横目で見た。食事について言い出したのは彼だ。やはり既に気付いているのだろう。
だがここではっきりと明言するわけにもいかず、メアリは小声で礼を言うだけにとどめておいた。彼もまたメアリの状況を分かっているのだろう、
パチンとウインクで返してきた。なんてスマートで様になることか。
そんなやりとりの中、
「アンナちゃん、お夕飯まであとちょっとですよ」
と情けないアリシアの声が割って入ってきたので、自然とメアリとパトリックもそちらへと視線を向けた。
疲れが出て眠くなってきたのか、アンナはアリシアに身を預けるようにして座っている。よく見れば目もとろんとしており、アリシアに肩を揺すられるとこてんと首を下げた。
「アンナちゃん、せめてお夕飯を食べましょう! 美味しいお夕飯ですよ!」
「今すぐに用意しますので頑張ってくださぁい……!」
アリシアとパルフェットがなんとか目を覚まさせようとしているが、きっとあと数分で寝入ってしまうだろう。
ここに来るまで一言も不満も疲労も訴えず、思えば昨日も限界まで我慢してパタリと眠ってしまった。己の立場を考え、ギリギリまで耐えようとしているのだろう。
健気な子、そうメアリが小さく呟いた。
200話到達しました!
今後も楽しんで頂けるよう頑張りますので、どうぞよろしくお願い致します。
……という後書きを200話目に挟む予定でした。
(今回が200話目だと思ってました)
どうぞよろしくお願い致します……!