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「生徒会役員の皆さまは、私がパトリック様を奪われた腹いせにアリシアさんを虐めたと、そう仰りたいのですね」
「あ、あぁ……」
「つまりこのメアリ・アルバートが、田舎娘に男を奪われ、あまつさえ学業を放り出して身にならない些末な嫌がらせをした……と」
冷ややかなメアリの声に、いったいどうしたのかと生徒会役員達が目を丸くした。
寒気すら感じかねない今のメアリの様子は、きっと彼等の知る『メアリ』とは違うのだろう。従者の軽口に叱ることなく自らも軽口で返し、なんと陰口を叩かれようと平然と聞き流し、果てには自転車で通学する。そんな『変わり者の令嬢』しか知らないのだ。
「嫌だわ、私そんなことするような女だと思われていたのね」
「メ、メアリ嬢……?」
「制服を汚すだの机を荒らすだの、このメアリ・アルバートがそんなみみっちい真似をするわけがないじゃない」
「は……?」
「でも今の状況ではどう説明しても信じて頂けないようですし、いっそご自身で体感されたらいかがでしょうか?」
まるで名案とでも言いたげにパンと両手を叩いて、メアリが嬉しそうに微笑んだ。もっとも、その瞳は依然として笑ってはおらず、それどころか未だ冷気を放っているのは言うまでもない。
――そんなメアリの笑みを横目にアディはさも当然と言いたげに平然とし、様子の変わったメアリに慌てているアリシアを宥めはじめた。パトリックに至っては顔を伏せただけでは耐えられないと口元を抑えている――
「このメアリ・アルバートからものを奪えばどうなるのか、是非ともその身をもって体験してくださいませ。そうすればきっと理解して頂けるはずですわ」
暗に「自分ならその程度の嫌がらせで済ませない」と告げ、メアリがクスリと笑みをこぼす。
上品なその笑い方はまるで令嬢そのものだが、この場では冷え切った空気を更に冷やすものでしかない。
もちろんメアリにその空気を和らげる気は一切なく、威圧されたのか一年生の書記が息を飲む音が聞こえたが一瞥すらしなかった。
冷ややかに、かつ淡々と喋りながら目の前に立つ男達を見据える。その目に敵意は見られないが、かといって学友を見るような温かさも無い。どうでも良いものを処分する、そんな慈悲も何もない無感情だ。
「さぁ、まずはどなたから始めましょうか。なんでしたら、みなさんいっぺんにお相手してもよろしいのよ。田舎娘よりかは楽しませてくれますでしょう?」
ニヤと口角を上げ、メアリがチラと隣に立つアディに目配せをした。
それを受けまるで彼女の意図を汲んだかのようにアディが頷いて返せば、先程まで険しい表情を浮かべていた生徒会役員達が揃えたようにビクリと肩を震わせる。
表情は怯えと戸惑いが混ざり、つい先ほどまで見せていた気迫は欠片も残っていない。哀れにさえ思えるほどで、顔色もどことなく青ざめている。
だがそれも仕方あるまい。なにせ彼等はようやく気付いたのだ。
自分達が誰を相手にしていたのか。
例えそれが崇高な生徒会役員としての使命感からとはいえ、どこの家の令嬢を糾弾しようとしていたのか。
そしてそれが、仮に正当な言い分だったとしても、一瞬で善悪を覆され破滅を引き起こしかねないことを。
彼等は今ようやく理解したのだ。
――ちなみに、そんな事とうに知っているパトリックはと言えば、口元を抑え顔を背け、まさに限界が近いと言いたげな体勢で、他の役員達とはまったく違った意味で肩を震わせている。そんなパトリックの態度にようやく事態を理解したのか、彼を睨みつけるアリシアのふくれっ面と言ったらない。可愛さが台無しだ――
だがそんな状況でも悪を正そうとする熱意が残っていたようで、普段は生徒会役員達に指導権を渡している顧問教師が「それでも」と顔を上げた。
「君は普段から令嬢らしからぬ行動を繰り返している。教師として言わせてもらうなら、目に余る行為だ」
「まぁ酷い。私、確かに変わり者とは言われてますが、誰にも迷惑をかけているつもりはありませんわ。もちろん、先生方にも一度たりともご迷惑をおかけしておりません」
「だが君の普段の行動はカレリア学園の品位を落としかねない。学園の生徒として、そしてアルバート家の令嬢として、きちんとした意識を持って行動してほしいと我々は常に思っていた」
日頃の行いが悪いから疑われる、とでも言いたいのだろう。教師のその言葉に、メアリが再び口元を歪ませた。
まったく面白いことを言ってくれる。
「それは、私が令嬢らしくないと、アルバート家の娘とは思えないと、そう仰られているのかしら」
「あぁ、そうだ。君の行動はまるで」
「つまり、お父様が他所の女を孕ませたと言うことですね。もしくは、お母様がお父様以外の男に股を開いたと、そういう意味でしょうか」
「な、そんなまさか……!」
「あら、それならお父様とお母様が、そうとは知らずに他所の娘を後生大事に育てていたということかしら。それが事実なら、アルバート家の家紋はカッコウにでもするべきね」
コロコロとメアリが楽しそうに笑う。
ザワと一瞬にして周囲がざわついたのは、そのやりとりを眺めていた野次馬達の中にもメアリに対し「アルバートの娘とは思えない」と陰口を叩いたことのある者がいるからだ。
もちろんそこにアルバート夫妻の不貞を疑う意思などあるわけがない。アルバート夫妻の仲は良好で、常に互いを想いあい微笑みあっている姿を誰もが一度は目にしている。若い令嬢は彼等の姿こそ理想の夫婦だと憧れているほどだ。
そんな夫妻を疑うわけがなく、ましてや恐ろしくて口に出せるわけがない。
そしてもちろん、アルバート夫妻が子供達のことを心から愛していることも知っている。それは勿論、変わり者と言われるメアリもその中に含まれている。
だからこそ今メアリに問われ、彼等は自分達がアルバート夫妻に対し無礼な発言をしていたことに気付いたのだ。
「それは……」
と副会長が弱々しく呟く。
常日頃から多忙の生徒会長を陰ながら支え、自身もまた多くの生徒達から慕われている副会長。優しい物腰でまさに温厚の一言に尽きる彼だが、自分の大切なものを傷付ける人には容赦ないという二面性もある。そんな彼の、どちらとも思えない情けない声。
思わずメアリが
「副会長ファンにも刺されかねないわね」
と溜息をつけば、なにを勘違いしたのか目の前の男達が、それどころか野次馬達の中からも息を飲む声が聞こえてきた。
つい先日まで陰口を叩かれていたというのに、これでは一転して恐怖の対象ではないか。
どちらが良いかと聞かれれば、どちらも気分が悪いとしか言い様がない。
彼等の表情には怯えすら見え、元々見目が良いのに勿体ないと思えるほどに青ざめている。メアリの一挙一動に恐れ、溜息をつけば誰かしらがビクリと肩を震わせるほどだ。
アルバート家を敵に回しかけているのだから、当然と言えば当然なのだろう。
だが喧嘩を売られたから買ったにすぎないメアリからしてみれば、一転したこの怯えようはまるでこちらが加害者のようで気分が悪い。
……だから今まで当たり障りなく暮らしてきたのに。
多少陰口が聞こえようと令嬢らしくないと笑われようと、確かに事実でもあるわけだし、なによりこうなると分かっていたから
この私が、聞き流してやっていたのに。