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「……明らかに付いてきてるわね」
ぴったりと後ろを付いてくる馬車を睨みつけ、メアリが呆れを露に呟いた。
後続の馬車、あれは明らかにアルバート家の、それも兄達のものである。
昨日カエルだのトカゲだの言って去っていったかと思えば、今日になって追いかけてくるあたり、おおかた昨日のうちに付いてくる算段をたてていたのだろう。
メアリ達が不在の間、家のことを任されてくれるのでは……と期待したが、まったくもってそんなことは無かったようだ。メアリの中で淡い期待と兄達への評価がガラガラと音を立てて崩れていった。
ロベルトを捜索に当たらせたのが悔やまれる。
彼が残っていれば兄達の行動を止めてくれたであろう。……もしくは「主人の愚行を止めるべきか、人智を超えた愚弟を追うべきか」と迷った挙句、しれっと馬車に乗って付いてくるかだ。――後者の可能性が高いとメアリが考えるのは、ロベルトを頼りつつも、彼も加えて兄達を三人組と考えているからだ――
「まったく、アンナの家を探すっていうのに旅行気分なのかしら」
「きっとラング様とルシアン様も心配されているんですよ。だからアンナ、大丈夫だよ。さすがにカエルもトカゲも持ってきてないはずだから」
ね、とアディが自分にぴったりとくっつくアンナを宥める。
彼女は怯えた様子で「カエル嫌い……トカゲ怖い……」と呟いており、その悲痛な姿は見ているこちらまで辛くなってくる。
思わずメアリはぐっと強く拳を握り、「私に任せなさい!」と意気込んだ。
「カエルだろうがトカゲだろうが、私が追い払ってやるんだから……!」
「本当……?」
「本当よ! あ、あんなの……ちょっと摘んで、馬車の窓からポイよ!」
得意げに宣言するメアリに、アンナがわずかに考え……、
「それは可哀想……」
とうなだれてしまった。
カエルもトカゲも嫌いだが、かといって窓から捨てるのは忍びないと思ったのだろう。馬車の速度は緩やかとはいえ、小さな爬虫類にとってここから放り投げられるのは死活問題だ。
哀れむアンナに、メアリが困惑も露に「どうしろっていうのよ……」と情けない声をあげた。
怯えるアンナを安心させるために爬虫類退治を名乗り出たというのに、逆に哀れみだすとは思わなかった。
そもそもメアリはカエルもトカゲも克服したわけではないのだ。仮に兄達が馬車の中で爬虫類を持っていたとして、アンナがいなければ悲鳴をあげていただろう。――もしくは兄達の成長の無さを嘆くか――
かといって己の発言を撤回するわけにもいかずメアリが考えあぐねていると、アリシアが小さく笑みをこぼしてアンナを呼んだ。
「カエルさんとトカゲさんは、アルバート家のお屋敷に戻してあげましょう。あそこは庭園もあるし噴水もあるから、カエルさんもトカゲさんもゆっくり過ごせますよ」
「本当? ポイしない?」
「大丈夫、ポイしませんよ。でもそれには、アルバート家の方に許可をもらわなきゃいけませんね」
どうしましょう、とわざとらしくアリシアがメアリへと視線を向けてきた。
これにはメアリも目を丸くさせた。突然話題を振られ、思わず「私?」と声をあげてしまう。
だが苦笑を浮かべたアディに肘で突っつかれれば、さすがにアリシアの言わんとしていることは理解できた。見ればパトリックも苦笑しており、促すように視線を向けてくる。
アンナがおずおずとメアリを見上げてきた。許可を求めるような錆色の瞳。猫毛なのか同色の髪がふわふわと揺れている。
いもしないカエルとトカゲを案じてるのだと考えれば、なんて愛らしいのだろうか。
「カエルさんとトカゲさん、お姉ちゃんのおうちに住んでもいい?」
「い、いいわよ。なんだったら、噴水にカエルのオブジェを作ってもいいくらいだわ」
得意げにメアリが告げれば、アンナがしばし考えた後「それはいらない」ときっぱりと拒否してきた。どうやらオブジェはお気に召さなかったらしい。
メアリがぐぬぬと唸りつつ「結構わがままね」と呟けば、アンナが今度はクスクスと笑い出した。両手で口元を押さえて笑う姿はまさに子供だ。
どうやら今はからかわれているらしい。コロコロと変わるアンナの態度に翻弄されてしまう。
そうして穏やかに話を続け、馬車を進める。
アンナも次第に心を開いてくれたのか時にはアリシアと楽しそうに手遊びをし、メアリ達にもと声をかけてきた。いまだアディの隣にぴったりとくっついて彼を「お父さん」と呼んではいるものの、周囲への警戒心はなくなったのだろう。
「おっと、また負けた。勝負事で負けが続くのは初めてだな」
とは、アンナとの手遊びに負けたパトリック。
彼の人生において連敗というのは初めてなのだろうか、今一つうまくいかないと言いたげだ。
「ダメね、パトリックってば。手遊びなのに緻密な戦略をたてるから負けるのよ」
「心理戦に持ち込もうとしてくる君に言われたくないな」
互いに落ち度を攻撃しあい、メアリとパトリックがにっこりと微笑みあう。
なんて麗しい男女の美しい微笑みだろうか。絵画のようだ。実際には二人の間に最下位争いの火花が散っているのだが。
このやりとりに、アリシアとアンナが楽しそうに笑う。
ちなみにアディはと言えば……、
「お父さん、大丈夫……?」
「お父さんじゃないし、あまり、大丈夫でもない……。でも気にしないで、遊んでいていいからね……」
と、ぐったりと窓辺に寄りかかって虚ろな瞳で遠くを眺めていた。
言わずもがな馬車酔いである。
メアリとパトリックが麗しく微笑んだまま「アディは不戦敗よね」「アディが最下位だ」と頷き合う。卑怯というなかれ、名家の名を背負うものとして、たとえ子供の手遊びといえど最下位だけは許されないのだ。
手遊びをし、時には他愛もないおしゃべりをし、しばらく進むとゆっくりと馬車が速度を落とし始めた。
メアリが「アディ、着いたわ」と彼の肩をさする。――メアリのまねをしてアンナもアディの腕をさすっている。なんて優しい子だろうか――
馬車が緩やかに停まれば、誰からともなく窓の外へと視線をやった。
一面の花畑が広がっている。
日の光を受けて色とりどりの花が輝き、軽やかに吹く風が花の香りを馬車の中にまで運んでくれる。
美しい光景にメアリがほぅと吐息を漏らした。
完璧に手入れされたアルバート家の庭園とはまた違った、草花が好きに咲きほこる自然の美しさがある。
メアリも何度か訪れたことのある場所だ。
季節に応じて色合いを変え、自然ゆえに同じ景色は二度とない。何度訪れてもそのたびに見入ってしまう。
だが今はそんな場合ではなく、アンナに絵はがきを見せてくれと告げた。肩から下げたポシェットから後生大事に取り出された絵はがきは、描かれている花の種類こそ違えど間違いなくこの花畑だ。
「アンナ、あなたこの花畑にも来たのよね?」
「うん……。でもお父さんがいなかったから、また馬車に乗せてもらったの」
一人でこの花畑に来たときのことを思い出したのか、アンナがぎゅっとアディに抱きついた。
美しい花畑だ。だが小さな少女が父を捜して訪れたのであれば、美しさに見入ることはできなかっただろう。彼女の胸中はそれどころでは無かったはずだ。
麗しい花々も、甘い花の香りも、飛び交う鮮やかな蝶々も、父を求める一心でさまようアンナの心には届かなかった。
その胸中を思い、メアリが「そうだわ」と声をあげた。
「なにか思い出すかもしれないし、ちょっと中を見て回りましょう」
「それは構いませんが、お嬢は良いんですか? すぐにでも出発したほうが……」
「誰かさんがまだ馬車に乗り続けられるなら話は別だけど」
「……一時休憩を希望します」
青ざめた顔でアディが休憩を申し出る。
そうしてよろよろと歩き出すので、メアリは仕方ないと肩を竦めつつ彼の右腕を支えてやった。
アンナがアディの左側に張り付く。これは隠れると言うより、彼女なりに支えているのだろう。手を伸ばしてアディの腕をさすり、きょろきょろと周囲を見回した。
道の先に数人がテーブルを囲んで座れる休息所を見つけ、あっちに行こうとアディの腕を引っ張る。
傍目には、馬車酔いした父親を支える妻と娘にでも映るのだろうか……。
そんなことを考え、メアリは苦笑を浮かべながらアディを支えて歩き出した。
この際なので「それじゃ、俺達は二人で」と嬉しそうにアリシアを連れ出すパトリックは見ないことにする。
ここまで付き合ってくれているのだから、花畑デートぐらいは見て見ぬ振りをすべきだろう。
もちろん、
「おや、メアリ! こんなところで会うなんて奇遇だなぁ!!」
「きっと神が俺達を出会うように導いてくれたんだ……」
と、わざとらしく後続の馬車から降りてきたラングとルシアンも無視である。