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 兄達の馬鹿馬鹿しい話が続く中、コンコンと音をたてて扉がノックされた。

 アディ達が戻ってきたのだ。


「お嬢、パトリック様、お待たせしました。お茶とケーキを用意しましたので、召し上がって話の続きを……。ラ、ラング様、ルシアン様!」


 兄達の姿を見つけ、アディが分かりやすく顔色を青ざめさせる。

 ただでさえ頭の上がらない双子の義兄主人、そしてメアリにさえ『アルバート家いち食えない男』といわしめた実兄……。それがよりにもよってこの状況で登場となれば、青ざめ身構えるのも無理はない。

 そのうえいまだ少女はアディの足もとにぴったりとくっついており、極めつけのように「お父さん、このひとたち誰……?」と見上げてくるのだ。

 アディの顔がよりいっそう青ざめ、「まずい」と声にならない悲鳴が聞こえる。


「アディ、おまえどう言うことだ!」

「ち、違うんです、ラング様! これは事情があって……!」

「俺達はお前のことを信じていたのに……」

「ルシアン様、どうか俺の話を聞いてください!」


 わなわなと震えながらアディを問いつめるラングとルシアンに、アディが青ざめ必死になって弁解をはかる。

 これではまるで、ラングとルシアンがアディの不貞を疑っているかのようではないか。先程のやりとりがあったからこそ兄達がふざけているとわかり、メアリが肩を竦めつつ間に入った。

 さすがに今のアディをからかうのは酷というもの。それに件の少女をこれ以上怯えさせるのもしのびない。


「アディ、落ち着いて。お兄様達は貴方を疑ってなんかいないわ」

「ほ、本当ですか……?」

「えぇ、アディの事はちゃんと理解してるもの。……ただ、ラングお兄様はその子はアディが生んだと思ってるけど」

「お、俺が生んだ!?」

「ルシアンお兄様はアディ分裂説を唱えているわ」

「分裂! 俺が!?」

「そしてロベルトはどちらにせよ貴方を研究所に売るつもりよ」


 メアリが現状を伝えれば、あまりに突拍子もない話にアディが混乱の表情を浮かべる。当然だ。メアリとて自分で言っていて「なにこの馬鹿げた話は」と冷静になってしまうほどである。

 だがその瞬間にラング達が楽しそうに笑い出すのだから、彼等の悪巧みは成功と言えるだろう。アディの狼狽ぶりを十分に楽しんで満足といった表情だ。

 そのうえさっさとケーキを食べようと準備に移ってしまうのだから、我が兄ながらなんとも性格が悪い。メアリが彼等を睨みつけ「話をややこしくしないで!」と釘を刺しておく。


 次いでメアリはいまだアディの足下にいる少女へと向き直った。

 彼女は不安そうにラング達を見つめている。彼女からしてみれば『父をいじめる謎の三人組』とでも映っているのだろうか。トラウマにならないといいが。


「うるさくしてごめんなさいね。あの三人は放っておいて、お茶にしましょう」

「……アンナ」

「アンナ……。それは貴方の名前?」


 ポツリと呟かれた名前にメアリが尋ねて返せば、アンナがコクリと頷いた。

 どうやら名前を教えるぐらいには警戒心を解いてくれたらしい。メアリがほっと安堵の息を吐きアディへと視線を向ければ、すでにアンナの名前は聞いており、メイドや使いに調べさせていると答えた。

 アルバート家の優れた使い達が調べてくれているのなら、彼女の身元も親の所在もすぐに見つかるだろう。そのうえ、実弟をからかった詫びなのか、それとも気まぐれか、ロベルトが「それなら私が統括しましょう」と言い出した。


「いいの? ロベルト」

「えぇ、もちろんです。名前さえ分かればすぐに解決しますし、メアリ様はここでゆっくりとお過ごしください」

「さすが、ロベルトおじ様は頼りになるわね」

「それは……。彼女の親も心配しているでしょうし、早く動くべきですね。では失礼いたします」


 深く頭を下げ、ロベルトが部屋から出ていく。

 なんとも優雅な所作ではないか。アンナの親を探すべく一役買い、品の良い挨拶で部屋を出る。さすがといえる流れである。

 事情を知らなければ、メアリの伯父様発言にそそくさと逃げたとは思わないだろう。


「ロベルトが買って出てくれたなら安心ね。アンナ、もう大丈夫よ。すぐにおうちに帰してあげるわ」

「……お父さんも帰る?」

「残念だけど、アディは一緒には帰れないの。本当のお父さんを捜してあげるから」


 ね、とメアリが穏やかに微笑んで告げる。

 だがそれに対してアンナは泣きそうに眉尻を下げるだけだ。ケーキを食べていたフォークをカチンと皿に戻し、アディに抱きつくようにして顔を埋めてしまった。

 しまった、とメアリが己の失態を悔やんだ。

 励ましたつもりだったが、どうやらアンナは責められていると感じてしまったようだ。これでは逆効果ではないか。

 思わずメアリが表情を渋くさせるも、それをチラと見たアンナが更に怯えてアディの影に隠れてしまう。なんという悪循環か。

 そんなメアリに見かねたのか、アリシアがさっと横から現れてアンナに声をかけた。


「アンナちゃん、さっきのお兄さんが出て行ったので、ケーキが一人分余っていますよ。こっそり二人で半分こしましょう」


 内緒話にしてはかなり大きい声量で、アリシアがアンナに提案する。

 アンナがきょとんと錆色の目を丸くさせ、次いで小さく笑みをこぼした。子供らしく愛らしい笑みだ。アリシアと顔を見合わせて頷くあたり、この提案は満更でもないのだろう。

 メアリが小さく「違法取引だわ」と呟いた。

 子供の扱いはどうやらアリシアの方が一枚どころか二枚も三枚も上手らしい。なんだか少し不服だ。

 普段ならば「さすが田舎娘ね」とでも言ってのけただろうか。だが今だけは助けになっているので嫌みを言う事も出来ず、そっと自分の腹部をさすった。




「お母さんがね、病気でね……。だからお父さんを探しにきたの」


 ムグムグとケーキを食べながら話すアンナに、誰もが彼女の話を聞く。

 もっとも、あまりに注目しすぎると怯えてしまうため、各々ケーキを食べながらではあるが。


「それでアディを見つけたのね。アンナ、おうちがどこにあるか分かる?」

「……わかんない」

「どれくらい歩いてきたのかしら。お母様はアンナが出掛けたことはご存じなの?」


 メアリが問えば、アンナがふるふると首を横に振った。

 どうやら黙って家を出てしまったらしい。それほど必死だったのだろうと思えば、アディにしがみつき離れるまいとするのも納得だ。


 アンナにとって、『お父さん』であるアディだけが救いなのだ。


 そう思えばむげにも出来ず、アディも『お父さん』という呼び方こそ否定はしているが邪険には扱えずにいる。

 今もアンナがケーキを頬張りすぎたのを見て、落ち着いて食べるように肩をさすってやっている。


「アンナ、お腹が減っているのなら俺のも食べるかい?」

「……お父さん食べないの?」

「お父さんじゃないけど、ケーキはあげるよ」


 アディからケーキをわけてもらい、アンナがまた一口と食べ進める。

 いまだ不安そうにはしているもののケーキをよく食べているあたり、そうとうお腹が空いていたのだろう。

 そのうえ表情を綻ばせ「こんなに美味しいの食べたことない」と呟くのだ。


「アンナちゃん、随分とお腹が空いていたみたいですがお昼ご飯は食べましたか?」


 ケーキの半分を割りつつ――ロベルトのものである――アリシアが問えば、アンナがまたも首を横に振った。

 どうやら昼食も食べずに歩き通しだったらしい。そのうえアリシアが「なら朝ご飯は?」と尋ねるも、これにも首を横に振る。

 もしや……と室内に妙な空気が漂いはじめた。普段あれほど騒がしいラングとルシアンも、アンナの言葉を聞いて顔を見合わせている。もしかして……と、そんな二人の声が聞こえてきそうなほどだ。


 いくら子供の歩幅とはいえ、昼食はおろか朝食も抜いて歩き通しとなれば相当な距離になるのではないか。

 アリシアがおそるおそると言った様子で「それなら朝早くに家を出たの?」と尋ねた。乾いた笑いを浮かべているのは、彼女も嫌な予感をひしひしと感じているのだろう。


「アンナちゃんは早起きですね。このお姉ちゃんは朝起きるのが苦手で、私がメイドのふりをして起こしても、なかなか布団から出ないんですよ」

「誤魔化しのために人の醜態をさらすんじゃないわよ。……待って、メイドの振りをして私を起こしてるの!?」

「メアリ様、今はアンナちゃんの事を考えなくては! アンナちゃん、朝は何時におうちを出ましたか? いくら早くても朝ご飯はしっかり食べないといけませんよ」


 アリシアが告げれば、アンナがうなだれるように俯いてしまった。

 そうして口を開き、


「朝じゃない……」


 と小さく呟いた。

 咎められるとでも思ったのかフォークを置いて、アディに抱きつくように彼の体に顔を埋めてしまう。

 それに対し、メアリは己の中で血の気がひくのを感じた。

 朝ではない、ということはつまり……と、己の中で浮かび始めていた嫌な予感が、刻一刻と嵩を増していく。


 見ればアンナの服は随分と汚れており、靴に至っては靴底がすり減ってしまっているではないか。

 ケーキを食べる勢いも尋常ではなく、時折は頬張りすぎてムグと詰まり掛けてアディに背をさすられているほどだ。

 食事をする余裕もなく歩き通しだったのだろう。となればいつから……?


「ア、アンナ……。あなたいつ家を出たの?」


 メアリが尋ねればよりアンナがビクリと小さく肩を震わせ、ソファの背もたれとアディの背中の隙間に入り込もうとしだした。アディが慌ててアンナを宥め、大丈夫だからと背中をさすってやる。

 アンナは明らかに怯えている。母親に黙って家を出てきたことに後ろめたさを感じているのだろう。

 だが彼女の気持ちが分かってもどうして良いのかわからずメアリがあぐねいていると、「アンナ」と穏やかな声が割って入ってきた。

 パトリックだ。彼は柔らかな笑みを浮かべ、藍色の瞳を細めてアンナを見つめている。


「君のことばかりあれこれと聞きだそうとするなんて失礼だったな。お茶も飲んだことだし、改めて自己紹介から始めようか」

「……じこしょうかい?」

「あぁ、俺はパトリック。よろしく、アンナ」


 穏やかに微笑んだままパトリックが告げれば、アンナがほぅと小さな吐息を漏らした。たった五歳程の幼い少女の目にも、パトリックは王子様のように輝いて映っているのだろう。

 次いでパトリックがメアリへと向き直り、「次は君の番だ」と促してきた。

 メアリが改めるようにコホンと咳払いをする。子供相手の自己紹介なんて初めてだ。


「わ、私はメアリ・アルバートよ。以後お見知り置きを」

「メアリ、そんな難しいことを言っても分からないだろ。もっとアンナに寄り添った紹介をしないと」

「好きな食べ物はコロッケよ!」

「どこに寄り添おうとしてるんだ」


 子供相手の自己紹介が分からず迷走するメアリに、パトリックが溜息をつく。アリシアがクスクスと笑い、アディまでもが肩を竦めているではないか。

 メアリが思わず唇を尖らせ「仕方ないじゃない」と不満を訴えた。

 自分はアルバート家の末子だ。弟が二人もいるパトリックや、従者として幼い頃からメアリを見守り必要とあらば他家の子供たちの面倒まで見ていたアディに適うわけがない。もちろん、孤児院で暮らし子供相手はお手の物なアリシアには言わずもがなだ。

 この中で一番子供扱いが下手なのかもしれない……。そうメアリが己のふがいなさを感じた。

 ……その瞬間、


「子供ならカエルが好きに決まってる! 待っていてくれアンナ嬢、この俺、ラング・アルバートが大きなカエルを捕まえてきてあげるからな!」

「いや、カエルよりもトカゲの方がいいはずだ……。この俺、ルシアン・アルバートが庭園から活きのいいトカゲを捕まえてきてやろう……」


 と、ラングとルシアンが勢いよく立ち上がり、その勢いのまま部屋から出ていった。一応自己紹介とアピールは兼ねているが、まったくアンナの返事を聞いていない。

 そうして騒々しい二人が去っていけば、室内がシンと静まりかえった。

 アンナが細い悲鳴をあげてアディにしがみつくのは、カエルもトカゲも嫌いだからだろう。


「お兄様、昔あれほど私にカエルとトカゲを見せては嫌われていたのに、まだ懲りていないのね……」

「あれで好かれようとしているから不思議ですよね。懐かしい、昔のお嬢はよくラング様とルシアン様に爬虫類を見せられては、雷鳴のような悲鳴をあげていましたね」

「懐かしいわ……。大丈夫よアンナ、あの二人が何を持ってきたとしても、私が守ってあげるからね」


 同じ恐怖は味わわせるまいとメアリが意気込んで告げれば、ラングとルシアンの発言に不安を抱いていたのか、眉尻を下げていたアンナが僅かに安堵した。

 幼いながらにほっと一息吐き、いそいそとフォークに手を伸ばす仕草は子供らしくて可愛らしい。

 思わずメアリも柔らかく微笑み、こちらから質問するのはやめ、彼女が話してくれるのを待とうと自らも紅茶に手をのばした。



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