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 シンと妙な静けさの残った部屋の中、メアリが深く息を吐いた。

 アリシアが少女の対応をしてくれたおかげで気持ちは少し落ち着いたが、かといって事態が解決したわけではない。いまだ何一つ分からず混乱したままだ。


「メアリ、大丈夫か?」

「パトリック……。えぇ、大丈夫よ。ちょっとビックリしただけ。でもいったいどういうことなのかしら……」

「今回の件、以前に言っていた『前世の記憶』とは関係無いのか? たとえばあの子の名前が分かったり、どこから来たりとか」

「残念だけど、なにも分からないわ。あの子は無関係よ」


 溜息混じりにメアリが小さく首を横に振った。

 パトリックが言う『前世の記憶』とは、先日メアリが皆に打ち明けたことだ。メアリには他者には無い『前世の記憶』があり、そこではこの世界の出来事が乙女ゲームとして描かれていた。

 だが今回の件はまったく無関係だ。そもそも、すでに『今』はメアリの『前世の記憶』を超えている。メアリの把握しきれぬ領域である。

 あの少女のことも、もちろんメアリの妊娠のことも。


「……分かるのは、あの子がアディを『お父さん』って呼んでいることだけ」


 不安そうに呟きアディ達の去っていった扉を見つめれば、ポンと肩に手が乗った。

 パトリックの手だ。メアリの不安を察してか優しくさすってくれる。


「きっとあの子は何か勘違いしてるんだろう。メアリが不安を覚える必要はないさ」

「そう……。そうよね」

「勘違いに決まってる。アディが不貞を働くわけがないだろ」


 パトリックが肩を竦めつつ話す。

 アディを父と呼び、片時も離れるまいとしがみつく子ども。髪も瞳も同じ色合いをしており、並べばまるで親子のようだ。

 アディ曰く、付きまとわれた際も周囲は二人を親子と勘違いし、自分は父親ではないと訴えるアディに対して「男らしく認めたらどうだ」と要らぬ説教をし始める者も出たという。

 馴染みの市街地ではなく遠出したのも裏目に出たのだろう。事情を知らぬ者の目には、彼は『縋る己の子供から逃れようとする無責任な父親』として映ったに違いない。説教したくなるのも無理はない。

 少女が必死に「お父さん」と呼べば呼ぶほど周囲の視線は冷ややかになり、居たたまれなくなりアルバート家に連れてきたという。

 その話を思い出してメアリが溜息を吐いた。


 どれだけ本人が言い張ろうと、あの少女はアディの子どもではない。

 アディが不貞など働くわけがないのだ。

 彼の一途さは誰より自分が一番分かっている。

 そう弱々しく呟くも、パトリックが「違うな」と一刀両断した。


「アディの一途さを一番知っているのは君じゃない、俺だ」

「まさかそこを否定するの?」

「あぁ、そこはきちんと否定させてもらう。むしろ君はひとより鈍い。前世の記憶を含めても鈍い」

「い、言い過ぎよ……!」

「言い過ぎなものか。アディの一途さを知ったのも、この屋敷どころか周囲で君が一番遅いじゃないか」

「今までにないほど念を押してくるわね。でも確かに否定出来ないわ……!」


 メアリが呻くように悔しがれば、パトリックが勝ち誇ったような表情を浮かべた。いったい何の勝負なのかは分からないが、彼の中では勝利したのだろう。

 そうしてメアリをしばらく見つめ……ふっと笑みをこぼした。口元を押さえ、笑みを堪えながら肩を揺らす。

 随分と楽しそうな様子に、これにはメアリも真顔に戻り「冗談を言ってる場合じゃないでしょ」と彼の腕をペシンと叩いた。

 それだけでは足りないとじろりと睨みつければ、パトリックの笑みがさらに強まる。いつもの調子が戻ってきたとでも言いたいのか。


「この一大事だっていうのに、アリシアさんの頭にはケーキを食べることしかないし、パトリックは変な張り合いを見せてくる。話にならなくて困っちゃうわ。貴方達、本当にお似合いね」

「ありがとう。だがメアリとアディだってお似合いさ。俺は誰よりずっとそう思っていたからな。鈍い君が気付くずっと前からね」


 だから安心しろという事なのだろう。そう皮肉混じりに告げてくるパトリックに、メアリが肩を竦めて返した。


「最後の言葉は聞き流して、誉め言葉として受け取っておくわ。とにかくあの子を親元に返してあげなくちゃいけないわね。きっと親も今頃必死で探してるはずだわ」


 可愛い我が子が居なくなったらどんな気持ちだろうか。

 それを思えば、メアリの胸が苦しさを訴えた。

 思わず自分の腹部を撫でる。今でさえ心苦しいのだから、実際に子どもが産まれて同じ境遇になったら……想像しただけで不安で押し潰されそうだ。

 そんなメアリの様子に気付き、パトリックが伺うように顔を覗き込んできた。


「メアリ、どうした?」

「大丈夫よ。ちょっとね……」


 腹部に手を添えつつ、メアリが誤魔化すように笑う。

 それを見て何かしら察したのか、パトリックが気遣うように柔らかな笑みを浮かべた。藍色の瞳を細めてメアリを見つめる。

 大丈夫だよ、と宥めてくる彼の声は普段より少し低く、それでいて優しく落ち着きを感じさせる。


「ケーキを二つ食べても誰もなにも言わない。なんだったら俺の分もやろう」

「空腹じゃないわよ。ところで王女様がやたらとうちに入り浸ってることなんだけど、今のうちに話しておきたいの。あと当然のように貴方もケーキを食べる気でいることについても詳しく聞きたいわ」


 ねぇ、とメアリが睨みながら詰め寄れば、己の失態に気付いたパトリックが途端にきらきらと輝かしい笑顔に切り替えた。

 なんて麗しいのだろうか。彼の本性を知らぬ者が見れば、その目映さに胸を打たれて吐息を漏らしたに違いない。まさに王子の輝きである。

 その実体は単なる誤魔化しに過ぎず、もちろんメアリはそんな彼の本性を把握しているのだが。


「そういえば、ラングとルシアンには黙っていた方が良いんだよな」

「ねぇパトリック、何度も言うけどそのキラキラ笑顔は私には効かないわよ」

「確かに、彼等が来ても混乱が悪化するだけだな。逆にあの子を怯えさせてより話を聞きにくくなるかもしれないし」

「お望みなら、私の極上猫かぶり令嬢スマイルで迎え撃ってあげてもいいのよ」

「……分かった、すまない謝ろう。それでラングとルシアンについてなんだが、黙っておくのは賛成だが、いつまでもというわけにはいかないだろ」

「そうね。でも、せめてあの子の身元が分かるまでは……」


 分かるまでは兄達には黙っておきたい、と言い掛けたメアリの言葉が止まる。

 なにやら騒々しい音が聞こえてきたからだ。バタバタと、まるで足音のように……。というかこれは確実に足音だ。それも二人分の。


「黙っておきたかったのよねぇ……」

「あぁ、俺も同感だったんだが……」


 メアリとパトリックが溜息混じりに呟いた。

 その瞬間、バタン! と勢いよく扉が開かれ、ラングとルシアンが飛び込んできたのは言うまでもない。

 厄介な者というのは、望んでいない時に限って現れるのだ。……望んでいない時に限って現れるからこそ厄介とも言えるか。

 それもよりにもよって、


「アディの子供ってどういうことだ!? あいつ一人で子供を産んだのか!」

「……まさか、アディが分裂するなんて。恐ろしい……!」


 と、不貞を疑うどころではない勘違いをしながら。

 ちなみに彼等の背後にはロベルトがおり、彼はラングとルシアンの馬鹿馬鹿しい話を正すでもなく、


「まさか実弟が新人類とは驚きですね。しかるべき研究所に連絡をしましょう」


 と、なぜか荷担の姿勢を見せている。

 その顔はいつも通り涼やかでいて「これは面白い」と言いたげだ。


「……お兄様達、いったい何の話をしているの」


 メアリが肩を落としながら二人に話しかける。

 彼等がアディの不貞を疑っていないのは幸いだが、かといってこの考えはそれはそれで問題である。一人で生んだだの分裂だの、アディを人間扱いしていない。

 だが落胆するメアリとは反対に、ラングとルシアンは真剣な表情を浮かべている。その表情は嘘を言っている様子もふざけている様子もない。


「聞いた話では、その子供は五歳ぐらいというじゃないか。五年前と言えば、まだアディとメアリが結婚する前。あいつが片思いをしていた時。つまりアディはメアリへの初恋を拗らせ、一人で子供を産んだんだ!」

「ラングお兄様、人間は初恋を拗らせても一人では子供を産めないのよ」

「……あいつは昔からメアリに想いを寄せていた。かなわぬ想いに身を焦がし、焦がすあまりに分裂したんだ……! 分裂したのが女の子というのがまた執着を感じさせる……!」

「ルシアンお兄様、人間は叶わぬ想いに身を焦がしても分裂しないの」


 兄達の勘違いをメアリが一つ一つ訂正する。

 だが彼等の勘違いは止まることなく、二人揃えて顔を見合わせ、まるでこれが結論とでも言いたげな表情を浮かべた。

 そうしてゆっくりと口を開き、


「それであの身長なのか……」


 と頷き合う。結局、いきつくところは身長である。

 もはや訂正する気にもならないとメアリが呆れを込めて溜息を吐けば、パトリックもほぼ同時に溜息を吐いた。彼もまたラングとルシアンの馬鹿げた話を正す気力もないのだろう。

 先程のきらびやかな笑顔もなりを潜め、メアリに向ける視線には哀れみさえ浮かんでいる。そのうえポンと肩をたたいてきた。


「メアリ、これも前世の記憶かい? 出来ればそうだと言って欲しいな」

「残念だけど、これは前世の記憶は関係ないわ。……これは」


 メアリが目を細め、目の前の兄達を見る。

 いまだ『アディが一人で生んだ説』と『アディが分裂した説』を説いているし、ロベルトに至っては止めるどころか楽しそうに煽っている。

 彼等の話に前世の記憶は全く関係ない。つまりこれは……。


「ただ、お兄様たちが面倒で厄介で人の話を聞かないだけよ……」


 メアリがガクリと肩を落とせば、パトリックが更に二度ほど肩を叩いてきた。


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