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アディがつれてきた少女。彼女の「お父さん」発言に、当然だがアルバート家中が騒然となった。
メイドや使い達がいったい何事かと次から次へと部屋を訪れ、少女がアディを「お父さん」と呼べば顔を見合わせる。中にはラングやルシアン達を呼びに行こうとする者まで出始め、これにはメアリが慌てて待ったを掛けた。
ただでさえわけが分からない状態なのだ。ここにあの喧しい兄達が加わったら事態の収拾など出来るわけがない。まずは兄達を静めるのに時間と人手を使ってしまう。
そうメイド達に告げ、兄達には黙っているように命じて人払いをする。
……もっとも、
「この部屋からメアリ様が困っている気配がします!」
と勢いよく現れたアリシアはさすがに止めようがない。
思わずメアリが頬をひきつらせ、アリシアと、そして背後でのうのうと「じゃまをするよ」と片手を上げるパトリックを睨みつけた。
「アリシアさん、呼んでもないし呼ぶ気もないのに、いったいどうして来たのかしら?」
「庭園のアーチを整えていたら、薔薇の花びらが一枚はらりと落ちてしまったんです。これはきっとメアリ様が困っている知らせだと思って来ました」
「やだこの庭師怖い」
アリシアの勘の良さにメアリがおののきつつ、それでもペチンと勢いよく庭師の……もとい、アリシアの額をひっぱたいた。それに対してあがる悲鳴の嬉しそうな事といったらなく、今更なやりとりに周囲はもちろんアディやパトリックさえも止めようとしない。
なにせ我が物顔で居座る王女よりも問題視すべき存在がいるのだ。――もしくは『我が物顔で居座る王女を問題視するのは今更な話』というべきか――
件の少女はいまだアディの足にぴったりとくっつき不安そうにしている。
自分が奇異の目に晒されているのは気付いているのか、今にも泣きだしそうな表情だ。突如部屋に飛び込んできたアリシアを見て、パトリックを見て、そしてついにはアディの燕尾服の中に隠れてしまった。
「お父さん……」
「だから何度も言ってるけど、俺は君のお父さんじゃないんだよ」
「お父さんだもん……」
「……とまぁ、終始この調子で話にならないんです」
参ったと言いたげにアディが溜息を吐く。
それでも少女はアディを見上げて「お父さん」と呼ぶのだ。しっかりと顔を見ているあたり、見間違えでもないのだろう。
小さな手で燕尾服の裾を掴んでおり、まるで命綱とでも言いたげだ。
これには周囲も困りこそすれ強くは出られず、メアリはどうしたものかと小さく溜息を吐いた。立ちっぱなしも疲れてしまうだろうと、ひとまずアディと少女に椅子に座るように促す。
「ねぇ、お名前を教えてくれない? どこからきたの? お母さんは?」
「……お父さん、ここどこ?」
「ここはアルバート家の屋敷よ。ところで、私の話を聞いてくれないかしら。あ、でも怒ってるわけじゃないから怖がらないでね。そうだわ、疲れてるでしょうから飲み物を持ってこさせるわね。紅茶は飲める? ジュースの方がいいのかしら」
アディの隣にピッタリとくっついてソファに腰掛ける少女に、メアリが必死に話しかける。アディも同様に話を聞こうとするが、聞けば聞くほど少女は不安そうに瞳を揺るがせ、アディにしがみつくだけだ。
右も左も分からぬ屋敷に連れてこられ、そのうえ見知らぬ大人達に囲まれる不安。唯一の頼りである『お父さん』も自分を知らないと言う。
彼女の境遇を思えば、今すぐに泣いてもおかしくないだろう。だがそうと分かっていても話を聞かねばならず、難解な状況に思わずメアリの眉間に皺が寄る。それを見て少女がまた怯えてしまうのだから悪循環だ。
そんな苦悩するメアリの横を、するりと人影がすり抜けた。
アリシアだ。彼女は少女の目の前にちょこんと座り込み、輝かしい笑顔で「こんにちは」と優しく声をかけた。
「お腹はすいてない? ケーキがあるから、食べながらお話ししましょう。ここのおうちのケーキは凄く美味しいケーキなんですよ」
場違いすぎるアリシアの明るい発言に、少女はもちろん誰もが虚を突かれて目を丸くさせた。この一大事に、我らが王女様の口から出たのは『美味しいケーキ』なのだ。
思わずメアリがアリシアの首根っこを掴み、グイと強引に立たせた。きゃーとあがる悲鳴はなんともわざとらしい。
「何がケーキよ! そんなこと言ってる場合じゃないでしょ!」
「ダメですよメアリ様。質問責めにしたって怖がらせるだけです。ケーキを食べて落ち着いて、ゆっくり話をしなきゃ」
ねぇ、とアリシアに同意を求められ、メアリがムグと口をつぐんだ。
子供とはそういうものなのだろうか……?
だが現に、少女はアリシアのケーキ発言に心ひかれているのか、僅かに期待を宿した瞳でこちらを見ている。だがメアリと目があうと慌ててアディの上着に顔を埋めてしまった。
なるほど、これは怖がらせている。とメアリが小さく頷いた。ちょっと、いや、けっこう傷ついたのは内緒だ。
「さっき食堂で休憩していたら、お茶の時間に美味しいケーキを焼いてくれるってパティシエさんが言っていました。持ってきてくれるはずです」
楽しみ、とアリシアが笑う。
眩しいほどの屈託のない笑顔だ。――「なんであんたがうちの食堂で休憩してるのよ」という文句を、メアリはぐっと飲み込んだ。今は彼女に……この敏腕庭師に任せた方が得策だろう――
そんなアリシアにそれでも少女は僅かに警戒の表情を浮かべ、不安そうにアディを見上げると「でも……」と呟いた。
ここがどこかも分からず、周りを囲む大人達も自分に良い顔をしていない。そんな状況でアリシアの話を信じていいのか不安なのだろう。
自分の状況を理解し簡単に食べ物に飛びつかないあたり、幼いながらに頭の良い子どもではないか。
だが考えとは裏腹に『ケーキ』という単語に反応してしまったのか、少女のお腹からキュルルと高い音があがった。「おや、お腹の方からお返事が」とアリシアが悪戯っぽく笑えば少女もつられて表情をゆるめ、困惑に満ちていた周囲の空気も和らぐ。
「では、ケーキが来る前に手を洗いに行きましょう」
「でも……」
「汚れた手じゃケーキは食べれませんよ。さぁ、行きましょう。ほらアディさんも!」
さぁ! とアリシアが立ち上がるように促す。
これには少女はもちろんアディまでもが「俺も?」と意外そうな表情をしている。だがこのまま座っていても埒があかないと判断したのか、促されるままに立ち上がった。
アディが立ち上がれば渋っていた少女も続くが、すぐさま燕尾服を掴んで上着の中に隠れてしまった。アディが不自然に膨らんだ自分の燕尾服を見下ろし、困ったと言いたげに肩を竦める。
「とりあえずお茶にしよう」
「……お父さんがそうするなら」
「だから俺はお父さんじゃないって……。まぁ今は置いといて、手を洗いに行こう。着替えも用意するよ」
おいで、とアディが燕尾服越しに少女の肩をさする。
それに対して少女は燕尾服の隙間から顔を出し、コクリと一度頷いて返した。
二人のやりとりを見ていたアリシアがパァっと顔色を明るくさせ、「では行きましょう!」と先陣を切るように歩き出す。
「アリシアちゃんも手を洗いに行くの?」
「庭いじりをしていたので、まだ手が汚れてるんです。私も手を洗わなきゃ。それに洋服も汚れてるし。あ、私の着替えは用意しなくて大丈夫ですよ!」
「……そうだね。アリシアちゃんはいつの間にかうちの屋敷に着替えを常備してるもんね」
気付けば常備されていたアリシアの着替えセットを思い浮かべ、アディが呆れを込めた視線でアリシアを見つめる。もっとも、それに対してアリシアが己を省みるわけがなく、「庭師に着替えは必要です!」と無邪気に笑うだけだ。
そんなアリシアとアディ、そしてアディにくっついたままの少女が部屋を去り、パタンと扉が閉められた。