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吉報から数日、両親との話し合いの結果、メアリの妊娠を公表するのは当分先になった。
まずはメアリとお腹の子供を第一に考え、医師の判断を仰ぎ、許可が出たら発表に見合った盛大な場を設ける。もちろん発表には縁起の良い日を……となれば自然と先になるだろう。
それまでは近しい者や身の回りを世話する者達だけに伝えておく。当然、箝口令を敷いた上でだ。信頼出来る屋敷の中とはいえ、アルバート家は平時から人の出入りが激しく、漏らす気が無くても話が広がりかねない。
だが問題なのは、メアリが親しくしている者達だ。
ここの選択を間違えれば、公表したも同然となるだろう。
「そのお考えのうえで私にもお伝えくださるとは。光栄に思います」
そう穏やかに微笑んで頷いたのはロベルト。
用意された一室にはメアリとアディ、そして彼だけがいる。
話を切り出したメアリがコクリと一度頷き、自身の両サイドに敷き詰められたふかふかのクッションを一撫でした。
「なるほど、それで愚弟が最近やたらとクッションを買いこみメアリ様を埋めていたわけですね。てっきり、これもメアリ様の前世の記憶に関係しているのかと思っておりました」
「クッションに埋まる前世の記憶なんて無いわよ」
ロベルトの言葉に、メアリがぴしゃりと言い切って返す。
それに対して「これは失礼を」と楽しげに謝罪し笑うのだから、相変わらず喰えない男である。
「このクッション達は、たんに貴方の弟が心配性なだけよ。私の部屋にはもう数え切れないほどのクッションがあるし、隙を見せると毛布で巻いてくるわ」
まったくと言いたげにメアリがアディの過保護ぶりを訴えれば、隣に座っていたアディが「まだ足りません」と真剣な瞳で応えてきた。それどころか暖かな膝掛けをメアリの足下に掛けてくるのだからよっぽどだ。
これは放っておくとどこからともなく毛布を持ち出し、そっとメアリを包みだすだろう。先手を打って「大丈夫よ」と告げれば、代わりに膝掛けが追加された。
「それで、この件はお兄様達には絶対に内緒にしてほしいの」
「ラング様とルシアン様には教えてさしあげないんですか?」
「あの二人が知ったら、それはもう国中が知ったも同然でしょ」
「確かに。知ったら大騒ぎするでしょうし、公表するのと変わりないですね」
「大騒ぎして大喜びして、三日三晩のパーティーを開くに違いないわ」
「下手すれば市街地まで巻き込んでパレードを開きかねません。馬鹿みたいに大騒ぎする姿が目に浮かびます。おっと、『馬鹿みたい』とは失礼しました。みたい、じゃありませんね」
主に対するものとは思えない暴言を吐きつつ、ロベルトが頷いて了承を示す。
どうやらメアリの言わんとしている事を。そして兄達が知ったらどうなるかを、理解してくれたようだ。
よかった、とメアリが安堵の息を吐いた。暴言については良かったで済ませてはいけない気がするが、まぁ自分の事ではないしと聞き流しておく。
「ですがメアリ様も、朗報をお二人に伝えられないのはお辛いでしょう。あの二人は自業自得としても、メアリ様の胸中はお察しします」
「ありがとう。でもまぁ、私としては『ロベルトに伝えたからよし』という気持ちなんだけどね」
「我々を一括りで考えるのはいかがなものかと」
ラングとルシアンと同一に考えられるのは不満なのか、ロベルトの眉間に皺がよる。整った顔つきだが、今だけは不満が全面に押し出されている。
だが次の瞬間には表情をもとの涼やかなものに戻し、柔らかく微笑んだ。錆色の切れ長の目を細め、深く頭を下げる。同色の髪がはらりと落ちた。
「メアリ様、このたびはおめでとうございます」
深く落ち着きのあるロベルトの声。
その声には、家系として仕えるアルバート家への祝辞の色もあるが、妹のように長く接してきたメアリへのロベルト個人としての祝いの色もある。礼儀正しく、それでいて温かな家族愛が込められているのだ。
「アルバート家に仕える者として、一個人として、これほどの喜びはありません。鐘の音はきっと今までにないほど軽やかに鳴り響くでしょう」
「あら意外、貴方も浮かれてるのね」
ロベルトの発言にメアリが思わず声をあげる。
この吉報を知らせたメイドや使い達も数人「鐘の音が」といっていたが、まさかロベルトまで言い出すとは思いもしなかった。彼は日頃から冷静で、浮かれた発言とは無縁だと思っていたのに。
だが思い返してみれば、まだメアリの子どもが空想でしかなかった頃、彼は「自分はおじさまと呼ばれたい」と言っていたではないか。あの発言は多少の酒と、そしてラングとルシアンの暴走に煽られての結果だとしても、なかなかに浮かれたものだった。
冷静沈着な普段の姿からはあまり想像できないが、ロベルトだって喜ぶ時は喜ぶし、浮かれる時だってある。それが身内の朗報となればなおさらだろう。
「意外だけど、それほど喜んで貰えるなんて嬉しいわ。ありがとう」
照れくささと嬉しさをない交ぜにしたくすぐったさでメアリがはにかめば、どういうわけかロベルトが意外そうな表情を浮かべてアディと顔を見合わせた。向かいあう二人の顔はどことなく似ており、さすが兄弟である。
そうして無言の目配せを交わし合った後、ロベルトが深く息を吐いた。先程までの驚きの色を隠し、普段の冷静な従者らしい表情でメアリへと向き直る。
「メアリ様の仰るとおり、この朗報に些か浮かれてしまいました」
「すごく白々しいんだけど、今の間はなにかしら」
「お気になさらず。新たな主人と新たな親族となれば、私も浮かれた発言をいたします」
「そうね。ロベルトおじさまだものね」
メアリがニヤリと笑んで告げれば、ロベルトがコホンと咳払いをした。どうやら自身が浮かれていることは認めるが、この話題はばつが悪いらしい。
ニヤニヤと笑うメアリを宥めるように制して、ロベルトがアディの胸元をポンと軽く殴った。
彼らしからぬ仕草だが、これが兄から弟への祝いなのだろう。表情も澄ました顔つきをしているものの、どことなく意地悪気な色を隠しきれていない。
「まさかお前の子どもの顔を拝めるとはな」
「なんだよ、その物言いたげな表情」
「いや、兄として感動しているんだ。まさかあのアディが、メアリ様への片思い時代、あまりに拗らせて、真顔で親に『俺の子どもは諦めてくれ』とまで言ってのけたアディが」
「あぁ、言ったよ。あと『兄貴に人の心が宿らない限り、うちの家系はここまでだ』とも言った」
「ほぉ、それはどういう意味か聞かせて貰おうか」
ロベルトがさらに笑みを強めてアディに詰め寄る。
これに対して、アディも応戦するような不敵な笑みを浮かべ、「そういうところだ」と言い返した。
なんとも荒っぽいやりとりではないか。傍目には仲が悪いように映るかもしれない。もっとも、この荒いやりとりこそ仲の良さとも言える。
ロベルトのこの意地の悪い茶化しも祝言であり、アディも当然それは理解している。おおかた、きちんとしたやりとりは二人きりで酒でも交わしながら行うのだろう。
思わずメアリがお腹に手を添え「お父様もおじ様も天の邪鬼ねぇ」と囁いた。
メアリの妊娠を祝い、そして「温かいお飲物を用意します」と一礼して去っていくロベルトを見送り、メアリが深く息を吐いた。
ロベルトが喜んでくれる事は分かっていた。だがそれが分かっていても、誰かに伝えるのは緊張してしまう。
ほっと安堵の息を吐けば、ふわりと膝掛けがまた一枚膝に乗った。もちろんアディである。
「もう膝掛けは結構よ」
「ならクッションをお持ちしましょう」
「さてはアルバート家をクッションで埋めるつもりね。可愛い我が子、貴方が暮らすのはアルバート家の屋敷じゃなくてふかふかクッション屋敷よ」
「そ、そんなに買ってませんよ……。ところで、ちょっと出かけてきます。注文していたものが届いたらしいので、受け取ってきます」
そそくさとアディが立ち上がる。
どうにも白々しい態度ではないか。メアリがじっと彼を見つめ、疑うような瞳で「何を注文したの」と尋ねた。
アディが露骨に視線を逸らす。錆色の瞳が不自然に泳ぎ、「えぇっと」だの「その」だのと要領を得ない誤魔化しの言葉を口にする。
そうして部屋の扉まで近付くと、「では行ってきます」と一礼して出て行ってしまうのだ。答えず終いの逃亡である。
「クッションよ、あれはクッションを買いに行ったのよ」
埋め尽くされるわ、とメアリが溜息を吐きつつお腹をさすった。
案の定、戻ってきたアディはクッションを二つ抱えていた。
……のだが、メアリはそれを言及する事もせず、ましてや「やっぱり」と悪戯気味に笑って迎える事も出来なかった。
なにせアディの足下に見慣れぬ少女がいるのだ。彼にぴったりと身を寄せ燕尾服の裾を掴み、不安そうに周囲を見回している。
錆色の髪に同色の瞳。まだあどけなさの残る少女だ。
年は五歳くらいだろうか。服装は随分と質素で所々汚れており、肩から小さなポシェットを下げているがそれも土汚れがついている。
予想外の来客に、メアリは思わずパチンと瞬きをした。ティーカップを片手に少女とアディを交互に見る。
「アディ、おかえり。その子はどこの子?」
「えっと、この子はですね……」
どうしたのかと問うメアリに、対してアディの返答は随分と歯切れが悪い。クッションを机に置くと、困惑も露わに頭を掻いた。
錆色の髪が乱雑に掻かれて揺れる。少女と同じ髪色だ。
そんなアディを、彼の足元にいる少女は燕尾服の裾を掴んだまま不安そうに錆色の瞳で見上げ、
「お父さん、ここどこ……?」
と、か細い声で尋ねた。