26
パーティー会場から家族に連れ出され馬車へと向かう途中、マウロは見てわかるほどに消沈していた。
絢爛豪華なパーティーと人脈でメアリに格の違いを見せつけられ、そのうえ彼女は皆の前で前世の知識について堂々と公言してしまった。そんなメアリに対して、取り乱し噛み付いた自分のなんと往生際の悪いことか……。
自分を連れ出す家族の青ざめた顔でようやく己の失態に気付いたが、もはや手遅れである。
完敗だ。敗北感がマウロの胸に湧く。
……だが、
「彼女だけじゃなかった……」
そう呟き、マウロは自分の腕を引く父に見られないよう俯いたまま口角を上げた。
思い返すのは、メアリが前世の記憶について語っていた時。
誰もが驚愕の表情を浮かべていた。当然だ、誰だって予想もしない話を、それでも彼女は冗談を交えることもなく堂々と話していたのだ。その姿は凛として美しく、だからこそ聞き手は混乱してしまう。
マウロも同じように驚愕と焦りを抱いていた。
そうしてメアリに反論しようと声をあげる直前、視界の隅に二人の女性をとらえた。
カリーナとベルティナ。
その二人がマウロの目に留まったのは、驚愕が占めるこの会場内で彼女達だけが毛色の違う表情を浮かべていたからだ。
二人は最初こそ周囲と同じように驚いていたが、次第に表情を不安そうなものに変え、そして周囲の様子を伺い始めた。とりわけ、カリーナは隣に立つ友人のマーガレットを、そしてベルティナは婚約者であるルークを気にかけていたように思える。
その後すぐさまマウロはメアリに反論し今に至るが、思い返せばあの時のカリーナとベルティナの表情は露骨だった。まるで自分も前世の記憶があり、公言するメアリを自分に置き換えているかのように……。
そして何よりマウロの考えを裏付けるのが、カリーナもベルティナも、乙女ゲームの続編と関連作に登場しているキャラクターということだ。
前世の記憶を思い出したのはメアリとマウロだけとは限らない。つまりカリーナとベルティナもまた記憶を持っている。
「大丈夫だ、まだうまくやれば……」
アルバート家程ではないが、カリーナの家もベルティナの家も大きく権威を持っている。しばらくは大人しくし反省の姿勢を見せ、ほとぼりが冷めたころに二人に近付けばいい。
今回は失敗したが、自分だって前世の記憶を使ってうまくのし上がって見せる。このまま取り分の少ない六男六女の末子で終わるわけにはいかない……。
そうマウロは考え、まずは家族に謝罪し、フェイデラに残れるよう計らって貰おうと考えた。ここで家族の怒りを買って遠方に追いやられては、のし上がるどころかカリーナやベルティナに近付くことすら出来なくなる。
だがマウロが父を呼ぼうとした瞬間、背後から声を掛けられた。
「せっかくのパーティーなのに、ノゼ家はもう帰るのか?」
「どうやらお気に召さなかったようだ……」
場違いなほど明るい声と、それとは逆に暗く陰鬱とした声。
その声に誰からともなく足を止めて振り返り……そして青ざめた。数分前まではマウロの愚行に怒りで顔を赤くさせていた父親ですら、一瞬にして血の気を失う。
そこに居たのはラングとルシアン。彼等の背後にはロベルトもいる。
さすが瓜二つと言えるほどそっくりで麗しい笑みを浮かべる双子に対して、背後のロベルトは冷ややかと言えるほどに無表情だ。その温度差は見る者に薄ら寒さを感じさせ、マウロの顔色も次第に青ざめていく。
そんなラング達を前に、マウロの父であるノゼ家当主が一歩近寄った。
「お、お二人とも、この度はお騒がせしてしまい申し訳ありません。メアリ様にもご迷惑をお掛けしたようで……」
ノゼ家当主の声は弱々しく、ラング達を恐れているのが分かる。
だが誰だってアルバート家の子息を前にすれば緊張するというもの。とりわけ今は『彼等が溺愛しているメアリを、自分の息子が脅した』という状況なのだ。パーティーの規模でアルバート家の偉大さを見せつけられた直後なのだから、ノゼ家当主の胸中は計り知れない。
今すぐにでも逃げ出したいだろう。正確に言うのなら、逃げ出そうとしている最中に彼等に声を掛けられ止められたのだが。
そんなノゼ家当主に対し、ラングとルシアンはいまだ鏡に映したかのような瓜二つの笑みを浮かべている。絵画のように麗しく、ぞっとするような笑みだ。
「俺達のメアリは寛大だから、解決したらそれで終わりにしてしまうんだ」
「可愛いメアリは慈愛に溢れているから、誰かを罰するようなことは望まない……」
「まったくメアリは優しくて愛らしいから困る。時には厳しく処罰する事も必要なのに、きっとメアリには愛しか詰まっていないんだな」
「あぁ、本当にメアリは偉大で俺には眩しいくらいだ……。メアリの辞書には報復という言葉は無く、輝かしく明るい言葉だけが載っているに違いない……」
麗しく微笑んだまま、ラングとルシアンがメアリについて語る。
相変わらずの妹溺愛だ。もっとも、その微笑みは相変わらずとは言えないだろう。二人の笑みは鏡に写したようにそっくりで、麗しく、そしてまったく温かみを感じさせない。
だがその笑みも次第に薄れ、ついには厳しい表情へと変わっていった。冷ややかな視線は射抜かんばかりに鋭い。
その威圧感に、ノゼ家の誰もが言葉を失った。ラングとルシアンの怒りがさながら冷気のように漂っているのを感じ、そしてここまで彼等が怒りを抱いたなら自分達ではどうしようもないと察したからだ。
唯一この場を穏便収められそうなロベルトはといえば、ラングとルシアンの後ろに控え、無表情で彼等のメアリ溺愛を聞いている。ようやく口を開いても、
「愚弟はどうにも詰めが甘く、処断を下そうにもこれでもかと温情を掛けたことでしょう」
そう実弟アディの甘さを嘆き、まったくと言いたげに肩を竦めるだけだ。
それに対して誰も反論しないのは、ラングとルシアンにとっては今更な話で、そしてノゼ家の者達はもはや反論する余裕も無いからだ。
『処罰』だの『報復』だの、ラング達の口から出る言葉はどれも物騒で、それが己の家の行く末ともなれば誰しも青ざめ口を噤むというもの。
彼等の胸中を考えれば社交界の誰だって言葉を失い、そして我が身ではなくて良かったと胸を撫で下ろすだろう。
今のノゼ家の状況は崖っぷちで蛇に睨まれた蛙。それもただの蛇ではない、社交界の頂点に君臨する大蛇だ。
その大蛇はしばらく冷ややかにノゼ家を睨みつけ、場を異様な沈黙が漂う。パーティー会場の音は風にのって聞こえてはいるものの、この状況では誰の耳にも入らないだろう。
そんな重苦しい沈黙を破ったのは、ラングの小さな溜息だった。
「メアリもアディもそういう所は考えが甘いんだよな。まぁ、可愛く優しい妹を影で支えるのも兄の務めだ」
「あぁ、そうだな……。汚れ仕事は俺達がやればいい……。メアリの清らかさを守るためなら家の一つや二つ喜んで潰そう……」
顔を見合わせ、ラングとルシアンが互いの決意を確認するように一度頷き合う。傍目には麗しい兄弟の結束とでも映るだろうか。
だが麗しく淡々と話してはいるものの、彼等の発言はノゼ家への処断の宣言だ。アルバート家の権威を考えれば、処刑宣告と言っても過言ではないだろう。
ノゼ家の誰もが自身の行く末を考え立ち尽くし、マウロが「そんな……」と小さく呟いた。
そんな、ただ、メアリ一人を脅しただけなのに……と。
はっきりと言葉にこそしないが言い淀みつつ訴えるマウロに、ラングとルシアンの瞳がより鋭さを増した。
「メアリはアルバート家の次代を担う存在だ。そのメアリを脅かすなら、俺達が手を下すのは当然だろう」
「メアリが家名を背負うというなら、メアリへの侮辱はアルバート家への侮辱……。家名につけた傷の代償は払ってもらう……」
厳しい声色で二人が断言する。
次いでチラと揃えたようにロベルトを一瞥したのは「お前も続け」という命令である。
それを察したロベルトが肩を竦めることで返した。
今一つ乗り気がしない、そんな表情だ。それでも主人であるラングとルシアンの命令を無碍には出来ず、仕方ないと言いたげにゆっくりとマウロに視線を向けた。
錆色の瞳。熱を感じさせるはずの色合いの瞳が、今はゾクリと寒気がするほどの鋭さを持っている。
「そうですねぇ」と間延びした声色は冷静を取り繕っているが、錆色の瞳の奥では密やかに怒りが渦巻いているのが分かり、マウロの呼吸が次第に浅くなる。
そんなマウロに声を掛けてやることもせず、ロベルトは冷静を取り繕いつつ口を開いた。
「アルバート家に関して、従者の身でしかない私は口を挟める立場ではございません。……ただ一つ言わせて頂くと」
冷静だった声色を次第に低くさせ、ロベルトが厳しくマウロを睨みつけた。
「弟を馬鹿にするのは、兄だけに許された特権……という事です」
そう言い切るロベルトの声色は、彼にしては珍しく怒気が漂っている。
だがそれを隠すように咳払いをし、早々と話を終いにしてしまった。その態度のなんと白々しい事か。ラングとルシアンの物言いたげな笑みを一切無視しているあたりがなんとも分かりやすい。
澄ました表情をしていはいるものの、心なしか今のロベルトは落ち着きが無く、果てには「さっさと片付けましょう」と話を無理矢理に本題へと戻してしまった。
それに対して、ロベルトを冷やかそうとしていたラングとルシアンも顔を見合わせて小さく頷き合った。
今は片付ける方が先だ。
なにを?
もちろん、大事なアルバート家の跡継ぎ候補を脅した、不埒な家を。