20
またも水浸しになりはしたものの、メアリの気分は晴れやかだった。
兄達はメアリが跡継ぎになっても変わらず側にいると約束し、アリシアは事情を知るとより深い友情を示してくれた。
彼等の言葉はメアリの不安を一瞬にして掻き消し、あれだけ悩んでいたのが今では嘘のようだ。もっと早く打ち明ければ良かったとすら思えてくる。
朝食後もその余韻は消えず、メアリはアディを連れて自室に戻ると、ゴロンとベッドに横になった。
兄達やアリシアの言葉を思い出せば自然と笑みがこぼれる。
「アディの言うとおりだったわね。皆には感謝をしないと」
「そうですね。まぁ、感謝をしようにもラング様とルシアン様は朝食の場にはいらっしゃいませんでしたが」
「潰されたのかしら」
「潰したんでしょうね」
昨夜のロベルトの「酔い潰します」発言を思い出し、メアリが眉根を寄せる。
朝食の場にラングとルシアンの姿はなく、ロベルトだけがしれっと食事をしていたのだ。潰す発言を聞いていないパトリックとアリシアがどうしたのかと尋ねれば、穏やかに笑って、
「まだ眠っておりますので、後ほど私が食事を運ばせていただきます」
という従者らしい発言が返ってきた。
なんて白々しいのか。アリシアとパトリックはすっかり騙されてしまったが、メアリはひきつった笑みを浮かべるしかなかった。
だがそんな兄達も、稼業となれば誰よりも頼りになる。もとよりラングもルシアンも跡継ぎになるために勉学に勤しみ、そしてロベルトもまた次期当主に仕える予定でいたのだ。
彼等はその努力を覆されたことを恨むでもなく、今まで培ったことを惜しみなくメアリに捧げると言ってくれた。
なんと有難いのだろうか。不安は消え去り、自分がどれほど恵まれているのか改めて実感する。
そして、実感すると同時に湧くのが腹立たしさ。
正確に言うのであれば『不安が解消されたからこそ、不安に陥らされたことが腹立たしい』というべきか。
他でもないこのメアリ・アルバートが、このまま「あぁ良かった、安心した」で済ませるわけにはいかない。
そう考え、メアリが勢いよく起き上がり拳を握りしめた。瞳に宿るのは決意と闘志だ。
「決めた。マウロ・ノゼひっくるめてフェイデラの男達に見せつけてやるわ!」
「見せつけるって、パトリック様の他にどなたかお呼びするんですか? あと急な呼び出しで来てくれそうなのはガイナス様とか、バーナード様とかですかね」
「漏れなく泣き虫な令嬢と狩人が着いてきそうな人選ね。でもその二人じゃない。……いえ、その二人だけじゃないわ」
不敵に笑うメアリに、アディが不思議そうに「二人だけじゃないとは?」と尋ねてくる。
メアリがより笑みを強め、ベッドの上で仁王立ちをしてみせた。スプリングの効いた柔らかなベッドは些か立ちにくいが、内股にぐっと力を込めることでバランスを保つ。
そうしてふんぞり返る姿は、まさに高飛車な令嬢である。……たまにグラリと態勢を崩しかけているが。
「アディ、いずれアルバート家当主の夫となる貴方に教えてあげるわ」
「俺にですか? 何を?」
まったくわけが分からないと言いたげなアディに、対してメアリの笑みは強まる一方だ。
そうして肩に掛かった髪を手で豪快に払った。ふわりと軽やかに銀糸の髪が揺れる。
ここまでふんぞり返っているのだから、いっそ縦ロールで豪快に揺らしてもいいぐらいだ。ブォンと縦ロールが跳ねればさぞや高飛車ぶりに箔がつくだろう。
そんなことを考えつつ、メアリは不敵に笑みを浮かべた。
「貴方に、貴族流の喧嘩の売り方を教えてあげるわ」
そう高らかに宣言すれば、アディが更にわけが分からないと言いたげに首を傾げた。
決意するやいなやメアリが向かったのは、パトリックの部屋。
ノックをして室内に入ればアリシアの姿もあり、メアリを道連れに噴水に落ちたのを忘れたかのような笑顔で歓迎してくれた。なんて輝かしく腹立たしい笑顔だろうか。
だが今は文句を言っている場合ではない。そう己の憤りを押し止め、メアリは真剣な面もちでパトリックを呼んだ。
彼もまたメアリの気配から緊急の用件と察したのか、真剣味を帯びた声色で返す。ひとまずとメアリとアディに座るように促すが、それすらもどこか深みを感じさせる声だ。
メアリが応じてソファーに腰掛け、その隣にアディも座る。
そうして一息着いたメアリが告げたのは、
「パーティーを開きたいの!」
と、これである。
パトリックが突然何事かと怪訝そうに眉根を寄せる。
アディに至っては拍子抜けしたと言わんばかりの表情だ。『喧嘩の売り方』という危なっかしい言葉からいったい何を想像していたのか分からないが、彼の表情に思わずメアリは「これが貴族の喧嘩の仕方よ」と一言付け足しておく。
唯一アリシアだけが「パーティーですか!」と興奮しているが、メアリはそれを華麗に無視し、じっとパトリックを見つめた。
「私主催で、出来るだけ大々的に、たくさんの人を呼んで、今までに無いくらい豪華なパーティーにしたいわ」
「それはフェイデラ滞在中にか?」
「えぇ、フェイデラを去る前日に、お世話になった方々へのお礼も兼ねて開きたいの。だから急ぎになってしまうけど、皆さん来てくれるかしら……」
誰も来なかったらどうしましょう、とメアリが俯き、弱々しく呟いた。ーー「私は絶対に参加します!」というアリシアは引き続き無視しておくーー
だがメアリが不安になるのも無理はない。今まで数え切れないほどパーティーに招待されてはいるが、自らが主催となるのは初めてだ。
それにフェイデラ滞在最後の日となれば数えるほどしか日が無く、急な招待に応じられない者がいてもおかしな話ではない。
むしろ初の主催でこの時間の無さ。不手際だの、相手の都合を考えていないだのと取られても仕方あるまい。マナーに厳しい者なら無礼とさえ言い出すかもしれない。
メアリとて、仮にこんな急な招待状がくれば「余裕のないパーティーね」とでも言っただろう。
……もっとも、これが普通のパーティーなら、の話だ。
「『誰も来なかったらどうしよう』なんてわざとらしい。君が初めて主催するパーティーとなれば、誰だって予定すべてなげうって応じるさ」
「あら、本当? それを聞いて安心したわ」
わざとらしくコロコロとメアリが笑えば、パトリックが肩を竦めた。ーーアリシアは「私だって絶対に行きます!」と必死に主張しているが、これもまたメアリは無視であるーー
そんなやりとりのなか、アディだけが眉間に皺を寄せたまま首を傾げていた。今一つ会話についていけない、という表情だ。
メアリの言う『貴族の喧嘩の売り方』がパーティーを開く事だとは分かった。だが分かっただけで理解までには至っていないのだろう。
見かねたメアリが苦笑を浮かべ、彼の腕をそっと撫でてやった。
「アディ、これから忙しくなるわよ」
「そうですね。よく分かりませんが、まぁお嬢がパーティーを開きたいと仰るならやりましょう」
歯切れの悪い口調ながらもアディが応じる。相変わらず今一つ分からない、だが分からないながらも『メアリが言うなら』という考えなのだろう。
今のアディの様子は傍目には頼りなく映るかもしれない。「そんな考えで良いのか」と問う者もいるだろう。
だがメアリにとってはアディのこの歯切れの悪い返事こそが何より背を押してくれるのだ。
パトリックの「それじゃ準備に取りかかろうか」という言葉より、「私もお手伝いします!」というアリシアの言葉より、アディの肩を竦めながらの言葉が胸に染み込んでいく。
思い返せば前世の記憶を思い出した時も、彼は怪訝そうな表情で、没落を目指す意味が分からないと言いたげに、それでも「分かりましたよ」と答えてくれた。
あの言葉を聞いたときメアリの計画が動き出したのだ。そして今に至る。
「それじゃアディ、まずはお兄様達に声を掛けにいきましょう。きっとお兄様達も協力してくれるはずだわ! ……回復してたらの話だけど」
「そうですね。ラング様もルシアン様も、お嬢が初めて主催するパーティーとなれば喜んで協力してくださいますよ。……意識があればの話ですが」
最後に不穏な一言を付けつつ、メアリとアディが兄達の部屋へと向かう。
その際メアリがチラリとパトリックへと視線を向け、
「せっかくだもの、いろんな方に来てほしいわぁ」
と呟いたのは、言うまでもなく彼をせっついているからだ。
理解しているのだろうパトリックが苦笑を浮かべて頷いている。彼の隣ではアリシアが純粋にパーティーを楽しみにしており、彼女の方はメアリの言わんとしている事を理解しきれていないようだ。
もっとも、パトリックの笑みを見る限り問題はないだろう。うまくアリシアを、そして彼女の人脈を使いこなしてくれるに違いない。
こと人脈となれば彼女以上に強い存在はいない。なんて頼もしいのだろうか。……もちろん口に出しては言わないが。
そうしてメアリとアディが兄達の部屋へと向かい、事情を説明する。
……ベッドに突っ伏して動かない兄達に対して。いや、二重の呻き声が続く室内で一人平然と読書に勤しんでいたロベルトに向けて、といった方が正しいか。
案の定、兄達は潰されていた。
それどころかしれっとロベルトが、
「朝食をメアリ様と取れなかった事を大層やかましく嘆いておりましたので、迎え酒と称して改めて酔い潰しました」
と平然と言い切るのだ。
これにはメアリも呆れはしたものの、これもまた兄達らしいと言及せずにいた。
普通であれば主人を酔い潰す従者など許されるものではないのだが、許されてしまうのがアルバート家なのだ。あとたぶん、兄達は相当うるさかったのだろうと予想できる。
そう考え、メアリはひとまず本題を話す事にした。
兄達の状況を見るに話したところで彼等の耳に届くか怪しいところだが、ロベルトが聞く気になっているから大丈夫だろう。ーー最近メアリはラングかルシアンかロベルトの誰か一人に話が通じれば良いと思っている節があるーー
「そういうわけで盛大なパーティーを開きたいの! ねぇラングお兄様、協力してくれる?」
「う……ぐ……ぐぇ……気持ち悪い……」
「メアリ様、ラング様は『もちろん協力する』と仰っています」
「呻き声の通訳ありがとう、ロベルト。でもお兄様が協力してくれるのは嬉しいわ。ルシアンお兄様はどうかしら?」
「頭が痛い……世界が回る……世界崩壊の日だ……」
「メアリ様、ルシアン様は『盛大なパーティーにしよう』と仰っております」
「良かったわ。私パーティーを開くのって初めてでしょう? だからお兄様達に色々と教わりたかったの」
兄達の返答にーー正確に言うのであればロベルトの返答にーーメアリが表情を明るくさせた。
仮にも彼等はアルバート家の子息。途中参戦のメアリと違い、彼等は幼少時からアルバート家を継ぐために励んでいた。日々勉学に励みーー時折逃げているようだがーー、社交の場では父に頼らず次代としての友好関係を築こうとしている。彼等の努力はメアリの耳にも届き、常々さすが我が兄だと関心していた。もちろん喧しくなるので直接は誉めないが。
彼等の知識や手腕は遅れて名乗り出たメアリの比ではない。
「それじゃ、過酷な跡継ぎ争いはいったん休戦ね」
「えぇそうですね。ラング様もルシアン様も休戦に同意なさっていますよ」
「ついに呻き声すら聞かずに答えだしたわね。まぁ良いわ、それじゃ準備に取りかかりましょう。盛大でいて華やかで、またとないパーティーにするのよ!」
メアリが意気込んで拳をあげれば、ロベルトが穏やかに笑って拍手を送る。
ちなみにその背後では枕に顔を突っ伏したラングとルシアンが「メアリ、少し声を抑えて……」と呻き声をあげており、居た堪れなくなったアディが水を飲ませたり背をさすったりと介抱していた。