19
日の光が朝露を輝かせ、吹き抜ける風にのって草花の香りが鼻をくすぐる。
なんとも心地良い朝だ。鳥の鳴き声もどこか楽しげで、チチと高く鳴いて小鳥が一羽メアリの足下に止まった。数歩ちょんちょんと跳ねるように歩き、また高く鳴いて飛び立っていく。その光景すらも眩しい。
早朝なだけあって周囲に人の気配は少なく、この時間に庭園にいるのは朝の早い庭師ぐらいだろう。
だが今朝だけは、まだ早い時間の庭園にも庭師の他に人の姿があった。
メアリと、メアリによって叩き起こされ連れてこられたアリシアだ。彼女は眠たそうに目を擦り、ふわと欠伸を漏らした。
「メアリ様、こんな朝早くにどうなさったんですか?」
「貴女に『朝早く』という概念があった事に驚きだわ。普段は鶏の鳴き声と共にうちに来て人を起こすんだから、たまには私に起こされなさい」
「自分で起きるのと人に起こされるのは別物ですよ……」
間延びした声で訴え、アリシアが再び欠伸をする。
なんとも勝手な言い分ではないか。メアリが抗議代わりにジロリと彼女を睨みつける。
だが睨んだところでアリシアが早朝訪問を止めるわけがない。このやりとりは時間の無駄。そう考えーー諦めたわけではない。……多分ーーメアリはふんと一度そっぽを向いた。
噴水の縁に腰掛ければ、アリシアがちょこんと隣に座る。叩き起こされて欠伸こそしていたがメアリとの早朝散歩は嬉しいようだ。
朝の日の光が彼女の髪を輝かせる。まるで黄金。いや、黄金はこれほどまでに美しく揺れはしないか。
その美しさに見惚れ、誘われるようにメアリが手を伸ばした。
金の髪を一房指に絡めれば、スルリと指の合間を抜けていく。柔らかく滑らかで、その肌触りのよさといえば振れている指先が擽ったくなるほどだ。
「綺麗な髪ね。髪だけは認めてあげる」
「メアリ様の髪だって素敵ですよ。今の緩やかなウェーブも素敵ですし、以前の縦ロールも趣があります」
「人の縦ロールに趣を見い出さないでちょうだい」
失礼な、とメアリが文句を言いつつ、指に絡めていたアリシアの髪をクイと引っ張った。アリシアが悲鳴をあげる。もっとも、その悲鳴が楽しげで、傍目には楽しくはしゃいでいるようにしか見えないのは言うまでもない。
そうしてしばらくメアリはアリシアの髪をいたずらに引っ張り……小さく息を吐いた。金糸の髪がスルリと滑り、指から離れていく。
『以前の縦ロール』とは何とも懐かしい話だ。
ドリルとまで言われた強固な髪型。幾度となく挑み何をやっても巻き上がる己の髪に絶望し、そして前世の記憶を取り戻すとこれぞまさに悪役令嬢メアリの象徴と納得した。
そして納得すると同時に、まずはとアリシアに声を掛けた。『ゲームの主人公に挨拶をしなくては』と、そんな事を話していたのも記憶している。アリシアが通る道も把握しており、そこをさも偶然通りかかったように振る舞って彼女に声を掛けたのだ。
それをアリシアが知ったらどう思うだろうか……。
朝の晴れやかな空気には似つかわしくない、重く淀んだ靄がメアリの胸にわく。
だがそれを一度軽く頭を振ってかき消した。
前世の記憶があろうが無かろうが、自分はメアリ・アルバートだ。
卑怯だなどと言わせない。その程度で失うような友情を築いた覚えはない。
そう自分に言い聞かせ、メアリは一度ゆっくりと息を吸うとアリシアへと向き直った。
「アリシアさん、貴女……私の友人なのよね?」
「はい! 親友です!」
「そうよね、そう言ってくれて嬉しいわ。ちょっと確認したかったの」
「何度でもお答えします。私とメアリ様は大親友です!」
「ありがとう。それで、もしもの話なんだけど……何か重大な事実を知っても、私達の関係は変わらないのかしら」
「変わりません。私とメアリ様は心の姉妹ですから!」
「乗じてぐいぐい距離を詰めてくるんじゃないわよ」
メアリがぴしゃりと咎めれば、アリシアが小さく笑う。
そうしてメアリの手を取り、きゅっと軽く握ってきた。暖かな手だ。金糸の髪と同様、手も滑らかで心地良い。
「何があろうと、メアリ様への想いは変わりません」
「……アリシアさん。でも、たとえば……私と出会って、親しくなったのも、裏でお膳立てされていたからだとしたら……?」
そう尋ねるメアリの声は、自分でも驚いてしまうほどに弱々しい。
それに対し、アリシアはきょとんと目を丸くさせた。「お膳立て?」という彼女の声に、メアリの胸が痛む。逃げるように視線を落とせば、噴水の水面で太陽が揺らいでいるのが見えた。
友情を疑われたら、そんな不安が溢れて心苦しくなる。
だがそんなメアリの不安に対し、アリシアは「それは誰のおかげですか!?」と声をあげた。
「誰の……お、おかげ?」
「はい。メアリ様との友情がお膳立てということは、誰かのおかげなんですよね。ならば感謝をせねばなりません! 女性であれば抱きつきます!」
「違うの、他人じゃなくて……私なのよ。私が、アリシアさんの事を……貴女が攫われた王女だという事も知っていて、そのうえで声を掛けていたとしたら……。それは卑怯な事なのかもっ……」
卑怯な事なのかもしれない、そう言い掛けたメアリの言葉が途中で止まる。
先ほどの宣言の通り、アリシアが抱きついてきたからだ。
危うくまたも噴水に落ち掛け、メアリが慌てて彼女にしがみついた。二度もお尻を水に浸すのはごめんだ。
「メアリ様は私の事を知っていて、仲良くなるために声を掛けてくださったんですね!」
「そ、そうじゃなくて……。いえ、知っていたのは事実だけど……。ずるいって思わないの? 貴女のことを知っていたから声を掛けたのよ?」
「ずるいなんてとんでもない! 私の事を知っていたということは、メアリ様は私を選んで声を掛けてくださったんですよね。私、メアリ様のことをもっと好きになりました!」
抱きついたまま嬉しそうに話すアリシアに、メアリがきょとんと目を丸くさせる。
事情を話せば驚くか疑うかされると思っていた。もしかしたら卑怯と思われるかも……と、そんな不安すら抱いていたのだ。だというのにアリシアはメアリに抱きつき、嬉しそうに笑っている。
予想していなかった、むしろ予想と真逆と言える返答ではないか。
理解が追いつかないとメアリは瞬きを繰り返し……そして穏やかに微笑むと、アリシアの背に回していた腕に力を入れた。強く抱きつけば、アリシアもまた力を込めることで返してくれる。
金糸の髪がメアリの頬を掠める。視界の端で揺れると眩しく、頬に触れるとくすぐったい。サラリとした髪の滑らかさに胸の内の靄は溶かし落とされた。
「ありがとう、アリシアさん。私も貴女の事がもっと好きになったわ」
「メアリ様……!」
メアリの言葉に、歓喜したアリシアがより強く抱きついてくる。もとより小柄なメアリは彼女にすっぽりと覆われてしまい、苦しさすら感じかねないほどだ。
だがその苦しさも今は嬉しく、子供をあやすように背中をポンポンと叩いて宥めてやる。
「分かったから、そんなに強く抱きしめないでちょうだい。バランスを崩してしまうわ。ねぇ……ちょっと、本気でバランスがっ!」
離して! と悲鳴をあげた瞬間、メアリの体がグラリと揺れた。後方に。抱きついてるアリシアごと。
そうしてメアリの哀れな悲鳴と共に、パシャン! と豪快な水音が朝早い庭園に響いた。……もちろん、二人分の水音である。