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それから熱を出してたっぷり十日間休んだのは、メアリ・アルバートの人生において最大の汚点であった。
なにせ熱を出した原因に対して、安易に「色々と考え事をしていたの」と答えてしまったのだ。
これが他の令嬢であったなら「体の弱い少女」とか「年頃の女の子には悩みが多い」とか、そういった好意的なイメージアップに繋がる理解をしてもらえただろう。多感な時期に深い悩みを抱え、身体を壊してしまったのだ。なんとも儚く美談ではないか。
それを聞いたのが普通の従者達であったなら「私達がもっと気遣ってさしあげられたら」だの「お嬢様の異変に気付かなかった私達の責任」とでも思ってくれただろう。彼等の仕事は主人が快適に・何一つ苦労することなく・誠心誠意仕えることなのだ。大事な令嬢が熱を出せば、その責任は日頃世話をしている者達の管理不足に繋がる。
だというのに、メアリが熱を出した原因を口にした途端
「知恵熱!」
という理不尽な病名をアディが下し、メアリが休息を経てボンヤリとする頭で起きあがる頃には、屋敷中にその病名が広がっていた。
それでもなんとか病を治し――医師の診断の結果、単なる風邪であった。勿論、知恵熱なんかではないのは分かり切っていたが――十日ぶりにカレリア学園の門をくぐる。
が、いったいどういうわけか通学途中の生徒達は皆メアリの姿を見ると息を飲み、中には慌てて目を逸らす者さえいた。今までアルバート家の名前と変わり者の性質故チラチラと視線を受けたりはしていたが、流石に今回は向けられる視線に悪意を感じてメアリが首を傾げた。
「……なにこれ。なんだかとても気分が悪いんだけど」
「……うーん、不味いことになってますね」
「さっぱり状況が分からないわ。ねぇアディ、私が休んでる間も学校に来てたでしょ、どういうことよ」
説明して、とメアリがアディを見上げるも、彼が口を開くよりも先にメアリの名を呼ぶ声が聞こえてきた。
見れば、遠くから一人の生徒が走ってくる。カレリア学園の制服に金色の髪、貴族の令嬢が通うこの学園において「はしたない」と怒られかねないほどに全力で走るその姿は……。
「あら、ごきげんよう。相変わらずみっともなく走り回ってるのね、はしたない」
「メアリ様! お元気になられたんですね、良かった!」
「まぁ、そんなにはしゃがないでくださる? せっかく熱が引いたのに、庶民臭い熱気にあてられて倒れそうだわ」
相変わらず毒を吐いて返すもアリシアには微塵も効いていないようで、ちょっとした注意とでも受け取ったのだろうか慌てて息を整え「失礼しました」と照れくさそうに笑った。
そうして改めて背筋をただし、カレリア学園の生徒らしく「ごきげんよう、メアリ様」と会釈する姿は随分と様になっている。その姿だけを見て、いったい誰が彼女が庶民の娘だなんて見抜けるだろうか。
だがそんなアリシアに対してもメアリは不服なようで、ふんと鼻で笑うとさも汚らわしいものを見て気分が悪いと言いたげにハンカチで口元を押さえた。
「これだから庶民は嫌ね。私だったら、たとえ急いでいたとしても走るなんて無様な姿は恥ずかしくて見せられないわ。貴族の令嬢たるもの常に優雅に構え、急ぎの用は使いにやらせるものよ」
「はい! 分かりました!ありがとうございます!」
「ぐっ……アドバイスとして受けとったわね……それで、そもそもなんで走ってきたの?」
「それは勿論メアリ様に会えて嬉しくて……それに……」
「それに?」
どうしたの?とメアリが首を傾げれば、アリシアが視線から逃げるように顔を伏せた。
常に明るく、日の光を彷彿とさせるほど陽気な彼女らしくない表情に、先程から妙な視線を感じ続けていたメアリがいよいよをもって眉間に皺を寄せた。
そうしていったい何事だと周囲を見回せば、一定の距離を保ちつつそれでもこちらを見てくる野次馬達と、颯爽とこちらに向かってくる見目麗しい集団。先頭に居るのは随分と見慣れた顔、パトリックである。
だがどうしてか今日に限って彼も浮かない顔をし、険しい表情でこちらをにらみつけている。
いったい何だというのか……。
だが流石にそれを顔に出すわけには行かず、メアリは眉間による皺をなんとか和らげ、令嬢らしく微笑むと優雅に会釈をした。
「ごきげんよう、生徒会の皆様。朝からどうなさいましたの?」
と。
だが返ってきたのは随分と冷え切った声で発せられたパトリックの
「メアリ・アルバート。君の今までの悪行について、話を聞かせてもらおうか」
というものだった。
『ドラ学』において令嬢メアリは悉く主人公アリシアを虐め抜く。それは恋愛妨害から始まり、取り巻きを使って陰ながら行う姑息なものまで、まともな神経ならよくぞここまでと圧倒される程だ。
といっても、勿論その虐めの後に主人公は攻略キャラクター達に慰められ、そして最終的には彼女の悪事を裁く。それも、今まで好感度をあげていた攻略キャラクター達とともに。
プレイヤーの間で『断罪』と呼ばれるそのイベントを思いだし、メアリが溜息をついた。あのイベントは悪役令嬢メアリの転落の始まりであり、没落を目指す今のメアリには吉報とも言える……のだが、病み上がりでこれは流石に気分が悪い。
だからこそ不機嫌そうに小さく息を吐けば、生徒会長であるパトリックがジッとメアリを見据えた。
「それで、君は今説明したことに覚えがあるか?」
と。彼らしくない冷たい声色だ。
おまけにパトリックを挟むように副会長と書記が立ち、さらには会計と生徒会顧問までもがメアリに視線を向けている。
言わずもがな、この生徒会役員達こそ『ドラ学』の攻略キャラクター達である。全員が名門貴族の出で成績優秀、勿論見目がよく学園の人気者なのは言うまでもない。彼等に揃って見つめられるなど、全女子生徒の夢そのものである。……冷ややかな視線さえなければだが。
ちなみに、ゲームの通りで言うのなら、パトリックの隣にはアリシアが立っているはずである。生徒会役員達に守られるようにし、メアリを見つめ涙ながらにその罪を訴えるのだ。
もっとも、今そのアリシアはと言えば……。
「何を言ってるんですか! メアリ様が私を虐めるなんて、そんなことするわけがありません!いくら生徒会役員様達と言えど、メアリ様への侮辱は許せません!」
と、メアリの隣に立ち、誰よりも熱くメアリを援護していた。
「伏兵が思わぬところから現れたわね……本当、思わぬところ過ぎるわ、まさかのこっち側」
「本来なら俺がお嬢を庇う立場なんでしょうが、もう口を挟むタイミングが分かりません。むしろアリシアちゃんを宥めたい」
アリシアが熱くなっているせいか、それともこのイベントも記憶にあったからか、はたまた挙げられた悪行に微塵も覚えがないからか、冷静を通り越して冷め切った気分のメアリとアディがそっと小声で話し合った。