17
自室へと戻り、あとは眠るだけ……。
となったのだが、どうにもメアリは眠れずにいた。寝なくてはと思えば思うほど考えが纏まらない。そもそも考えてはいけないというのにあれこれ考えてしまい、纏まらず、寝付けないのだ。
パトリックが話していた、フェイデラの男達が必死になる事情。
皆の前ではうんざりだと断言したものの、内心では他人事とは思えずにいた。メアリもまた一度はパトリックと縁談を結んだことがあるからだ。パトリックは幼馴染み、彼との間に愛も恋心も無いが、友情はあった。だからフェイデラの政略結婚とは違う……が、打算ゆえの縁談と考えれば同じだろう。
それに、パトリックとの縁談を破棄したあと、他家に嫁がされていてもおかしくなかったのだ。幸い両親や兄達はメアリの意志を尊重し、そしてアディとの結婚を受け入れてくれたが、他家では同じようにはいくまい。
その状況を打破出来たのは、ひとえに両親がメアリの意志を大事にしてくれたから。
……それと、自分がアリシアを支えたという功績もあっただろう。
攫われた王女をそうとは知らず支え、彼女とパトリックが結ばれた際には身を引いた。――真相はさておき、世間ではそう思われている――
結果アルバート家は王家に次ぐどころか王家に並ぶ家となり、強い結束を結ぶ事が出来た。
両親からしてみれば、メアリがもたらした功績は政略結婚よりも価値のあるものだ。
「……だけど、それは前世の記憶があったから」
ポツリと呟き、メアリは枕をボスンと叩いた。
自分を囲むフェイデラの男達の顔が浮かんでは消える。彼等も顔も知らない相手と結婚させられかけて必死だったのだろう。その解決策が、女性を誉めて口説き、恋人の座につくこと。
彼等の境遇と比べれば、自分のなんと恵まれている事か。
「やっぱり私はずるいのかしら……。もしもずるい私が跡継ぎになったら……」
それは許されることなのか。仮にそうなった場合、兄達の気持ちを考えると胸が痛む。いや、そもそもメアリが跡継ぎになったとしたら、兄達はどうするのか……。
考えは相変わらず纏まらず、今は話を聞いてくれるアディもいない。とうてい、このまま眠りにつける気もしない。
仕方ないとメアリは深く息を吐き、椅子に掛けておいたカーディガンを羽織ると部屋を後にした。
向かったのはラングの部屋だ。ルシアンの部屋とは隣続きになっており、ラングの部屋だけ扉の隙間から明かりが漏れ数人の話し声が聞こえてくる。
恐る恐るメアリが扉をノックし、ゆっくりと扉を開けた。
中に居たのは、部屋の主であるラング、それにルシアン。ロベルトとアディもいる。テーブルの上には酒瓶とグラスが置いてあり、どうやら就寝前に酒を酌み交わしながら話していたようだ。
彼等はメアリが来たことに驚いたように目を丸くさせ……、
そして次の瞬間、テーブルの上に置いていた手引書を一斉に隠した。
怪しい、というより怪しさしかない。思わずメアリが眉間に皺を寄せ、隠された手引書を追うように彼らの手元をじっと睨みつける。だがアディに名を呼ばれたことではたと我に返り、室内に入ると彼の隣に腰掛けた。
ひとまず手引書については後回しだ。今はそんな気分ではない。
「お嬢、どうなさいました?」
「ちょっと眠れなくて……。皆こそ、こんな時間まで何を話していたの?」
自分の迷いを話すことが躊躇われ、誤魔化すようにメアリがアディへと話を振る。
その瞬間、室内に緊張が走った。
ラングは乾いた笑いを浮かべながら余所を向き、ルシアンは手元の本に視線を落とす。ロベルトは窓の外を眺め、アディは「お茶の準備を」と立ち上がり部屋の隅へと逃げていった。
もはや怪しいを通り越した彼等の反応に、メアリが「教えてよ」と唸るように問いかけた。だが誰に問えば良いのか分からなくなるほど、皆露骨にメアリから顔を背けている。
「ルシアンお兄様、いったい何を話していたの?」
「そ、それは……。重大でいて深刻な……深刻なあれだ……」
「あれ? あれじゃ分からないわ。それなら、ラングお兄様が教えてちょうだい」
「分かった、メアリがそこまで言うなら教えてやろう。俺達はアディの身長を縮める会議を開いていたんだ!」
「アディの身長を縮める会議!?」
ラングの口から出た突拍子の無い発言に、メアリが声をあげる。
次いでアディへと視線を向ければ、メアリの分のお茶を用意していた彼の顔が露骨にひきつっている。
「アディ、貴方自分の身長を縮める会議に出ていたの!?」
「なぜよりによってその題材を……。そ、そうです……!」
苦しげな声でアディが肯定する。――ちなみにメアリの背後ではラング達が佇みアディに無言の圧力をかけているのだが、もちろんメアリが気付くわけがない――
アディの返答を聞き、思わずメアリが「公認なのね……」と呟いた。
ただでさえ人の身長を縮める会議などとんでもない話なのに、縮められる当人が出席しているのだ。そのうえロベルトが「白熱した会議でした」と後押ししてくる。
「そ、そう……アディ公認なら良いわ……私が口を挟むことでもない……のよね?」
「そういうわけで、俺達はアディの身長を縮めるための会議をアディを交えて行っていたわけだが、メアリはどうしたんだ? 眠れないのか?」
心配そうに伺ってくるラングに、メアリがムグと口ごもった。
ラングだけではない、ルシアンもメアリを見つめてくる。二人の顔付きは陰陽真逆だが、それでも二人ともメアリを案じてくれている。
そんな二人に見つめられ、メアリは小声で「ちょっと考えていて……」と話し出した。自分でも驚いてしまうほど弱々しい声だ。
「もしも私が跡継ぎになったら……いえ、『もしも』じゃなくて私は跡継ぎになるわ。なるために頑張ってるの。だけど、私が跡継ぎになったら、お兄様達はどうするのかしらって思って……」
「俺達が?」
「私が跡継ぎになったら、当然だけどお兄様達は跡継ぎになれないわ。それは分かっていた事だけど……その先の事は考えていなかったの……」
跡継ぎになれない子息がどうなるか、今まで深く考えていなかった。
一口に跡継ぎ争いと言っても、行き着く先は様々。
跡継ぎにこそなれなかったが当主の片腕となり家を支える者、分家や他家に養子入りする者もいる。これで自由だと好きに生きる者もいるだろう。案外 開き直って自分で成功の道を邁進する者もいるかもしれない。
だが不本意な結末を迎える者も多いはずだ。跡継ぎになれると思っていた者が土壇場でひっくり返されたのだから、胸中は複雑の一言では言い表せまい。
メアリを取り囲んで恋人になろうと画策していた者の中にも、本来であれば跡継ぎになるはずが引っ繰り返された者もいただろう。跡継ぎ争いは厳しく、とりわけ子息の多いフェイデラならば尚更だ。
自分は兄達にその道を歩かせようとしているのだろうか。
本来ならば兄達のどちらかが座るべき椅子を、自分が横から掠め取ろうとしているのだろうか。
その果てに、兄達は不本意な道を選ばざるを得なくなるのかもしれない。
そう考えればメアリの胸に申し訳無さが湧く。
「もし私が跡継ぎになったら、お兄様達はどうするの? どこか余所の家に、顔も知らないような女性のところに婿にいくのかしら……」
跡継ぎになれずとも、仮にもラングもルシアンもアルバート家の子息だ。パトリックとの婚約を破棄した時のメアリ同様、縁談は山のように来るだろう。まさに引く手あまただ。必死になって良家夫人を口説いて恋人になる必要はない。
……だがその結末のどこにも愛はない。友情があるかすら怪しいところだ。
それに、双子が揃って婿入りというのも無理だろう。生まれた時からずっと一緒だったラングとルシアンは引き離され、ロベルトだってどうなるか分からない。
「私が跡継ぎになったら、お兄様達が不本意にバラバラになってしまう……。私のせいで、それに私は……」
卑怯な記憶を使ってる。
そう言い掛け、メアリは口を噤んだ。
さすがにここで前世の記憶の話は出来ない。もっとも、言えるはずがないのだが、黙っていてもそれはそれで罪悪感を募らせる。いっそ一から十まで吐き出せたらどんなに楽だろうか。
困惑と息苦しさでメアリが俯けば、ポンと肩に手が乗った。ラングだ。ルシアンもメアリを気遣うように腕をさすってくれる。
「俺達の事をそこまで考えていたなんて、さすがメアリは優しいな」
「そんなこと無いわ、私は途中からお兄様達の椅子を奪おうとしてるだけよ……」
「奪うなんてとんでもない。もしもメアリが跡継ぎに決まったら、俺達は誰よりも喜んでメアリを支えるよ。俺達は双子だから、メアリの片腕どころか両腕になれる」
「本当? そばで支えてくれるの? 利益だけを目当てにどこか遠くの顔も知らない女性のところに婿入りをしたり、余所の夫人の恋人になったりしない?」
「あぁ、もちろんだ。俺達はメアリのそばにいる」
「ラングお兄様……」
ラングの言葉に感銘を受け、メアリの表情が明るさを取り戻していく。
変わらずそばにいてくれるとは、なんて頼りになる兄だろうか。ルシアンも同様、穏やかに微笑んでくれている。
陰陽真逆でありつつもやかましく、厄介な性格の兄達だ。だがメアリへの愛情は本物だし、これでも同年代の子息達と比べても群を抜いて優れている。外交の際は誰が相手だろうと引けを取らぬ態度で振る舞い、そして家業の場では父に並ぶ手腕を見せるのだ。
そんな二人が、誰よりも近くで支えてくれる。その言葉に、メアリは己の胸の内に湧いていた靄が消え去っていくのを感じていた。
「お兄様、もし私が当主になっても側で支えてくれるのね」
「あぁ、もちろんだ! それに……」
「それに?」
メアリが期待に瞳を輝かせ、ラングの続く言葉を待つ。
そんなメアリの気持ちが伝わったのか、彼は任せろと言いたげに笑んだ。
そうして声高に、
「メアリの子どもに『ラングおじちゃま大好き』と言って貰う予定だからな!」
と、宣言した。