16
夕食を終え、一休み……となったところで、ラングとルシアンが話があると言い出した。
一室に集まり、何事かと彼等に視線を向ける。
「メアリとアディがデート……じゃなくて視察してる間、俺達も観光……もとい視察に出ていたんだが、当然だが俺達は男に囲まれることなんて無かった。なぁ、ルシアン」
「挨拶ぐらいはされたが、それも二言三言交わして終わりだ。あいつらは俺達にはまったく興味がない……。まぁ、男達に囲まれて誉めそやされるなんて御免だけどな……」
「これも『恋多き国』ならではかと思ったんだが、ちょっと過剰な気がするんだ」
男達のアピールはあまりに露骨すぎる。そう話すラングに、聞いていたパトリックが自分も違和感を覚えたと返した。
曰く、話に聞いていたフェイデラと現状の差が激しいという。交流の無い国家間なのだから多少は話に食い違いがあってもおかしくはないが、それにしてもフェイデラの男達は必死すぎるのだ。
そもそも『恋多き国』として国全体が奔放であるのなら、メアリと同様に兄達だって女性に囲まれしつこく口説かれているはずだ。
アルバート家の嫡男。その恋人になれれば一生安泰どころの騒ぎではなく、そもそも兄達は未婚なのだから正妻になるチャンスだってある。
だというのに女性達は彼等を囲みこそするが、無理に言い寄る事はしないという。
「俺達からしてみれば『フェイデラの女性は大胆』ぐらいだ。しつこさも無ければ、強引さもない。むしろ外交や家柄の話の方が饒舌で立派なもんだ」
「それで不思議に思って、観光……じゃなくて、視察を切り上げて俺達で調べてたんだ……」
兄達が調べた結果、フェイデラは数十年前から男女の比率が偏り始め、今は圧倒的に男の方が多いという。
それは社交界も同様で、現状、未婚の子息が多いという。男余りと言えば聞こえは悪いがまさにそれだ。
そのうえ、フェイデラでは多夫多妻ならぬ『一夫一妻、ただし恋人は別』というお国柄。恋多いぶん子供は多く、一つの家柄に子息令嬢があわせて十人越え……等という家も少なくないという。
となるとどうなるか。
跡継ぎ争いはより過酷になり、敗者の中でもまた持参金や土地の配分を争う。負ければ負けるほど立場や結婚の条件は悪くなり、手にするものが少なくなっていくのだ。
「『恋多き国』などと言ってのんびり好き勝手出来るのは一部の、それこそ跡継ぎ争いに勝った者か、持参金に困らず良家に婿入り出来る者だ。それ以外は必死になってるみたいだな」
「だから既婚者の恋人に?」
「あぁ、フェイデラの男達はそう考えたらしい。小遣い程度の持参金で遠方の会ったこともない女性に婿入りするぐらいなら、良家の夫人の恋人にって考えなんだろう」
ラングの話に、メアリが僅かに俯いた。
フェイデラは厄介な国だと考えていたが、なかなかどうして深刻な話ではないか。
そんな深刻な話に、パトリックが深く息を吐いた。
彼の表情は深刻さを感じているのか些か渋いが、それでもこの話に納得したように「分からない話でもないな」と呟いている。
驚いて彼を見れば、溜息交じりに肩を竦めた。
「メアリ、君が思うよりも社交界は厳しいんだ。跡継ぎ争いだって円満に決めようとしているのは極僅か、兄妹仲の良いアルバート家や、弟達が納得して俺を推してくれたうちの方が珍しいくらいだ」
「あら、アルバート家は絶賛過酷な跡継ぎ争いの真っ直中よ。血で血を洗ってるんだから。ねぇお兄様?」
そうでしょ、とメアリが同意を求めれば、ラングとルシアンが「もちろん」と声を揃えて頷いた。けして過酷な争いの真っ直中とは思えない満面の笑みで。
この反応を見ていったい誰がどうして過酷だと思うのだろうか。ロベルトのこれでもかと言わんばかりの呆れの溜息が室内に響いた。室温を三度ほど下げかねない冷ややかさだ。
これにはパトリックも言及する気にならないのか、コホンと咳払いをして場を改めてしまった。
「跡継ぎ争いは過酷だ。だが中には、あまりに兄達と年の差が大きく跡継ぎ候補にすらなれない場合もある。妙齢になる前に正式に跡継ぎを決められたら名乗り出ることもできないだろ」
「確かにそうね……。うちも、私が名乗り出る前に跡継ぎを決めていてもおかしくなかったわ」
自分の身に置き換えて考えれば、確かにパトリックの言うとおりだ。
跡継ぎ争いは過酷で、一つの椅子を巡って兄弟で足を引っ張り合う。だが争えるのはあくまで年の近い兄弟だ。十も年が離れていれば、争いに名乗り出る前に正式な跡継ぎを決められてしまう。
アルバート家も同様。
兄達はメアリよりも七つ年上、それに二人の兄はどちらも跡継ぎとして申し分ない。社交界の常識で考えれば、メアリが名乗り出るよりもっと前に跡継ぎを決めていて当然なのだ。
だというのに父も兄達も決める素振りを見せず、二人の兄は争う様子も見せなかった。おかげで誰が跡継ぎになるのかと社交界中が浮き足立ち、その果てにメアリが名乗りを上げ、ようやく跡継ぎ争いが始まったのだ。
自分を待っていてくれた。そう考えれば感謝も募り、メアリが兄達へと視線を向け……。
彼等が手にしている手引書に気付き、眉間に皺を寄せて目を細めて凝視した。兄達の手にあるのは、メアリと同じこの旅の手引書。
だが、妙に表紙が華やかに見える……。
それを言及しようとした瞬間、事態を察したアディが息を飲み、喋りだそうとしたメアリを制してパトリックに声をかけた。
「そ、それで、跡継ぎ争いに名乗り出れない子息が、遠方に婿に出されるくらいならと考えてるわけですね。いやぁ、まさかフェイデラがそんな状態だったなんて、ねぇお嬢、驚きですよね!」
「確かに驚きだけど、それよりお兄様達の手引書の表紙が……」
「驚きで手引書の表紙なんてどうでも良くなりますよね! ねぇ、お嬢!」
「そ、そうね……。フェイデラの現状には驚きだわ……」
アディに気圧され、メアリがこくこくと頷く。ーーその隙にラング達が慌てて手引書をしまったのは言うまでもないーー
それを見て、呆れの表情を浮かべていたパトリックがコホンと咳ばらいをした。茶番を終わりにして本題に戻りたいとでも言いたげな顔だ。
「そういうわけで、フェイデラの男達は会ったこともない女性に婿入りするぐらいならと奔走してるわけだ。褒められた話ではないが、分からない話でもないだろう」
話し終えるや、パトリックが深く息を吐いた。これで話はお終いだと言いたいのだろう。それを見てラングとルシアンが自分達の調べと同じだと返す。
彼等の話を聞き、メアリの眉間に皺が寄る。
今まではフェイデラの男達のしつこさに不満を抱いていたが、今はもう不満の対象はフェイデラ全土だ。
いったいどこが『恋多き国』なのか。恋の裏には打算が蔓延っているではないか。
……だけど。
「その気概、嫌いじゃないわ」
そうメアリがニヤリと笑みを浮かべた。
余所に婿入りさせられるくらいなら、良家の夫人を口説いて恋人になる……。
褒められた考えではないのかもしれないが、自ら道を切り開こうとする気概は感じられる。
それに、フェイデラの男達は確かに次から次へと沸いて褒め倒してくるが実害は無い。これがフェイデラ流だというのなら、それも良いかと思えてくるのだ。
もちろん、恋人を作る気はないが。
「でも、それならマウロ・ノゼも同じ状況なのかしら……。誰かノゼ家について詳しく知らない?」
メアリがマウロの名を口にして問えば、アリシアが「はい!」と元気よく手をあげた。
「フェイデラのノゼ家についてなら、以前外交について学んだ時に聞いています!」
「あらそうなの。たまには貴女も役に立つのね。それで、マウロ・ノゼは」
「マウロさんはノゼ家の六男です!」
メアリの役に立てることがよっぽど嬉しいのか喰い気味のアリシアの話に、メアリは「六男!?」と声をあげた。
ノゼ家は恋多き国らしく夫妻それぞれが数人の恋人をもっている。そしてその恋人達との間にも子供をつくり、結果的にノゼ家は六男六女というではないか。
マウロは当主と夫人の間の子供ではあるものの、ノゼ家では末子にあたり、彼が生まれた時にはすでに長兄が跡継ぎに決まっていたという。
出遅れた、どころの話ではない。椅子を掛けて争うことも出来ないのだ。
ゆえに彼も遠方の家に婿入りさせられるわけだが、六男六女の末子では持参金もさほど期待出来ず、良条件も望めそうにない。
そこでマウロも他の子息同様、遠方に婿入りするぐらいならと良家夫人の恋人になろうと奔走しているわけだ。
アリシアの話を聞き、メアリがなるほどと頷いた。
マウロ・ノゼがどういう経緯で前世の乙女ゲームについて思い出したのかは分からないが、その記憶自体は彼にさほどの利益も与えなかったのだろう。
自分が存在していたかすら定かではない乙女ゲームの記憶、それも交流の無い他国が舞台となれば、使いこなせなくとも仕方あるまい。
かといって、今のマウロ・ノゼとして生きようにも六男六女の末子では未来が無い……。
その結果、彼は『前世の記憶』を利用する事にしたのだ。メアリを脅すという方法で……。
恋多き国フェイデラの実体は分かった。
恋人になろうと奔走する男達の事情も理解出来た。
そして、マウロの置かれた状況も、メアリを脅してでもという必死さも理解出来た。
……理解は出来た。
だが理解するだけだ。気持ちを汲んでやる気もないし、ましてや同情を抱きもしない。
当然、恋人なんて作る気にもならない。
「フェイデラの事情は分かったわ。だけど私の知ったことじゃない。取り囲まれてもうんざりするだけよ」
不満を訴え、メアリがふんとそっぽを向く。
相手の事情を知った上で考慮する気はないと一刀両断したのだ。メアリの断言に、誰もが相変わらずだと肩を竦める。
なかでもパトリックとアリシアは「それでこそメアリ」とでも言いたいのか、顔を見合わせ苦笑を浮かべている。
「メアリには借りがあるからな、男達を追い払うぐらいはやらせてもらおうか」
「私も頑張ります! メアリ様を口説いて良いのはアディさんだけですから!」
パトリックとアリシアが意気込む。
それを見てメアリも嬉しそうに笑い……ふと、マウロの言葉を思い出して眉尻を下げた。「卑怯」と、あの夜に聞いたマウロの声が、まるで今隣に立って囁かれているように鮮明に蘇る。
目の前にはパトリックとアリシア。大事な友人達が自分のために行動しようとしてくれている。それに兄達もメアリに不埒な輩を近付けまいと考えてくれている。
……だけど、そのメアリが『前世の記憶』を持っていることを彼等は知らない。
その記憶を使い、友情を築き、そして跡継ぎ争いに名乗りを上げるまでになったのだ。
「……ずるいのかしら」
「お嬢、どうなさいました?」
「だ、大丈夫よ……。なんでもないの、ちょっと考え事をしただけだから」
アディに声を掛けられ、メアリがはたと我に返る。そうして誤魔化すように笑い、今日はお開きにしようと席を立った。