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しばらくは他愛もない雑談を続け、男達もあらかた追い払いつくし、メアリがほっと安堵の息を吐いた。
「さすがパトリックね。効果は絶大だわ」
「そりゃよかった、役にたてて何よりだ。……という嫌味はさておいて、噂には聞いていたが本当にフェイデラは凄いな」
パトリックの声色には、呆れを通り越して感心の色さえある。
曰く、『恋多き国フェイデラ』の話は聞いたことがあったらしいが、これほどまでとは思わなかったらしい。せいぜい『恋愛を尊重し、男女の距離が他国に比べて近い』程度だろうと踏んでいたという。
それがまさか、白昼堂々、それどころか夫であるアディの目の前でメアリを口説いてくるのだ。
パトリックにとっては目を疑う光景だったろう。
「信じられないだろうけど、フェイデラではこれが普通の事なのよ。私なんて美の女神って言われたんだから」
「び、美の女神……!」
「そうよ。過酷な跡継ぎ争いのためにフェイデラに来たのに、うんざりしちゃうわ」
「だからってわざわざ俺を……」
呼ぶことはないだろうと言いかけ、次の瞬間、パトリックがピタリと言葉を止めた。
チラと横目で背後を伺うのは、また一人いそいそと男が近づいてきたからだ。パトリックが溜息をつき、男が声をかける前にゆっくりと振り返った。
それはそれは、キラキラと眩いばかりの輝かしい笑顔に切り替えて。
そうして男が去っていくと輝きを引っ込めるのだから、もはや感心するしか無い。
パトリックほどの男になるとただ猫を被るだけではない、被った猫が光り輝くのだ。
「凄いわ。私の猫かぶりもまだまだね!」
「失礼極まりないな」
「頼りになるってことよ。それより、手紙に書いたようにあの子は置いてきてくれたのよね?」
伺うようにメアリが問えば、パトリックがふいとそっぽを向いた。
メアリの言う『手紙』とは、フェイデラの男を一掃すると決めた際にしたためたものである。
フェイデラの恋多き事情と、男達に言い寄られて困っている事、そしてパトリックに助けてほしいと綴り、カレンに事情を話して使いを借りて急ぎ届けて貰ったのだ。
その手紙の最後、他の文面よりも大きな文字で、
『出先でまで相手をするのは面倒なので、絶対に、必ず、誓って、アリシアさんは連れてこないでください』
と書いておいた。それはもうはっきりと、そのうえ赤いペンで線も引いておいた。
その手紙を読んでフェイデラに来てくれたのだから、アリシアは置いてきたはずである。……そう信じたいところだ。
「ねぇパトリック、他所を向いてないで私の目を見て答えてちょうだい。やかましい王女様は今回はお留守番してるのよね?」
「今日はいい天気だな」
「太陽に嫉妬させて曇らせるわよ。そんなことより、どうして紅茶とタルトを二人分頼んだのか教えてくれない? ねぇパトリック、無駄に爽やかに輝いても私は誤魔化されないわよ」
じっとりと睨みつけながらメアリがパトリックに詰め寄る。
ちなみにアディはといえば、パトリックの白々しい爽やかな微笑みから何かを察したのか、もう一人分の紅茶を用意しだした。これではまるで、メアリとアディ、そしてパトリック……と、あと誰か一人が来るみたいではないか。
「パトリック、あなた裏切ったのね……!」
ひどい……と、メアリが悲痛な声をあげる。が、その声も「メアリ様!」と威勢の良い声にかき消された。次いで背後から誰かが抱き着いてくるが、もはや誰かなど確認するまでもない。
言わずもがなアリシアだ。メアリが抱き着かれた勢いに負け「最強の矛……!」と呻き声をあげた。
「どうして貴女まで付いてきてるのよ、私が呼んだのはパトリックだけよ!」
メアリが喚きながらアリシアを引き剥がす。
それに対し、引き剥がされたアリシアは深く一息吐くと、静かに椅子に腰を下ろした。優雅な所作でティーカップを手にし、コクリと一口飲む。
無理に着いてきてメアリに抱き着いたとは思えない落ち着きだ。
まさに王女の貫禄。
そうしてアリシアは吹き抜けるそよ風に金糸の髪を揺らし、ゆっくりとメアリへと向き直った。
紫の瞳がじっとメアリを見つめてくる。威厳すら感じさせる真剣な色合いの瞳に、メアリが僅かに身構え、アリシアの言葉を待った。
彼女はまさに王女と言った威厳ある態度のまま、落ち着き払った声で諭すように「メアリ様」と呼び……。
「むしろお聞きしたいんですが、メアリ様は、どうしてパトリック様を呼んで私が来ないと思ったんですか?」
と、真顔で尋ねてきた。
「やだ、この子ついに開き直って逆に説いてきたわ」
怖い、とメアリがアリシアの額をペチリと叩いた。
それを受け、アリシアがくすくすと楽しそうに笑う。先程の王女の威厳はどこへやら、いつの間にか普段の喧しい田舎娘に戻っている。
そんなアリシアに対し、メアリは来てしまったものは仕方ないと肩を竦めた。本音を言えば、パトリックを呼んだ時点でこうなる事は覚悟していたのだ。
それでも腹いせにアリシアの食べているタルトのメインであるイチゴをさっと盗んで口に含めば、アリシアが情けない悲鳴をあげた。
これにてチャラである。これでチャラにしてしまうから改善されない気もするが、この問題も後回しだ。
アリシアとパトリックをつれて屋敷へと戻れば、既に兄達は視察から戻ってきていた。
二人の姿を見ても驚くことなく平然と受け入れ、それどころかフェイデラでも変わらずパトリックの身長を恨みだす。
そうしてカレンとダンを交えて夕食……となったのだが、あまりに見慣れた顔触れが並びすぎるのでここがフェイデラだと忘れてしまいそうだ。メアリがチラと横目でアリシアを伺えば、彼女は品良くスープを一口すすり「美味しいですね」と微笑んできた。
「お兄様達も、国一番の名家として王女の行動を咎めるべきだわ。一国の王女が気まぐれでふらふらと他国に赴くなんて前代未聞よ」
メアリが怒りながら不満を訴え……給仕がコロッケを持ってくるのを見て「あら」と小さく声をあげた。
なんと美味しそうなコロッケだろうか。さっそくと一口食べれば日中の疲労も一瞬にして癒やされてしまう。美味しい、これは馴染みのある味わいだ。
思わずメアリが表情を緩めれば、それを見たアリシアが嬉しそうに話しだした。
「メアリ様のもとへ向かう前にいつものお総菜屋さんに用意して貰ったんです。メアリ様にも食べて頂きたかったし、カレン様とダン様にも召し上がって頂きたくて」
「なるほどお土産ね、なかなか気が利くじゃない。歓迎してあげる」
コロッケの美味しさにメアリが絆されれば、それを見ていた誰もが苦笑を浮かべた。