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観光……もとい、視察を終えて屋敷へと戻る。
ちなみにジェラートを食べている最中にアディは奮闘したものの「メ、メ……キャレル様のお嬢様」という結果になった。距離が広がるどころか親の代に戻ってしまった。
そのうえ、アディのジェラートを食べさせて貰っていたところ、それを見た兄達までもが差し出してきたのだ。三方向からジェラートを差し出され、一口食べれば別方向からもう一口と誘われ……と、結果的にどの味も混ざり合ってよく分からなかった。
だが視察自体は有意義なものといえただろう。フェイデラとは今まで外交を行ってこなかったが、美しい景観に名産物もあり、良好な関係を築ければ互いの利になるに違いない。
……恋多き性質をどうにかしてくれれば、の話だが。
「今日も至る所で美の女神が出てきたわね。それに途中から曇ったのを私のせいにされたわ」
「太陽がお嬢の輝きに嫉妬して隠れたんですよね。昨夜は月が嫉妬して隠れてましたし。日が落ちるのを眺めて『夕日がメアリ様との別れを惜しんでいるせいか、いつもより日が落ちるのが遅い気がする』と仰る方もいましたね」
「あそこまで褒め倒してくると逆に感心するわ。フェイデラとの本格的な外交が始まったら、まず褒め言葉語録を作りましょう」
きっと売れるわ、とメアリが瞳を輝かせる。
フェイデラの男達は気付けばどこかから現れ、あっという間にメアリを囲み、そして口々に褒め倒してきた。昨夜の美の女神から始まり、日中は太陽を絡めて褒め、夜は月と星にたとえて褒め、風が吹いてもメアリを褒め、鳥が鳴いてもメアリを褒めていた。
ジェラートを食べるメアリに対しても「ジェラートを食む唇も麗しい」と誉めてきたのだ。
メアリからしてみれば、うんざりを通り越し、瞳を濁して右から左へ聞き流すレベルだった。……が、褒め言葉のバリエーションは見事の一言である。
彼等の褒め言葉をまとめて語録にすれば、意中の令嬢にうまくアプローチ出来ないシャイな子息や、言葉選びに苦戦する不器用な子息あたりは喜んで買うだろう。
「涙目で震える令嬢の褒め言葉も載せておけば、きっとガイナスさんが買ってくれるわよ」
メアリが悪戯気な笑みを浮かべる。
さんざん褒められて疲労さえ感じていたが、活用法を思い浮かべば途端にやる気が湧いてくるのだ。美の女神になるのはごめんだが、シャイで不器用な男達の救世主になるのは悪くない。
渡り鳥丼屋も安定した売上げを見せているし、次の経営者を見つけつつ、フェイデラとの外交を進めて褒め言葉語録をつくろう。
出版した暁には、きっとアリシアはさすがメアリ様と褒め称え、王女の立場も忘れて本屋に駆け込むはずだ。逆にパトリックはまたおかしな行動をと呆れて溜息でも吐くだろうか。パルフェットは相変わらず震え、それをガイナスが宥めつつこっそり語録の出版に感謝してくるに違いない。
友人達の顔が容易に想像出来る。……だがそこまで考え、メアリは深く息を吐いた。ポスンとベッドに倒れ込み、置かれているクッションをたぐり寄せる。
「私がこうやって余裕を感じていられるのも、アルバート家の跡継ぎに名乗り出ることが出来たのも、全て前世の記憶があるからなのかもしれないわ……」
「お嬢、どうしました?」
「……私、ずるいのかしら」
ポツリと呟き、メアリが溜息を吐く。
思い出すのは、昨夜マウロに言われた言葉。前世の記憶があり、それを元に築いた今の地位を、彼は「卑怯」と言っていた。
もちろん現状については前世の記憶も関係なく、メアリが生きてきた結果だ。この跡継ぎ争いの旅だって、前世の乙女ゲームはいっさい関与していない。
……だが、今の地位の礎は、メアリにとって最良と思える現状への道筋の切っ掛けは、確かに乙女ゲームの知識だった。
あれをもとにアリシアと関係を築き、大学部の騒動を乗り越え、ベルティナの件も解決に導き、そして今に至るのだ。
全てが前世の記憶頼りだったわけではない。メアリは自分の考えと意志をもって行動した。……だけど。
「確かに知識があったし、利用したわ。それってずるい事なのかしら……」
ポスンとメアリが枕に顔を埋め、聞こえない程度に小さく呟いた。
今更気にかけたところでどうなるわけでもない、それに前世の記憶があったからといって、それで自分の考えを曲げた事は一度も無い。あくまでメアリにとって前世の記憶は『利用価値のある記憶』でしかないのだ。
だけどそんな『記憶』を所有している事がまず異端なのだ。露ほども知らずに今まで接していた人達が知れば、奇異に思い、友情の根底を疑うかもしれない。
友人達を信じる気持ちと、それでもという考えが混ざり合う。彼等の友情を疑うわけではないが、そもそも『前世の記憶』等というものが突飛すぎる話なのだ。
考えが纏まらず再び小さく唸れば、頭にポンと何かが乗ってきた。ポンポンと数度軽く叩き、髪を梳くように頭を撫でてくる。
「なにも心配することはありませんよ」
「……アディ」
「お嬢が生まれたときから今まで、誰よりも近くで見てきた俺が断言します。前世の記憶があろうと無かろうと、お嬢は何一つ変わりません。仮に皆がお嬢の記憶について知っても、変わらずに居てくれますよ」
「そうかしら……」
「えぇ、それに俺は記憶が戻る前からお嬢に惚れていて、記憶が戻ったお嬢と結婚したんですから。少なくとも、俺は変わりようがありません」
ねぇ、とアディに同意を求められ、メアリが顔を上げると同時にほんのりと頬を染めて彼を見つめた。
確かに、アディはメアリの前世の記憶も関係なしに接していた。前世の記憶が戻ったと訴えるメアリに「そんなまさか」と話しつつ、それでも信じ、ともに行動し、そして夫婦という今に至るのだ。仮にメアリが前世の記憶を思い出さずに居ても、きっとアディは変わらずに恋心を抱き続け、そして側に居てくれただろう。
そう考えればメアリの気分も晴れ、ガバっと勢いよく起きあがった。
「そうよね、私は私、なにも変わらないわ! 記憶があろうと無かろうと、私がメアリ・アルバートよ!」
「えぇ、その通りです」
普段の調子を取り戻したメアリに、アディが穏やかに微笑む。
そして微笑んだままゆっくりとメアリを押し倒してきた。起きあがったはずが再びポスンと枕に頭を落とし、メアリが「あら」と間の抜けた声を上げる。
気付けばアディが自分を覆うようにのし掛かってくるではないか。彼の顔がゆっくりと近付き、錆色の目が誘うように細められていく。
これは……! とメアリが察し、節度の声と共に彼の脇腹に一撃食らわせようとし……。
「俺だってさすがに弁えますよ。……だから安心して、おやすみメアリ」
と、額にキスをされてきょとんと目を丸くさせた。
軽いキスだ。夫婦というより、親が子供を寝かしつける際のキスに似ている。
これは予想しておらずメアリが呆然としていると、アディがぱっと離れ、そそくさとメアリに布団を掛けてきた。心なしか彼の頬が赤いのは、きっと今のキスが照れくさいのだろう。
そうして手早く準備を終えると、扉の前で改めて一礼をした。
「そ、それでは、おやすみなさいませ」
という言葉は夫婦の就寝の挨拶とは思えない。
メアリと呼んで夫らしかったのに、途端に従者に戻ってしまうのだ。
だからこそメアリは緩む表情を隠しもせず、
「おやすみ、アディ。愛してるわ」
わざと特上の就寝の挨拶を告げ、部屋から出ていく後ろ姿を見送った。