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翌日、昼過ぎから開かれるパーティーにメアリ達も顔を出すことにした。
カレンとダンが口添えをしたところ、主催者が是非にと招いてくれたのだ。
メアリにとっても外交の腕前を見せる絶好の機会であり、招かれた屋敷を前にすれば自然と気合が入る。
「麗しい姿と気品ある振る舞いを見せて、フェイデラの社交界との繋がりを作りましょう。華麗に対応する私の姿を見て、きっとお兄様達は私こそ当主にふさわしいと認めるはずだわ」
「お嬢はやろうと思えば外面は完璧な令嬢になれますからね。猫を被っていればきっとうまくいきますよ」
「そうね、誰かさんが『お嬢』なんて呼ばなければうまくいくかもしれないわ。ねぇダーリン、そう思わない?」
「そ、それは……一応善処しますが……。さ、ほら、参りましょう、メ、メア……ア、アルバート家のお嬢さん」
「どんどん距離が広がるのね」
まったく名前を呼べる様子のないアディに、メアリが肩を竦める。
この調子では、自然と『メアリ』と呼べるようになるまでどれだけ時間を要するのか。
「まぁ良いわ、お嬢だろうと何だろうと、このパーティーでお兄様達に私がどれだけ当主に適しているか見せつけるのよ!」
「見せつける……。うまくいくと良いですねぇ……」
歯切れの悪いアディの言葉に、メアリはチラと彼を一瞥した。そうして念を押すように「見せつけるの」と告げる。その声色が次第に弱々しくなっているのは己でも自覚している。
このパーティーの目的は外交、そして外交の手腕を兄達に見せつける事。
……そのつもり、である。
己の中で気概が削られつつあるのを感じながら、メアリは背後を振り返った。
そこにはここまで送り届けてくれた馬車と、そしてカレンとダンの姿。そして隣へと視線を向ければ、なんとも言えない表情のアディ。
ここに居るのはそれだけだ。カレンとダン、アディ、それとメアリだけで来た。
そう、兄達が居ないのだ。居ないというより、正確に言うならば『置いてきた』。
彼等は出先に誰がメアリをエスコートするかで言い争いはじめ、見兼ねたメアリはロベルトに彼等を任せて置いてきたのだ。その際の「一時間経っても会場に現れなかったら、そういう事だと思ってください」というロベルトの発言のなんと冷ややかな事か。
「で、ですが、ラング様もルシアン様も普段はしっかりと外交をされていますから、きっと大丈夫ですよ。遅れてもお二人の手腕なら問題はありません」
苦しいフォローを必死で入れてくるアディに、メアリが肩を竦める事で返した。
確かに、兄達は普段はきちんと、それこそアルバート家跡継ぎとして外交をしている。その対応は見事の一言で、居合わせないメアリにも彼等への高い評価は届いてくるほどだ。
……あくまで『メアリが居ない場所では』という条件が付くのだが。
「お兄様達に、私の手腕を見せつけられると良いんだけど……」
そのためには兄達がパーティーに来ないことには始まらない。
だがあの様子ではまだ時間が掛かるだろうし、一時間経っても収まらなければパーティーに来られるかも定かではない。そしてパーティー会場にはメアリがいる。というより、メアリが彼等に手腕を見せつけたいのだ。
前途多難だわ……とメアリは溜息混じりに肩を落とした。
先行き不安ではあるものの「お兄様達の不在は一気に差を付けるチャンスよ!」と己に言い聞かせ、相手不在のため萎えかけていた闘志を再び燃え上がらせる。
そうして気持ちを切り替え意気揚々とパーティーの場へと繰り出したのだが……。
「もしや貴女がメアリ様では……! いえ、この美しさ、メアリ様に違いありません!」
「本日こちらにいらっしゃると聞き、一目お会いしたく全ての予定を放り投げて参りました」
「こうしてお目に掛かる日を心待ちにしておりました。今日はなんて素晴らしい日なんだ。私の一生でこれほど輝かしい日はありません」
次から次へと声を掛けられ、そのうえ気付けば数え切れないほどの男達に取り囲まれていた。
まずはカレンとダンが親しくしている人から挨拶をして……と暢気に考えていたメアリもこれには面食らい、アディに至っては群がってくる男達の波に押されて気付けば輪の外だ。アディの背が高いおかげで男達の波の中でも錆色の髪を見失いこそしないが、着実に外へ外へと押しやられている。
「あ、あの、皆様すこし落ち着いてくださらない? 突然いらっしゃるから、わたくし驚いてしまいましたわ」
「これは申し訳ありません。本日おいでになると聞いて、居ても立っても居られず」
「そ、そうでしたのね……。あの、もうちょっと距離を……ひえ、まだ続々と増えてくる……!」
「お声までも鈴の音のように麗しい。お近付きの印にと用意した花束も、メアリ様の可憐な美しさの前には霞んでしまいます。花も、満天の星すらもメアリ様の美しさには敵いませんね」
「まぁ、そんな……みなさまお上手……。お上手すぎて圧が、圧が凄いの……」
「麗しいカレン様に是非挨拶をと馳せ参じましたが、このようなお美しいお方にお会い出来るとは……。美の女神に出会えるとは、僕は世界中の男達に嫉妬されても致し方ありませんね」
「び、美の女神!?」
矢継ぎ早に告げられる褒め言葉に、思わずメアリの頬が引きつる。
『麗しい』や『可憐』といった褒め言葉なら常日頃――おべっかを含め――聞いているが、『美の女神』は初めてである。他にも月にたとえられたり星にたとえられたり、詩人も真っ青な褒め言葉の羅列にもはや褒められている実感は無い。
そんな美辞麗句の嵐を、ひきつった微笑みを浮かべ半ば呆然としながら受け止めてはいたのだが、一人に手を取られた事ではたと我に返った。
しなやかな手だの、陶器のようだのと褒めそやし、手を取った男が自らの方へと引き寄せ、手の甲にキスをしようとしてくる。
これにはメアリも「ひぇっ」と間の抜けた悲鳴をあげた。男の唇が触れるすんでのところで慌てて手を引き抜き、「連れを待たせていますので!」と男達の波を掻きわけて逃げ出す。
傍目には情けなく映るはずのその逃亡姿でさえ「華奢な背中」だの「銀の髪が美しくたなびく」だのと誉めてくるのだから、これには震えあがってしまう。
男達の輪からなんとか抜けだし、メアリを案じて輪の外で様子を窺うアディを見つけて慌ててその腕を掴んだ。
「アディ、一時撤退しましょう!」
「撤退?」
「そうよ、撤退しないと美の女神になっちゃうわ!」
「び……美の女神!?」
メアリの突拍子のない発言に、アディが驚愕の声をあげる。仕方あるまい、なにせ美の女神である。もっとも今のメアリは美の女神について説明する気はなく、それよりも先に撤退だと彼の腕をとり、この場を離れようと逃げ場所を探しはじめた。
だが逃げ場所を見つけるより先に、一人の男に声を掛けられた。
茶色の髪に同色の瞳、スラリとした体つきのスリムな男だ。年はメアリと同じくらいだろうか。質のよい服を纏ってはいるものの、どことなく垢抜けない。
良く言えば質朴で柔らかな雰囲気、悪く言えば地味、そんな青年だ。
彼の隣にはダンがいる。おおかた、メアリの紹介をダンに頼んだのだろう。
「メアリ、アディ、彼はマウロ。ノゼ家のご子息だ。マウロ、こちらはメアリとアディ」
ダンが仲介して交互に説明する。
マウロと紹介された青年は、見たところ問題の無い至って質朴な青年だ。
だがその質朴さに、薄ら寒さに震え上がっていたメアリは安堵を覚えた。彼ならば、先程の呼吸するように褒めてくる男達とは違うだろう。それに、今はアディもダンもいる。
そう判断し、メアリも穏やかに微笑んで返し……、
「驚きました。パーティーの中に目映い光を感じて牽かれてみれば、麗しい美の女神がいるではありませんか。しばし見惚れ、美の女神の正体がアルバート家のメアリ様と知るやダンに飛びつくように紹介を頼んでしまいましたよ」
と、平然と彼が口にした美辞麗句に細い悲鳴をあげた。
またも美の女神だ。アディが小声で「美の女神……」と驚愕し凍り付いている。
そのうえ、マウロは当然のようにメアリの片手を取ってきた。しなやかで細い腕だと褒め、掴んだ手を己の口元へと持っていく。
先程のことを思い出し、メアリがさっと手を引こうとする。だがビクリともしない力強さに息を飲んだ。引き抜くことさえ出来ない強さ。今のマウロは穏やかに笑っているように見えるが、その瞳の奥が凍り付いて見える。
「やだ……!」とメアリが小さく声をあげた。自分の手の甲にマウロの唇が近付く。
その直前、
「不必要にメアリに触れないで頂きたい」
低く唸るようなアディの声が聞こえ、メアリの手が別の大きな手に包まれた。
手の甲に触れたのは、見知ったばかりの男の唇……ではなく、暖かく頼もしい夫の手。自分以外の何者にも触れさせまいと包むように握られ、痛いはずの強さが心地よい。
割って入ってきたアディに、メアリは安堵し、対してマウロは驚いたように目を丸くさせた。瞳の奥の凍てつきこそ今はもう鳴りを潜めてはいるものの、想定外だとでも言いたげなその表情はどこか白々しく、演技掛かって見える。
「これは……」
どういうことかと呟くマウロに、そのやりとりを見ていたダンが軽く笑って彼の肩を叩いた。
「マウロ、すまない。メアリもアディもフェイデラに来たのは昨日が初めてで、まだこちらの挨拶に慣れていないんだ」
「おや、そうでしたか。それは申し訳ありません」
ダンの話を聞き、マウロが納得したと言いたげに返した。
次いで穏やかな笑みに変え、メアリの手を離すと今度は己の胸元に手を添えた。深々と頭を下げるその仕草は、先程の一件さえ無ければなんとも紳士的ではないか。
突然の変わり様にメアリが目を丸くしていると、深く頭を下げていたマウロがゆっくりと顔をあげた。
「メアリ様のお気持ちも考えず、申し訳ありませんでした」
「いえ、いいの……。私の方こそ過剰に驚いてしまってごめんなさい……」
手の甲へのキスなど許せるわけがないが、相手がしおらしく謝罪の言葉を口にすれば受け入れざるを得ない。
穏やかに笑って怒っていない事を告げれば、マウロが大袈裟に安堵の息を吐いた。次いで彼はチラと横目でアディを見た。
「妻を守る立派な夫……。なるほど、メアリ様が惚れ込むのも納得ですね。ですがメアリ様は立派な夫だけでよろしいのですか?」
「……どういう意味かしら?」
「愛と恋とは別物です。立派な夫に愛されても、恋はまた別の味。メアリ様ほどのお方ならば、恋人の一人や二人……」
「はぁ!?」
マウロの発言に、メアリが思わず声を荒らげる。
夫であるアディの目の前で「恋人の一人や二人作れ」と言っているのだ。そのうえで穏やかに微笑んでくるのは、おおかた「自分を恋人に」と自薦しているに違いない。
これは失礼どころの話ではない。侮辱だ。
「お話を聞いていて具合が悪くなりました。私、ここで失礼いたします!」
これ以上話を聞く気はないと断言し、メアリがアディを連れて歩き出そうとする。
だがその直前、グイとマウロに肩を掴まれた。不意をつかれたメアリはバランスを崩し、彼へと体を引き寄せられる……。
「……僕となら、秘密を共有できますよ」
耳元でマウロに囁かれる。低く抑揚のない声が耳にまとわりつき、メアリの背をゾワリと言いようのない寒気が走った。
だがその寒気に臆すわけにはいかない。
「恋のお誘いも秘密の共有も結構よ!」
ぴしゃりと拒絶の言葉を言い捨て肩を掴むマウロの手を振り払うと、メアリはアディと共にその場を後にした。別れの挨拶も勿論しない。してやる気にならない。
些か大股歩きになってしまうのは、それほど怒りが募っているのだから仕方あるまい。