6
幾度か休憩を経て、馬車に乗り込む組み合わせを変えて……とフェイデラを目指す。騒がしくはあるものの賑やかで楽しい移動だ。
誰と乗り合わせても気兼ねせず、楽しく時間を過ごせる。これが過酷な旅かと問われれば疑問を抱くが、まだ目的地に到着していないので良いだろう。
そんな事を考え、メアリはルシアンとロベルトが話すのを眺めていた。
これもまた気兼ねせず楽しい組み合わせだ。ルシアンは根からの性分からか直ぐに後ろ向きな発言をするが、メアリ愛は変わらない。それをロベルトが冷ややかであり冷静に、そしてよく聞けば無礼極まりない発言で返す。
いつもと同じ、変わらぬやりとり。
二人の会話をもっと聞いていたいと思うし、その反面、次は誰と一緒に乗るのかしら……と楽しみにもなる。
もっとも、どんな組み合わせで乗ろうとも頑なにメアリとアディを二人きりにしないあたり、兄達の強い執念と拘りを感じるのだが、うとうとと微睡む意識では深く考えられずにいた。
そうして馬車で移動を続け、ガタンと大きく揺れたことで眠っていたメアリがふと目を覚ました。
ゆっくりと頭を上げ、まだ夢現な意識で「寝ていたわ……」と誰にともなく報告する。
次いで隣を見上げれば、アディが窓の外の景色を眺めていた。窓から入り込む風に錆色の髪を揺らし、目を細めて遠くを眺めている。
物思いに耽っているのか横顔は憂いを帯び、落ち着き払って大人びて見える。不思議なもので、幼少時の面影は確かに残っているというのに、横顔を見ていると大人の色香を感じさせる。
彼の肩にもたれ掛かって、いや、それどころか全身を預けて眠っていたようだ。
メアリがもぞと動くとようやく気付き、こちらを向くと「起きましたか」と穏やかに笑った。
「結構長く眠っていたのね。もう日が落ちて暗いわ」
「馬車の移動でお疲れだったんでしょう。体は痛めておりませんか?」
「世界一のベッドで眠っていたんだもの、大丈夫よ」
冗談めかしてメアリが告げれば、アディが頬を赤くさせつつ「それはよかった」と返してきた。照れくさそうな表情が愛おしく、追撃を掛けるようにメアリが再び彼に身を寄せて肩に頭を預けた。
次いで周囲を見回す。窓の外は暗く、かなり長く眠っていたようだ。聞けばしばらく前に国境を越え、現在地は既にフェイデラの国土だという。
それを聞き、窓の外から今度は馬車の内部へと視線をやった。向かいには誰も座っておらず、上質のクッションが置かれているだけだ。兄達もロベルトもいない。
そこまでを確認し、次第に明瞭になる意識でメアリはおやと首を傾げた。
思い出してみれば、眠る前に一緒に馬車に乗っていたのはルシアンとロベルトだったはず。
「まぁ逃げ場所が一つ潰れても問題ない……」とニヤリと薄暗く笑むルシアンに、ロベルトが冷ややかを通り越した視線で「良いでしょう、年内に全て暴いてみせます」と売られた喧嘩を品よく買っていた。
片や陰鬱でありながらも不敵に、片や麗しいが冷徹に、互いに微笑みあう様は麗しいが張りつめた空気を漂わせていた。一触即発と言っても過言ではないだろう。
もっとも、メアリにとっては相変わらずすぎて止める気にもならないやりとりである。日頃から聞いているだけあり二人の声は耳によく馴染み、子守歌のようにさえ聞こえていた。
そんなやりとりを船を漕ぎながら眺め……そしてアディの隣で目を覚ましたのだ。
兄達はどこか、むしろいつの間にアディが隣にきたのか。それを問えば、もたれかかってくるメアリの肩を愛しそうに撫でていたアディが苦笑を浮かべた。
「日が落ち始める直前ぐらいですかね。俺とラング様が乗る馬車にルシアン様と兄貴が来て『メアリが寝たから肩を貸してやれ』って」
「それで交代したのね」
「えぇ、それもご自分達は先に行くと。『メアリを起こさないよう、メアリのために休み休みゆっくりと来い』と念を押されましたよ」
その言葉の意図など探るまでもなく、アディが苦笑交じりに肩を竦めて話す。
あれだけ執拗にメアリとアディを二人きりにさせるまいとしていたのに、いざメアリが寝てしまうとすぐさまアディに渡すのだ。それも、あえて『メアリのため』と強調しつつ、アディの馬車酔いを気遣って。
我が兄ながら、天の邪鬼もいいところだ。
きっともう一台の馬車では、兄達が妹溺愛を拗らせアディを恨み、その結果ロベルトから冷ややかに窘められていることだろう。
容易に想像できるその光景に、メアリの笑みが強まる。
兄達は相変わらずだ。そしてこれからも相変わらずでいるのだろう。
……だけど、自分が跡継ぎになっても相変わらずでいられるだろうか?
ふと胸に湧いた疑問に、メアリがパチンと目を瞬かせた。
自分自身で「いったい何を考えているのか」と思えてくる疑問。だが一度湧いた疑問は胸の内に引っかかり、消えてくれずもどかしい。
「……変わらない、はずよね」
「お嬢、どうしました?」
うわ言のように呟くメアリを案じたのか、アディが心配そうに顔を覗き込んでくる。錆色の瞳でじっと見つめ、改めて「お嬢?」と呼んできた。
その声にはたと我に返り、メアリは慌てて身を起こした。
いったい何を考えているのかと改めて自分に言い聞かせる。たとえ自分がアルバート家の跡継ぎになったとしても、あの兄達が変わるわけがないのに。
「大丈夫よ、ちょっと考え事をしていただけ。それより、またお嬢って呼んだわね」
「それは、お嬢を心配してつい……。じゃなくて、メアリ様を……メ、メア……。そろそろ着きそうですね」
「体よく諦めたわね」
立場が悪くなったからか、アディが窓の外を眺めて誤魔化す。その白々しさにメアリは呆れたと溜息を吐いた。
それでも今回は見逃してやろうと、先程まで世話になっていた肩をさすってやると、窓の外に立派な作りの建物が見えた。
屋敷の前に馬車を停めれば、夫妻がそろって出迎えてくれた。
妻の名はカレン。メアリの母であるキャレルの姉にあたり、穏やかに微笑む顔はどことなくキャレルに似ている。
彼女の隣に立つのは夫のダン。豪胆さと厳つさを感じさせる外見だが、根は優しく気風の良い男だ。二人並び寄り添う姿は仲睦まじい。
馬車から降りたメアリが小走りに駆け寄れば、カレンが愛でるように微笑んで両腕を広げて待ち構えてくれた。吸い込まれるように抱き着けば、ふわりと花の香りが漂う。
「久しぶりね、メアリちゃん。……いえ、もう大人、それも跡継ぎ候補なんだもの、メアリ様と呼ぶべきかしら」
「いやだわカレンおばさまってば、昔のように呼んで」
まるで子供をあやすように話をされ、メアリが照れくさいと笑う。子供扱いも気恥ずかしいが、かといって旧知の親戚に改まって呼ばれるのも恥ずかしい。
そんなメアリの胸中を察し、そして察しているからこそ揶揄おうと考えているのか、カレンが次いでアディへと視線を向けた。
狙いを定めたと言わんばかりにニンマリと目を細めて笑む。その表情はさすがキャレルの姉だ。メアリが小さく「お母様そっくり」と呟いた。
「アディ様も、ようこそいらっしゃいました」
「勘弁してください……。カレン様もダン様も、お変わりないようで何よりです」
慣れない呼ばれ方にアディがばつが悪そうにすれば、してやったりとカレンがコロコロと笑う。これもまたキャレルにそっくりではないか。
そうしてダンからラング達はすでに屋敷に着いていると聞き、メアリとアディも彼女達の家へと入っていった。