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喫茶店で小休止を挟み、再び出発する。
ちなみにラングとルシアンは初来店を装っていたものの、迷うことも探すこともなく真っ直ぐに喫茶店に向かい、はてにはメニューを見ることなく注文したりと、ボロが出るどころの騒ぎではなかった。おまけに、顔馴染みの店員に「久しぶり」だのと挨拶までしだす。
これには兄達に荷担してやろうと考えていたメアリも呆れるしかなく、徐々に鋭くなっていくロベルトの瞳に冷たいものを感じていた。時折呟かれる「なるほど」だの「どうりで捕まらないと」だのという彼の声は普段より低く、聞いていると心の根まで凍てつきそうである。
分かりやすい兄達と、勘の鋭いロベルト……となれば、自分の密告など必要なかったわけだ。無情、と心の中で呟き、メアリは美味しいシフォンケーキを堪能する事に集中した。
そうして店を出て、再び馬車に……となり、メアリはまたもアディが攫われていくのを目の当たりにした。
今回アディを攫ったのはラングとルシアンである。
二人は背丈や体格こそアディより小柄だが、ラングがアディの腕を押さえ、その隙にルシアンが馬車に押し込むという見事な連携技を見せた。けして褒められた事ではないが、合図をせずとも息の合った動きをみせるあたり、さすが双子である。
「言われれば大人しく乗りますから……!」というアディの悲鳴じみた声が哀れだが、あいにくと助ける者はおらず、その声を最後に扉がパタンと閉められた。
「なぜ毎回実力行使なのかしら。まぁでもきっと大丈夫でしょう。それなら、今回は私はロベルトと乗るのね」
確認するように問えば、馬車の扉を片手で押さえていたロベルトが穏やかに微笑んだ。片手を差し出してくるので、それに支えられながら馬車へと乗り込む。
先程と同じ馬車だ。陣取るようにふかふかのクッションに身を預ければ、向かいにロベルトが座った。
錆色の髪に錆色の瞳、背筋を伸ばして座るその姿は従者だというのに威厳が漂う。涼やかでいて麗しく、凛とした態度はラング達と同い年なのに大人びて見える。――はたしてロベルトが落ち着き払った態度で年より大人に見せるのか、ラング達が落ち着きのなさで年より幼く見せるのか――
「ロベルトと二人きりで馬車に乗るのもなんだか不思議な感じね。でも、これでようやく落ち着いて過ごせそうだわ」
「しばらくの間、お付き合い願います」
深々と頭を下げてくるロベルトに、メアリが頷いて返した。
ロベルトは従者だ。それも、代々アルバート家に仕える家系の長兄。一人で二人の子息を任されるだけあり優秀で、時折は父に代わりアルバート家当主を補佐することもある。
その知識量や手腕は、跡継ぎ争いに遅れて名乗りをあげたメアリよりも深いといえるだろう。
そんなロベルトと二人きり……となれば、この時間を利用しない手はない。
「ちょうど良いわ、色々と教えてほしい事があるの!」
「お答えできる事であればもちろん。メアリ様は誰かさん達と違って勤勉でいらっしゃいますから、お教え出来るのも光栄です」
「誰かさん達と違って、ね」
「えぇ、誰かさん達です。しかし兄妹なのにこうも違うとは……。私は愚弟に、メアリ様は愚兄に困らされるばかりですね」
「誰かさん達を濁す気がまったく無いわね。でも私に害は無いから聞き逃しちゃいましょう」
あっさりと聞かなかった事にし、メアリは本題へと入っていった。
ロベルトの説明は丁寧で、メアリの質問に対して分かりやすく答えてくれる。時に諭すように穏やかに話し、時にはメアリの自発的な閃きを促し、そうしてメアリが理解を示すと優しく誉める。
幼い頃からお抱えの講師を持ち、貴族の通う学園で学び、隣国の大学に留学し、時には外部の講義や教授の話――主に経営学である――を聞くという一級の環境下にいたメアリでさえ、彼の教え方の巧みさには感心してしまうほどだ。
今まで受けてきた講師や教授達も、ロベルトの教え方を知れば舌を巻くだろう。もしかしたら逆に「教え方を教えてくれ!」と言い出すかもしれない。
「こんなに分かりやすく丁寧に教えてくれるのに、お兄様達ったら逃げ出すのね。もったいないわ」
「勤勉なメアリ様だからこそ優しく教えるのです。あの二人にはもっと……。いえ、なんでもありません。お二人には教えるというより、共に学ぶ立場ですから。暴力なんてそんな」
「時には暴力も辞さないのね。聞き捨てならないはずなのに、分かりやすい教え方に絆されてついつい聞き逃しちゃうわ」
この発言も聞き逃し――非道と言うなかれ。どうせ詳しく聞けば兄達の自由奔放さが悪いのだろう――メアリが次の質問へと移った。
そうしていくつか質問を終え、充実した時間だったとほっと息を吐き……ふと思い立ってロベルトを見上げた。錆色の瞳が僅かに丸くなり、どうしたのかと尋ねてくる。その表情はどことなくアディを彷彿とさせる。
「考えてみれば、ロベルトは私にとって義理の兄になるのよね」
「義理の兄、ですか……」
今まで考えた事が無かったのか、ロベルトが意外そうな声で呟く。
だが事実、ロベルトはアディの兄であり、そしてメアリとアディが結婚した今、メアリにとって彼は義理の兄にあたる。幼少時から共に過ごしていただけに改めるような間柄ではないが、それでも正式に親族となったのだ。
それをメアリが話せば、ロベルトはしばらく考え込んだ後、諭すように穏やかに笑った。「以前とお変わりなく接してください」という声色も落ち着いている。
「いまさら兄ぶるような事はしません。私にとってメアリ様は変わらずお仕えするアルバート家のお嬢様です」
「変わらないの?」
「えぇ、変わりませんよ」
はっきりと告げてくるロベルトの言葉に、今度はメアリがしばらく考え込む。
そうしてパッと表情を明るくさせ「そうよね!」と声をあげた。
「確かになにも変わらないわね。だって昔からロベルトはお兄様だもの」
「……え?」
あっけらかんと答え、それどころかこれで話は終いだと言いたげなメアリに、対してロベルトが唖然とする。目を丸くさせ呆然とし、驚きを隠しきれない彼の表情は滅多に見られるものではない。
それに対し、メアリは逆になぜロベルトがここまで唖然としているのか不思議でならなかった。
簡単な話ではないか。
ラングとルシアンにとってアディが弟のようなものならば、メアリにとってロベルトは兄のようなもの。確かに主従という関係はあるが、共に過ごした時間は家族同然だ。
ラングとルシアンは手のかかる厄介な兄、対してロベルトはそんな彼等をあしらってくれる頼りになる兄。
長兄にロベルト、次兄にラングとルシアン、そこにアディが続き、末にメアリ……と、口に出して説明すればこれほどしっくりくるものはない。
そうメアリが話せば、ロベルトが唖然としたまま「そうですか……」と呟いた。
彼が譫言のように呟くのはこれまた珍しい事だ。こうやって唖然とする時の表情はアディにそっくりで、普段より少し幼く見えるわね……とメアリは冷静に観察していた。
「つまりメアリ様が私の妹……ですか」
「えぇ、そうよ。ロベルトお兄様」
クスクスと笑いながらメアリがロベルトを兄と呼べば、ロベルトもまた苦笑を浮かべる。
らしくなく破顔し頬を染めてはいるものの、満更でも無さそうだ。
「それじゃロベルトお兄様、まだ教えてほしいことがあるからお願いね」
「……なんでもお答えしますので、どうかその呼び方はご勘弁ください」
恥ずかしそうに余所を向き、ロベルトが制してくる。手で口元を覆っているのは、きっとにやける口元を隠しているに違いない。
メアリが思わず笑みを強め、「兄っていうのは本当に我が儘ね」と肩を竦めた。