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 翌朝、アルバート家の屋敷の前には立派な馬車が二台停まっていた。

 フェイデラに向かうための馬車だ。さすがアルバート家と言えるほどに造りはよく、メイドがいそいそと運び入れるクッションも見て分かるほどに柔らかい。これならば長旅でも体を痛めることなく、それどころかひと眠りしたって支障は無いだろう。

 そんな馬車の片方にメアリが乗り込み、アディも……と彼を急かそうとし、目の前の光景に目を丸くさせた。

 アディがロベルトに羽交い絞めにされ、もう一台の馬車に引きずり込まれていく。

「俺はお嬢と二人でっ……!」と訴えるアディの呻き声もむなしく、二人を乗せた馬車の扉が閉まる。


「事件なの?」

「さぁメアリ、さっそく出発しようじゃないか!」

「ラングお兄様、いまアディがロベルトに攫われたわ」

「兄妹三人だけで過ごすなんて、いつぶりだろう……。いつもは男臭いだけの馬車も、メアリが乗れば一瞬で華やかになるな……」

「でもルシアンお兄様、アディがロベルトに攫われたのよ」

「メアリ、お茶を飲むかい? この日の為に特別なお茶を用意しておいたんだ! メアリが好きそうなスコーンも焼いてもらっておいたぞ!」

「お兄様、アディが……」

「……メアリは昔からスコーンにクリームをつけるのが好きだったな。まさかこうやって、メアリとスコーンを楽しめる日がまた来るなんて……」

「出発しましょう」


 諦めてメアリが肩を落とせば、まるで見計らったかのように馬車がゆっくりと走り出した。



 微かな振動を感じつつ、兄達の向かいに座ってメアリがスコーンを齧る。

 美味しいスコーンだ。紅茶も上質のもので、ふわりと漂う香り、程よい甘さ、のど越し、すべてが高級と分かる代物。このために用意したというラングの話は嘘ではないのだろう。

 だが今のメアリはスコーンの味にも紅茶の香りにも浸ることは出来ずにいた。

 なにせ目の前には昔話に興じる兄達がいるのだ。それも普段以上の興奮ぶりで。


「メアリはよく馬車に乗ると『お馬さん疲れてないかしら?』って気にして、可愛かったなぁ。覚えてるか? その度に俺とルシアンがどれだけ馬が頑丈で体力あるかを教えてやったんだ!」

「……懐かしい。なのにいつの間にかメアリは自分用の馬車を用意して、アディと二人で乗るようになってしまったんだよな……。あれを知った時の俺達の絶望といったらない……」

「あぁ、三日三晩落ち込んだよな。あれは悲しい出来事だった!」

「それもアディの馬車酔いを庇うため……。メアリはなんて優しい子なんだ……!」

「アディのためっていうのは癪だけどな」

「あぁ、癪だけど」


 二人揃えてアディへの恨み言を口にする兄達に、メアリはうんざりだと溜息を吐いた。

 馬車が走り出しアルバート家の屋敷を出てから今まで、話の詳細こそ多少は変われども終始この調子なのだ。

 昔のメアリを懐かしがり、そしてアディのことを思い出して恨み言を口にする。そうしてしばらくアディを恨んだのち「そういえば他にもメアリは」とまた別の話題で盛り上がり……と振り出しにもどる。煩い事このうえなく、そのうえ終わりが見えない。


 だがメアリの話題がアディに行きつくのは仕方ないことだ。

 ラングとルシアンはメアリの兄で、メアリが生まれてから共に過ごしてきた。……が、アディもまたそれと同じくらい、いや、従者という立場もありアディの方がメアリと一緒にいた時間は長い。幼少時のメアリは何かとアディのあとをついて回っていたのだからなおのこと。

 つまり兄達がメアリのことを思い出せば、当然だがそこにアディの姿もあり、メアリに関する思い出話はアディの話へと変わる。


「昔のメアリは『大きくなったらお兄様と結婚する!』って言っていたのに……」

「あぁ、懐かしいな!可愛いメアリは俺達と結婚すると言い張って、そのうえ『どちらかなんて選べないから、二人のお嫁さんになる』とまで言ってくれたんだよな!」


 今度はルシアンが話し出し、それにラングが乗っかって盛り上がる。

 この流れもまたアディへの恨みへと変わっていくのだろう、とメアリは彼らを咎める気にもなれずスコーンを一口齧った。

 それでも一応念のため、


「あれはお兄様達がアディを人質に取って脅してきたんじゃない。覚えてるわよ」


 と一言はさんでおく。

 昔話で盛り上がるのは勝手だが、記憶改竄はいただけない。


 メアリが兄達との結婚を言い出したのは、メアリがまだ五つの時。兄達はまさにやんちゃ盛りだった。……今も随分とやんちゃ盛りで、彼等の性格を考えると未来永劫やんちゃ盛りな気もするが。

 そんな兄達にアディを人質に取られ、それを救い出すために結婚を口にしたのだ。

 メアリの本心ではない。それどころかあの言葉はロベルトの案である。幼少時から涼やかな態度でラング達を操っていた彼は、当時も人質に取られた弟を前に慌てるでもなく淡々としていた。

 そうして幼いメアリにそっと耳打ちしたのだ。


「『将来お兄様達と結婚したい』と仰ってください。そうすればあの単細胞なお二方は大喜びするはずです。メアリ様はその隙をついて愚弟の救出をお願いします」

「分かったわ。ロベルトはどうするの?」

「お二人をしとめます」

「ほどほどにね」


 と、こんな会話があったのだ。

 これを美談に、それも幼い頃の自分を愛でる美談に仕立て上げられては流石に黙っていられない。

 だがメアリが事実を突きつけても兄達は止まらず、結婚の話が駄目ならばと次の話題へと切り替えてしまう。

 久方ぶりの兄妹三人の時間、それも馬車内のため外野は入ってこない。きっとそれが彼等の――通常時でさえ面倒くさいほどの――メアリ愛を高ぶらせているのだろう。

 これは止められない……とメアリが早々に音をあげ、傍らに置いていたトランクから旅の手引書を取り出した。

 重苦しい文字で綴られている表紙をペラリと一枚めくれば、陽気な文字で旅に必要な物一覧が書かれている。

 やはり表紙と内容に違和感を抱き、メアリが眉間に皺を寄せた。まるで本来陽気に楽しく作られた手引書の表紙だけをすり替えたような違和感だ。


「お兄様、この手引書なんだけど、なんだかおかしい気が……」


 おかしい気がするの、と今この時間を使って兄達に問いただそうとした瞬間、ガタと音をたてて馬車が止まった。

 窓の外を見れば小さな店が道沿いに点々と並んでいる。市街地に比べると随分と田舎を感じさせる光景だ。まだ国境には遠いが、それでもメアリにとっては見慣れぬ景色である。

 いったいなぜこんなところで馬車を停めたのか。そう疑問を抱きつつメアリが窓の外を眺めていると、ラングとルシアンが降りる準備をしだした。「もう着いたのか」だの「意外と早かった」だのと話しているあたり、当初からこの地で停まる予定だったのだろう。

 メアリも慌てて準備にかかる。といっても、スカートの折り皺を直すぐらいだ。手引書の件は気になるが、後回しにしようとトランクに突っ込んでおく。


「過酷に争いはするが急ぐ旅でもない、少し休憩しよう。実はここに俺とルシアンがよく行く喫茶店がある。前からメアリを連れてきてやりたかったんだ」

「あら、そうなの? お兄様達って結構遠くまで出掛けているのね」

「仕事や勉強が嫌になったときに、よくロベルトを撒いて二人でここに逃げ込むんだ。今日はロベルトにはばれないよう初来店を装うけど、店員にも顔が利く常連なんだ」

「密告待った無し!」


 御者が扉を開けた瞬間、メアリが勢いよく飛び出した。

 もちろんロベルトに密告するためだ。彼とアディが乗った後続の馬車へと駆け寄れば、背後から「メアリ待ってくれ!」「俺達の逃げ場所が!」と兄達の悲鳴が聞こえてくる。もちろん足を止めるわけがないのだが。

 そうしてロベルトが出てくるのを待てば、馬車の扉が開き、中から二人が姿を現した。ロベルトと、彼の肩にもたれながらぐったりとしているアディ。

 伴侶の弱り切った姿に、メアリは密告することも忘れ慌てて彼の腕を取った。相変わらずの馬車酔いである。


「アディ、大丈夫?」

「お嬢、申し訳ありません。情けない姿をお見せして……」

「大丈夫よ、情けない姿なんて今に始まったことじゃないでしょ」

「それは俺へのフォローですか? 止めをさしたいんですか?」

「お嬢って呼ぶからよ。まぁでも問題は無さそうね、少し休めば……」


 体調も戻るはず。そう言い掛け、メアリはふと自分が乗っていた馬車へと振り返った。

ラングとルシアンがなにやら話している。苦笑しつつ肩を竦めているのは、きっと馬車酔いしたアディを相変わらずだと笑っているのだろう

 ここで止まると言い出したのは彼等だ。馴染みの喫茶店があるから、そこにメアリを連れて行きたい……と。

 だが実際はアディのための小休止に違いない。

 聞けば、日頃あれだけ愚弟と呼んで冷淡な対応をしているロベルトでさえ、馬車で二人きりの時はアディを労っていたというではないか。上座を譲り、自分しか居ないのだからと横になるように促してきたという。

 だが今のロベルトはそんな態度を一つも見せず、それどころか「愚弟がご迷惑を」とメアリに詫びるとさっさとラング達の元へと向かってしまった。

 なんとも分かりにくい態度ではないか。これにはメアリも苦笑を浮かべ、アディの背中をさすりながら兄達の元へと向かう。


「お互い天の邪鬼な兄をもつと苦労するわね」


 そう肩を竦めつつ告げれば、アディもまた苦笑して頷いた。



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