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 意気揚々とメアリが部屋を出て、残されたアディが肩を竦める。

 その手には先程ロベルトから手渡されたものがある。今回の旅の手引書だ。手触りの良い上質な紙。とりわけ表紙は手が込んでおり、金粉がまき散らされる中、美しい文字で堂々と、


【アルバート家仲良し兄妹旅行のしおり】


 と書かれている。

 ちなみにこれを渡された際、ロベルトから「絶対にメアリ様には見せるなよ」と言い渡されており、その際のロベルトの冷ややかでいて絶対的な圧力と言ったら無い。

 そのうえ背後にはラングとルシアンが無言で佇んでいるのだ。二人は声こそ発していないが「分かっているだろうな」と言い得ぬオーラで告げてくる。

 メアリにまで『アルバート家いち喰えない男』と言われた実兄、そして幼少時から頭の上がらない二人の義兄……。これにアディが逆らえるわけがなく、青ざめつつコクコクと首を縦に振るだけで精一杯だった。

 仮にこの手引書をメアリに見られた場合、少なくとも一日は自分の靴先を見ることなく過ごす羽目になるだろう。三人がかりで執拗に足を踏んでくるに違いない。


「お嬢、俺の足の為にしばらく騙されておいてください……!」


 そうアディが小さく呟き、「アディ、行くわよー!」と聞こえてくるメアリの声に慌てて後を追った。

   



 明日の出発に向け、トランクに必要なものを詰める。

 といってもメアリはアルバート家の娘であり、旅の準備はすべて使い達の仕事。たとえ急な荷造りであろうと「用意しておいてちょうだい」と一言命じれば終わりである。現に今もアディがトランクにあれこれと詰め、メアリは上質のソファに身を委ねていた。

 やることと言えば、時折「白のシャツと水色のシャツ、どちらがよろしいですか?」と問われ、微睡む意識で「ターコイズブルー」と答えるぐらいである。

 だがそんな中、はっと思い立ってメアリがソファから身を起こした。


「しまった、これも罠だわ!」

「罠ですか?」

「そうよ。アルバート家の当主たるもの、荷造りだってこなさなければならないわ。すべてアディに任せたと知られたら、お兄様達に『荷造りも出来ないなんて、メアリは子供だな』って笑われて差をつけられるわ!」


 慌ててメアリが立ち上がり、アディの隣へと急ぐ。

 荷造りは八割方終わっているようだが、まだ詰めていないものもあり、それを見てメアリがほっと安堵の息を吐いた。良かった、これを自らの手でトランクに詰めれば、全てアディ任せとは言われないだろう。

 そうメアリが説明すれば、アディが呆れたと言わんばかりに溜息を吐いた。


「お嬢はラング様とルシアン様が荷造りをしている姿を想像できますか?」

「出来るわよ。お兄様達だってきちんと自分のトランクに荷物を……。あら、どっちが荷物を多く入れるかの競争に変わったわ」

「でしょうね」

「上に乗って無理に蓋を締めるのは有りか無しかで討論してる。……やだ、背後にロベルトが冷ややかな笑みで立ってるわ! 逃げて、お兄様達、逃げて!」


 想像の中で危機に瀕する兄達に、メアリがしきりに声をあげる。

 その隙にアディがさっと荷造りを済ませ「終わりましたよ」とパタンとトランクを閉めてしまった。


「まったくお嬢はいったい何を考えているんだか……。荷造りが跡継ぎ争いに関係するわけがないでしょう」

「なによ、一人で余裕ぶっちゃって。私にとってこの旅はいわば試練なのよ。何に対してだって警戒して挑まなきゃいけないの」


 アディの澄ました態度が気に入らないとメアリが不満を訴える。

 確かにこれはメアリと兄達の戦いの旅であり、伴侶とはいえアディは当事者とは言えない。もちろんメアリの味方ではあるものの、あくまで味方止まり、当事者よりも余裕があって当然だ。

 だがその余裕の態度が気に入らず、メアリは「試練……」と呟いてニンマリと笑みを浮かべた。その笑みに嫌な思いしかないアディが眉間に皺を寄せる。


「お嬢、いったい何を企んでるんですか……」

「あら嫌だわ、企むなんて失礼ね」

「お嬢がその表情をすると絶対にろくなことにならないんですよ」


 呻くような声色でアディが訴える。

 メアリがニンマリと笑みを浮かべる時、決まってろくな事にならない。……のだが、それが分かっていてもアディは逆らえない。

 はたして逆らえないのは染み着いた従者気質のせいか、惚れた弱みか、その両方か。


「アディ、貴方もこの旅で試練を乗り越えなさい!」

「……俺の試練ってなんでしょうか」

「私への呼び方よ。いい加減その『お嬢』っていうのをやめてちょうだい」


 メアリが命じるも、理解できないのかアディが不思議そうに首を傾げた。

 幼少時から呼び続けていた呼び方を今更「変えろ」と言われたのだ、ピンとこないのも仕方あるまい。


「それなら、なんとお呼びすれば良いんですか?」

「『メアリ』で良いわよ」

「え、よ、呼び捨てですか!? お嬢のことを!?」

「夫婦なんだもの、当然でしょ」


 アディが狼狽えだすも、メアリがぴしゃりと言い切った

 幼少時から続く呼び方とはいえ、結婚し夫婦となったのだ。それどころかメアリはアルバート家の次期当主になろうとしている。それなのにいつまでたっても夫からの呼び方が『お嬢』なのはおかしな話ではないか。――そもそも名家令嬢を一介の従者が『お嬢』と呼ぶことじたい無礼極まりないのが、この件に関しては時効である――

 今更とはいえ、メアリが呼び方を改めるように命じてくるのは至極当然の事。……なのだが。


「無理です!」

「はっきりと断言したわね……」

「お嬢を呼び捨てなんて、パーティーやきちんとした場にいる時か、二人きりで良いムードに持ち込みたい時か、もしくは悪事がばれて誤魔化したい時ぐらいなんです。それを普段から呼び捨てにだなんて……」

「だからこそ、この旅で乗り越えて普段から……。待って、悪事がばれて誤魔化したい時ってどういう事よ!?」


 聞き捨てならない台詞が! とメアリがアディに詰め寄る。

 だがメアリが真意を問うより先に、アディが肩に手を置いてきた。錆色の瞳がじっとメアリを見つめてくる。

 炎のような色濃い瞳。先程の悪事云々が嘘のように熱い視線。結婚してしばらく経つというのに、いまだに熱い眼差しで見つめられるとメアリの胸は高鳴ってしまうのだ。手を置かれた肩が熱い。

 彼の気持ちも自分の気持ちも知らず、この瞳に当然のように見つめられて平然としていたのが随分と昔のように思える。いったいどうして、こんなに熱い視線に気付かずに居られたのだろうか。

 そのうえ、深く落ち着きのある声で「メアリ」と呼ばれればもう夢心地だ。メアリはうっとりとした高揚感に浸り、返事の代わりに甘い吐息を漏らした。


「……と、このような感じで使います」

「なるほど、良いムードにされたし、悪事も誤魔化されたわ」


 パッとアディが手を放し、先程までの熱意的な瞳もどこへやら普段通りの態度に戻る。その瞬間にメアリの胸の高鳴りも一瞬にして収まってしまった。

 そうして「まったく」と不満げに呟くことで先程の悪事云々を流してしまうのだから、確かに効果は抜群である。

 だけど、とメアリが決意を新たにアディに向き直った。話をぶり返されると察したのか、アディが再び肩に手を置こうとしてくるが、それはすんでのところで叩き落とす。さすがにこの流れで同じ策は使わせない。


「悪事を誤魔化すって話は聞かなかった事にしてあげるけど、呼び方については改善してよ。私達夫婦なのよ」

「……極力、出来る限り、前向きに、善処します」

「それじゃ、さっそく呼んでみてちょうだい。でも呼ぶだけよ、良いムードに持ち込むのは無しだからね」


 期待を込めてメアリが催促をする。

 自ら「名前を呼んで」と強請るとは、なんだかむず痒い気分だ。

 だがそのむず痒さも心地好く、上目遣いにアディを見つめる事で急かした。彼の頬は赤くなっており、困惑が目に見えて分かる。

 それでもしばらくすると覚悟を決めたのか、ぐっと意気込むようにメアリを見つめてきた。


「メ、メア……」


 しどろもどろになりつつ、アディがメアリを呼ぼうとする。

 そうしてしばらく言い淀んだのち、


「メアリ・アルバート様」


 と、はっきりと呼んできた。


「距離が出来たわ」

「ア、アルバート家のメアリ様」

「距離ができるあまりアルバート家を出て行ったわね」

「申し訳ありません……。改めて呼ぶとなると、どうしても恥ずかしくて……!」


 ガックリと項垂れるアディに、メアリが怪訝そうに首を傾げた。

 いったいどうして名前を呼ぶことをこれほどまでに恥ずかしがるというのか。特別な呼び方ではなく、ただ名前を呼ぶだけだというのに。


「いっそ呼び方を『ハニー』にしたほうが開き直れるかしら。ねぇダーリン?」

「善処するんで勘弁してください……」


 顔を赤くさせつつアディが弱々しい声で訴える。

 これに対してメアリは肩を竦め、「お互い試練の旅ね」とアディの背を叩いた。




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