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正直なところ、アディは『ドラ学』のストーリーがどうなろうがあまり興味が無かった。
仮に作中で自分が死んでいたとしても、「俺のくせにお嬢を残して死ぬなんて情けない」程度にしか思わなかっただろう。
所詮はゲーム。それも、メアリだけが前世の記憶として覚えているゲームだ。信憑性など無いに等しい。
それでもメアリが言っているのだからとこうやって付き合っている。逆に言えば、メアリ以外の誰かが乙女ゲームがどうの前世がどうのと言い出していれば、いかにその通りになっていたとしても鼻で笑っていただろう。
だが今だけは、いったいファンディスクとやらで何があったのか気になってしまう。それほどまでにメアリの様子が一変したのだ。
「お嬢、ファンディスクじゃ俺達の出番はないんですよね?」
「……いいえ違うわ。ファンディスクで出番がないのは……北の大地に追いやられたのは、私達じゃない」
落ち着きを取り戻すため、メアリが一度深く息を吐いた。
そうしてジッとアディを見つめれば、彼はまるで意味が分からないと怪訝そうな表情を浮かべている。
その顔に「間抜けな顔ね」とでも言ってやりたいところだが、数秒前の自分も同じような表情をしていたのだろうとメアリが出かけた言葉を飲み込んだ。
そうして再び息を吐き、冷静を取り繕って笑顔を浮かべた。
「アディ、あなたファンディスクではルートがあるのよ」
ニッコリと笑って「良かったわね」とまで言ってのける。
その見た目だけならば、今のメアリはさぞ優雅な令嬢だろう。従者の成長を褒めたたえるような、傍から見ればそんな余裕さえ感じられるかもしれない。
もっとも、その胸中は未だ落ち着くことなく荒れているのだが。
『ドラ学』本編では、アディはアリシアとは恋に落ちない。所謂『非攻略キャラクター』というものだ。
常に悪役令嬢メアリの背後に構え、それでいてメアリの悪行を見過ごしている。いかにも悪役の手下である。
だが乙女ゲームだけあってアディもまた見目が良く、どのルートでももれなく登場しラスボスを張るメアリの従者だけあって出番も多い。
さらに、『ドラ学』の攻略キャラクターは多種多様と言えど一貫して『高貴でキラキラした王子様系』なのだ。『身分違いの恋』がテーマの一つと言えど、流石に飽きがくる。そんな中に『仕える』という逆の立場であるアディが居れば、非攻略キャラと言えど人気が出るのも仕方あるまい。
おまけに、学園が――それも卒業を前にした三年――舞台のため、攻略キャラクター達は同い年かもしくは教師という年齢層である。対してメアリの我儘で無理矢理通学させられているアディは、主人公より五つ年上という微妙な年齢差だ。
男らしく、かっこよく、それでいて他の攻略キャラクターとは違う魅力を持ち、そのうえ従者と言う立場で悪役。
となれば人気が出て追加ルートを期待されるのも頷ける。もちろんユーザーの声は企業に届くわけで、ファンディスクでは彼のルートが売りの一つとされていた。
そこで描かれているストーリーはこうだ。
『大学を前に王家の一員としての自覚を持ちはじめたアリシア。だがそれと同時に王族であることの息苦しさと重荷を抱え、誰にも相談できず一人悩んでいた。そんなある日、コッソリ城を抜けだして遊びにきていた市街地で、アリシアは孤児院で働くアディを見つけ……』
「……俺が孤児院?」
メアリの話を聞き、「なんでそんなところで?」と不思議そうに首を傾げるアディに、メアリはしれっと「再就職おめでとう」とだけ告げた。
その言葉に、ますますアディの頭上にクエスチョンマークが飛び交う。
「再就職って……俺は代々アルバート家にお仕えしてるのに」
「そのアルバート家が没落したのよ。雇う余裕もなくなったんでしょ」
「でも、だからって……」
「向こうのあんたは随分と幸せそうだったわよ」
『ドラ学』のアディは、もとよりメアリのことを嫌っていた。
――むしろ、損得を抜きに考えて、彼女のことを純粋に慕う人はいるのだろうか……というぐらい、徹底して嫌な女に画かれているのだ――
だが代々仕える家系であり、なによりメアリに逆らえば一族もろとも潰されかねない恐れがあり、アディは日々メアリの我儘や八つ当たりに耐え、彼女の愚行に目を瞑っていた。
それがアリシアの一件で全てが解決された。
アルバート家の従者と言う職を失いはしたが、それでももう横暴な令嬢の理不尽さに怯えることも、彼女の我儘により傷つき蹴落とされていく者達の姿に胸を痛めることもなくなったのだ。
「罪滅ぼしができるとは思えないが、それでも、これからは誰かのためになるようなことがしたい」
そう子供たちに囲まれながら話すアディに、多くのプレーヤーが胸を打たれたはずだ。
そしてそれはアリシアとして反映される。
アディの意外な一面に触れたアリシアは以後なにかと理由をつけてはアディのもとを訪れ、彼を許し、彼の心の傷を癒し、次第に二人は惹かれあっていく……。
「と、いう感じよ」
「ちょ、ちょっと待ってください。アリシアちゃんはゲーム本編で誰かしらと結ばれてるんじゃないんですか? その人は?」
「全てなかったことになってるわ。全ての男と恋に至らないクリーンな関係! だってファンディスクですもの!」
「そんな! それに、アリシアちゃんは王女なんだし、そんな彼女と『没落した家の元従者』なんて本編以上に身分の差があるじゃないですか!」
「問題なし! なんてったってファンディスク!」
「そもそも、王女がお忍びで庶民と会ってたら直ぐ見つかるに決まってる!」
「全てが万事上手くいくのよ! ご都合主義でプレイヤーに甘々、それがファンディスク!」
なぜか得意気にファンディスクを語るメアリに、アディが頭を抱え込んだ。
「ファンディスク、恐るべし……」という言葉が妙に重々しいのだが、そういうものなのだから仕方あるまい。
『ドラ学』ファンディスクである『もっと!ドキドキラブ学園:通称もラ学』はあくまでファンディスク。本編をプレイした者への御褒美とも言える。
内容としては初期案や没スチルを収めたギャラリーやミニゲームなども入っており、ゆえに各ストーリーのボリュームは少なくなっている。といっても、糖度は本編より甘いのだが。
それゆえご都合主義もなんのその。要はいかに甘く、それでいてロマンチックに幸せな愛を描けるかだ。
そんなファンディスクなのだから、メアリの出番が無いのも頷ける。
「それで、俺がアリシアちゃんと……?」
「そうよ。あんたのルート結構人気あったんだから」
「お嬢が北の大地にいるのに、俺はここで……?」
「……えぇ、そうね」
呆然とするアディにメアリがそっけなく返す。
そうして徐に立ち上がると「それじゃ、失礼するわね」と扉へと向かった。
「あ、お嬢……部屋まで送りますよ」
「結構よ。夜風にあたって考えたいことがあるの」
「でも……」
「ここはアルバート家の敷地内よ。隣の建物に帰るだけじゃない」
「顔色が優れません。心配ですから……」
「お互い様ね」
クスと笑い、メアリが扉のノブに手をかけた。
そうして追いかけようとするアディに「紅茶ごちそうさま。美味しかったわ」と暗に追ってくるなと告げるのだ。更に極めつけのように就寝の挨拶をすると、言わんとしていることを察しているからこそ動けずにいるアディを横目にそっと扉を閉じた。