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パトリックが取り出した書類は、生憎とメアリの座る位置からは見えない。彼の隣に座るアリシアも間近でありながら分からずにいるようで、不思議そうにパトリックと彼の手元にある書類を交互に見つめた。
そうして痺れを切らしたように、控えめな声で彼を呼ぶ。
「パトリック様、それは?」
「これはアリシアが生まれた時に医師が書いたものだ」
「お医者様が?」
どうしてそんなものを、とアリシアが不思議そうに彼の手元を見つめる。
メアリも同様、いったい今更そんなものをなぜ持ち出しているのか不思議でしかない。そもそも、王女出生に関しての書類にしては妙に傷んでいる。ヨレが目立ち、紙も劣化している。管理が雑だ。
周囲も同じように疑問を抱いたのだろう。だがそれに対してパトリックはこの書類が国が管理しているものではなく、紛失されたものだと告げた。
「現在王宮で管理されている通し番号一枚目の書類は、過去に原紙が紛失され新たに書き直されたもの。俺が今手にしているのは、紛失された原紙にあたるものだ」
パトリックの説明に、誰からともなくざわつきが上がる。
だが書類に書かれている王家のサインや管理を示す印は正式なもので、それどころか医師に確認まで取ったという。
「わざわざ見つけてくださったんですか……?」
「あぁ、といっても探してくれたのは俺じゃないけどな」
チラとパトリックが藍色の視線を余所へと向ける。
彼の視線が向かうのはメアリ……ではなく、その隣に座るアディ。メアリもこれには驚きを隠せず、パッと銀糸の髪を揺らして隣を向くと「アディ?」と彼の名前を口にした。
室内の視線が自分に集中することが気まずいのか、彼は苦笑を浮かべている。
「アディ、あなたそんな事をしていたの?」
「大したことじゃありませんよ。……でも、俺も何か出来ないかと思って、パトリック様に協力しただけです」
「それで忙しくしていたのね。さすがアディだわ」
気恥ずかしそうに謙遜するアディにメアリが嬉しそうに微笑む。
なにを忙しくしていたのか具体的な話こそ聞いていないが、それでも信頼して彼を見送っていた。自分の信頼と判断は間違っていなかったのだ。
だがそれがわかっても、今更書類の原紙とやらを探し出すことに何の意味があるのか……。
メアリを含めた回答を急かすような周囲からの視線に、パトリックが一度頷いて返した。
「正式な書類として保管されているものも用意している。説明するより実際に見比べたほうが早いだろ」
そこに答えがあると言わんばかりのパトリックの言葉に、居ても立ってもいられなくなったのか誰からともなくガタと立ち上がり、書類を持つ進行のもとへと向かった。
厳粛なる審議会の最中に立ち上がるなどと、とはさすがに誰も言わない。メアリの啖呵から、既に審議会の厳粛さなど欠片も残っていないのだ。誰もが早く答えをと求めている。
メアリもまた同様に立ち上がろうと腰をあげ……ストンと座り直した。
「お嬢、見に行かないんですか?」
「良いのよ。だってアディが見つけてきてくれたんでしょ? それならきっとアリシアさんを肯定する確実な証拠だもの。信じているからこそ、こうやって座って説明の時を待つのよ」
「お嬢……」
「それに、あれだけ背の高い大人の男性が集まっているんだもの、今更行ったところで私じゃ見えないわ。アディが肩車してくれるなら行くけど」
出遅れたわ! と高らかに返すメアリに、感動しかけていたアディが肩を竦める。まったくと言いたげだ。
だがその呆れの表情も、聞こえてきた「痣……?」という言葉に僅かに口角を挙げた。メアリも咄嗟に「痣?」とオウム返しで口にしているのだから、アディの笑みがより強まる。
なにせアディは、書類の内容も見比べた結果も知っているのだ。彼とパトリックだけが全て知っている。
ゆえに怪訝そうに話す声にも、誰からともなく顔を見合わせる重役達の仕草にも、そしてメアリやアリシアの回答を求める視線にも、気分が良くなってしまうのだろう。事情を知っている者だけの余裕、ちょっとした優越感とも言える。
「なによ、ニマニマしちゃって。やらしいんだから」
咎めるようにメアリがアディを肘で突っつく。『自分はわけが分からないのに、アディは事態を理解している』という状況はなんとも不服なのだ。
見ればアリシアも同様、事態が分からずそわそわとしている。とりわけ彼女は己の立場が掛かっており、瞳に不安の色を宿し、重役達とパトリックに交互に視線をやっている。凛とした威厳有る王女様の限界が来たらしい。
そんなアリシアに急かされ、パトリックが場を納めるように声をあげた。「確認して頂けただろうか」という言葉は、もちろん「さっさと席に着け」という意味である。
怪訝そうに「痣」だの「これは」だのと話していた重役達がはたと我に返り、審議会らしからぬ騒ぎを見せた事を恥じらってかそそくさと元居た席に戻っていく。
それを見届け、パトリックが再び自分の手元へと資料を戻した。次いで、それをメアリへと手渡してくる。
アリシアに対して穏やかに「行っておいで」と声を掛ければ、不安そうに彼を見つめていたアリシアがゆっくりと立ち上がり、メアリの元へと小走り目に駆け寄ってきた。
「メアリ様……来てくださったんですね……」
「貴女の為なんかじゃない……とはここまで来てさすがに言えないわね。とにかく今はこの資料よ」
涙ぐむアリシアを眺め、メアリは二枚の資料を比べるように覗き込んだ。
パトリックの説明通り、これは王女出生時に書かれた届け出だ。字体こそ多少変わってはいるものの、これといった大きな違いは……
一カ所だ。
そこに記されているのは……。
「……月形の痣?」
二枚の書類を見比べれば、紛失した方には走り書きのように『王女の体に月型の痣がある』と記載されている。だが二枚目には書かれていない。
これはいったいどういう事なのか。メアリが疑問を抱けば、まるでそれに代わるようにアディが口を開いた。
「その資料を見つけた際、アリシア王女出産に立ち会った医師の元へ確認に行きました。書き直しの際に痣のことを書かなかった理由を問うと、それがアリシア王女の身の危険につながると言われたからと仰っていました」
「身の危険? そんなの誰が言ったの?」
「……両陛下が信頼していた、そしてアリシア王女を拐った張本人です」
「例の占い師……。だからドリルなのね!」
全てが繋がったわ! と声をあげるメアリに、アディが頷いて返す。
他の者達もあらかたの事情は察したようで、彼等の視線が今度はアリシアへと向かった。
事情は理解した。
だからこそ、アリシアが真の王女かどうか最終的な結論を求めているのだ。
部屋中の視線を受け、唖然とするように話を聞いていたアリシアがはっと息を飲んだ。慌てて彼女が押さえるのは自分の腹部。
「私、あります……。おへその隣に……月型の、不思議な痣が……!」
浮ついた言葉ながらにはっきりと告げるアリシアに、室内にいた誰もが小さく声をあげた。
王族にのみ継がれる瞳と髪の色、そのうえ出生児の記録と同じ箇所に痣があるとなれば、これは紛れもない証だ。
これで決着が付く。
そう確信を得たメアリの耳に、ピシッ……!と小さな音が聞こえてきた。まるで何かが破れるような、たとえるならば布が千切れ掛け糸が悲鳴を上げているような高い音。
まさか……! と視線を向ければ、そこには腹部の布を両手で引っ張ろうとするアリシアの姿。前開きの服は哀れ左右から力を入れられ、今にもボタンが弾け飛びそうである。
「今……今すぐに……お見せ、します……!」
「今ここで服を引きちぎったなら、アルバート家は貴女を正式な王女と認めたうえで全権力を駆使して引きずり落としてあげるわ」
ぴしゃりとメアリが冷たく言い捨てれば、はたと我に返ったアリシアが服から手を離した。取り乱したことに頬を赤くさせ、「つい……」と小さく呟く。
その姿は以前の通りの彼女だ。メアリがわざとらしく懐中時計を見て「付け焼き刃の王女様だけど、まぁ持った方ね」と皮肉混じりに褒めてやった。