表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
153/225

21


 懐中時計にはアルバート家の家紋が彫り込まれ、細部には細かな宝石があしらわれている。父の男性らしい大きな手によく似合う、豪華でいて重々しい代物だ。

 ただの懐中時計ではない、これこそアルバート家当主の証。

 それを差し出され、メアリは困惑の表情を浮かべて父と懐中時計を交互に見た。言わんとしている事が分からないわけではない、だが、分かっても理解しきれないのだ。

 これを差し出してくる、つまり……。


「お父様……?」

「アリシア王女を親友として救いたいのなら、自分で行きなさい。ただし審議会に出席が許されているのは当主のみ。……メアリ、この意味が分かるだろう」


 穏やかに微笑みつつ、父が懐中時計をメアリの目の前で軽く揺らす。金の鎖が揺れ、軽やかな音をたてた。だがその音もメアリの心臓に重く響く。

 まるで懐中時計さえも早く手に取れと促しているかのようではないか。

 だがそれを手に取る意味を知っているからこそ、メアリは己の手を動かせずにいた。痺れるように指先がピクリと揺れるが、それで精一杯だ。


 さすがに、これを手にした瞬間に跡継ぎ確定……というわけではない。きちんとした話し合いと手続きをし、入念な準備の上に交代するものだ。

 だがこれを手にした瞬間メアリも跡継ぎ候補となる。それも、当主の証を手に審議会に出るのだから兄達よりも有力な候補とされるだろう。

 いや、それどころか『跡継ぎも同然』とまで言われるかもしれない。

 今までのように「さっさと決めちゃえばいいのに」と傍観者ぶる事は出来なくなる。


「お父様、私……」

「安心なさい。これを手にしたとしても、直ぐに決めなくていい。だがお前にもこれを手にする道があるんだ」

「でも、私は女だし、うちにはお兄様達が……」

「性別も生まれの順番も関係無い。なるべき者が当主になるんだ。私はお前にも当主の道はあると知ってほしい」


 だから、と優しく諭してくる声につられ、メアリが父を見上げる。

 優しい瞳だ。娘の成長を愛おしみ、そして娘の未来を見つめている瞳。

 次いでメアリがラング達に視線を向ければ、彼等もまた穏やかに笑っているではないか。ラングは相変わらず明るく、ルシアンも穏やかに、ロベルトも今は切れ長の瞳を緩めて柔らかな笑みを浮かべている。

 皆メアリが懐中時計を手に取るのを見守ろうとしているのだ。

 周囲に噂され見当違いな予想をたてられ、それでも跡継ぎを決めることもそれを匂わす事すらしなかったのは、もしかしてメアリが舞台に上がるのを待っていたのかもしれない。


 それは分かる。だが決意が出来ない。

 どうしたいのか、どうすべきか、考えがまとまらない……。


 そうして迷いながらメアリが視線を向けたのは、隣に立つアディ。メアリの視線に気付くと錆色の瞳を細めて笑った。


「……アディ、私迷ってるわ」

「そうでしょう。重大な決断ですからね」

「でも、私この懐中時計を手にしたい。お父様に頼むんじゃなくて、私が審議会に行きたいわ」

「そうですね。お嬢なら出来ますよ」

「そう、そうよね! 私なら出来るわ!」


 アディの言葉に背を押され、メアリの表情がパッと明るくなった。

 その表情には既に迷いの色は無く、輝かんばかりの瞳でアディを見つめる。

 やはり彼に話せば考えがまとまる。自分の中にある答えを、アディの優しい声と錆色の瞳が見つけさせてくれるのだ。


「お父様に託すんじゃなくて、私が発言権を持って審議会に行きたい! いえ、行きたいんじゃない、私が審議会に行くのよ!」


 そう高らかに宣言し、メアリが父の手から懐中時計を受け取った。

 ズシリとした重みは、きっと時計そのものの重さだけではないだろう。

 だが持てぬ重さではない。そう考えて手に懐中時計を乗せて見つめていると、そっと包むように手が添えられた。アディの手が、懐中時計ごとメアリの手を握る。

 力強いその感覚に、メアリの胸に安堵が湧く。

 思わずアディの手ごと握り返し、「さぁ行くわよ!」と勢いよく掲げた。




 メアリとアディが手を握りながら――「まさかこのまま行くんですか!?」というアディの悲鳴じみた声が切ない――二人が部屋を出て行くのを見守り、パタンと扉が閉まると誰からともなく一息吐いた。

 そんな中「よろしかったのですか?」と尋ねるのはロベルトだ。扉を見つめたままで呟かれた声は誰にあてたものかは定かではないが、誰もが肩を竦めつつ苦笑と共に頷いた。


「可愛いメアリのためなら、俺は何だってしてやれる! メアリを支えるためにこの人生を捧げよう!」

「愛しいメアリのためなら、命をかけたっていい……! この人生が潰える時にメアリが笑ってくれているなら……!」

「……お二人に尋ねた私が馬鹿でした。相変わらず溺愛が酷くて気持ち悪い。ですが、旦那様はそれでもよろしいんですか?」


 ロベルトの問いに、アルバート家当主が穏やかに笑った。その表情は名家当主らしくもあり、そして娘の将来を考える父親らしさもある。


「なに、まだ直ぐに決める必要もない。ただラングとルシアンのどちらかにするより、メアリも交えて三つ巴の方が良いだろう。さぁしばらくは社交界中が騒然として面白くなるぞ!」


 楽しみだと笑う当主に、二人の息子までもが笑いだす。社交界が跡継ぎ問題で浮足立っているのを知ったうえでこの言いぐさなのだから、はたしてこれは名家の余裕と感心すべきか、もしくは厄介な血筋と呆れるべきか……。

 思わずロベルトが肩を竦める。だが考えてみれば、これこそアルバート家らしい話ではないか。それで良いのかと確認こそしたものの、自分もさして驚きはしていない。


「確かに、あの愚弟もメアリ様を支える事に関しては特化していますから、きっと上手くいくでしょう。……あくまで、愚弟ですが」


 最後に一言念を押すように愚弟と続けるロベルトに、室内に居た誰もがこれもまた相変わらずだと肩を竦めた。




 王宮の一室、内部で行われている話し合いの内容のせいもあってか、扉の外にまで重々しい空気が漂っている。ここまで案内してくれたメイドもどこか強ばった面持ちをしており、それでも立ち去る前に弱々しい声で「あの……」と話しかけてきた。

 メアリとアディがどうしたのかとメイドを見れば、こちらの様子を伺いつつも恐る恐る口を開いた。


「差し出がましい事かと思いますが、どうか……どうかアリシア様の事を支えてあげてください」

「アリシアさんのことを?」

「はい。ただのメイドが口を挟めるものではないと十分に理解しております。ですが、アリシア様はそんなただのメイドにも親しく接してくださいました……」


 そのアリシアが、今窮地に立たされている。

 だというのに自分には救う術がなく、無力さを悔やんでいるのだろう。メアリがチラと視線を他所に向ければ、曲がり角に身を隠してこちらを不安そうに眺めている者達の姿が見える。メイドをはじめ、王宮に仕える者達だ。

 皆アリシアを案じ、審議会に出られなくてもせめてと見守っているのだろう。数人がメアリの視線に気付き、周囲に声を掛けると深々と頭を下げてきた。「どうかアリシア様のことをお願いいたします」と、そんな声が聞こえてきそうだ。

 彼等の切実な思いを察し、メアリは肩に掛かる銀糸の髪をふわりと揺らした。ぐいと背筋を正し、父から受け取ったばかりの懐中時計を取り出す。


 アルバート家の家紋が刻まれた当主の証。

 王宮に辿りついた際、これを見せたところ説明することなく審議会の部屋へと通された。

 それほどの代物なのだ。これを持つにも覚悟がいる。


「私は今アルバート家の名を背負っているの。友情だけで動くわけにはいかないわ」

「そ、そうですよね。申し訳ありません、差し出がましい真似を……」


 自分の行いを省みて、メイドが慌てて頭を下げた。

 そんな彼女の姿を見て、メアリは小さく笑みをこぼすと改めて胸を張った。アルバート家の当主らしく、この懐中時計に恥じないように。


「でも安心なさい、アルバート家は全面的にアリシア王女を支持するわ。これは単なる友情だけじゃない。国一番の名家、その名を懸けての決断よ。……それに」


 メアリが言葉を一度止めれば、メイドが窺うように続く言葉を待つ。その瞳には困惑と戸惑いが浮かび、なんとも弱々しい。

 そんな彼女の目をじっと見つめて返し、メアリは一度深く頷いた。


「それに、このメアリ・アルバートの親友を傷つけたらどうなるか、思い知らせなきゃ気が済まないわ!」


 メアリの怒気すら含んだ宣言に、メイドの瞳が次第に色づいていく。

 先程までの不安は拭われ、期待と安堵の色を宿し、ついには「ありがとうございます!」という感謝の言葉と共に再び頭を下げた。

 まるで全てが解決したかのようではないか。気が早いとメアリが笑えば、はたと我に返ったメイドが再び頭を下げた。

 そうして、これ以上失言するまいと考えたのかパタパタと小走りで去っていく。どうやら今のやりとりを遠目で見て察したのか、気付けば曲がり角で様子を窺っていた者達の姿もない。

 メアリが満足そうに頷き、次いで隣に立つアディを見上げた。


「ねぇアディ、今の私、格好良く無かった!?」

「えぇ、まさにアルバート家当主の威厳でした。といっても旦那様のあの渋さと威厳ある貫禄と滲み出る包容力に比べたらっ……! お、お嬢、無言の拳は反則……です……!」

「あまりの気持ち悪さに、言葉より先に手が出てしまったわ。恐ろしい右手……」


 メアリが己の右手の拳をそっと撫でる。無意識に拳をアディの左脇腹にめり込ませてしまったのだ。

 これはもしや懐中時計を預かった弊害なのかもしれない。当主の身分と引き替えに、右手の攻撃性を抑えきれない……。


 そんな譫言を口にし、満足するとメアリは「さて」とあっさりと話を改めた。もちろん全て冗談だ。それにさすがに無言の暴力は申し訳なく思え、アディの右脇腹を撫でる。

 そうして数度撫で終えると、彼の上着の裾をくいと引っ張った。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ