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それから数時間後、場所はダイス家のパトリックの自室。
占い師から聞いた話をアディが伝えれば、パトリックが眉間の皺をより深くさせた。盛大に吐かれた溜息には露骨な嫌悪感すら感じさせる。
険しいその表情は彼らしくないが、今は室内にアディしか居ないから取り繕わずにいるのだろう。アディもそれが分かっているからこそ、宥めるでも気を遣うでもなく話を進め、持ってきた書類をテーブルに置いた。
「色々と思うところがあるでしょうが、今はアリシアちゃんが正式な王女であると証明することを優先しましょう」
「あぁ、そうだな。それが終われば、その縦ロールの占い師とやらは処罰させてもらう。……まだ縦ロールなのか?」
「半ロールと言ったところですね」
「なるほど、雪辱戦は五分五分だったんだな」
そんな冗談交じりの会話をしつつも、表情は真剣なまま二人で書類を覗き込む。
アディが占い師から取り返してきた原紙にあたる一枚と、パトリックが王宮から持ち出した書き直しの一枚。一見するとほぼ同じその二枚を並べ、交互に見比べ……。
「月形の痣?」
とパトリックが不思議そうな声色で呟いた。
アディが頷いて返す。
「原紙にあたる書類にだけ、走り書きで『王女の体には月形の痣がある』と書かれています。といっても体のどこかまでは書かれていませんし、もしかしたら痣自体もう消えているかもしれませんが……」
これしか書類の差は無かった。だがこれが絶対的な証拠に成り得るかは定かではない。そうアディが沈んだ声で呟く。なんてあやふやな話だろうか。
だが意気消沈するアディとは真逆に、パトリックは期待を抱いた表情で顔を上げた。
「ある。アリシアには月形の痣が残っている!」
「本当ですか!? どこに!」
「へその横だ。不思議な形の痣だといつも思っていたが、あれは生まれた頃から……アディ?」
どうした? とパトリックが不思議そうに名前を呼んでくる。
それに対してアディは全力で顔を背けつつ、「へその横、ですか」と呟いた。続いて「いつも、ねぇ」と続ける。
だがパトリックはいまだアディの言わんとしている事が分からないようで、しばらく藍色の瞳を不思議そうに丸くさせた後……、
次第に顔を真っ赤にさせ、これまた露骨に視線をそらしてしまった。耳まで赤く染まり、藍色の髪がよく映える。
そうして互いに顔を逸らし合うことしばらく、アディが咳払いの後に「それで」と話を改めた。
「この記述を読めば医者も思い出すはずです。痣がまだ残っているのなら、それと併せて証明すれば良い」
「あ、あぁ、そうだな」
真偽を疑っていた者達も、当時の記述と医師の証言が合わされば反論は出来ないだろう。それでもと食い下がれば、逆に『ならばアリシア王女が偽物だという証拠を出せ』と言及すればいい。
解決の糸口を見つけ、アディとパトリックが顔を見合わせて頷いた。
アリシアに対して審議会が急遽開かれると知らせが入ったのは、ちょうどその時である。
確証の無い噂や憶測が飛び交い、今や社交界中が浮き足だっている。
それも波紋は国外にまで及び、国としても到底この現状を見過ごせるわけがない。
といってもアルバート家の跡継問題に関しては他者が介入して良いものではない。親族内で話し合い、その時がくれば当主自ら発表するまでだ。外野の噂話や媚売りはあくまで勝手な行動であり、それらに社交界が浮足立とうとも国がどうこうすべきではない。
だがアリシア王女の真偽については別だ。
この噂を長く放っておいては国の沽券に関わり、疑われている王女を外交に出せば国家間の問題にもなりかねない。
ゆえに急遽彼女についての審議会が開かれたのだ。両陛下が不在の今、直ぐに結論を出すのは難しいとしても、解決に向けて動いているという意思表示ならば出来る。
「それにしても、明日だなんて急すぎますね」
そうアディが溜息混じりに呟けば、【第三回 アリシア王女強化訓練】の招待状をビリビリに破いてストレス発散していたメアリが「まったくよ!」と声をあげた。場所はアディの部屋、今日もまた反省会である。
ちなみになぜメアリが招待状をビリビリにしているのかといえば、今回もまた失敗に終わったからだ。
今朝もまた早朝からアリシアを攫い前回と同じ顔ぶれで訓練を始めたものの、開始早々ラングのメアリ溺愛が始まり、ルシアンがそれに続き、アリシアが興味津々にそれに聞き入り、ロベルトの暴言で幕引き……という流れになった。
最早定番の流れとさえ言える。もちろん、今日もまた中庭にはギャラリーが居た。チラチラと中庭の茶会を眺め、メアリ達が解散すると同じように散っていく。
ちなみに、今回はアリシアに淑女として話術を教えようとしたのだが、結果的に『幼いメアリは内緒話を好んでいた時があり、何を話すにも全て耳元で喋ってきて可愛かった』という話になった。ラング曰く縦ロールが親指サイズの一回転半の頃らしく、アリシアが「五歳ですね!」と即答していた。
「……あの子もだけど、お兄様達もいずれどうにかしないといけない気がしてきたわ」
「まぁまぁ、それは置いておいて。今はアリシアちゃんの事ですよ。明日の審議会をどうするか」
「そうね。……むしろそれに関してはこっちが聞きたいんだけど?」
チラとメアリが横目でアディへと視線をやる。
もちろんこれは『そっちの首尾は?』という意味だ。察してアディが頷いて返す。
万が一を考えて手の内は口外しないようパトリックに言われてはいるが、その際の彼の表情は苦笑を交えたものだった。そのうえ「出来る限りで」という一言付き。
アディとパトリックの付き合いは長く、他でもない彼が『アディはメアリに隠し事が出来ない』などと分からないわけがない。
ゆえにアディが頷くだけで返せば、それだけでも十分だったのかメアリが笑みを浮かべた。純粋とは言い難い、何かを企むような、そしてその企みが成功したと言いたげな表情だ。
それは社交界に生きる淑女らしからぬ笑みだが、なんともメアリ・アルバートらしい。
「それは良かった。アリシアさんを呼んで、お兄様達に協力してもらって、強化訓練をしたかいがあったわ」
「えぇ、お嬢が噂の渦中にいる方々を集めてくれたおかげでです」
動きやすかったですよ、とアディが労えば、メアリが得意げに肩に掛かった銀糸の髪を手で払った。
わざわざメアリが王宮にまで赴き、真偽を疑われているアリシアを連れ出す。そうして跡継問題の渦中にいるアルバート家二人の嫡男とお茶……。
となれば、誰もが気にかけるだろう。
豪華な顔触れに単純な興味心を抱く者から、これはもしや跡継ぎの相談ではと見当違いな予想をする者。そしてアリシア王女真偽についての密談では……と勘ぐる者。
様々な思惑が『来客』という形でアルバート家の中庭に注がれるのだ。その結果、パトリックやアディに対しての監視が緩くなる。
やりきったわとメアリが満足げに一息吐いた。だが晴れ晴れとした表情をすぐさま険しいものに変え、眉間に皺を寄せる。
「あとは張本人であるあの子ね……。最後にいっちょガツンと言ってやらなきゃ」
「アリシアちゃんにですか?」
「えぇ、審議会を前にこっちも最後の仕上げをね。アディ、明日あの子が審議会の前にうちに来るよう、王宮に連絡を入れてくれない?」
「畏まりました。ではちょっと屋根に登ってきますね」
「……足を滑らせて落ちないようにね」
気をつけて、とメアリが告げれば、任せてくれと返す彼のなんと男らしいことか……。
言わずもがな、屋根の上で明りを振り回して交わされる連絡である。
ちなみに、あっさりと連絡を済ませて戻ってきたアディは明日の訪問時間まで明確に伝えてきた。それを聞き、メアリは己の屋敷の屋根を見るように部屋の天井を見上げ……、
「密な連絡が可能になっているのね」
日々優れていく連絡手段に瞳を細めた。