18
翌日、アディはアルバート家から随分と遠く離れた場所にいた。
アルバート家や市街地の華やかさ賑やかさが嘘のようにシンと静まり、広大な土地には屋敷はおろか街灯も何もない。あるのは一軒の小屋。
人が住むには十分とはいえ、あまりに周囲が殺風景過ぎる。その静まりかえった光景は療養生活や隠居生活には適しているかもしれないが、反面些か不便かもしれない。
「……ここで間違いないんだよな」
そうアディが尋ねれば、隣に立つ女性が頷いた。
二人とも真剣な表情を浮かべ、纏う空気は重い。この長閑で自然溢れる景色には不釣り合いだ。
だが今の二人の心境からすれば、重い空気になるのも当然である。
なにせこの自然溢れる場所にピクニックに来たわけでもなければ、男女のデートなんてものでもないのだ。
……この土地を訪れた理由はただ一つ。
「あの小屋に例の占い師が……」
「そうよ、あの小屋にかつてのメアリ様に負けぬ縦ロールの持ち主が住んでいるのよ」
と、こういうことだ。
片や事件解決の手立てを求め、片や不屈の美容師魂を滾らせているのだから、真剣な表情で睨むように小屋を見つめていても仕方あるまい。
「アディ、貴方がどんな理由で縦ロールを尋ねるかは聞かないけど、あれは私の獲物よ」
「どうぞご勝手に」
「あの縦ロールを打ち倒して、私はまた美容師としてアルバート家に返り咲いてみせるわ!」
闘志を宿らせる美容師に、アディがまったくもって心のこもっていない応援と拍手を贈った。
彼女のおかげで、正確に言うのならば彼女の不屈の美容師魂と闘志のおかげで占い師の住処を突き止める事が出来た。全て片付いたら再就職の口添えをしてあげよう……と思いつつ、この闘志を見るに縦ロールを倒した足でアルバート家を訪問し、翌日には当然のようにサロンで働いている可能性がある。
その光景を想像し、アディは一度ふると頭を振った。今はそんなことを考えている場合ではない。
今すべき事は疑惑解消への手立てを得ること。
そう己に言い聞かせ、気持ちを引き締めると共に小屋へと歩き出した。
日中だというのに小屋の中は薄暗く、厚手のカーテンが日の光を遮っている。
生活範囲しか掃除をしていないのだろうあちこち物が散乱して埃を被り、周囲の自然溢れる光景とは打って変わって陰鬱とした空気が漂っていた。
扉を開けて迎え入れてくれたのは一人の女性。年はメアリやアディの両親と同じくらいだろうか。質朴でよれの目立つワンピースは部屋の空気と相まって、女性をより暗く見せる。血色も悪そうで、アディの脳裏に『魔女の住処』という冗談めいた言葉が浮かんだ。
飾り気のない陰気な女性、一見するとそう見えるだろう……。
彼女が動くたびにブォンと揺れる、豪華な漆黒の縦ロールを抜きにして見れば、の話だが。
きっちりときつく巻かれたその縦ロールは、質朴な服装には不釣り合いだ。髪だけ浮いて見える。
事情を知らぬ者ならば「髪に合わせて着飾るか、服に合わせてシンプルな髪型にすればいいのに」とでも言っただろう。
だがその縦ロールがセットしたものではなく自発的なものだと知るアディは、目当ての人物を前にしていよいよかとゴクリと生唾を飲んだ。ちなみに隣では、ここまで共にした美容師がいそいそと仕事道具を広げだしている。
「突然の訪問、申し訳ありません」
「いえ、構いませんが……」
室内へと招いてはいるものの、女性の表情にも口調にも警戒と途惑いの色が見える。
それも当然かと考えつつ、アディは厳しい表情を変えずにじっと女性を見つめた。普段ならば警戒を解くために愛想笑いでもするだろうが、相手が相手なだけに穏やかな表情など浮かべられない。睨まずに居るのがやっとだ。
そうして女性に促されるままテーブルに着いた。彼女はいまだ怪訝そうな表情で、アディと美容師を交互に見ている。
「……あの、ご用件は」
「縦ロールを直毛にしに来ました」
「頼む、ちょっと黙っててくれ。俺は貴女に聞きたい事があって来ました。アリシアちゃんの……いえ、アリシア王女に関して、知っていることを教えてください」
錆色の瞳でじっと見据えて告げると、思い当たる節があるのだろう女性が息を呑んだ。
視線から逃げるようにさっと顔を逸らせば、漆黒の縦ロールがブゥンと揺れる。――ちなみにその縦ロールの揺れを見て、美容師がサッと櫛を取り出した。だが慌てて櫛を持つ腕をもう片方の手で掴むあたり、話が終わるまで内なる闘志を抑えようとしているのだろう――
「アリシア王女の……ですか……」
「俺は貴女を罰するために来たわけじゃありません。それは俺ではなく、アリシアちゃんのすべきこと。今は貴女が知っている事と、そして当時持ち出したものを返して頂きたい」
厳しい口調で告げるアディに対し、女性はしばらく俯くとゆっくりと立ち上がった。
力無い足取りで古びた棚へと近付く。随分と長く手をつけていなかったのか、ふぅと軽く息を吹きかけると白い埃が舞った。
そこから小さな箱を取り出し、また力ない足取りで戻ってくる。テーブルに箱を置いても、中から一枚の紙を取り出しても、一度たりとて女性が顔を上げることは無い。チラリと覗く顔色は青ざめており、最後の審判を待つかのようだ。
己の仕出かしたことを省みているのか、処罰されることを恐れているのか。そのどちらかは定かではないが、女性は抗うことなく一枚の用紙をアディへと差し出してきた。
随分と長いこと箱の中にしまわれていたのだろう、劣化は激しいが読めないことはない。何度か丸められたような皺が目立つのは、この書類を持ち出した事を後悔して破棄しようとしたのか。端々が破けているが、それらすべて躊躇うような浅さで止まっている。
罪悪感と恐怖で幾度となく手放そうとし、そのたびに破棄することさえも恐ろしくなり思いとどまったのだろう。たった一枚の書類に葛藤の日々が見える。
「これが王女出生の届け出ですね。貴女が盗み、書き直さざるを得なかった」
「はい……あの日、アリシア王女を攫う前に……管理室から……」
たどたどしい声で女性が己の罪を語る。
それを聞き、アディは心の中で安堵の息を吐いた。
しらばっくれたらどうしようかと思った。
いや、正確に言うのであれば、『しらばっくれた瞬間にこちらの話は終わりと判断して美容師が櫛と鋏を手に襲い掛かるだろうから、そうしたらどうしようかと思った』と言うべきか。
だがどちらにせよアディの心配は杞憂に終わった。女性は素直に己の非を認め、心苦しそうな声で当時の事を語り始めたのだ。
『両陛下の間に男児が生まれる』
その占いが外れ、それを認められずアリシアを攫った。両陛下がアリシアの捜索を諦め、次に男児を授かれば自分の占いが間違いではなかったと証明できる……と。
アリシアが邪魔だった。金の髪も紫の瞳も、自分の占いが外れたと見せつけられるようで嫌だった。
仮にいつの日かアリシアが王家に戻る日が来たとしても、髪と瞳の色合いだけで王族と決めるのはおかしいといずれ異論をもつ者が出るはずだ。
自分の占いを、華々しい功績を邪魔したのだから疑われて当然だ……。
「あの時の私はそう考えていたんです。……どうしてあんなに驕っていたのか……」
過去の己の行為を悔やむ声は震えており、後悔や恐怖が伝わってくる。青ざめた顔で俯いており、その血色の悪さは今この瞬間に倒れてもおかしくないほどだ。
だがアディは同情してやる気にも慰めてやる気にもならず、深い溜息一つで返した。女性の肩がビクリと震える。
アリシアを攫い、さすがに子供を手に掛ける気にはならず遠い孤児院に預け、そうして身元を隠すためにこの土地に流れ着いたのだという。
凶行に及ばせるほどに酔いしれていた己の万能感は次第に薄れ、時間が経てば経つほど己の仕出かした行為の恐ろしさが増していく。今更名乗り出ることも出来ず、人目から逃れるように日々震えていた……。
震える声で語る女性の話を、アディは話半分程度に聞きながら書類に目を落としていた。正直に言えば、女性の後悔も贖罪も興味はない。自分は罰する立場ではないし、どれだけ女性が憐れに語ろうと同情する気もなければ慰める気もない。
それより今はこの書類である。どうしてこの一枚だけを盗み出したのか、手がかりがあるはずだと読み進め、ある一点で視線を止めた。