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【第二回 アリシア王女強化訓練】も失敗に終わった。
またもメアリの過去暴露大会となったのだ。あの後、優雅に談笑する三人を放置し、メアリはロベルトの隣で土いじりを眺め、そうして来客と共に今回もタイムアップとなったのだ。野次馬達も、それぞれ目当ての者に会うべく解散していった。
二度も同じ結末となれば流石にメアリも考えを改めるというもので、もしかして考えが間違えていたのかもと読んでいた月刊犬のしつけ方特別号を閉じ、そっと表紙を指先でなぞる。
「アリシアさんを躾ようと思っていたけど、間違えていたのかしら……」
力無く呟き、ふと顔をあげて本を読むアディへと視線を向けた。
ちなみに現在の時刻は夕食後、場所はアディの部屋、場所は変われど反省会である。
今夜はメアリが椅子に座り、アディがベッドの縁に座っている。珍しい配置ではあるものの、初めてというわけではない。お互いラフな寝間着に着替え、各々好きに過ごした結果こうなったのだ。
「そういえば、アディは今日も出かけてたわね」
どこに行ってたの? とメアリが尋ねれば、地図を眺めていたアディがはたと気付いて顔を上げた。どうやら随分と考え込んでいたようで、錆色の瞳をきょとんと丸くさせて「俺がどうかしました?」と尋ねてきた。
メアリが肩を竦め、改めて今日の彼の一日を尋ねる。
「今日も遠出をしていたのよね?」
「えぇ、昔馴染みに会ってきました」
アディがあげた数人の名前に、メアリが瞳を輝かせた。先程までの憂鬱がパッと消えて行く。
なにせどれも覚えのある名前、かつてアルバート家のお抱え美容師として勤めていた者達だ。正確に言うのであれば、美容師として勤め、そして強固な縦ロールに心折れて去っていった美容師達である。
懐かしいとメアリが思い出に浸れば、アディが皆元気だと教えてくれた。そのうち一人は再び美容師として働いているらしい。
「不屈の美容師魂だわ!」
「一度は諦めたものの、自分にはこの道しかないと言っていました。当時以上に技術を磨いていて、お嬢がドリルじゃなくなった事を悔やんでいましたよ」
「もしも私がまだ縦ロールだったなら、熱い雪辱戦が繰り広げられていたのね」
メアリが己の銀糸の髪をふわりと手で掬った。
かつてのあの縦ロールが嘘のように今はゆるやかなウェーブを描いている。以前であれば、手で掬ったところで崩れることなく、むしろ持ち上げられてもお構いなしと強固さを見せていたというのに……。
「命拾いしたわね」とメアリが冗談混じりに己の銀糸の髪に囁いた。
「アディ、良い話を聞かせてくれてありがとう」
「いえ、縦ロールは抜きにしてもみんなお嬢に会いたがってましたから、落ち着いたら遊びに行きましょう。きっと喜びますよ」
「そうよね、一度や二度の失敗で諦めるなんて間違いだわ」
「……お嬢?」
「”自分にはこの道しかない”まさにその通り、私にはドッグトレーナーの道しかないのよ!」
堅く拳を握り、メアリが立ち上がる。
その瞳に宿るのは熱い闘志。心折れかけたドッグトレーナーの魂が、アディの話を聞き、そして再び鋏を手にした美容師に共鳴して燃えあがったのだ。
闘志は以前より激しく燃え、耳を澄ませば世界中のドッグトレーナーの応援が聞こえてきそうなほど。銀糸の髪が描く緩やかなウェーブも、いまだけは燃え盛る炎の揺らぎに見えてくる。
「アディ、やるわ! 私必ずやドッグトレーナーの務めを果たしてみせる!」
「ドッグトレーナーでもなんでも、お嬢がアルバート家に居てくれるのなら俺も安心して外に出れます」
「あら、明日も出掛けるの?」
メアリが尋ねれば、アディが申し訳なさそうに明日も早朝から出掛けるのだという。
聞けば明日はかなり遠くへ足を運ぶらしく、起床予定はまだ日も登り切らぬ時間だ。きっとメアリが気付かぬうちに部屋を出るつもりなのだろう、気にせず寝ていてくれという彼の言葉にメアリが肩を竦めた。
「アディは朝から居ないし、私もドッグトレーナーとしての務めがあるし、パトリックやパルフェットさん達も最近顔を見せない。アリシアさんもいつも直ぐに王宮に帰ってしまうし、そのくせ来客は多くて強化訓練はギャラリーがいっぱい……。なんだか皆それぞれ忙しくてバラバラね」
「色々と問題が山積みになってますからね。片付くまでの辛抱です。落ち着いたらまた皆でのんびりお茶が出来ますよ」
「そうねぇ」
いつになるのやら、とメアリが溜息を吐いた。
アルバート家は相変わらず来客が絶えず、今朝も予定にない来客が「挨拶だけでも」と訪れてメイド達が右往左往していた。わざとらしく中庭を覗きに来るものも少なくない。
父はもちろん兄達も多忙で、強化訓練だって「可愛いメアリのために」とわざわざ時間を作ってくれたのだ。――結果はさておき――
メアリも彼等ほどではないが忙しく、強化訓練の後にはあちらこちらから声をかけられていた。父や兄達と時間が合わずせめてメアリに一言と考える者や、そもそも跡継ぎはメアリではと考え媚を売る者、はてにはアリシアの真偽に関して探りを入れてくる者……と、月刊犬のしつけ方を読み返す暇も無い。
アリシアも多忙なようで、以前であれば朝食・昼食・間食・夕食と全てをアルバート家で過ごしていたのに、今では強化訓練が終わるとすぐさま戻ってしまう。それも、来客の目を気にしてそそくさと逃げるように迎えの馬車に乗り込んでしまうのだ。もちろん、別れ際のハグもない。
彼女以外にもパトリックもパルフェット達も多忙らしく、長閑にお茶をしていた数日前がまるで遠い昔の思い出のようだ。
思わずメアリが溜息を吐けば、アディが苦笑を浮かべて手招きをしてきた。おいで、と、まるで子供を呼ぶような仕草だ。
メアリが招かれるままにベッドにあがれば、手招きしていたアディの手がそっと腰に触れて抱きしめてきた。
「せめて俺だけはお嬢の隣に居たいんですが、大事な用事で外せないんです。必ず隣にいると誓ったのに、お嬢を一人にして、説明も出来ず、申し訳ありません」
「良いのよ、アディだって頑張ってるんでしょ? 何をしてるかは知らないけど、アディがしてる事ならきっと私のためだわ」
メアリが抱きしめて返せば、腰に触れるアディの腕が更に強く抱きしめてくる。
確かに彼が朝から不在なのは寂しく思う。多忙なのだから隣で支えて欲しいとも思う。だがアディもまた何か別の事を成し得ようとしているのだから、たとえそれが話せない事だとしても妻ならば背を押すべきだ。
それに「アリシアちゃんの件が終われば必ず話します」と言ってくるあたり、つまり王女真偽についてなのだろう。説明をせずとも遠回しに伝えてくるあたりが何ともアディらしく、隠し事が出来ないどころかしようともしない夫が愛おしい。
「落ち着いたら皆でのんびりお茶も良いけど、夫婦でゆっくりも良いわね」
そうメアリが笑えば、アディもまた嬉しそうに笑い、錆色の瞳を誘うように細めるとキスをしてきた。
メアリが心地好さに瞳を閉じて応じる。なんて甘い時間だろうか。疲労が溶かされていく。
……が、キスをしている間に肩に手を置かれたことにピクリと眉を動かし、じょじょに手に力が入るのを感じて眉間に皺を寄せた。ゆっくりと、まるで押し倒すかのように……。
これにはメアリも心の中で「あらまぁ」と呟き、
「早朝起床のため、節度!」
と、力強い一撃を放った。
見事脇腹に拳を喰らったアディが蹲る。
もちろんメアリは今更それを気に掛けることなく、彼の隣に並ぶようにゴロンと横になると布団をかぶり、「おやすみアディ」と一言告げて先に寝に入った。
夫の寝坊を未然に防ぐのも妻の務めだ。