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16


 翌朝、場所は変わらずアルバート家の庭園。

 優雅なその場所には、昨日と同じくテーブルが用意されている。

 席に着くのはメアリとラングとルシアン。そして今朝もまた手紙片手に王宮に現れたメアリによって連れ出されたアリシア。彼女の背後にはロベルトの姿もある。

 来客や予定無く訪れた者達がちらちらと中庭を覗いており、これもまた昨日と同じと言えるだろう。

 そしてテーブルの上には一枚の便箋。中にはもちろん、


【第二回 アリシア王女強化訓練】


 と、これまた上質の紙に美しいレタリングで記載されている。強化の文字が若干大きくなり強調されているあたり、メアリの気合の度合いが窺える。

 それを見て、メアリがパンッ! と手を叩いた。銀糸の髪がふわりと揺れる。


「それじゃお兄様、今日も……今日こそお願いね!」

「二日も連続してメアリに頼まれるなんて、これは腕の見せ所だな! なんでも任せてくれ、メアリは大船に乗った気でいればいい!」

「……これでメアリの期待を損ねたら、きっと一生頼ってくれなくなる……この命に賭けてもメアリの期待に応えてみせる……」

「相変わらずどっちも面倒くさいわね。足して三で割りたいわ」


 やる気を見せる兄達に、メアリが面倒くさいと眉を顰める。

 だが今は兄達の面倒くささを嘆いている場合ではない。むしろこのやる気を成功へと導くのが自分の役目だ。そう考え、メアリは気合を新たにアリシアへと向き直った。

 彼女も同様、紫の瞳に闘志とさえ言える気合を宿している。ぐっと強く握られた拳は今にも力強く掲げられそうだが、昨日それをやった瞬間にメアリに引っ叩かれたことを覚えているのかテーブルの上で固定している。


「今日こそアリシアさんに王女らしさを学ばせるのよ。それで、今日はお兄様達に『男性が考える淑女に必要な嗜み』を教えて欲しいの」


 今日の予定をメアリが説明すれば、二人の兄達が顔を見合わせた。

 彼等はアルバート家嫡男、まさに社交界に生きる男だ。生まれた時から、それどころか生まれる前からその名は社交界に知れ渡り、国内の身分ある者の中で彼等の名前を知らぬ者は居ない。

 長く社交界に身を置いてきた、つまりそれだけ社交界に生きる淑女達と接してきたという事だ。

 どのような女性が評価されるのか、どのような立ち振る舞いが好まれるのか、男達で雑談交じりに話し合った事もあるはずだ。その観点は女性であるメアリとはまた違ったもののはず。

 それを聞きたいと話すメアリに、ラングがなるほどと頷いた。そうしてしばらく考えた後、ポツリと呟いたのは……「我が儘」という意外な言葉。


「あまり度が過ぎるのも問題だが、やはり貴族の淑女と言えば多少の我が儘は必須だな」


 ラングの言葉に、これにはアリシアもメアリも予想だにせず目を丸くさせてしまった。

 社交界に生きる女性たるもの、マナーや気品を欠かせないのは分かる。礼節と知性、それに気品。夫を支え家庭を見守る気配りも必要である。

 だが『我が儘』とはどういう事だろうか?

 メアリが不思議そうにラングを見れば、どうやらその不思議そうな視線が面白かったのか、彼はどことなく胸を張ると「いいか」と勿体ぶった口調で話し出した。随分と得意気で、吹き抜けた風が彼の銀の髪を揺らす。

 ……それを見たアリシアが「メアリ様そっくり」と小さく笑ったので、メアリはテーブルの下でコツンと彼女の足を蹴っておいた。アリシアが小さく悲鳴をあげたが、背後からロベルトが「見なかったことにしておきます」と隠蔽の手助けをしてくれた。


「それでお兄様、我が儘ってどう言うこと?」

「社交界でお馴染みの自慢合戦さ。夫人達はいつだって『夫に強請って買ってもらったの』とか『今年の結婚記念日には新しい別荘をリクエストするわ』とか自慢げに話してるだろ」

「そうね、いつだって盛り上がるのは噂話と自慢話だわ。嫌になっちゃう」

「メアリがうんざりするのも分かるが、あれも夫人達の仕事の一つだ。やってもらわなきゃ困る」


 ラングの説明に、ルシアンまでもが同感だと後押しする。それどころかロベルトさえも「程々の範囲内ですが」と肯定しだすのだ。

 そんな男達の反応に、メアリはしばし考え込み……「確かにそうね」と頷いた。まさかメアリまで賛同するとは思っていなかったのか、アリシアがぎょっとして見つめてくる。


「メアリ様、どういう事ですか? 我が儘は駄目ですよ」

「ラングお兄様の言う我が儘は、貴女が想像するような子供の我が儘じゃないわ。夫人が己の我が儘を自慢するってことは、その我が儘を叶えるだけの財力が家にあるって事よ。派手な装いと派手な出費は裕福の証。家柄と懐の余裕を誇示するためには、多少我が儘で浪費家で自慢屋じゃないと駄目って事ね」


 そうメアリが説明すれば、アリシアがようやく理解がいったと頷いた。

 つまり夫人の我が儘と自慢はそのまま家の財力誇示に繋がるのだ。社交界に生きる淑女として「強請って買ってもらいましたの」と大きなアクセサリーを見せびらかすのもまた仕事。煌びやかに着飾り豪華なものを身に着ける夫人は、いわば家の看板である。

 そして自慢したぶんだけ聞く側にも回り、相手の家の事情を知る。交流を持ちたい家の婦人の自慢話を聞き、誉めそやし、上機嫌にして家の繋がりを得たりもするのだ。


 もっとも、それもロベルトの言うとおり『程々の範囲内』でなければならない。欲に任せて我が儘を言い、望むままに高いものを強請って、自慢し、その果てに家を傾けさせたら本末転倒だ。

 つまり、自慢し家柄を誇示できるほどであり、それでいて家計や家業を圧迫しない程度でなければならない。時には聞き役に徹する謙虚さも必要。

 ドラ学悪役令嬢メアリのような、目につくもの片っ端から「全て私のものよ!」と奪い、他者の自慢話を遮って「私が一番じゃなきゃ!」と豪語していた、あの我が儘とは次元が違う。

 なるほど、これは只の我が儘ではない……とメアリがひとりごちた。


「これはプロの我が儘になる必要があるわね。頑張ってちょうだい、アリシアさん」

「プロの我が儘……! そんな、私には難しいですメアリ様!」

「あら、私だって無理よ。コロッケが好物の自転車乗りなんて自慢のしようが無いわ」

「そんなぁ……!」


 今回に関して自分は参考にならないと断言するメアリに、アリシアが情けない声をあげる。

 次いで彼女の紫の瞳が向かったのは、もちろんラングとルシアンだ。

「何か助言を!」と必死な懇願に、二人が瓜二つでありながら陰陽真逆の顔を見合わせた。


「確かに、アリシア様に我が儘っていうのは難しいかもしれないな。それに俺達の可愛いメアリも、小さい頃から滅多に我が儘を言わないそれはそれは聞き分けの良い子だったし」

「あぁ……。俺達にはもっと我が儘を言ってくれてもいいのに、メアリはいつも聞き分けが良くて、素直で……。全くこれっぽっちも我が儘を言ってくれない、兄として頼ってくれない……」

「そこを何とか、お二人ともお願いします!」

「だけどメアリの我が儘と言えば、小さい頃に一度あったな。ほら、アディが余所の家に泊まりで手伝いに行った時」

「あぁ、あの時のメアリはすごかった……あれは我が儘と言える……」

「その話を詳しくお願いします! ノートの準備はできています!」


 かつてのメアリの我が儘を聞けると察し、アリシアがカッと紫の瞳を見開いた。いつのまにやら彼女の手元には筆記用具が準備され、先程の困惑もどこへやら意気込んでいる。

 対してメアリは今日こそ脱線させまいと阻止しようとするも、思い出話に耽る兄達が止まるわけがない。ならばとアリシアのノートを奪おうと手を伸ばすも、スルリと躱されてしまう。


「懐かしい、あれはまだメアリが小さい頃だった」

「それはいくつくらいの事でしょうか。縦ロールのサイズは?」

「まだ縦ロールも拳の半分にも満たないくらいで、細巻きの二回転だったかな」

「なるほど、推定七歳ぐらいですね!」


 ラングの話を聞き、アリシアが手元のノートに書き写す。

 もはやメアリは止める気力も削がれ、届かないと分かっていても「ドリルを年輪扱いするんじゃないわよ」と文句を言っておいた。……ロベルトに紅茶のおかわりを頼みつつ。


「アディが他家の手伝いで駆り出されてな。遅くまで時間が掛かったから、そのまま泊まる事になったんだ。よくある話だし、アディは働き者だなってみんな感心してた。ところが夜になって……」

「よ、夜になって……!?」

「メアリの姿が見当たらなくなり、探したら庭園のすみで泣いていたんだ! 聞けばアディが帰ってこないって、スカートの裾に泥がつくのも気にせずしゃがみこんでグスグスと泣いて、あの慎ましさと儚さと言ったら!」


 まるで劇的な話だと言いたげにラングが声高に話す。時に肩を竦め、時に溜息混じりに首を横に振り、果てには両手を広げて、まさに身振り手振りだ。

 この話にアリシアは「そんな、メアリ様が……!」と驚きの声をあげた。もっとも驚きの声こそあげているものの瞳は爛々と輝いており、手元ではせっせとノートに書き記し、そのうえ赤色のペンでキュッと線を引いた。彼女なりの重要ポイントがどこかにあったのだろうか。


「あの時のメアリは、俺達の話をまったく聞いてくれなくて困ったよ。アディがいない、帰ってこない、って泣きじゃくるんだ。強引に涙を拭うせいで目元は赤くなるし、時には縦ロールを巻き込んで拭うし、俺は見ていて己の胸が張り裂けるかと思った!」

「なるほどなるほど。それでその後は? 泣き続けたメアリ様は!?」

「あれは苦労したな……。俺達がいくら『アディは明日帰ってくる』って言っても泣き止まなくて……。なんとか屋敷の中に連れ戻して、泣き疲れてボーっとしだした頃にアディの上着を渡したらくるまって眠ったんだ……」

「それでそれで、その事を知ったアディさんの反応は!?」

「「腹が立つから教えてない!」」


 ラングとルシアンに声を揃えて断言され、アリシアが「あぁー」と落胆の声を出した。ノートを力なくパタンと閉じる。

 次いでまるで一仕事終えたかのようにふぅと深く息を吐き、紅茶に口を付けた。コクリと彼女の白い喉が揺れる。ティーカップをソーサーに戻す所作には落ち着きを感じさせ、興奮していたのが嘘のようだ。まだほんのりと頬が赤くて興奮の余韻が残っているが。

 一息吐いたアリシアがゆっくりと顔を上げ、柔らかな微笑みでラングとルシアンに向き直った。


「たいへん参考になりました。ラング様、ルシアン様、ありがとうございます」


 感謝を告げてアリシアが頭を下げれば、金の髪がふわりと揺れる。

 その仕草もまた麗しく、礼を告げられた二人もまた柔らかく笑むと頷いて返した。「アリシア王女の力になれたなら光栄だ」と、そう返す彼等の言葉は暖かく、忠誠と友情を感じさせる。

 そうして紅茶を堪能しだす三人の空気は長閑の一言で、何かを成し遂げた爽快感と達成感すら漂わせていた。時に冗談を言っては笑い、そして今日の成果を称え合う。


 もしもこの場に誰か居合わせたなら、正確に言うのならばこの場だけに居合わせた者――先程までの会話をいっさい聞いていない事を条件とする――がいたのなら、何かしらの労いを兼ねた茶会とでも思うかもしれない。

 それほどまでに彼等からは清々しい達成感が漂っているのだ。噴水の水飛沫がキラキラと目映く輝く。

 ……もっとも、そんな輝かしい三人と同席しているメアリはと言えば、


「ひたすら私の心が抉られるだけだったわ」


 と、光を失った瞳で冷え切った紅茶を飲んでいた。

 ちなみにアリシアの背後に立っていたはずのロベルトに至っては、いつの間にやら庭の手入れを始めていた。

 どうやら聞く必要が無いと判断したようだ。判断したうえで、この意味のないメアリ過去暴露会よりも土いじりの方が良いと判断したのだろう。

 これにはメアリも叱咤を……する気も起きず、背後から聞こえてくるシャベルが土を掘る軽快な音と、目の前の長閑な慰労会の間に挟まれ、空になったカップに自ら紅茶を注いだ。


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[気になる点] 縦ロールの年輪……
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