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 王女強化訓練が開始された。

 といっても鍛えるのはマナーや優雅さ。ゆえに訓練というよりは長閑で、やることは茶会と変わらない。紅茶とタルトを堪能し、雑談に花を咲かせるだけだ。

 中庭を眺めている来客達の目にも長閑なお茶会程度にしか映らないだろう。一人また一人と様子を見に来ては去って……と忙しないが。

 だがそんな中でもメアリは細かくアリシアの所作を見つめ、彼女が一口タルトを頬張ったのを見て待ったをかけた。


「アリシアさん、タルトはもう少し小さく切った方が品良く見えるわよ。田舎作法じゃ美味しいものは大口開けて食べるのが当然だったかもしれないけど、社交界じゃ品が悪く見えるわ」

「はい、気を付けます! でも本当に美味しいタルト……!」

「当然でしょ。アルバート家のパティシエが腕によりをかけて作ったのよ。きちんと品良く小さく切って食べるのがパティシエへの敬意ってもので……べ、別に小さく切って私に寄越せってことじゃないの。やめなさい、食べさせようとするんじゃないの、あーんなんてしないから……やめっ……」


 むぐっとメアリが口にケーキを突っ込まれ、仕返しにアリシアの手をぴしゃりと叩いた。粗相があった時は直ぐに叱る、これは月刊犬のしつけ方創刊号に書いてあった事だ。

 もっとも、叩かれたアリシアは手をさすりながら「はぁい」と嬉しそうに答えているあたり、叱られた自覚があるかは定かではない。それでも次の一口は先程よりだいぶ小さく切っているので、話はちゃんと聞いているのだろう。

 タルトを小さく切り、口に運ぶ。その動きは先程の一件さえ無ければ品良く美しく、メアリが満足そうに一度頷いた。これなら及第点をやってもいいだろう。


「お兄様達から見て、何か問題はないかしら?」


 ねぇ、とメアリが兄達に視線を向ける。

 メアリとアリシアのやりとりを微笑ましく見守っていた二人が、話を振られて顔を見合わせた。


「まだぎこちなさが少し残るが、アリシア王女の動きは素晴らしい。まるで幼い頃のメアリのようだ。習いたてのマナーを使いたくてうずうずして、可愛かったなぁ……!」

「まぁ、メアリ様にもそんな時期が。是非お話を聞かせてください!」


 自分の知らない過去のメアリの話に、アリシアがグイとラングに身を寄せる。もはやマナーどころではなく、これにはメアリも「今そんなことを話してる場合じゃないでしょ!」と咎めた。

 ……そう、咎めはしたのだ。

 だが目を輝かせノートとペンを取り出すアリシアも、そして今が語り時だと感じて喉を整えだすラングとルシアンも、メアリの制止の言葉程度で今更止まるわけがない。


「懐かしい。あの頃のメアリはマナーを失敗する時もあって、自分の未熟さに涙する時もあったんだ。なんて健気なんだ!」

「だけど俺達の前ではけして泣いてくれない、泣くのはアディの前だけ……」

「そうなんですね、うふふメアリ様ってば!」

「そのうえ、突然『揚げ物を手で掴んで優雅に食べるマナー』を開発しだしてな。さっぱり分からないが、メアリは幼い頃からどんな時でもマナーを気にする子なんだ! 素晴らしい!」

「まぁでも、それも結局はアディとコロッケを食べるためだったんだけど……。でも、それでもマナーを気にするメアリは愛おしい……」

「あらあらメアリ様ってばうふふうふふ」


 ラング達の話に、アリシアが堪えきれないと笑みを零す。

 うふふ、うふふ……と、愛でるようなその笑みに、メアリが不服そうに「気持ち悪い笑い方」と咎めた。もちろんこれも効くわけがないのだが。というよりもう自分の声が彼女達の耳に届いているのかさえ怪しいところだ。

 いつの間にかアリシアの手元にはノートが開かれ、いそいそと何やら書き出す。

 もしやとメアリが覗き込めば、彼女は「きゃっ!」と高い声をあげてノートを背後に隠してしまった。

 明らかに怪しい。だが今はノートを暴いている場合ではない。そう考え、そしていまだメアリ語りをしている兄達を冷ややかに一瞥し、次いでメアリは背後へと振り返った。


 そこに居るのはロベルト。さぁと風が吹けば一つに結ばれた錆色の髪が揺れる。背筋を正して立つその姿は、まさにできた執事そのものだ。

 彼は常日頃、それこそラングとルシアンがメアリを溺愛し暴走しだしても一人冷静としている。そんな彼ならば、メアリ語りと化したこの場でも厳しく的確なアドバイスをくれるだろう。――兄達はもう駄目だ、とメアリはあっさりと切り捨てた――


「ロベルト、何か気付いた事はない?」

「そうですね……。アリシア様は手元に意識をやりすぎているせいか、時折不必要に足を動かしております。落ち着きなく見えるので、気をつけた方がいいかもしれません」

「さすがロベルトね。他には何かある?」

「足下さえ気をつけて頂ければ、とても麗しく問題は無いかと。……ですが、あえて言うのであれば」

「言うのであれば? 大丈夫よ、どんどん言ってちょうだい。この場でのどんな発言も無礼講とするわ」


 遠慮はいらないわよ! とメアリがロベルトを焚きつける。ただのマナー勉強会ならばまだしも、今はアリシアが王女かどうかの真偽が掛かっているのだ。身分の違いなど気にしている場合ではない。

 アリシア本人も覚悟を決めたのか、ぐっと意気込むと「ロベルトさん、お願いします!」と告げた。紫の瞳には何を言われても受け入れようという熱意が宿っている。

 そんな二人の言葉に、ロベルトがそれならばと頷いた。錆色の瞳が鋭くアリシアに向けられる。


「でしたら、失礼を承知で言わせていただきます。アリシア様はチラチラとメアリ様を見すぎですね。それとラング様はメアリ様の話になると身振り手振りがはしたなく、みっともないので即座にやめてください。それに今朝終わらせる仕事を放ってよくもまぁお茶なんて優雅に飲んでられますね。ルシアン様はあいかわらず湿っぽく暗く、そもそも昨日終わらせるはずの仕事を堂々と今朝渡してくるその神経を疑います」

「無礼講と聞いて、標的をお兄様達に変えたわね」

「不肖ながら参考にして頂ければ幸いです」


 暴言を無かったかのように品良くロベルトが頭を下げる。なんとも優雅でいて、その姿だけ見ればやはり忠義ある麗しい従者だ。

 さすがのアリシアも若干慄き、メアリが「やりたい放題ね」と溜息を吐く。

 だというのに当のラングとルシアンは慣れたものでどこ吹く風だ。これに対してロベルトの盛大な――それでいて見た目は麗しい――舌打ちが放たれたのだが、無礼講と言った手前メアリは何も言わず見逃すことにした。



【第一回 アリシア王女強化訓練】はこうして失敗に終わった。

 結果的に見れば、ギャラリーの多い中庭でメアリの思い出話に花が咲いただけだった。それも当の本人であるメアリは蚊帳の外で。

 あの後すぐラングとルシアン宛に来客があり、彼等を連れてロベルトが退席。それを見てアリシアも王宮へと帰り、メアリもまた来客対応を求められてメイドに呼ばれたのだ。様子を見ていた野次馬達もそれに合わせて散っていった。

 そうして夕食を終えた頃アディが戻り、庭園で紅茶を飲みはじめて今に至る。反省会を兼ねた一日の報告会、という名目の夫婦の時間。

 夜の風はひやりと冷たく少し肌寒いが、それはそれで暖かな紅茶をより美味しくしてくれる。一口飲めば暖かさが喉を伝い、体の内から暖められる感覚は心地好い。


 それに、お茶請けのコロッケもまた寒空に合う。ほんのりと湯気があがったコロッケを手にとりサクリと齧りつき、メアリがほぅと一息吐いた。コロッケは長閑な日中に食べても美味しければ、夜空の下で食べても美味しい。なんて素晴らしい。

 ちなみにコロッケを食べるメアリの仕草はそれはそれは美しく、まるで一級の料理をパーティーの最中に食しているような優雅さである。これぞメアリが独自に編み出した『揚げ物を優雅に食べるマナー』だ。


「アディは今日一日ずっと出かけていたけど、何をしていたの?」

「ちょっと探し物があってあちこち回っていたんです。申し訳ありませんが明日も一日外出しますので、お嬢の身の回りは別のメイドに頼んでおきますね」

「みんな多忙ねぇ。私も明日は強化訓練の第二回だわ。後で手紙の作成お願いね」


 よろしく、とメアリが頼めば、アディが苦笑と共に頷いた。

 だがその後に一息ついて紅茶を飲む姿には疲労の色が見え、メアリは案じるように彼の様子を窺った。あちこちと言っていたがどうやらよっぽど動き回ったようで、聞けば苦手な馬車にも乗ったというではないか。


「アディも疲れてるのね、それなら私に任せなさい!」

「お嬢?」


 どうしました? とアディが尋ね……次いでぎょっと錆色の瞳を丸くさせた。

 なにせメアリがコロッケを手に、ぐいとアディに身を寄せてきたのだ。上質のハンカチで包んだコロッケを差し出す様は、まるで親が子供に食べさせるかのよう。いわゆる「はい、あーん」というものだ。――ちなみに差し出す仕草もまた品が良い――

 メアリがしようとしている事を察し、アディの顔が一気に赤くなる。錆色の髪にも負けぬ、夜の暗がりでも分かるほどに赤い。


「お、お嬢!?」

「ほら、がぶっといきなさい! コロッケは万能薬よ!」

「で、ですが、こんなところで……」

「大丈夫よ、誰も見ていないわ」


 だからとメアリが促せば、真っ赤になったアディが念のためにと周囲を窺い、観念したと言いたげにゆっくりと身を寄せるとサクリとメアリの手にあるコロッケを齧った。


「まさか今更こんなスキンシップをするとは……。ものすごく恥ずかしいんですが」

「美味しい物は疲れを癒すでしょ、愛が詰まった癒しのコロッケよ!」


 メアリが得意気に宣言する。

 それに対してアディはと言えば、味わう余裕も無かったコロッケの味をそれでも思い出し、確かに癒されたと笑った。

 次いで彼は皿に置かれているコロッケを手に取り、メアリに差し出す。先程のメアリの行動の焼き直しで、その意図など察するまでもない。


「お互い癒し合って、明日からも頑張りましょう」


 そう苦笑交じりに告げられ、メアリが上機嫌でアディの手元にあるコロッケを一口食べた。

 日中に食べても夜空の下で食べても美味しいコロッケは、愛する伴侶に労わられながら食べさせてもらうと格段に美味しいのだ。



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