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「一枚目のはずなのに、他の書類と比べて記載日が遅いですね」
「あぁ、そうなんだ。俺もそれに気付いて管理者に聞いたが、どうにもその一枚だけ紛失して書き直されたものらしい」
「王宮が管理してるのに紛失ですか? しかもこれ一枚だけ?」
パトリックの話に、アディが信じられないと声をあげた。
王宮の管理は厳重で、そもそも書類を手に出来る者すら限られている。王宮関係者か、それに匹敵する権威者、もしくは両陛下の信頼が厚く厚遇を得ている者か。
そんな徹底された管理の中、更に数枚で管理されている書類のたった一枚だけが紛失……となれば、訝しく思わないわけがない。不穏な空気を感じてアディが眉間に皺を寄せれば、パトリックも言わんとしている事は分かると表情を渋くさせた。
次いでコホンと咳払いをし、周囲を見回す。その仕草に、アディがもしやと顔を上げた。窓や扉に視線を向けるパトリックの仕草は、これから重要な事を……他の人に聞かれてはまずい重要な事を口にすると言いたげではないか。
「まさか、その紛失された一枚に何か手掛かりがあるんですか?」
「断言出来るほどの確証は無い。医師のもとを訪ねたが、既に隠居生活で書類に関しては殆ど覚えていないという」
パトリックが盛大に溜息を吐けば、アディもつられて肩を落とす。
いくら王女出生に関する書類といえども、二十年も前の話だ。隠居生活の身には既に懐かしい思い出でしかなく、それも元の書類と書き直しの差についてなど覚えているわけがない。
とりわけその後に王女誘拐という悲劇があったのだ、思い出すのも胸が痛むと長いこと記憶に蓋をしていたのだろう。
今更医師に思い出させるのは不可能。それを断言し、だけど……とパトリックが続けた。
「書類が書き直されて間もなく王女誘拐が起こっている。俺はこの二つの事件が繋がっていると考えているんだ」
「それって、つまり書類を紛失……いえ、書類を盗んだのは……」
「かつてアリシアを攫ったという占い師だ。調べたところ、当時その占い師は両陛下からの信頼も厚く、占いのためにと書類開示の許可も得ていたらしい」
絶対的な証拠こそないが己の考えに迷いは無いのだろう、淡々と話すパトリックの口調には言い得ぬ重みがある。話を聞いているアディすらも気圧されそうなほどだ。
当時から紫の瞳と金糸の髪は王族の証とされていた。だがそれはあくまで伝承で、今回のように「他国から探してきたのでは」だの「偶然同じ色合いなのでは」だのと言いがかりをつけられれば否定しようがない。
世界中の一人一人を虱潰しに見て回り、「ほら王族しか居ないでしょう」等と見せつける事など出来やしないのだ。
王家の権威と、信頼と、そして過去一度として出生を疑われなかったからこそ言い伝えられてきた。
髪と瞳の色が証など、いざとなればなんとも脆い話ではないか。件の占い師はそれを理解していた。
「アリシアが見つかっても、伝承だけでは王女と決定付けられないと踏んだのかもな。……だからこそ、書類を盗んだ可能性がある」
「なるほど。その書類には伝承以上に決定的な事が書かれていたかもしれないんですね」
「だがいかんせん二十年も前のことだ。占い師も書類も、探そうにも術がない」
「誰かに占ってもらいましょうか」
アディが肩を竦めて冗談交じりに告げる。
それに対してパトリックは呆れたように首を横に振った。冗談に付き合う気力も無いのだろう。
そんな彼を眺めつつ、アディはしばらく考えを巡らせ……ふと、かつて聞いたメアリの話を思い出した。
高等部時代、まだ没落を目指していた最中だ。メアリが思い出した『ドラ学』というゲームの中では、アリシアが攫われる際の一枚絵が描かれていたという。
幼い赤ん坊と、それに忍び寄る……。
「……ドリル」
「メアリの縦ロールがどうした?」
ポツリと呟かれたアディの言葉に、書類に目を通していたパトリックが顔を上げる。――「ドリル」の一言から間髪入れずメアリの縦ロールに繋がるのは今更な話だ――
「以前に聞いたことがあります。その占い師は過去のお嬢にも劣らぬ強い縦ロールだったらしいです」
「あの縦ロールにも劣らぬ、だと……。だがそれだけで探すのは難しいな、時間が掛かる」
たとえメアリ程の縦ロールが珍しいとはいえ、そこから居場所を探りあてるのは難しい。
時間の余裕があればいずれはと期待を抱けるかもしれないが、刻一刻と噂が広がる現状ではそう悠長な事は言ってられない。せめて髪型ともう一つヒントがあれば……そう渋い表情で呟くパトリックに、アディが更に話を続けた。
「パトリック様ならばご存知かと思いますが、かつてお嬢の縦ロールに破れ何人もの美容師が鋏を置いてきました」
「あぁ、うちで贔屓にしていた美容師も一人散っていったな」
「あれは悲しい時代でした……。ですが敗れ去った美容師の中には立ち上がり、打倒縦ロールを掲げた者がいるかもしれません」
「そうか、既にメアリは縦ロールじゃなくなっている。となれば他の縦ロールを探している可能性が……!」
アディの言わんとしている事を察し、パトリックの藍色の瞳に期待が宿る。
美容師の中には、一度は心折れたものの再び立ち上がり、腕を磨いて縦ロールに挑まんとする者がいるかもしれない。
だがメアリの強固な縦ロールは失われている。今ではすっかり緩やかな銀糸のウェーブで、『美容師殺しの合金ドリル』の異名はとうに過去のものだ。
ならば立ち上がった美容師の闘志はどこへ向かうのか……。
彼等はかつてのメアリに匹敵する縦ロールを求め、道場破りならぬ縦ロール破りを行っているかもしれない。
「アルバート家に仕えている者の中には、去っていった美容師とまだ交流を続けている者も居ます。聞いて回れば占い師の情報が掴めるかもしれません」
「そうだな。……だが、問題はどう調べるかだ」
僅かながら手掛かりを得たものの、パトリックの表情は渋い。
曰く、アリシアに関する噂が広がってから今まで、絶えず来客に追われて碌に動けずにいるらしい。王宮から書類を持ち出すのでさえやっと。今朝だって早朝だから話す時間が取れたものの、朝食後は来客の予定でびっしり埋まっている。
パトリックもまた世代交代を控えており、媚を売ろうとする者達に付き纏われているのだ。もちろんその中には噂を信じてパトリックを監視する者もいるだろう。
生憎とそれらを見分ける余裕は無く、外出もままならない。どこに居るのか分からない縦ロール探しなど出来るわけがない。
どうすれば……とパトリックが小さく呟いた。
「協力を得ようにも、今や社交界中が浮足立って誰に声を掛けるべきかも分からない。それに全て俺の憶測だ。協力を仰いでもし見当違いだったら……」
「最悪の場合、偽の王女を担ぎ上げた共犯にされかねませんね」
「あぁ、だから頼れない」
パトリックが深く溜息を吐く。
誰にも頼れない、だから全て自分一人で進めよう……そう考えているのか、パトリックの表情は渋く、決意と不安が綯交ぜになっている。
そんなパトリックを前に、アディが肩を竦めた。
そういえば、彼は昔からなんでも出来て、そして出来るがゆえに滅多に人を頼らなかったな……と。常に完璧と誉めそやされ、そして賛辞を平然と受け止めていた幼少時のパトリックを思い出す。大人顔負け、それどころか大人でさえ頼ってしまう、そんな子供だった。
その姿は、常に完璧な令嬢を取り繕って他者と一線を画していたメアリとよく似ている。
器用なのか不器用なのか……。そう考え、アディが思わず小さく笑みを零せば、考え込んでいたパトリックが不思議そうに顔を上げた。
「どうした?」
「いえ、ちょっと昔を思い出しまして……。ところでパトリック様、良いことを教えてさしあげます。こういう時は頼りになる年上に協力を仰ぐものですよ」
わざとらしくアディが告げれば、パトリックがきょとんと藍色の瞳を丸くさせた。
次いで「頼りになる年上……」と呟く。
「ラングとルシアンか? 彼等は跡継ぎ問題もあるし、俺以上に動けないはずだ。ロベルトだってそうだ。それに彼等には少しでも監視の目を引き付けてほしい」
「違います。もっと身近にいるでしょ」
「身近……。となるとガイナスか? それともマーガレット嬢やカリーナ嬢か、一緒に生徒会を務めた奴らも頼りになるな。俺より誕生日が早いのは誰だったか」
「それも違います。そんな微々たる年の差じゃなくて、もっと、具体的に言うなら五歳年上です」
「……五歳?」
痺れを切らして随分と具体的になってくるアディの言葉に、パトリックは藍色の視線を他所に向けて真剣に考え始めた。
小さく「頼りになる、五歳年上……」と呟き、呻ると共に首を傾げる。『そんな人物は思い出せない』そう全身で語り、果てにはそれは人間なのかと尋ねてきた。
アディの眉間に皺が寄る。思わず痺れを切らして「ほら、早く思い出してください!」とせっつくも、それでもパトリックは考え込むだけなのだ。
「頼りになる年上がいるでしょう!」
「よし、それならまずはその『頼りになる五歳年上』を探しに行こう。もしくは占ってもらうか」
「目の前にいるものを占ってどうするんですか!」
痺れを切らしたアディが勢いよく立ち上がりながら訴えれば、パトリックが藍色の瞳を丸くさせた。
そうしてようやく事態を理解するとふっと息を漏らして笑い出し、震える声で「すまなかった」と詫びはじめた。呆れと拗ねを混ぜ合わせた不服そうな表情のアディの肩に手を置き、ポンポンと軽く叩く事で宥める。
「悪かった、そう怒るな。アディの事を忘れてたわけじゃない、お前は誰より頼りになるよ。ただ……」
「ただ?」
「お前の事は手のかかる弟のように思っていたんだ」
これ以上ないほどの笑顔でパトリックが告げる。
藍色の瞳は細められ、形の良い唇が柔らかな弧を描く。キラキラと輝いて見え、その眩さと言ったら無い。完璧な王子様の極上の笑みである。
これが世の女性であれば即座に胸をときめかせ、今までのやりとりも一瞬にして頭から消え去っていただろう。むしろ同性であってもその凛々しさに見惚れ、先程の事を有耶無耶にしていたかもしれない。
もっとも、その笑顔を正面から受けたアディはと言えば、
「その笑顔、俺には効きませんからね」
と冷えた瞳でパトリックを睨んで返した。
その瞬間きらきらと輝かしい笑顔を浮かべていたパトリックが一瞬にして表情を戻すのだから、彼もまたメアリに劣らぬ猫かぶりのプロではないか。
それどころか先程までの笑顔が嘘のように平然とした態度で「いつまで立ってるんだ」と着席を促してくる始末。アディが盛大に溜息を吐き、促されるままに席に座り直した。
「それじゃ、今後の計画を立てようか。あまり時間はないからな」
「はいはい、仰せのままに」
アディが不満そうに答えれば、それを聞いたパトリックが笑みを零した。
次いで再び肩をポンと叩いて告げる「落ち着いたら酒でも奢るよ」という慰めの言葉は、王子様らしくなく、それでいてなんとも友人相手らしい気さくなものだった。