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そんなパーティーから数日後、アルバート家の長閑な庭園……ではなく、屋敷の中の一室。
普段であれば心地好い風を運ぶ窓もしっかりと閉じられ、それどころか日差しも許さぬとカーテンまで閉められている。開ければ晴天の中庭という美しい光景が広がっているのに、室内の面々はそれを堪能する余裕はないと顔をつきあわせていた。
重苦しい空気は、優雅な茶会とは到底言えないだろう。
一脚に腰掛けたメアリが紅茶を一口含み、チラと向かいに座る男に視線をやる。
「突然訪問してしまい申し訳ありません」
そう謝罪と共に頭を下げたのはガイナスだ。
彼の隣ではパルフェットがすんすんと鼻を啜り、か細い声で「メアリ様ぁ……」と呟いた。
「気になさらないで。……まぁ、訪問したいと綴った手紙を直に持ってきたのにはビックリしたけど」
「本当に申し訳ありません……。お伺いの手紙を出して返事を待とうと言ったんですが、パルフェットが『私が持って行きます』と聞かず、果てには減点すると脅しだして……」
「それで手紙を持参したわけね」
「……はい」
「返事は今書いた方が良いかしら? もちろん『いつでもいらして下さい』と書いてあげるわ」
メアリの冗談に、ガイナスが申し訳なさそうに肩を落とす。
だが誰だって、『話があるので時間をほしい』という手紙と共に訪問となれば申し訳なさを感じるだろう。普通ならばまずお伺いを立て、相手から返事をもらい、そうしてようやく訪問となるのだ。――どこぞの王女と泣き虫な令嬢を除いては――
いかに緊急と言えど、お伺いの手紙と共に直参するのはマナー違反である。そもそもマナー違反云々の前に手紙が全くの無駄と化している。テーブルの上に置かれた上質のエルドランド家家紋の封蝋をされた手紙が妙な哀愁を誘う。
「でもそれほど緊急の話ってことよね。ちょうど時間もあるし、聞かせてもらうわ」
「ありがとうございます」
「……ただしこれが単なる痴話喧嘩だった場合、貴方達二人の甘ったるい日常が実名で舞台化されると思いなさい」
「ぶ、舞台……!? そんな事になったら恥ずかしくて二度と外を歩けない……!」
メアリの脅しに、ガイナスが悲鳴じみた声をあげて身を強ばらせる。
だがそんな空気も、室内にノックの音が響いたことで打ち消された。メアリが返事をすれば扉がゆっくりと開き、入ってきたのはアディとパトリック。
ガイナス達がアルバート家を訪れた際、パトリックにも話をしたいと言い出したのだ。
それを聞いたメアリはわけが分からないなりにも緊急だと察し、アディに呼びに行ってもらい今に至る。
「パトリック様、突然お呼びして申し訳ありません」
「いや、大丈夫だ。何か急用らしいが、どうしたんだ? ……さすがに痴話喧嘩じゃないよな」
もしやとパトリックが疑いの視線を向ければ、ガイナスが慌てたように首を横に振る。
そうして全員が席に着き、改めて話を……となり、メアリがテーブルを囲む面々に視線をやった。
自分とアディ、それにパトリック。急な話があるというガイナスとパルフェット。五人が一つのテーブルを囲んでいる。
足りない……とメアリが小さく心の中で呟いた。
いつもならばここにアリシアも居るはずなのだ。
お茶会と聞けば直ぐに飛んで来て、時には手作りのケーキやクッキーを配り出す。そんな彼女の姿が今日に限っては無い。
いや、今日に限ってではない。舞台を見たあの日以降、アリシアの襲撃という名の訪問が一度として無いのだ。
人伝に伺ったところ多忙で時間が取れないらしいが、以前まではどんなに多忙だろうとほぼ日参と言える頻度で来ていたのに。――現にあの日だって、多忙と言うわりにしっかりと泊っていった――
だが今日のアリシア不在はガイナスが言い出した事だ。
パトリックにも話をしたいと言い出した際、メアリはアリシアの名前を口にした。パトリックに関する事ならばアリシアにも関係しているかもと踏んだのだ。
だがそれに対し、ガイナスは僅かに考え込むような表情をした後、「パトリック様だけに」と言い直した。
「アリシアには聞かせたくないということは、あの噂か……。まさかそっちにまで広がっていたなんて……」
パトリックの重々しい口調に、メアリがおやと彼へと視線をやった。
まるで苦虫を噛み潰したような、王子様らしからぬ表情だ。ガイナスの沈黙を肯定と取ればより表情が渋くなる。
だが『あの噂』とは何のことか……。
まったく思い浮かばないメアリは、これ以上自分の預かり知らぬところで話を進められるのは堪ったものじゃないと「いったい何の事かしら」とガイナスをせっついた。
パルフェットに頼まれたガイナスが突き止めた、アリシア王女の噂。
それは彼女が偽の王女ではないかという、疑いのものだった。
元よりアリシアは王女でありながら孤児院で育った身。誘拐される際にアルバート家夫人キャレルが持たせたという封蝋を所持していたことから身元が判明し、両親である両陛下と再会を果たして今に至るが、最近そこに疑問を抱く者が出始めたのだという。
はたして本当にアリシアは王女なのか?
金の髪に紫の瞳は王族の証というが、それだけで認めてしまって良いのか。
偶然その色合いをもって生まれてきた、赤の他人ではないのか。
跡継ぎが居ないことに焦りを感じた王族が企て、他所から適合する色合いの少女を連れて来ただけではないのか。
生き別れた親子の奇跡の再会。その結果、国内の名家の繋がりが強固になるなんて、これは些か出来過ぎた話ではないか。
誰かが裏で糸を引いているような……。
……まるで、
王族とダイス家、そしてアルバート家が手を組んで企てたような……。
「なによその与太話!」
ガイナスの話に、メアリが不満げな声をあげた。思わず眉間に皺を寄せてしまう。
最初こそ重々しい話を真剣に聞いていたが、突然アルバート家の名前が出てきたのだ。それもわけの分からぬ陰謀の首謀者として。不満を顕にしてしまうのも仕方ないだろう。
だがそれに対してガイナスは言い難そうな表情を浮かべつつ、それでも否定はせずに話を続けた。
突拍子の無いこの噂、疑っているのは当然だが社交界中というわけではない。
半分近くは馬鹿な話だと鼻で笑い飛ばし、中には無礼だと憤慨している者さえいる。
アリシア王女は間違いなく両陛下の一人娘、あのアルバート家とダイス家がそんなことをするわけがない……と。だが一部の者はそれらに対し反論し、中には反論の勢いに押されて「もしかしたら」と揺らぎ始める者さえいた。
噂が出始めたタイミングも悪く、今社交界はアルバート家跡継ぎ問題で推測が推測を呼んでいる状態。誰が跡継ぎになるのか、誰に付いたら得かと皆が浮足たっている。
さらにタイミングの悪いことに……もしくは、それを狙ってか、両陛下は外交のために近隣諸国を回っている最中。不敬な噂が蔓延っても、国が大々的に動くには時間が掛かる。
そんな状態があわさり、普段であれば与太話と一蹴されるはずの噂が広まってしまったのだという。
「まったく馬鹿げた話だわ。どうしてアルバート家とダイス家がそんなことしなきゃいけないのよ。媚売り合戦を耐えてあげてるっていうのにそんな噂までされて、冗談じゃないわ!」
メアリが怒りを露わにすれば、隣に座るアディが腕を擦ることで宥めてきた。もっとも、メアリを宥めるアディの表情も渋いのだが。
そんな二人のやりとりに、静かに話を聞いていたパトリックが小さく溜息を吐いた。しばらく考え込むように藍色の瞳を逸らし、眉間に皺を寄せる。
「何かしら言われるかもしれないとは考えていた」
「何かしらって?」
「俺と君の家だ。以前は一応の序列があったが、今やダイス家とアルバート家、そして王族は懇意にし、その権威はほぼ同列と言えるだろう」
「えぇ、そうね」
それが何か? とメアリがパトリックに視線を向ける。
そんなメアリの問いかけに対し、彼はしばらく悩んだのち、溜息交じりのように口を開いた。
「ダイス家もアルバート家も、大きくなりすぎたんだ」
パトリックの言葉に、メアリが瞳を丸くさせる。
慌ててアディに向き直れば、彼もまた驚きを隠せずにメアリへと視線を向けてきた。彼の口が何かを言いたそうに開きかけ、すんでのところで言葉を飲み込む。
ここでは口に出せない事を言いかけた。それはきっとメアリの考えと同じ事だ。
なにせ先程パトリックが言った言葉こそ、かつてメアリが口にした……、
没落を目指した理由なのだ。