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元々、メアリは悪役令嬢とは程遠い性格である。
といっても分け隔てなく優しい聖女と言うわけでもない。他者と一線を画する傾向にあり、仮に嫌いな相手が居ても嫌がらせをするポテンシャルがないのだ。
苦手だ、嫌いだ、そんな負の感情を抱いたとしても、当たり障りなくやんわりと距離を取り、徐々にフェードアウトしていく。
自分のテリトリーから故意に追い出したり、ましてや親の権力を使って蹴落としたり等、メアリから言わせてみれば「よくそこまで嫌いな相手に労力を割けるわね」である。
そんなメアリなのだ。どれだけ身分が低かろうと、そのくせカレリア学園に通っていたとしても、顔も見たことのない少女に最初から敵対心を抱いて嫌がらせをするわけがない。
例えゲームの記憶がその役に徹しろと訴えていたとして、メアリ・アルバートがそんなものに従うわけがないのだ。
「お嬢、貴方は誰よりプライドが高い。だからこそ、たとえ前世の記憶があろうがこの世界がゲームだろうが、悪役令嬢なんてなるわけがないんです」
「あら、随分はっきりと言い切ってくれるのね」
「俺は誰より近くで貴女を見てきました。だからこそ言える、悪役令嬢メアリは、あなたが一番嫌うタイプの人間だ」
はっきりと言い切るアディの言葉に、メアリが僅かに口角を上げた。
メアリ・アルバートは変わり者の令嬢である。
王族に次ぐ権力を持つアルバート家の娘でありながら、それをひけらかすこともなく、悪用することもない。
メアリが望めばカレリア学園だって思いのままに動かせるのに、本人はそんな気は微塵もなく、学園のやり方に大人しく従って目立つこともなく気ままに暮らしている。
それどころか、必要とあらば使いがやるような事でも平然とこなし、時間短縮のために自転車に乗る程なのだ。
アディのおおよそ従者とは思えない態度にも文句を言えど罰することは無く、他の召使達が同様な態度を取ってもさして気に掛ける様子も無い。
先日など、人手が足りず頼まれたからと厨房で豆のサヤ取りをしていた。
――勿論「ねぇ、私はこの家の娘なのよ? ねぇ、みんな聞いてる?」と文句は言っていた。……豆のサヤを取りながら――
そんな貴族らしからぬメアリを、カレリア学園の生徒達は遠巻きに眺め、時には小声で笑う者さえいた。
とりわけ、メアリはパトリックと親しく、ほぼ全てと言える女生徒の嫉妬を買っていたのだ。嫉妬と冷やかしが合わされば、向けられる視線が碌な物にはならないのは言うまでもない。
おかげで「貴族の令嬢らしくない」「アルバート家らしくない」という冷ややかな声が常に付きまとっていたが、別段メアリは気にもとめていなかった。
「そんなお嬢が、ゲームの記憶が蘇ったくらいで悪役令嬢を目指すなんておかしいと思ったんです」
迷いなく言い切るアディに、メアリが肩を竦めた。
「そのとおりよ。いくら目的のためとはいえ、あんな無様な女に成り下がる気はないわ」
そう言い切るメアリの声色は随分と冷ややかで、彼女の本質を知らぬものが聞いたら耳を疑っただろう。
令嬢を取り繕う時も、変わり者のメアリで居る時も、どちらの彼女もこんな冷え切った声は出さない。
だがこの声に覚えのあるアディは、寒気すら覚える声と、そして何かを見据えるかのような鋭い瞳に、メアリのプライドの高さを再認識していた。
従者に不遜な態度を取られ、学園では変わり者と囁かれ、それでも気にも留めないメアリはプライドが無いとさえ言われていた。
が、そんなわけがない。プライドのあり方が違うのだ。
例えどれだけの人数がメアリの陰口を叩こうと、嫉妬から謂れのない悪評を流されても、メアリのプライドはそれらとは全く別のところにある。ゆえに傷一つとてつかず、常に飄々としていた。
だからこそ誰も気付かない。もしくは、気付いたときは既に遅いかだ。パトリックがメアリやアディの在り方に口を挟まなくなったのも、彼が一度メアリのプライドの片鱗を見たからである。
だからこそ、アディは考えていた。彼女が悪役令嬢など目指すわけがない。
そして現にメアリはゲームの悪役令嬢になる気は無かったという。
それでもゲームのメアリに習う様に――ほぼ失敗に終わっているが――アリシアの邪魔をしていたということは、つまりメアリは……。
「……没落だけが目的ですか」
「あら、なにを今更。私、今まで「没落を目指す」とは言っても、「悪役令嬢になりたい」なんて一度たりとも言った覚えが無いわ」
さも平然と言い切るメアリに、アディが思わず頭を抱えた。
なんて御方だ……と思う反面、これこそがメアリ・アルバートじゃないかとも思えてしまう。
「それで、そもそもなんで没落を目指してるんですか?」
「……ねぇ、アディ。アルバート家は大きいと思わない?」
メアリが空になったティーカップを差し出す。勿論アディは従者なのだから言わずともその意味が分かり、手近に置いておいたティーポットを取って注ぎいれてやる。
メアリが満足そうにそれを受け、ふいに視線をカップから窓の外へと移した。夜の暗闇の中、アルバート家の屋敷が見える。
今この時間では殆どの部屋の明かりが落とされ、暗く巨大な屋敷にしか見えない。だが日中、日の光を受ければいかに財力を注いで建てられたかが一目で分かるはずだ。
ヒビ一つ入っていない壁に、窓枠には細かな細工、常に美しく磨かれた窓からは芸術品の並ぶ廊下が見えるだろう。正面玄関にはステンドグラスがあるが、屋敷の裏手にあるこの建物からは見えない。
国内をいくら探しても、ここまでの屋敷は無いはずだ。いや、国外にもあるかどうか。
だからこそ、初めて見る者はその豪華さに圧倒され、それと同時にアルバート家がいかに強大かを思い知るのだ。
貴族の屋敷は、その家の権威の象徴でもある。
金を掛けることで財力を、壮観な眺めを保つことで裕福さを、格調高ければ高いほど権威を示す。だからこそ貴族はやたらとパーティーを開いて屋敷に人を招くのだ。
「あんな屋敷、ダイス家だって持っていないわ」
「そりゃアルバート家ですから」
「そうね。アルバート家ですものね。……だからこそよ、アディ」
カタン、と小さく音をたて、メアリがティーカップを置いた。
「アルバート家は大きくなりすぎたわ」