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 ラング達が去り、しばらくパトリックと雑談を交わすも彼も用事があると去っていった。

 そうして残されたメアリとアディは中庭を眺めつつのんびりと紅茶……となったのだが、その最中にメアリが「そうだわ!」と声をあげた。


「くじ引きが駄目なら、宝探しなんてどうかしら! 私が屋敷のどこかに懐中時計を隠すから、それを先に見つけた方が跡継ぎとか!」

「なんでエンターテイメント性を求めるんですか。むしろその方法に決まったら、お嬢はどこに隠すつもりで?」

「昔のように強固な縦ロールを巻いて、そのロールの中に隠すわ」

「難易度が高すぎる」


 メアリの提案に、アディが溜息混じりに却下する。

 名案だと思ったのに……とメアリが拗ねるように唇を尖らせれば、クスクスと笑う声が聞こえてきた。

 見れば、こちらに歩み寄ってくる一人の女性の姿。メアリの母キャレルだ。穏やかに笑うその姿にメアリが軽く挨拶をすれば、対してアディが慌てて立ち上がって頭を下げた。


「二人とも、お茶かしら?」

「お母様もどう? おべっかと媚売りの無いお茶は最高よ」

「まぁメアリってば、そんな風に言っちゃ駄目よ……。でもせっかく誘ってくれたのに残念だけど、これからそのおべっかと媚売りのお茶をしなきゃいけないのよ。もう疲れちゃうわ」


 キャレルが肩を竦めつつ話す。

 メアリの言葉遣いを窘めこそしたものの、溜息と肩を竦める仕草はなかなかに露骨だ。

 なにせ当主や嫡男達ほどではないとはいえ、キャレルもまた多忙な日々を送っている。

 社交界では、彼女に媚び売って上機嫌にして何か聞き出そうとする者も少なくない。なにせ他でもないアルバート家夫人、おだててお気に入りになれば「あのね、ここだけの話だけど……」と教えてもらえるかもしれない。

 そんな期待を抱き、婦人達は競うようにキャレルをお茶会に誘っているのだ。


「といっても私は何も知らないし、誰が継ぐかは当事者達で決めてって言ってるのよ。それを説明してもみんな聞き出そうとして……。問いつめられても何も話すことなんて無いのに。参っちゃうわ」

「そうよね。私達じゃどうしようもないのに、巻き込まれるばっかりで嫌になる。……やっぱり宝探しで決めるべきかしら」


 明日にでも……と不穏な計画を立て始めるメアリを、アディが慌てて宥める。さすがに跡継ぎを宝探しで決めるのは無い。……いや、くじ引きもあり得ないのだが。

 そんなやりとりをキャレルが楽しそうに眺め、そういえばと一通の封筒を取り出した。


「メアリも鬱憤がたまっているみたいだし、アディと二人でデートでも行ってきなさい」

「あら、何かしら?」


 メアリが興味深そうに差し出される封筒を手に取った。そっと開けば、興味を抱いたのかアディも覗き込んでくる。

 上質な封筒。ゆっくりと開き中に入れられている紙片を取り出し……。


「「舞台?」」


 と二人揃えて疑問を口にし、同時に首を傾げた。

 封筒に入っていたのは、舞台のチケット。

 それも公演日は今夜だ。

 随分と急なこの話に、メアリが目を丸くさせつつキャレルへと視線をやった。アディも同様、いったいどうして突然とチケットを眺めている。


「とても面白いらしいから、メアリに観て欲しいの。本当は数日前に手配したんだけど、紅茶の飲み過ぎで忘れちゃってたわ」

「なんて突然な……と思えども、なんともお母様らしいわね」

「それじゃ早めに夕食を食べて行ってらっしゃい。なんだったらレストランで、そうだわ素敵なレストランがあるの。せっかくだからそこに行ったらどう? すぐに予約を取ってあげるわ!」


 あれこれとキャレルが矢継ぎ早に決め、メアリ達の返事も聞かずにメイドに手配を頼む。まさにあれよと言う間だ。そうして「楽しんできてね」と告げて去っていく。

 なんとも言えぬ、むしろ何も言わさぬ勢いではないか。気付けばすでに彼女の姿は無く、メアリとアディが座るテーブルには一通の封筒。


「お母様、あれのどこが疲れてるのかしら」

「奥方様もきっとお嬢を気遣ってるんですよ。せっかくですし、お言葉に甘えて行ってきましょう」


 アディが穏やかに笑う。次いで彼の口から出た「デートですね」という言葉に、メアリはポッと頬を赤くさせた。

 結婚してしばらく経つし、今までも何度も二人で出掛けてきた。だが改めて告げられると胸が高鳴るのだ。

 チケットの入った封筒を思わずきゅっと両手で握り「そうね、デートね」と微笑んで返した。




 その舞台はとある令嬢の悲恋を描いた作品であり、評判の良さが国内に止まらず国外にまで広がっていた。メアリも話は聞いており、いつか観劇の機会を……と考えていたところだ。

 そんな観劇の機会を、よりにもよって母から与えられるとは思ってもいなかった。それも、出掛ける際にはわざわざ「きっと楽しめるわ」と念を押してきたのだ。

 だがキャレルの言う通り、客人が絶えず慌ただしい屋敷内にうんざりしていたところに舞台となれば、気分転換も兼ねて楽しめるだろう。オススメのレストランもまた味も雰囲気も良く、満腹感に幸福感の中で観劇なんて最高ではないか。


 そう考え、メアリは劇場の座席に座り嬉しそうにハンカチを握りしめていた。――もちろんハンカチは泣くための準備である――

 隣にはもちろんアディ。彼もこの舞台の前評判を聞いていたらしく、興味深そうにしている。


「友情と悲恋の物語なのよね。楽しみだわ」

「令嬢と婚約者の王子と、二人が出会うしがない町娘……ですか。なんだかそれって……」

「あら、どうしたのアディ? そろそろ始まるわよ」


 ほら、とメアリが声を掛けた瞬間、劇場内がゆっくりと暗くなっていく。

 あちこちから聞こえてきた雑談の声も波が引くように鎮まり、メアリがぎゅっとハンカチを握りしめて舞台へと視線を向けた。

 何か物言いたげなアディも「気のせいか」と小さく呟き、メアリに倣うようにとゆっくりと上がっていく緞帳に視線をやった。



 それは、銀糸の美しいストレートヘア(・・・・・・・)の令嬢が辿った、友情と悲恋の物語。

 誰もが羨む家柄に生まれた銀糸の令嬢は、幼馴染みの王子様と婚約をしていた。麗しい銀糸の令嬢と、濃紺の髪の爽やかな王子。誰が見てもお似合いで、二人が親しげに接するシーンが続く。

 銀糸の令嬢は心から彼を愛し、そして幸せな夫婦になれると思っていた。そのために厳しいマナーも全て完璧に学び、非の打ち所の無い女性になった。二人で築く幸せを夢見ていたのだ。

 ある日、銀糸の令嬢はとある町娘と出会った。素朴で純粋で、太陽のように明るく金の髪を揺らす町娘。二人が打ち解け合うのに時間は掛からず、友情を育んでいく。町娘が身分の差に臆すれば令嬢自ら声を掛け、彼女が社交界に憧れていると知ればマナーを教えて自分のパーティーに招いてやる。

 そんな折、王子もまたとある町娘と出会い、惹かれていった。身分を超えた愛だ。

 それぞれが友情と愛情を深めていく中、銀糸の令嬢はついに自分の親友こそが愛する王子の想い人だと知ってしまう。遠目で見つけた二人の仲は誰が見てもわかるほどに仲睦まじい。

 嫉妬と友情と愛の狭間に苦しみ、陰鬱とした音楽と共に令嬢の悲痛な胸の内が語られる。薄暗く絞られた光源が銀糸のストレートヘアに影を落とし、彼女の悲壮感を増させる。

 そうして全てを決意し、銀糸の令嬢は最愛の王子に告げた。

「貴方とは只の政略結婚でした」と。

 自分の想いを政略という言葉で偽り、駆け落ちしてでも愛を貫くと決めた二人の背を押すことにしたのだ。

 麗しい恋人達が手を取り寄り添う。その光景を、銀糸の令嬢は月明りの落ちるテラスで一人眺めていた……。



 軽やかな音楽が次第に小さくなり緞帳がゆっくりと落ちれば、会場は拍手で溢れ返った。

 立ち上がりこの舞台を称える者、熱い吐息を漏らして胸を押さえる者、悲恋に胸を打たれて涙する者……と様々だ。


「な、なんて悲しい話なの……!」


 とは、ハンカチを握りしめるメアリ。

 この舞台に胸を打たれ、濡れたハンカチを手に拍手を送っている。

 その隣に座るアディはと言えば、錆色の瞳を濁らせてその場に座っていた。感動の熱気が立ちこめるこの会場において、彼の周囲だけが冷ややかである。


「お嬢、よくこれで泣けますね」

「なにを言ってるのよ、こんなに切ないお話……。なんて素敵な令嬢なのかしら。愛よ、いえ、愛と友情に生きたのよ!」

「いやー、これは何と言いますか、上手く改変したなと言うか」

「改変って、元になったものがあるのね。それは本? 本なら直ぐに取り寄せてちょうだい!」

「いえ、本ではありません。人ですね」

「なんという偉人……! 存命なら是非お話を聞かせてもらわなきゃ!」

「いや、お嬢が話を聞くのは難しいかと。というか鏡を見てきたらいかがですかね」


 疲労さえ感じさせる声色のアディの言葉に、メアリは涙で濡れきったハンカチをハタハタと仰ぎながら「鏡?」と首を傾げた。

 いったいどうして鏡なんて見なくてはいけないのか。だがそれを問うより先に、鳴りやまぬアンコールの声に応えるべく緞帳が上がった。役者たちが一堂に並ぶその光景に、会場内にワァと歓声が上がる。

 となれば今は疑問など後回しだ。メアリは湧き上がる感動を胸に、拍手と共に立ち上がった。




「主人公のモデルが私!?」

 というメアリの驚愕の声が響いたのは、帰宅の馬車の中でのこと。向かいに座るのはもちろんアディ。彼が窓辺にもたれ掛かっているのは馬車酔い対策である。

 あの後劇場を出て待たせていた馬車に乗り込み、一連の説明を受けたメアリが発したのが先程の発言だ。


「あの銀糸の令嬢が私ってどういうことよ。私生涯で一度もあんなストレートヘアになったこと無いわよ!?」

「そこは脚色というやつでしょうね」

「それなら王子様は誰よ!」

「どう考えてもパトリック様です」

「なら金糸の……アリシア!」


 メアリが怒気をはらんだ声でその名を口にすれば、アディがご名答と拍手を送った。

 確かに、高等部時代のメアリの話はあちこちで脚色され、感動の物語として広まっている。もちろんメアリだけではなく、アリシアとパトリックについてもだ。

『愛し合う二人のために身を引いた令嬢』と『家名を捨てる覚悟で身分違いの愛を貫いた令息』と『孤児院で育ち見初められた王女』となれば、これが感動の秘話にならないわけがない。

 友情・恋愛・悲恋、舞台を構成するうえで美味しい素材が三つも揃っているのだ。――……もちろん、その中の一人が『没落を狙って嫌がらせをしていた令嬢』だなどとは誰も思わないだろう――


 そんなわけで出来上がったのが、先程まで観ていた悲恋物語なのだ。

 メアリ本人はそうと気付かず感動し、事実を知るや表情を引きつらせて難色を示しているのだが。


「いいわ、百歩譲ってパトリックとのことは受け入れてあげる。確かに昔の私とパトリックは傍から見たらそう見えない事もない……ような事もない気がしないでもないもの」

「それ五十歩くらいしか譲ってませんよね」

「とにかく、問題はアリシアよ! なんで私があの子と親しくなって友情物語にまでなっているのよ!」


 納得いかない! とメアリが喚けば、窓から夜景を眺めていたアディが「そうですねぇ」と間延びした返事をした。まったくもって心が入っていないその声色に、余計にメアリの怒りが増す。

 舞台では、銀糸の令嬢はしがない町娘にそれはそれは親切にしていた。身分の違いを気にし声を掛けるのを躊躇っていれば自ら話しかけ、社交界に興味があると知ればマナーを教え自分のパーティーに招待していた。

 その姿は誰が見ても友情だ。麗しい二人の少女が築いた、身分を越えた友情。

 それを思い返し、メアリが納得がいかないと不満を訴えた。


「脚色どころじゃないわ、あんなの捏造よ! 私はあの子と仲良くなんかしてないんだから!」

「そうですねぇ……。文句は明日アリシアちゃん本人に言ったらどうですか?」

「そうね。明日、朝食の時にガツンと言ってやるわ!」

「最近は文句を言わずに一緒に朝食を取るようになりましたね」

「私の隣の席は許してないわよ!」


 そこは譲れないのかメアリが喚く。

 といっても、最近ではアリシアの早朝訪問に対して適当な文句で済ませ、彼女の元気の良い朝の挨拶に「今日も早いのね」と返している。それどころかアリシアがメイドに扮して起こしに来ても文句も言わない。

 それを友情と言わずに何というのか……とアディが心の中で呟く。口に出さないのは、もちろん馬車の中でメアリの怒りを買ったらどうなるか分かったものじゃないからだ。


「舞台の内容はさておいて、明日の朝、一緒にご飯を食べながらガツンと言えば良いじゃないですか」

「そうね。……でも私の隣の席には座らせないわよ!」


 念を押すように訴えれば、アディが苦笑と共に頷く。愛でるように見つめてくる錆色の瞳に、メアリがむぅと眉間に皺を寄せた。

 今はどうにも彼の表情にも暖かな視線にも居心地の悪さを感じてしまう。まるで「早く認めればいいのに」と子供の意地を微笑ましく見守られているようではないか。

 これもまた憤慨だと、メアリはふんとそっぽを向くと同時に銀糸の髪を払った。縦ロールではないが緩やかなウェーブの銀糸の髪が揺れる。けしてストレートとは言えない。

 あの舞台の令嬢と自分は全くの別物、あんな友情物語なんてまっぴらごめんだ。勘違いしないようにアリシアに釘をさしておく必要がある。

 そうメアリが己に言い聞かせ、明日の朝ガツンと言ってやろうと意気込んだ。


 ……だがその翌日も、それどころか次の日も、アリシアがアルバート家に訪れる事はなかった。




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