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 パトリックの視線の先に居たのは二人の青年。

 ラングと、そして彼より随分と背の高い、錆色の長髪の青年だ。

 その姿を見て、パトリックは安堵し、対してアディは嫌そうに小さく呻いた。


「パトリック様、ようこそいらっしゃいました」

「やぁロベルト、邪魔してるよ」

「邪魔だなんてとんでもない。どうぞごゆっくり」


 パトリックの冗談まじりの謙遜に、ロベルトと呼ばれた青年が苦笑で応える。

 汚れどころか皺ひとつない執事服。錆色の髪は鮮やかで、一つに結わわれた長い髪が頭を下げると共にゆらりと揺れる。同色の瞳は鋭く切れ長だが、パトリックを見つめる今は穏やかな印象を与える。

 高い身長に長い手足。細身ながらバランスの取れたそのスタイルは、社交界の王子様と謡われているパトリックに並ぶほどだ。


「ところで、これはいったい何の騒ぎでしょうか」

「いつものメアリ賛美が始まったんだ。このままでいくと、アルバート家の当主はくじ引きで決まる事になる」

「くじ引き……」


 パトリックが肩を竦めて話せば、ロベルトがしばらく考えた後に「なるほど」と呟いた。

 なにやら興奮した様子のメアリとルシアン、そこにラングが加わればより興奮が増す。そしてパトリックの口から出た『メアリ賛美』と『くじ引き』の単語……。

 そこからどういった話の流れかを導き出したのだろう。ロベルトに限らず、アルバート家に長く仕える者ならばこの状況を推測するのは容易である。


 メアリがまた突拍子のない事を言い出し、二人の兄がそれを絶賛し出したのだ……と。


 なにせこれはアルバート家において珍しい事ではない。

 おかげでアルバート家では定期的に夕食にコロッケが出たり、海鮮丼がでたり、渡り鳥丼実食パーティーが開かれたり。果てには屋敷の裏に駐輪場まで設けられているのだ。

 だがさすがにくじ引きに関しては放っておけないと判断したのか、ロベルトが錆色の瞳を鋭くさせた。色合いに反して涼やかな瞳の彼が表情を厳しくさせると、長身と相まって言い得ぬ威厳を感じさせる。

 身分の差があれどそれを感じ取り、パトリックが感心するように「年上の威厳だな」と彼を褒めた。

 隣でそれを聞いたアディが怪訝な表情をパトリックに向けたのは、もちろん自分もロベルト程ではないがパトリックよりは年上だからだ。だというのに今まで俺に対してはそんな言葉は……と言いかけるも、まるでそれを遮るようにロベルトがアディの名を呼んだ。


「アディ、こう言うときはお前が止めなくてどうする」

「無茶言うなよ。俺にルシアン様を止められるわけがないだろ。それにルシアン様達のお相手は兄貴の仕事だ」


 普段の畏まった口調から一転して砕けた言葉遣いで拒否するアディに、ロベルトが再び溜息を吐く。

 ロベルトはアディの兄だ。長くアルバート家に仕える従者の家系、その長男。アルバート家の兄達と同い年であり、落ち着いた雰囲気といかなる時にも崩さぬ冷静さはパトリックも一目置いている。

 この愚弟が……とポツリと呟かれたロベルトの呆れの言葉は、それでもアディが呆れた時の声色と同じである。むしろ溜息交じりに肩を竦める仕草や表情まで似ている。

 さすが兄弟だ。そんな事を考えて思わずパトリックが笑みを零せば、気付いたロベルトが不思議そうに様子を窺ってきた。


「パトリック様、どうかなさいましたか?」

「いや、さすが兄弟だと思ってさ。それにアディがルシアンを止められないのは仕方ない、年上の主人相手じゃ強くなんて出られないだろ」

「いいえ、アルバート家にお仕えする者として、無理などと言ってはいられません。時には身を挺してでも主人の間違いを正す、それが仕える者の勤めです」


 使命感を帯びた表情でロベルトが告げる。

 代々仕える従者の家系、そのうえ相手は他の貴族でさえ従うアルバート家。そんな主人の間違いを正すとなれば並の覚悟ではない。

 無礼だと咎められ、下手すると主人の怒りを買って職を失う可能性だってあるのだ。


 それでも、主人を盲信し従うだけが従者ではない。

 時には罰せられる事も厭わず、己を犠牲にしても導く、それもまた主人のためだ。


 ロベルトの言葉はまさに従者の鑑ではないか。

 身分こそパトリックの方が比べるまでもなく上だが、この信念と考えには純粋に敬意を覚える。パトリックが感動を覚えて彼へと視線をやれば、錆色の切れ長の瞳が厳しさをもってメアリ達を見つめている。


「そうか、さすがだな。それでどうするんだ?」

「身を挺してお話を止めます。……私のではありませんが」


 不穏な言葉を口にし、ロベルトがひょいと手を伸ばした。傍らで怪訝そうな表情をしていたアディの首根っこを強引に掴み、そのままぐいと押す。

 哀れ油断しきっていたアディはバランスを崩し、よたよたと数歩前に進み出た。メアリとルシアン達の中に、いまだくじ引きで盛り上がっている中に割って入っていく。


「なんだよ兄貴、何するんだよ……!」

「アディ、お前また身長が伸びたらしいな。兄として弟の成長が喜ばしいよ」

「身長? 確かにまた伸びたけど、何でそんな話、を……そんな……話を……今……」


 ロベルトの意図を察し、むしろ背後からの冷ややかな威圧感を感じ取り、アディの声が徐々に消えていく。

 なにせアディの背後では、ラングとルシアンが、アルバート家の二人の子息が、どちらが跡を継ぐかよりも妹の結婚よりも何よりも身長の事が大事な二人が、「ほぉ」「聞き捨てならない」と構えているのだ。

 その表情の冷ややかさと言ったらなく、童顔ながらに言い得ぬ迫力がある。これが名家嫡男の威圧感というものか……。随分と無駄なところで発揮しているが。

 すでに彼等の脳内にはくじ引きのくの字も無いだろう。あるのは『身長』と『成長許すまじ』だけだ。

 なるほど、とパトリックが頷いた。確かにこれは身を挺して話題を変えた事になる。……アディの身を挺して、だが。


「兄貴、なんて恐ろしい事を……。ラング様やめてください、頭を押さえないでください! い、いつも以上に力が込められている……!」

「俺達にはお前の身長を縮める権利がある!」

「ありません! ルシアン様も、なんで俺の足下の土を掘り返すんですか!」

「お前の視界が俺達より上にあることが許せない……。縮める権利がなくても、お前の視線を低くさせる権利はある……!」

「それもありませんよ! 俺が庭師に怒られるからやめてください!」


 ラングとルシアンから八つ当たりされ、アディがろくに抵抗できずに悲鳴じみた声をあげる。

 哀れとしかいえないその光景に、それでも誰一人として助け船を出さずに見守るだけだ。

 先程までラング達と一緒にくじ引き話で盛り上がっていたメアリでさえ、兄達のこの行動を見て落ち着きを取り戻したのか「くじ引きは流石に無いわね」と冷静に話している。


「メアリ様、考え直して頂けたようで幸いです」

「ありがとう、ロベルト。手間をかけさせたわね。ちょっと暴走しちゃったわ」

「メアリ様はアルバート家の事を誰より考えておりますから、些か考えに熱が入ってしまったのでしょう。家を思うからこそです」


 ロベルトがメアリに対してフォローを入れる。

 なんとも従者らしいフォローではないか。ラング達のように過度にメアリを誉め称える事はせず、止める時は止める。それでいて己の非を認めるメアリを宥めている。

 これぞまさに従者の鑑。……といっても、ロベルトはチラと視線をラング達に向けると、盛大に溜息を吐いた。


「メアリ様に対して、お二人のなんと情けない事か……。今はアディが犠牲になっているから良いものの、あの情けない八つ当たりをもしも他のご子息に対して行ったら、アルバート家の恥です」

「ロベルト、俺もさっきルシアンに恨み言を言われたんだが」

「なんと、パトリック様にまで……。申し訳ありません。アディ、ちょっとこっちにきてパトリック様に殴られろ」


 ほら! とロベルトがアディを呼ぶ。

 もっとも、ラングからは頭を押さえられ、ルシアンには足元を掘られ、逃げる事もできないアディがそれに応えられるわけがない。「なんで俺が!」という悲鳴をあげるだけだ。

 それを見たパトリックが小さく溜息を吐き、首を横に振った。


「いいさ、気にしないでくれ。アディとは長い付き合いだ、殴れないよ」

「さすがパトリック様。出来た方でおられる」


 パトリックの優しさに――なんて恩着せがましい優しさだろうか――、ロベルトが感心する。その奥ではアディがラング達に縮ませられながら「なんで俺が殴られる流れに!」と喚いているのだが、この場において説明してやる者などいるわけがない。

 非道と言うなかれ、アルバート家では見慣れた光景なのだ。


 助けに行く気も起こらず、かといって兄達に縮められかけているアディの姿を見るのも心苦しく、メアリは顔を背けるようにロベルトを見上げた。

 この惨状を作り出した張本人は冷ややかな瞳で目の前の騒動を眺め、果てには「まったく騒々しい」と文句まで言っているではないか。

 アディと同じ色合いだが、アディよりも切れ長で涼やかな印象を与える目元。だが纏う雰囲気は似通っており、「どうなさいました?」と尋ねてくる声もどことなく似ている。


「やっぱり似てるわね」

「私がですか? どなたとでしょう」

「アディとよ。さすが兄弟だわ」

「あのやられるがままの情けない愚弟と似ていると言われても、あまり良い気分はしませんけど」


 ロベルトがアディへと視線を向ける。

 メアリもまた彼の視線を追えば、先程から変わらずラング達に縮められているアディの姿。ちなみに彼の足下はくるぶしあたりまで穴が掘られている。

 あれは確かに情けない。


「男兄弟って過酷なのね」


 そうメアリが溜息交じりに呟けば、一緒にされたくないのか「うちは平和だ」とパトリックが待ったをかけた。



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