1
メアリ・アルバートの朝は遅い。
それが大学部の長期休暇となれば尚更で、その日メアリが起床した時には日がすでに登りきり、枕元の時計を見れば昼に差し掛かろうとしていた。
これは年頃の女性としては些かだらしなく、入ってきたメイドに苦笑混じりに「おはようございます」とわざとらしく言われるとなんとも居心地が悪くなる。
思わずツンと澄まし、寝癖の残る銀糸の髪をふわりと揺らした。
ちなみに、メアリがベッドから降りてもまだ布団は山を作っている。聞こえてくるスゥスゥという軽い寝息、緩やかに上下する布団、隙間からは金糸の髪が零れている。
まるで誰かが中で寝ているようなその光景に、今更メイドが不思議がる事もない。「昨夜もでしたか」という彼女の言葉に、メアリは「防衛に負けたわ」とだけ告げた。
「まったく、夜中に訪問してきてお泊り会だなんて騒いで、これが我が国の王女だなんて信じられないわ。はしたないし、迷惑だし、邪魔で全然眠れなかったわ」
ツンと澄まして布団に残る人物――言わずもがなアリシアである――に対して文句を訴えるメアリに、メイドがふっと小さく笑みを零した。そうしてわざとらしく「そうですね、あまり眠れなかったようで」と返すのは、きっと今が昼に近い時間だと言いたいのだろう。
熟睡したことを指摘され、メアリが怒りの矛先をベッドへと……そこでいまだ眠るアリシアへと向ける。ジロリと睨み付けても布団はいまだゆっくりと上下するだけだ。
普段はあれほど早朝に来るのに、いざ夜襲が成功すると人のベッドでグッスリと眠るのだ。なんて腹立たしいのか……。
「そもそも、我が国の王女様が『鶏が鳴いたら朝』の田舎時計なんだもの、私だって自分時計で生活するわ。鶏が鳴いたら朝なら、私が起きるまでも朝よ。だから今は朝、私は早起きなの!」
「えぇ、そうですね。メアリ様は随分と早起きでいらっしゃいます。では朝食になさいますか? それとも昼食?」
「……昼食をお願い。私はこの時間まで部屋で読書していた事にしてちょうだい。つい読みふけって、朝食を食べるのを忘れてしまったの」
寝坊の隠蔽を計りつつ、メアリが着替えを済まして化粧台の椅子に腰掛ける。
メイドがクスクスと笑いながら背後に立ち、メアリの銀糸の髪を優しく掬った。今朝の寝ぐせは普段より強く、ウェーブ以上ドリル未満である。それをクシで解かしていく。
「今日はどのような髪型になさいますか?」
「少し暑いから、編み上げて首元を涼しくしたいわ」
「……編み上げですか。構いませんが……その……」
途端に声色を落とすメイドに、メアリがどうしたのかと鏡越しに様子を窺った。
編み上げたいという希望に支障でもあるのだろうか。といってもたかが髪型、それも昔のような一切の髪型変更を許さぬ強固な縦ロールではない。
今はふわりと揺れる柔らかな銀糸の髪を梳かして編んで、頭部で固定する。これだけだ。
「どうしたの? 編み上げに問題でも?」
「いえ、髪型に問題といいますか……メアリ様が首筋を晒しますと」
「私が首筋を晒すと?」
深刻なメイドの口調に、メアリの頭上に浮かぶ疑問のかさが増す。
思わず自分の首筋を擦るが、もちろんこれといった異変はない。スルリと己の手が肌をくすぐるだけだ。
いったい何の問題があるというのか。
「今更私の首筋がなんだっていうの?」
「アディが見惚れて壁にぶつかったり足を踏み外すんです。我々はこれを七十五番と呼んでいます」
「どうりでたまに何もない所で躓いたり、扉に挟まったり、落とし穴に落ちたり、扉の隙間に仕掛けられていた布を頭から被ったりしていたのね」
「後半は五十八番かと思われます」
「……なるほど、お兄様達の仕掛けた罠が発動した時は五十八番なのね」
メアリが察して尋ねれば、メイドが頷いて返してきた。
アディの件だけでも迷惑を掛けているというのに、そのうえ兄達の仕出かした事まで……と申し訳なささえ浮かぶ。
労いの言葉を掛け、ついでに「お兄様達もいい加減大人になって欲しいわよね」と愚痴ってしまう。
少なくとも、屋敷内に子供染みた罠を仕掛けるのは止めて欲しいところだ。
「お父様がガツンと言ってくれれば良いのよ。お父様ってば、私達に甘くて困っちゃうわ」
「旦那様は家族を大事に想っていらっしゃいますから、強く出られないんですよ」
名家当主らしくなく、それでいて何とも父親らしい。そうメイドが主人の人情深さを笑いながらメアリの銀の髪を慣れた手つきで梳かしていく。
均等な束になるようまとめ、丁寧に編み上げ、仕上げに添えるのは水色のリボン。まるで「まぁまぁ、そう怒らず」と頭を撫でて宥められているかのようで、メアリの胸の内に湧いていた不満が緩やかに溶かされていく。
「はい、出来ましたよ。今日はお客様がたくさんいらっしゃいますから、崩れないよう普段より強めに編んでおります。痛かったら仰ってくださいね」
最後にリボンの位置を整え、メイドが鏡越しに声を掛けてくる。
メアリの髪は美しく編み込まれ、少し首を傾ければ銀の髪に水色のリボンがなんとも品良く美しく鏡に映る。
その姿に、普段であればメアリも微笑んでメイドに礼を告げただろう。だが今日に限っては先程告げられた言葉が胸に引っかかる。
「今日は……いえ、今日もお客さんがいっぱいなのね」
思わず小さく肩を落として溜息を吐いた。
朝から多忙を告げられれば、誰だって溜息が出るというもの。
それでも客がいっぱいというのなら自分も相応に振る舞わねばならない。
そう覚悟を決め、メアリは整えられたての髪と身形を一度確認し、いまだ山を作る布団へと向かった。豪快に布団を捲れば、いまだグッスリと眠るアリシアの姿……。
それを見て、メアリはそっと人差し指を立て……、
「あんたも少しは王女らしいところを見せなさい!」
そう怒鳴ると共に彼女の臍の横にある痣を連打するように突っつけば、「ひゃー!」と甲高い――そしてなんとも間抜けな――悲鳴と共にアリシアが跳ね起きた。
慌ててお腹を押さえ、あたふたと周囲を見回す。そうしてメアリの姿を見つけると、事態を理解したのかパァッと表情を明るくさせた。
「メアリ様、おはようございます!」
「おはよう、からの一発!」
メアリが容赦なくアリシアの額をペチンと叩けば、腹を押さえていた彼女の手が今度は額を押さえる。
むぅと頬を膨らませるのは起きるなり暴力を振るわれたことへの不満だろうか。もっとも、不満を抱いているのはアリシアよりメアリの方だ。
「いつも言ってるけど、お泊り会だのパジャマパーティーだのと人の家に夜襲をしかけるのを止めなさいよ、はしたない! 王女としての自覚は無いの!?」
「それはそれ、これはこれです。王女の自覚とお泊り会は別腹です!」
「デザートは別腹みたいに言うんじゃないわよ。まったく、こんな田舎娘が王女だなんて信じられないわ。……もしかして、王女じゃないんじゃないの?」
怪訝そうにメアリが睨み付ければ、アリシアが「えぇ!?」と驚きの声と共に紫色の瞳を丸くさせた。ふわりと金糸の髪が揺れる。
紫の瞳に金糸の髪、王族にのみ受け継がれる色だ。間違いない、アリシアは幼少時に攫われた王女だ。……だけど、それはそれとして不服である。
「疑わしいわね。貴女、本当に両陛下の子供なの?」
「まぁ、メアリ様ってば酷い。私は正真正銘、お父様とお母様の子です!」
「いいえ違うわ……。鶏が鳴いたら朝、猪のように突撃してくる……そう、貴女は鶏と猪の子よ!」
メアリが決定づけるようにアリシアを指さして断言すれば、アリシアもまた驚愕の色を浮かべて息を飲んだ。
紫の瞳が見開かれ、わなわなと震える体に合わせて金の瞳が揺れる。
「そんな……私の両親は鶏と猪……。どちらがお母様なんでしょうか……」
「分からないけど、母親が鶏だった場合、卵生ってことになるわね」
「卵生ですか……。私、孵化してた……!?」
アリシアが震える声で呟き、自分の腕で己の身をぎゅっと抱き締めた。
視線は他所を向き、形の良い唇はきゅっと固く閉じられている。瞳には途惑いの色が浮かび、眉尻が下がりなんとも弱々し気だ。
そんなアリシアをメアリはじっと見つめ、溜息と共に一度ゆっくりと瞳を閉じた。
自分で言いだしておきながら「付き合ってられないわ」と溜息交じりに肩を竦め、最後に一度ペチンとアリシアの額を叩いた。これにて茶番はお終いである。
「私はもう部屋を出るから、貴女もいい加減に布団から出なさい。どうせ昼食もうちで食べて行くつもりなんでしょ? 隣の席には座らないでちょうだいね」
「メアリ様、私残念ですが今日は忙しくて、直ぐに王宮に戻らなきゃいけないんです」
「あら、そうなの?」
「はい……。せっかく昼食にお誘い頂いたのに、申し訳ありません」
しょんぼりと俯くアリシアに、メアリが「そうなのね」と呟き……、
「そもそも多忙なら人の家に泊まりにくるんじゃないわよ!」
と再び額に一撃を入れてやった。
新章開始しました。
またお付き合い頂けますと幸いです!