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 お別れ会を兼ねた茶会の翌日、交換留学最終日。

 見送りのためカレリア大学に来ていたメアリは、朝からずっとパルフェットに抱きつかれていた。彼女はメアリの姿を見つけるやまるで磁石のようにピッタリとくっつき、時にスンスンと洟をすすり、時に「メアリ様ぁ……」とか細い声で別れを惜しみ、そして終始ふるふると振動し続けている。

 酔いそう……とメアリが伝わってくる振動で緩やかなウェーブの髪を小刻みに揺らしつつ、そっとパルフェットの頬を拭った。この振動は困るが、これほどまでに自分を慕って別れを惜しんでくれるのは嬉しくもある。


「パルフェットさん、これが今生の別れになるわけでもないんだから、そんなに泣かないでちょうだい」

「ですが、ですが……。アリシア様、アディ様、今だけはメアリ様に抱きつく権利を譲ってください……!」

「仕方ないです、お別れですもんね。パルフェットさん、思う存分メアリ様に抱きついてください!」

「当然のように譲ってるけど、その権利はアリシアちゃんには無いからね。まぁ、さすがに今は譲りますけど」


 アリシアと、そして渋々と言った表情のアディに権利を譲られ、パルフェットがいっそう強くメアリに抱きついてくる。別れを惜しむどころか、このまま連れて帰りかねないほどだ。

 だが無理に引き剥がすことも出来ずメアリが困ったと言いたげに溜息をつけば、「メアリ様」と声を掛けられた。

 カリーナだ。抱きついたりこそしないが、彼女も別れを惜しんでくれており、どこか寂しそうな表情で別れの挨拶を告げてきた。


「カリーナさん、また遊びに来てね」

「メアリ様も是非こちらに遊びに来てください」

「遊びに行かせてもらうわ。……でも足置きは見たくないから隠しておいてね」

「もちろんです。その際にはどこかに……どこか暗く狭い場所にしまっておきます」

「それはそれで怖い」


 やめて、とメアリが拒否すれば、カリーナがクスクスと楽しそうに笑う。なんて質の悪い冗談だろうか、心なしかメアリに引っ付いているパルフェットの振動も強まっている。

 そんなカリーナに代わるようにメアリに挨拶を告げてきたのはマーガレットだ。


「メアリ様、私に会いたくなったら、ダイス家でお会いしましょう。また数日中にバーナードに呼ばれて遊びに来る予定ですから」

「結構な頻度で来てるし、結構な頻度で会っているのよね。おかげで別れの寂しさが欠片も湧かないわ」

「あらメアリ様ってば、それはそれ、これはこれです。一応は別れの寂しさを出しておかないと……。あら、バーナードがこっちを見てる!」


 別れの言葉の最中に、マーガレットが愛しい少年のもとへと引き寄せられていく。

 だがメアリが別れの寂しさを感じないのも無理はない。なにせ現在バーナードと恋仲のマーガレットは、ことあるごとにダイス家に招かれ、バーナードが招かれたパーティーには必ず彼の隣でエスコートされているのだ。

 そんなマーガレットとの別れに、今一つ気分が乗らないのは仕方あるまい。

 そうメアリが考え、バーナードと楽しげに話すマーガレットを見つめていれば、ぎゅうと抱きついてくるパルフェットの腕が強まった。どうやらメアリに頻繁に会っているマーガレットが羨ましいらしい。


「私もメアリ様ともっとお会いしたいです。そのためにはダイス家の方と……? そんな。私にはガイナス様が……でもそうすれば、これからもメアリ様のお近くに……!?」

「あらちょっと迷走してきたわね。ガイナスさん、回収してちょうだい」


 別れを惜しむあまりに迷走し始めるパルフェットをそっと体から放し、そばで待機していたガイナスへと引き渡す。

彼に抱き着いたパルフェットがふぅと一息吐いた。どうやら迷走から戻ってきたようで、「別荘の方が手っ取り早いですね」と今度はガイナスに意地悪を言っている。


 そうしてそろそろ馬車の出発……となったところで、一台の馬車が音をたてて現れた。

 見覚えのある馬車だ。交換留学の初日に見た。いや、それ以降も、ことある毎に颯爽と現れた馬車ではないか。

 バルテーズ家の馬車、となれば誰が乗っているかなど考えるまでもない。

 ベルティナである。彼女は馬車が停まるや中から現れ、白い布に銀の刺繍がされたリボンを揺らしながらメアリ達の元へと近付いてきた。

 そうしてアディの前で立ち止まり、深く頭を下げた。ゆっくりと顔を下げる表情は切なげで、顔を上げると一度アディを見つめ……次いで瞳を伏せた。

 途端にしおらしくなったベルティナに、アディが気まずそうに頭を掻く。

 振った相手、それもパーティーの最中にはっきりと拒絶の言葉を突きつけた相手だ。見つめられて気分が良いわけがない。だが無下にも出来ないのだろう。


「アディ様……先日は失礼致しました」

「いえ、俺の方こそせめて場所を変えるべきでした」

「私、あの後ルーク様に諭され、自分の気持ちに向き直ってみました。私ずっと昔からアディ様を慕い、理想を抱いていました……」

「ベルティナ様……」

「そして気付きました!」


 パッとベルティナが顔を上げてアディを見つめた。

 その瞳には迷いもなく、あのパーティーで見せた焦燥感もない。むしろどこか晴れ晴れとしている。


「私、気付いたんです。アディ様は……今私が目の前にしているアディ様は、なんだかちょっと違うな……って!」

「なんだかちょっと違う!?」

「はい! なんだかちょっと違います!」


 まっすぐにアディを見つめて放たれるベルティナの言葉に、聞いて居たメアリがふぐっと噴き出しかけた。

 ここで笑ってはまずいと己に言い聞かせ、慌てて口を引きしめる。

 口元を手で覆い顔を背け、そのうえ更に「ちょっと違う……なんかちょっと違う……!」と呟いているパトリックよりはましだろう。アリシアが「パトリック様ってば、笑ったら失礼ですよ!」と咎めているが、咎められて彼の笑いが収まるとは思えない。

 もっとも、今のアディはそれどころではないらしい。ベルティナに言われたことがショックだったのか唖然としている。


「私、アディ様はもっと影のある儚さと苦悩の狭間にいるような方だと思っていましたの。繊細で、深い悩みを胸に抱き、その悩みと苦悶から他者に慈愛を与えるような……。ですがよく考えてみると、アディ様は、なんか……こう、ちょっと思い描いていたのと違っていたなって」

「別に詳しく言い直さなくても結構です」


 アディが不服そうに言い切る。ベルティナに好かれたいわけではないが、「なんだかちょっと違う」という何とも言えない物言いが気に入らなかったのだろう。

 思わずメアリがクスと笑みを零し、彼の隣に立ってそっと腕を擦ってやった。


「ベルティナさんにとって、アディはなんだかちょっと違っていたのね」

「えぇ、違っていましたの」

「そう。でも私は今のアディが良いわ。儚さと苦悩の狭間じゃなくて、これからも今からも私の隣に居てくれるアディがいいの」


 メアリが笑って告げる。

 これを惚気と取ったのか、もしくは眼前での勝利宣言と取ったのか、ベルティナがツンとそっぽを向いた。だがそっぽを向きつつもチラと横目でメアリに視線をやり、次いで唇を尖らせつつも「……私、反省しましたの」と呟いた。


「反省?」

「あのパーティーでルーク様に叱られて、私どれだけ自分が失礼な事をしていたのかを自覚し、反省しましたの」


 叱られたという時の事を思い出したのか、ベルティナがしょんぼりと俯く。心なしかリボンもよれて見え、全体から気落ちしているのが分かる。

 それほどまでに……とメアリが意外に思う。

 ルークは確かに威圧感のある外見をしていたが、内面は温厚な男だ。そして自らベルティナを甘やかしていると認めていた。そんな彼が、ベルティナがここまで落ち込むほどに怒るとは思えない。


 だがベルティナ曰く、あのパーティーでアディの前から去った彼女をルークが追いかけ、そして開口一番に叱りつけた。『いい加減にしないか!』と。

 自分より一回り年上の、比べるまでもなく体躯の良い男からの叱咤に、慰めてもらえこそすれど怒られるとは思っていなかったベルティナは混乱したという。


「ルーク様は私の今までの事を怒り、どれだけ私がメアリお姉様に助けられていたかを話し……そして最後には頭を撫でてくださいました」


 失恋の痛手とルークからの叱咤に混乱していたベルティナも、彼に頭を撫でられたことで落ち着きを取り戻し、そして落ち着くと共に自分の行動を省みたのだという。

 隣国の大家令嬢であるメアリに無礼を働き、彼女の伴侶であるアディに露骨なアプローチをした。メアリの友人達にまで迷惑をかけ、はてには隣国王女アリシアと言い争い。

 アディ愛しさとメアリへの嫉妬で行動してしまったが、考えてみればバルテーズ家もろとも咎められてもおかしくない行為である。


 だがそれらを問題視せず、それどころか周囲を宥めてくれたのが他でもないメアリである。

 ルークに諭されてベルティナが思い出せば、確かに「逃げなさい!」というメアリの声が思い出される。もしもあの場でメアリの言葉を無視して無礼な行動を続けていれば、いったいどうなっていたのか……。

 ダイス家やエルドランド家、それどころか王女……。敵に回す勢力はバルテーズ家では逆立ちしたって敵わない者達だ。


「メアリお姉様は私のことを庇ってくださっていた……。私、それを自覚しましたの」

「そう、分かってくれてよかったわ。……ん?」


 おや? とメアリが頭上に疑問符を浮かべた。

 今ベルティナはおかしな呼び方をしていなかっただろうか? 以前まで彼女は『メアリ様』と呼んでいたが……。

 だがそれを問うより先に、ベルティナがすっと顔を上げ……そしてそのままずいと背を伸ばし、そして定番のふんぞり返る姿勢を取った。


「私、己の非を自覚し、反省しました。だから謝りに来ましたのよ!」


 胸を張りつつ反省を口にするベルティナは、誰が見ても反省しているとは思えないだろう。相変わらず高飛車だ。むしろこれが謝る態度かと怒る者すら出かねない。

 だが本人は態度と反してちゃんと反省しているようで、メアリがじっと見つめていると次第に視線をそらし……そして気まずいのか視線から逃げるように少し俯いてしまった。

 くいとメアリの服の裾を引っ張り、栗色の瞳で上目遣いで様子を窺ってくる。心なしか頭上のリボンもいつの間にか張りを失っており、まるで耳が垂れているかのようだ。


「……さい」

「ベルティナさん?」

「……ご、ごめんなさい」


 呟かれたベルティナの声は、彼女らしからず小さく弱々しい。聞き逃してしまいそうなほどだ。

 婚約者さえ振り回す我が儘令嬢なのだから、きっと謝罪の言葉なんて言い慣れていないのだろう。もしかしたら彼女の人生で初かもしれない。

 これには思わずメアリも穏やかに微笑み、隣に立つアディと顔を見合わせ苦笑交じりに肩を竦めた。


「大丈夫よ、ベルティナさん。気にしていないわ」

「本当ですの!?」


 メアリが優しく声を掛ければ、ベルティナがパッと顔を上げた。

 先程までのしおらしさから一転し、満足そうな笑みに変わる。先程まで張りを失っていたリボンがいつのまにやらピンと張り詰めているように見えるのは気のせいか。


「この私の謝罪ですもの、受け入れて当然ですわよね!」

「相変わらず復活が早いわね」

「私、今回の事で少しだけメアリお姉様の事を好きになりましたの。だからメアリお姉様も私のことを好きになってくださってもよろしいのよ!」

「はいはい、それはどうもありがとう。ところで、さっきからちょっと私への呼び方が気になってるんだけど……」


 もしかしたら聞き間違いかもしれない……とメアリが僅かな可能性に賭け、改めてベルティナに声を掛けた。

 彼女はツンとすましたままだ。それでもメアリへと向ける視線には以前までの嫌悪はない。それどころか「私のことを聞きたいんですのね、私に興味がありますのね!」と期待をしているようにさえ見える。


「まぁ仕方ありませんわね。私もメアリお姉様の事をちょっとだけ好きになってさしあげましたもの。メアリお姉様が私のことを好きになって、私のことを知りたいと思っても当然ですわ」

「あ、これ完璧に呼んでる。間違いなく呼んでるわ」

「さぁ、メアリお姉様、質問してくださって良いのですよ。私まだ少し時間がありますから、どんな質問でも答えてさしあげますわ!」


 高飛車な態度ながらに、ベルティナが期待を込めて質問を急かしてくる。

 だが高飛車ながらにメアリの事を『メアリお姉様』と呼んでいるではないか。ドラ学のアニメであれば『アリシアお姉様』とアリシアを呼んでいたはずが……。それも、こんなにツンとした態度ではなかった。

 といっても今それを言及する事など出来るわけがなく、メアリは盛大な溜息をつきつつ、適当な質問をしてやり過ごそうと口を開いた。



「仕方ないからまた遊びに来てさしあげますのよ!」


 という彼女らしい別れの挨拶を告げて馬車に乗りこむベルティナを見届ける。

 次いでカリーナやマーガレット、そして最後までスンスンと洟をすするパルフェットとそれを宥めて馬車へと誘導するガイナス達もまた各々の馬車へと乗り込んでいった。

 別れを惜しむように馬車が去り、見送りの生徒達だけが残される。そうして最後の一台を見送れば用は無く、一人また一人とカレリア学園の生徒らしく品の良い挨拶をして去っていく。

 そんな中、メアリも「そろそろ……」と帰宅を匂わせた。


「アディ、市街地によってお茶でもしましょう」

「そうですね。どこかでゆっくりと……」

「わぁい、行きましょう!」


 楽しみですね! と元気の良い声が割って入ってくる。

 もちろんアリシアだ。これにはメアリも文句を喚き……はせず、ペチン! とアリシアの額をひっぱたくことで返した。言葉で言っても伝わらないと悟り、ついには無言の暴力である。

 パトリックが慌てて止めに入ってくる……が、アディに視線を止めると耐え切れないと言いたげに笑いだした。きっとベルティナの『なんだかちょっと違う』が尾を引いているのだろう。これは根深そうだ。


「……お嬢、俺の代わりにパトリック様に一撃を」

「任せなさい。夫への侮辱は妻への侮辱! 男相手に加減は不要よ、くらいなさい!」

「パトリック様、危ない! メアリ様、殴るなら私にしてください!」

「それはそれで好都合!」

「きゃー! 私にも容赦ない!」


 ペチペチペチとメアリがアリシアの額を叩く間の抜けた音が続く。

 そうして数発引っ叩き、メアリが満足そうに手を離した。刺繍の入った上質のハンカチで手を拭く姿は、先程まで自国の王女を引っ叩いていたとは思えない優雅さだ。


「さて、これ以上アリシアさんに触っていたら、田舎臭さがうつっちゃうわ。さぁアディ、行きましょう」


 ツンと澄ましてメアリが歩き出す。隣を歩くアディがクツクツと笑っているのはどういう事だろうか……。聞くまでも無いとメアリがよろけたふりをして彼の足を踏みつけた。

 ちなみに、メアリが歩き出すと当然のようにアリシアとパトリックがついてくる。挙句に「どこのお店にしましょうか」だの「天気が良いしテラス席でも良いな」だのと話しているのだから、メアリはもう溜息を吐くしかない。

 これはもう諦めよう……。そう考えてメアリがクルリと振り返った。アリシアとパトリックがどうしたのかと問いたそうな表情をしている。


「今日はついてくることを許してあげるけど、お店を選ぶのは私よ。それに、私の隣にはアディが座るんだからね」


 これは譲れないとメアリが断言すれば、アリシアとパトリックがきょとんと眼を丸くさせ……次いで苦笑を浮かべると頷いて了承してきた。

 それを見てメアリが満足そうに頷き、肩に掛かった銀糸の髪を手で払って歩き出した。




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