23
「私ね、皆さんに嫉妬していたの」
そうメアリが素直に胸の内を告げたのは、あのパーティーから数日後。
交換留学もいよいよ明日で終わりとなり、ならばとアルバート家の庭園で茶会を開くことにしたのだ。友人達だけでの送別会は、学園で行われたものよりも小規模だが暖かみがある。
そんな中でのメアリの発言に、居合わせた者達が意外そうな表情で視線を向けてきた。
「メアリ様が、私達に嫉妬?」
とは、優雅な所作で紅茶を飲みつつ足置きの話をしてこの場を凍り付かせていたカリーナ。
彼女の隣に座っていたマーガレットも、揃えたように目を丸くさせている。
「メアリ様が私達にって……何故ですか?」
「アディが皆に優しくして、仲良くしてるところを見て嫉妬していたの。……恥ずかしい」
「まぁそうだったんですね。メアリ様が私達に嫉妬だなんて、気分がいい……いえ、お困りでしたでしょう」
「マーガレットさん、いっそ言い切ってちょうだい」
「あのアルバート家の令嬢であるメアリ様に嫉妬されるなんて、これはなんとも気分がいい。令嬢冥利に尽きますね!」
「オブラートに包んでもう一度」
「メアリ様の繊細なお気持ちに寄り添えず、申し訳ありませんでした……」
「本音は?」
「もう少し嫉妬してくださっても構いませんよ。嫉妬は女を美しくしますからね」
ホホホ……と高らかに笑うマーガレットに、メアリが相変わらずだと肩を竦めた。嫉妬をされて女が美しくなるというのなら、彼女はきっと『アルバート家の令嬢からの嫉妬』という特上の嫉妬を糧にバーナードを落としに掛かるのだろう。
野心だ、燃え上がる野心には嫉妬さえも燃料にしかならない。
そんなマーガレットの相変わらずさに、カリーナも楽しそうに笑っている。彼女にもメアリに嫉妬されていた事を気にしている様子はない。
片や茶化し、片やそれを笑う。なんとも彼女達らしい反応ではないか。「気にしないで」と、そう二人の表情が告げてくる。
対して「メアリ様ぁ……」と涙声で呼んでくるのはパルフェットだ。
彼女はこの茶会が始まる前から既に涙目で震えており、交換留学中の思い出や今後の話の最中も震え、隣に座るガイナスのケーキをこっそり失敬する最中も震えていた。――もちろんガイナスがそれに気付いていないわけがない。ケーキを盗まれる彼のなんと嬉しそうな事か。ケーキよりも甘い――
そうしてメアリの嫉妬発言に、居たたまれなくなったのか最大の震えを見せつつ切なげな声をあげた。
「メアリ様、私も誰かさんのせいで嫉妬する辛さを知っております。何も出来ずにただ焦燥感で胸を痛めるしかない日々……誰かさんのせいで、嫌というほど味わいました。……誰かさんのせいで」
「うぅ……遠隔攻撃と見せかけた直接攻撃が痛い……。すまないパルフェット、本当に申し訳ないと思っている……」
呻くように謝罪しつつ、ガイナスが手元のタルトをすっとパルフェットへと寄せる。
これで勘弁してくれという事なのだろう。パルフェットが満足そうに笑むとタルトを受け取り……そして微笑ましくみつめてるガイナスの視線に気付くと慌ててプクと頬を膨らませた。もっとも、頬を膨らませつつもタルトは手放していないのだが。
こちらもまた相変わらずではないか。
「嫉妬だなんて、私もまだ未熟ね。それでアリシアさん、なんでさっきからちょっと残念そうに私のお腹を突っついているのかしら? 理由によってはこの茶会が泥沼の引っ叩き合戦に変わるわよ」
「……私、てっきりメアリ様がご懐妊かと思ったんです」
「はぁ?」
ペチンとアリシアの額を叩けば、ツンと彼女の指がメアリの腹を突っついてくる。随分と残念そうだ。
これにはメアリも、いったい何の話をしているのかと溜息を吐いた。出会った当時から考えの読めない相手だと思っていたが、今回は輪をかけてアリシアの言っている話が掴めない。
「そもそもね、私はアルバート家の令嬢なのよ。もしそんな事があれば私より先に医者が気付くぐらいの万全体制なんだから」
「……そのくせに胃もたれですか」
「文句はやぶ医者に言ってちょうだい」
メアリがツンとすまして告げれば、非は自分にあると察してアディが名乗り出るようにコホンと咳払いをした。
あのパーティーに居なかったパルフェット達でさえも、これには事態を察して「やぶ医者……」と呟いている。それに比例するようにアディの顔が真っ赤になっていくが、メアリは助け船を出さずに小さく笑みを溢した。
事実、メアリにもしその兆候があればアルバート家の使い達がいの一番に気付き、メアリは自覚するより先に医者から告知されるはずである。
仮にも――日頃の扱いには多少疑問は残るが――アルバート家の令嬢、その懐妊となれば、国中に知れ渡る大事である。
ゆえにアルバート家の者達はメアリの異変を案じつつも、これも愛しい令嬢の成長と見守っていたのだ。
ちなみに、メアリが嫉妬を自覚し、そして己の新たな感情にいてもたってもいられず「私、アディが好きすぎて嫉妬してたの!」と屋敷中に言いまわったのはいうまでもない。それを皆嬉しそうに聞いていた。……数刻後、またも伴侶が惚気て回ったことを知って悲鳴をあげたアディ以外は。
そんな話を聞き、パトリックが小さく「そうか……」と呟いた。
次いで隣に座るアリシアに視線を向ける。
「だからアリシアはメアリに抱き着かなくなったのか」
「……はい。メアリ様のお腹に赤ちゃんがいるなら、大事にしなければと思って」
しょんぼりとメアリの腹を突っつくアリシアに対して、パトリックは納得がいったと晴れやかな表情である。そのうえ「足を痛めたのかと心配していた」とまで言って寄越すのだから、これにはメアリがギロリと彼を睨み付けた。
慌てて「普段から抱き着かないように」と咎め直す彼のなんと白々しい事か。
「アリシアちゃんはこれを機に、お嬢に抱き着いたりお嬢を攫っていくのを止めにしたらどうかな。というか、頼むから俺からお嬢を取らないで」
「アディさん、それは無理な話ですよ」
「堂々と言い切る……!」
アディが悔しそうに唸る。
次いで彼の手がメアリの腰に添えられるのは、彼なりの自己主張なのだろう。メアリの腹をツンツンと突っついていたアリシアの指が、今度はメアリの腰に添えられるアディの手を突っつきだす。
この地味な戦いにメアリは溜息しか出ず、ふと思い立ってパトリックへと視線を向けた。
「アリシアさんがアディから私を取るなら、私もアリシアさんからパトリックを取ろうかしら」
「えぇ!? メアリ様、それは駄目です!」
それはいけません! とアリシアが慌てて訴えてくる。
だがメアリはそれすらも聞かず、むしろその慌てようが面白いとニヤリと笑みを零した。
「あら良いじゃない。ちょっとくらい」
「駄目です! パトリック様は渡しません!」
メアリに取られると思ったのか、アリシアが慌ててパトリックに抱き着いた。
渡しません! と念を押してくる彼女を見つめるパトリックがこれ以上ないほどに嬉しそうだ。「少し落ち着け」とアリシアを宥めているが、その瞳は愛おしさしか漂わせていない。
「パトリック様はたとえメアリ様でも渡しませんよ!」
「まぁ、貴女案外に独占欲が強いのね。……ねぇ、本当に駄目? ちょっとで良いのよ?」
「ちょっとでも駄目です!」
きっぱりとアリシアが断言する。
誰もが焦がれる社交界の王子様を独り占め宣言なのだから、世の令嬢が聞けば嫉妬の炎で国一帯焼け野原になりかねない。
もっとも、言われたパトリックはいまだ嬉しそうにアリシアを眺めているのだから、これを前にすれば世の令嬢も白旗を上げるかもしれないのだが。
「メアリ様、メアリ様ぁ……! 私は良いですよ! ガイナス様の半分を差し上げます!」
「あらパルフェットさん、それは私も貰っていいのかしら?」
「カリーナ様!? カリーナ様もガイナス様のことが……!?」
「いえ、まったくもっていらないけど、分割する過程に興味があるの」
「分割だけが目的の方にはお譲り出来ません……!」
甲高い悲鳴をあげつつパルフェットが首を横に振る。
先程よりも震えが小刻みになっているのは、カリーナに対しての恐怖か、もしくはガイナスを渡すまいと勇み立っているからか、それとも実際にガイナスを狙う者が現れた事への嫉妬と独占欲の震えか……。
もしくは分割に対する恐怖か。
「カリーナさん、あまりパルフェットさんを虐めないであげて」
「……マーガレット様ぁ」
「本当に欲しければ徹底的に追い詰めて、四分の三を手中に収めてから宣言しなきゃ」
「マーガレット様にもあげません! ……ひぃ、取り分が増えている!」
パルフェットが更に悲鳴をあげれば、マーガレットとカリーナが楽しそうに笑う。流石にこれは冗談と分かっているのだろうガイナスも苦笑し、パルフェットを宥め始めた。
アリシアはいまだパトリックに引っ付き、「私は四分の一だって譲りませんよ!」となぜか高らかに宣言している。それを聞くパトリックの嬉しそうな表情と言ったら無い。
交換留学最終日を前にしても、そしてメアリが彼女達に嫉妬していたと打ち明けても、なんら変わらない賑やかさではないか。
そんな中、メアリがふとアディの手に視線をやった。
きゅっと掴めば、彼が不思議そうにこちらを向く。錆色の瞳が自分を見つめている、見つめ合うだけで胸に幸福感が満ちていく。
以前まではこの瞳に見つめられるのが当然だった。恋を知り、見つめられる事が嬉しくなり、そして愛を深めた今、見つめられるのは自分だけだと嫉妬までするようになった。
これほどまでに自分に独占欲があるなんて思わなかった。
アディと結婚してから初めて知ることばかりだ。
「私だって、誰にも渡さないんだから」
「お嬢?」
「アルバート家の令嬢の独占欲、甘く見ないでちょうだいね。四分の一だろうと八分の一だろうと、アディは私のものなんだから」
そう話しながらアディの手を強く握れば、照れ臭そうに笑いながらも彼もまた強く握り返してくれた。