19
「お嬢、またバルテーズ家からのお手紙ですよ」
そう告げてアディが一通の封筒を差し出してきた。場所はメアリの自室、手紙が届いていると彼が届けにきたのだ。
紅茶片手に本を読んでいたメアリが顔を上げ、礼を告げると共にそれを受け取った。見れば確かにメアリの名前、見たところ歪みは無く、きちんと名前が記載されている。
だが中身はどうか……とメアリが僅かに期待を抱きつつ、それを悟られまいと表情を固めながら封を開ける。中に収まっているのは質の良い手紙。
パーティーの招待状だ。
……そして記載されているメアリの名前が、今度は前回より少し大胆に間違えられている。
これにはメアリも思わずニンマリと笑みを浮かべてしまった。
招待状の向こうで「傷ついたでしょう? 無様に泣いても良いんですのよ!」と高飛車にふんぞりかえるベルティナの姿が見える。
「……お嬢、楽しんでますね」
「あら失礼ね。楽しんでなんかいないわ。でもこの小細工は可愛いじゃない」
「今回もまた微妙に間違えてますね。俺だったらドリル……いえ、なんでもありません」
「ドリルで言い止めたらセーフみたいな顔するんじゃないわよ。ドリルの時点でアウトよ」
「ドリル・ドリバード様宛ぐらいは書きますね」
「一回アウトになったからって開きなおるんじゃないわよ。……待って、ドリルだったのは私だけよ! アルバート家を巻き込むんじゃないわよ!」
きぃきぃとメアリが喚きつつ、それでもと一息吐いて招待状に視線を戻した。
そこに記載されているのはバルテーズ家のパーティー。
先日行われたばかりだが、社交界ではパーティーが連続することはそう珍しいものではない。パーティーとは権威の象徴、多いだけ家柄と裕福さを誇示し、招かれる側も招待状の量と多忙さが見栄に繋がるのだ。
とりわけ今はカレリア学園とエレシアナ学園が交換留学を行っており、その間にツテを広げようと考えている者は少なくない。
バルテーズ家に限らず他家も同様、この機会をみすみす逃すまいとパーティーや茶会を開いたり、招かれれば喜んで応じている。
今回の招待状もその一環だろう。
裏があっても、ベルティナの嫌がらせと、迷惑をかけているから詫びたいというルークの気持ちがあるぐらいか。
「呼ばれたからには行かなきゃ駄目よね。ねぇアディ」
「……そうですね。俺はもうベルティナ様とは踊りませんけど」
前回のパーティーの事を思い出しているのか、うんざりとした表情でアディが告げる。それを聞き、メアリがふと胸元に視線をやった。
アディがベルティナをエスコートしているのを見たとき、ひどい胃もたれを覚えた。そもそも元を正せば、この胃もたれは交換留学初日、アディがベルティナに抱きつかれたのを見た時から起こっているのだ。
メアリの胃事情とは無関係といえども、やはり良い気分はしない。あの光景を思い出せばまた胸の内に靄がたまる。
だがアディは既にその話題を続ける気はないのか、先程までの面倒くさそうな表情を切り替えてスケジュール帳を眺めている。パーティーの日取りまでを数えて、悩むように眉間に皺を寄せた。
「ドレスを新調するなら急いだ方が良いかもしれませんね」
「そうね……」
「仕立屋を呼ぶように手配します」
急いで手配せねばと言いたげにアディが扉へと向かう。
その後ろ姿に、自分のもとから去ろうとしている背中に、なぜだかメアリは言いようのない焦燥感を覚え、咄嗟に手を伸ばした。
彼の上着の裾をつかみぐいと引っ張れば、アディが驚いた様子で振り返った。
錆色の髪が揺れる。同色の瞳が丸くなり、いったい何事かとメアリを見つめてくる。
「お嬢、どうしました?」
「……な、なんでもないの。そうだ、アディのスーツも揃えたものにしましょう。ほら、前に話していたデザインがあるでしょ……。ベルティナさんがきっと睨んでくるわ」
「そうですね。……で、なんで俺の上着を?」
どうして掴んでいるのかと問われ、メアリが慌てて手を離した。
名残惜しいと思ってしまうのは何故だろうか。自分の指先が彼の上着を掠め、それが言いようのない不安を呼ぶ。
だがいったい何に対しての不安なのか。
それすらも分からず、メアリがきゅっと自分の胸元を押さえた。
「……お嬢、もしかして」
「アディ、私……」
どうしたのかしら、とメアリがアディを見つめる。
錆色の瞳が案じるように見つめ、彼の手がそっとメアリの肩に置かれた。
暖かく大きな手だ。
優しく肩をさすられれば、メアリの胸の内に湧いた焦りと不安が緩やかに溶かされていく。
「お嬢、大丈夫ですよ。夕飯は軽めにして、医者に薬を出すように伝えておきますから。それに胃もたれに効くという茶葉も入手しました。今夜は寝る前にそれを飲みましょう」
「胃もたれ対策はバッチリなのね。さすがだわ」
アディの胃もたれ対策を聞き、メアリがほっと安堵の息を吐いた。
「アディ、貴方またおかしな招待状を作っていたりしないわよね」
そうメアリが隣を見上げつつ訪ねたのは、件の招待状で招かれたバルテーズ家の夜会。濃紺のドレスは普段より少し胸元の露出を高めにし、薄いショールが夜の雰囲気に合っている。
隣に立つアディもシンプルな濃紺のスーツに身を包み、今日は飾りも控えめにしている。二人並ぶ姿は新婚ながらに落ち着きを感じさせるだろう。
そのシンプルさが、胸元にある赤と銀を重ねた二枚の羽飾りを際立たせてくれる。
誰が見ても二人が夫婦だと、仲睦まじいと分かるはずだ。
……もっとも、メアリは睨むようにアディを見つめ、対してアディはこれでもかと言わんばかりに余所を向いている。
二人の衣装こそ大人びてはいるものの、行動や相変わらずだ。
「……もう作ったのね」
「い、いえ……まだ配ってはいません!」
「なにまだセーフみたいな雰囲気だしてるのよ! 相変わらず仕事が速い男ね!」
誉めているのか貶しているのか分からない暴言を吐きつつ、メアリがサッとアディの上着をめくる。そうして胸元にしまわれていた二通の招待状をかすめ取った。
一通はこの夜会の招待状だ。……もう一通は。
『ドリル・ドリバード様 ドリル蘇生会のお誘い』
これである。今回もまたレタリングは洒落ており、紙にもこだわっているのが分かる。文面さえ見なければ一等の招待状だ。
「またこんなの作って……待って、いったい何をしようとしているの!?」
「だ、大丈夫です。ただちょっと給仕仲間で飲み会をするだけです。冗談でこんな文面にしただけですから」
「そうなのね。良かった、平和な飲み会なのね」
それなら問題ないわ、とメアリが招待状をアディに返す。――たとえ冗談といえども、この無礼極まりない言動を「冗談なら良かった」で済ませていいのだろうか――
だがあいにくと今のメアリはそれに気付かず、アディが不機嫌が直ったとばれない程度の安堵の息を吐いた。そそくさと招待状もしまってしまう。
「ところでお嬢、今夜はアリシアちゃん達も来てるんでしょうか?」
アディが探すように周囲を伺う。
それに対してメアリも周囲を見回した。
「そうねぇ、いるんじゃないかしら? 私には関係ないけど」
「はい、今日はお二人よりも少し早く着いていたんですよ!」
「普段ならすぐに見つけて駆け寄って来そうなものですけどね」
「また騒がれるのは厄介だから、さっさと挨拶を済ませて今夜は帰りましょう」
「えぇ、メアリ様すぐに帰っちゃうんですか?」
「そうですね。お嬢の胃もたれも酷いようですし…………」
「うふふ、そうですね。メアリ様はゆっくりしないといけませんものね」
「あの子に騒がれると疲れがたまるわ。……ところでアディ」
ねぇ、とメアリが明後日を向きながらアディの名を呼んだ。
彼もまた視線をそらしつつ、それでもメアリの言わんとしていることを察して、「そうですね」と呟くような小声で返してくる。
そうして互いに揃えたように溜息を吐いた。
……居る。