17
ベルティナはあの通り分かりやすく喧しい、そして常に取り巻きを引き連れている。上手く扱えばよい広告塔になってくれるだろう。
思わずメアリが笑みを浮かべれば、隣に立つアディが呆れたと溜息を吐いた。
「……お嬢、また良からぬことを考えていますね」
「あら失礼ね。ちょっと渡り鳥丼屋の事を考えていたのよ」
「そうですか。でも渡り鳥丼の事は胃もたれしない程度にしてくださいね」
呆れ交じりのアディの言葉に、メアリも頷いて返す。
幸い先程は渡り鳥丼の話をしても思い出し胃もたれは起こらなかったが、程々に止めておくのが良いだろう。
そう考え、ならば別の話をしようと考えた瞬間、深い溜息が割って入ってきた。
重苦しいそれは、マーガレットが発したものだ。
先程まで狩人兼令嬢らしく微笑んでいた彼女は、今は憂いを帯びた表情をしている。視線が向かうのは、先程メアリが「バーナードがいる」と嘘をついた方向。まるでそこに彼の姿を探しているようではないか。
らしくない彼女の表情に、メアリも、それどころか話の最中は蚊帳の外でろくでもない会話をしていたアディとカリーナも案じて彼女へと視線を向ける。
「マーガレットさん……」
「……あら、ごめんなさい、私ちょっとボーっとしていたわ」
「そう……。もしかして、ベルティナさんに言われたことを気にしているの?」
窺うようにメアリが尋ねれば、マーガレットが再び視線を他所に向けて小さく溜息を吐いた。
「気にしていない、と言ったら嘘になりますね。ただ断じてベルティナさんに言われたからではありません。若さと幼稚さをはき違えている彼女に言われたわけでは、けっして、断じて、ありませんのでお間違え無く」
「恨みは良いから、先を続けて」
「畏まりました。ベルティナさんに言われたわけではないんですが、それでもやっぱりバーナードより年上なのは気にしてしまいますね。どうしようもないのに」
困ったようにマーガレットが笑う。普段見せない自虐的な笑みだ。
だが事実、年齢差は本人が足掻いても覆せるものではない。彼女の野心も、さすがにこればかりはどうにも出来ないのだ。だからこそマーガレットが溜息を吐く。
そんな彼女を前に、メアリはどう声を掛けたら良いのかわからずにいた。
「マーガレット様、あまりお気になさらない方が良いですよ」
「……アディ様」
穏やかな声でアディがマーガレットを慰める。優しく諭すような口調と声は、どうしたものかと困惑していたメアリでさえ安堵してしまいそうなほどだ。
その声に促されてマーガレットが顔を上げれば、自然と二人が見つめ合う。複雑な胸中もあってか直ぐには話し出さず、数秒二人の間に沈黙が流れた。……見つめ合ったまま。
今までにないその光景に、メアリの胸の内がざわついた。時差で胃もたれが起こっているのだろうか、と己の胸元を押さえる。
だがメアリが胃もたれを覚えている最中に、マーガレットが苦しそうに溜息を吐いた。
「気にするべきではないと分かっているんです。ですが、バーナードの周りには若い令嬢がいるでしょう。それを考えると……」
「俺は昔からバーナード様ともお付き合いがあります。彼は立派で、聡明な方。年齢だけで他所に目移りするような方ではありませんよ」
「……そうですね」
マーガレットの表情に僅かに安堵が浮かぶ。
だがいまだ気分は晴れてはいないのだろう。複雑な表情をしている。
そんなマーガレットの表情を見つめ、メアリがふと以前に聞いた言葉を思い出した。
『頭では理解していても、心が納得してくれない』
そう話していたのはルークだ。
ベルティナと婚約していても、アディの気持ちが欠片もベルティナに向いていないと分かっていても、それでも嫉妬してしまうと話していた。どうにも出来ないのに年齢差を気にしてしまうマーガレットと同じではないか。
その胸中の複雑さは、きっと胃もたれなどとは比べ物にならないのだろう。
メアリが労わるように彼女に視線を向ける。
……だけどどうして、マーガレットを見つめるアディに視線が向かってしまうのだろうか。胃もたれが悪化し、心苦しささえ覚える。
「マーガレット様は魅力的な女性ですよ。それはバーナード様も……いえ、バーナード様こそ誰より分かっているはずです」
「……アディ様、ありがとうございます」
「それにここだけの話ですが、バーナード様は俺やお嬢によくマーガレット様のことを聞いてくるんです。ねぇお嬢?」
アディがぱっとこちらを向く。錆色の髪が揺れ、同色の瞳がメアリを見つめる。
ようやく彼が自分を見つめてくれた……と、メアリがそんなことを考え、はたと我に返ると自分の思考に首を傾げた。
ようやくとはどういう事か。なぜそんなことを考えてしまったのか……。
だが今はその疑問を気にしている場合ではない。返事をしないメアリに対し、アディが「お嬢、どうなさいました?」と様子を窺ってくる。
「な、なんでもないの。そう、バーナードよね。彼ってば、私達に会うといつもマーガレットさんの話ばかり聞きたがるのよ」
「そうなんですね……」
メアリの話に、マーガレットの表情が徐々に晴れやかになっていく。
愛しい相手が常に自分を気にかけてくれる、離れていても自分の事を知ろうとしてくれている、これ以上のことは無い。バーナードの事で気落ちしていたマーガレットへの最善の薬は、これもまたバーナードなのだ。
「そう考えると、胃もたれを治すのも渡り鳥丼とコロッケなのかもしれないわね……」
「メアリ様、バーナードはどんなふうに私の話を求めるんですか?」
「迎え酒ならぬ迎えコロッケ……?」
「メアリ様?」
「あ、あらごめんなさい。バーナードの事を思い出していたの。彼が『聞きたい事がある』って言い出すと、決まってマーガレットさんの事なのよ。エレシアナ大学はどんなところか、マーガレットさんはいつもどこで過ごしているのか、どんなお店が好きなのか……」
「バーナードってば……。もっとです、もっと聞かせてください」
「その時の彼ってとても可愛いの。マーガレットさんがどんなものが好きかを調べて、この国を案内したいって……」
「まぁ……。もっとです、メアリ様その続きを!」
「……真っ赤になるのも可愛いわね。手紙の挨拶はどんな文章が良いかを私やアリシアさんに聞くのよ。どんな文面が女性に好まれるかを調べて、少しでも喜んでほしいって」
クスクスと笑いながらメアリが話せば、アディも「そういえば」とバーナードとの事を話しだす。元よりアルバート家とダイス家は交流があり、メアリはもちろんアディも彼が生まれた時から知っているのだ。
だからこそ二人であれこれとバーナードのことを話せば、マーガレットの瞳が輝きだす。
次いで彼女は俯くと、ふぅー……と深く息を吐きグッと小さく拳を握った。「よしっ」と呟く声は小さいが、並々ならぬ気合を感じられる。
「ありがとうございます、もう大丈夫です」
「ガッツポーズを控えめにした事は褒めてあげるわ」
「私ってば、らしくなく弱気になってしまいました」
お恥ずかしい、とマーガレットが頬を押さえて優雅に笑う。
その品のある笑い方はまさに令嬢といったもので、メアリとアディが顔を見合わせて肩を竦める。――ちなみに、この時なぜかカリーナがさり気なく荷をまとめ、さり気なく立ち上がり、そしてさり気なく優雅に去っていった――
「マーガレットさん、あまり気になさらないで。誰だって弱気になる事はあるのよ」
「そうですね。アディ様も、ありがとうございます」
それぞれに礼を告げてくるマーガレットは普段通りの様子だ。良かった……とメアリが安堵の息を吐いた。
だが次の瞬間にパチンと瞳を瞬かせたのは、マーガレットが「それはさておき」とおかしな話の改め方をしたからだ。
見れば彼女は相変わらず優雅に笑っている。……のだが、その瞳がギラギラと光っているのは気のせいではないだろう。あれは狩人の瞳だ。
なぜこの状況で狩人が帰ってきたの……とメアリが引きつった表情で疑問を抱き、そして彼女を良く知るカリーナに回答を求めるべく視線をやった。そしてまたも瞳を瞬かせたのは、カリーナの姿が無いからだ。
蛻の殻となった一脚の椅子を前にすると、嫌な予感が湧く。
「ねぇ、マーガレットさん。カリーナさんもいつの間にか居なくなってることだし、私達もそろそろ……」
「バーナードとの約束まで時間がまだあります。ぜひ彼の話を、詳しく、詳細に、事細かに、余すところなく、お話ししてください」
マーガレットの有無を言わさぬ迫力に、メアリがゴクリと生唾を飲む。
この狩人、飢えているわ……! と心の中で悲鳴をあげるほどだ。それほどまでにマーガレットから言い得ぬ圧力を感じてしまう。
「メアリ様もアディ様も、幼少の時からバーナードを知っているのですよね。それはもう、私との思い出なんて一欠けらという程に」
「そ、それほどでもないわ。彼とはたまに話をするだけよ。ね、ねぇアディ」
「え、えぇそうです……。少し親しいぐらいです」
引きつった笑みを浮かべつつメアリとアディが前言撤回する。
なんとも白々しい、この場凌ぎの誤魔化しである。むしろ誤魔化しきれておらず、必死なメアリとアディに対し、マーガレットがふっと視線を落とすと小さく笑みを零した。
「……最高の情報源を見落としていたわ」
という彼女の呟きに、メアリが慄いて身を逸らした。
捕まってはいけない、これは長くなる、早く逃げねば、そう己の中で警報が鳴り響く。
だがあくまで鳴り響くだけだ。ギラギラと瞳を輝かせる狩人を前にすれば、アルバート家の令嬢といえども逃げる術はない。袋のネズミならぬ丼上の渡り鳥。
そして撤退を促す警報はアディの中でも鳴り響いているのだろう、彼はしばらく考えるように視線を他所に向けた後、引きつった笑みを押し隠しつつ話し出した。
「俺とお嬢では知っている事は重複しております。二人から聞いても意味が無いでしょう。俺はこのへんで失礼します……」
ゆっくりと立ち上がるアディは、メアリを囮にして逃げるつもりである。
それを聞いた瞬間、メアリが彼の腕をしっかりと掴んだ。
「アディ、なにを言ってるの! たとえ同じ記憶と言えども、男女では受け取り方が違うわ。男の人の意見も大事よ!」
「お嬢! 良いじゃないですか、お二人でゆっくりと話をしてください! 俺は……俺は夕食のコロッケを揚げてきますから! 今は職務中ですから!」
「逃がさないし、それはコックの仕事で貴方の仕事じゃないわ!」
キィキィと喚きながらメアリが逃がすまいとアディの腕にしがみつく。
だが次の瞬間、メアリどころかアディまでも同時にピタと動きを止めたのは、カチャンと甲高い音が響いたからだ。
マーガレットが優雅に飲んでいたティーカップをソーサーに置いた音。やたらと響かせたのは、二人のやりとりに割って入る為に違いない。
そんなマーガレットはメアリとアディの視線がゆっくりと自分に向けられるのに気付くと、穏やかな笑みを浮かべた。
なんて麗しい微笑みだろうか。相変わらず瞳はギラギラと輝いているが。
「この交換留学、手ぶらで帰るわけにはいきません」
そう優雅に断言するマーガレットに、メアリは溜息を吐き……、
「……交換留学なんだから、大人しく勉強して帰りなさいよ」
溜息交じりに文句を吐きつつ彼女に向き直った。
アディが紅茶を淹れ直すのは、長丁場になると察したからである。