16
ベルティナの嫌がらせは市街地での一件以降も続いた。
よく飽きもせず続けられるわね……と彼女の忍耐力を褒めたくなるほどである。
元来メアリは、嫌がらせという行動自体を理解出来ずにいた。
社交界で繰り広げられる令嬢達の対立も、関わらず口を挟まず、ただ傍観するのみ。――そもそも『変わり者』と陰口を叩かれていたメアリは、傍観に徹するまでもなく常に蚊帳の外だったが――
嫌いなら関わらず、嫌がらせをする労力を他に回せばいい、それがメアリの考えである。
そんなに嫌がらせは、それも横恋慕が加わると引くに引けないものなのだろうか?
そんなことをメアリが考えたのは、学園の一角でアディと共に紅茶を飲み、そこに居合わせたマーガレットとカリーナが加わり四人でお茶をしていた時だ。
具体的に言うなら、カリーナが足置きの話をし始めたので、極力聞かないようにと意識を他所にやっていた時のこと。
その最中「あら御機嫌よう」と声を掛けられた。
またしても、今日もまた、案の定、いつも通り、恒例の、ベルティナである。
紫色のリボンを頭上に飾りふんぞり返っているが、カリーナの「ベルティナさん、先日は紅茶をご馳走様でした」という言葉には小さな悲鳴をあげた。どうやら恐怖は残っているようだ。
だが次の瞬間には愛想の良い笑顔になり「アディ様、ご機嫌よう」と猫なで声でアディに挨拶する。コロコロと変わる表情と声色は器用と褒めたくなるほどだ。役者に転換したら応援してあげようかしら……と、そんなことをメアリが考える。
そんなベルティナに、アディが頬を引きつらせながらも「ご機嫌よう、ベルティナ様」と返す。心なしか椅子をずらしてメアリに近付いてくるのは、きっとベルティナから逃げるためだろう。
もしくは、先日の一件を思い出して冷気を漂わせ始めるカリーナから逃げるためか。
「皆様、こんなところで暢気に……いえ、優雅にお茶をしていらっしゃったのね。大学部の方々は暇そうで……いえ、時間に余裕があって羨ましいわ」
「そうね、大学部は割と時間が空くわね。……で?」
「高等部は忙しくて、疲れてしまいますの。でも仕方ありませんわね、忙しいのは先生方から期待を寄せられている証です。若者として受け入れねばなりません。でも暇そうな……いえ暢気な、失礼、自由に過ごしているメアリ様が羨ましいですわ」
「えぇ、大学部は自由だわ。……ねぇ、今回の意図が掴めないから、もうちょっと具体的に話してくれない?」
「私、まだ高等部ですので、学ぶべきことが多くて大変ですの。まだ若くて、若いから期待を寄せられて、未来がありますから。メアリ様と違って、若くて!」
「今日は年齢差を言いたいのね」
なるほどそうきたか、とメアリが紅茶に口をつけながら呟く。
どうやら今日のベルティナはメアリ達との年齢差を盾に嫌味を言いたいらしい。確かに彼女はメアリより年下、まだ高等部、若さを盾にするには十分だ。
とりわけ社交界の令嬢は美しさが武器の一つであり、年齢はそこに大いに関与している。若い、それだけで価値があるのだ。
「メアリ様の名誉のために、薹が立つとまでは言いませんが。でもほら、私と比べると少し年が過ぎていますでしょう? それに殿方はやはり若い女性の方が良いと仰いますし」
「ですって、どう? 殿方代表」
「俺に話を振らないでください」
眉間に皺を寄せ、アディが黙秘権を訴える。
それを聞き、ならばとメアリがカリーナへと視線を向けた。幸い彼女は冷気を止めているので、今ならばまともな会話が望めるだろう。
「殿方は若い女性の方が良いらしいわよ。カリーナさんはどう思う?」
「そうですねぇ……。ですが一概に若さだけとは言えませんよね。女性に求められるのは、知性、母性、気品、包容力、踏みつける時の脚力」
「カリーナさん、私のケーキあげるからしばらく黙っていてちょうだい」
年若い令嬢の教育に悪いでしょ、とメアリがケーキをさし出しつつカリーナを咎める。
ベルティナも彼女の取り巻き達も、「踏みつける?」だの「脚力?」だのと困惑しているではないか。だが幸い困惑で留まっているようで、新たな扉を開こうとしている者はいない。
交換留学に来て、新たな扉を開けた……となれば、学園の一生徒として申し訳ない。
だからこそ扉が開かれないうちにとカリーナを制し、ならばとマーガレットに向き直った。彼女は先程からベルティナの言葉にクスクスと笑みを浮かべている。
現に今も「嫌だわ、カリーナってば」と友人の暴走を優雅に咎めている。そんなマーガレットなら、とメアリが期待を抱いてその名を呼ぼうとし……そして出かけた言葉を飲み込んだ。
マーガレットは微笑んでいる。
緩やかに弧を描く口元、クスと小さく漏れる優雅な声、大人の魅力が漂っている。
ただ、目が笑っていない。
ギラギラと獰猛な輝きを放っている。
それを見て、メアリがしまったと彼女に声を掛けた己の迂闊さを悔やんだ。
マーガレットが今交際しているのは、ダイス家三男バーナード。当然だがマーガレットよりも年下だ。それどころかベルティナよりも年若い。
年齢差のある交際は社交界では珍しくないとはいえ、年上の女性側からしてみればあまり気分の良いものではない。それも、こうも年齢の事を指摘されれば気分を害するに決まっている。
ただの令嬢ならばまだ傷つくだけで済むが、マーガレットが気分を害したらどうなるか……。
そう、狩人の覚醒である。
だがベルティナはマーガレットから漂う殺気にも、ギラッギラに光る彼女の瞳にも気付いていないようで、いまだツンと澄ましている。
それどころかマーガレットの無言と微笑みを肯定と取ったのか、どことなく得意気だ。
「殿方が欲するのは女性の美しさ麗しさ、そしてそれらを引き立てるのが若さです。やはり若いというのはそれだけで価値があると思いますのよ」
「や、やめなさいベルティナさん……」
「若ければ若いほど良いのですよ。肌のハリも、髪のツヤも違いますし。若いと女性としての愛らしさも際立つでしょう。私達の中に混じればメアリ様なんて」
「ベルティナさん!」
それ以上は! とメアリがストップをかける……と、それとほぼ同時にマーガレットがカッと見開いた。
「秒読みモードに入ったわ! ベルティナさん、逃げなさい!」
「な、なんですの……!?」
「バルテーズ家を乗っ取られたくなければ、今は引くのよ!」
「こんなところで退きませんわ!」
今までの撤退を思い出しているのか、メアリが撤退を促してもベルティナは意地を張る。
思わずメアリが小さく舌打ちをした。令嬢らしからぬ余裕の無さだが、もう時間が残されていないと焦りを募らせるあまりだ。
なにせ狩人が先程からなにやら呟いている……。バルテーズ家の領地やその広さ、家柄、家族構成、そして家を乗っ取るための算段……。
かくなる上は……! とメアリが立ち上がり、他所を向くと「あら」と声をあげた。
「あそこに居るの……バーナードじゃないかしら?」
偶然見つけた体を装って、メアリが誰にともなく告げる。
といってもそんな偶然が都合よく起こるわけが無い。マーガレットの気を逸らすための嘘だ。
だが嘘でも効果があれば良い。現に彼女は「バーナード!」と愛しい少年の名を口にし、途端に狩人から令嬢へと切り替わった。……もっとも、この令嬢状態も極上の男を捕まえるためと考えれば狩人でしかないのだが。
「メアリ様、バーナードはどちらですか?」
「あ、あら、私の見間違いだったのかもしれないわ」
ごめんなさいね、メアリが勘違いを謝罪すれば、立ち上がりかけていたマーガレットが残念そうに座り直した。その表情は彼女らしくなく気落ちしており、本当にバーナードに会えると期待していたのが分かる。
ベルティナを逃がすためとはいえ、悪いことをしてしまったかも……とメアリの胸に罪悪感が湧いた。
マーガレットとバーナードは国を跨いでの交際をしている。そのうえ年齢差があるのだから、メアリとアディのように常に一緒というわけにもいかない。会える機会がどれだけ大事か……。
騙してしまったお詫びに、食事の約束でも取り付けてあげようか、そう考えてメアリがマーガレットに声を掛けようとした。だがそれより先に、
「まぁ良いです。だって今晩夕飯に誘われているんですもの。それも二人きりで」
とあっさりとデート自慢をしてきた。そのうえバーナードから声をかけてくれたのだという惚気付き。
これにはメアリの罪悪感も四散するように消失し、バーナードはまだ年若いから程々にと彼女の狩人精神に釘を刺しておいた。
バーナードはダイス家の三男、まだ幼く愛らしい少年だ。狩人が本気を出せば純粋な少年はひとたまりも無いだろう。いくら二人が両想いとはいえ、さすがに見過ごせない。
だが今はバーナードよりも心配すべき人物がいる。ベルティナだ。
彼女は蚊帳の外で話が進んでいることに痺れをきらしたのか、苛立ちを露わにした表情でメアリを睨み付けてきた。
「もうよろしいかしら! 私、メアリ様達に構っていられるほど暇ではありませんの!」
ツンと澄ました態度と共にベルティナが言い切る。我が儘な令嬢にとって、蚊帳の外は長く耐えられるものではないらしい。――このやりとりの最中、「アディ様はヒールが細い靴と太い靴、どちらが好みですか?」「それは見た目ですか? 踏まれ心地ですか?」「踏まれ心地です」「知りません」と蚊帳の外で暢気に会話をする二人を見習ってほしい。……会話の中身は見習ってほしくはないが――
「私、若くて未来がありますの。メアリ様みたいに時間を無駄になんて出来ませんわ」
「そうね。若いものね。ところで渡り鳥丼はどうだった?」
「おいし……いえ、そこそこですわ。まぁ庶民が通うお店にしては良い方かしら。認めてあげない事もない程度ですのよ!」
ツンと澄ましてベルティナが告げる。
どうやら買い占めた渡り鳥丼を消費するため取り巻きにも振る舞ったようで、彼女の撤退を察して支度をしていた取り巻き達が「美味しかった」だの「今度お店にも行ってみましょう」だのと話をしている。
そうして「では御機嫌よう!」と取り巻き達を連れて去っていくベルティナを、メアリはニヤリと笑みを浮かべて見送った。