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道の先にある渡り鳥丼屋を見て、ベルティナがわざとらしく口元を押さえた。
「なんてことかしら、私あのお店を買い占めようと思っていましたの!」
「買い占め?」
「えぇ、私ちまちまと買うのが大嫌いですの。だって、一つ一つ品を選んで、比べて、時にはお店を変えて……なんて庶民臭くてみっとも無いでしょう? 特に食事に関しては豪快に選ばなくては。ですから、すべて買い占めますの、メアリ様達が食べる分はありませんわ!」
残念ですわね、とベルティナがふんぞり返る。
そんな彼女の話にメアリはしばし考え込み、次いで真剣な面持ちで顔を上げた。
「ベルティナさん、貴女、経営の知識はあるのかしら?」
「お嬢、この場合の買い占めるとは商品のみです。経営権利までではありません」
冷静なアディの言葉に、メアリがはっと息を飲む。
すっかり思考が経営モードになり、ベルティナの発言を「経営権利の譲渡」と取ってしまった。
違う、これは単なる嫌がらせだ。
嫌がらせのために先手を打って買い占めるとは、なんとも悪役令嬢らしいやり方ではないか。だが悪役令嬢らしさはあっても渡り鳥丼への愛は無い。経営権利は譲れない。
そう己に言い聞かせ、メアリが改めてベルティナに向き直った。彼女はいまだにふんぞり返り、「でもアディ様が食べたいと仰るなら……」とアディを誘っている。
どうやらメアリ達の昼食を買い占めることで邪魔し、そしてあわよくばそれを餌にアディと食事をしようと考えているようだ。
嫌がらせをしつつ、アディにもアプローチ出来る、なるほどこれは考えたなとメアリも感心してしまう。
もっとも、感心はするが成功するとは到底思えない。現にアディはベルティナの分かりやすいアプローチに困惑の色を示している。きっと断りの言葉を選んでいるのだろう。
そんな二人を眺めつつ、メアリは鞄から手帳を取り出した。
皮張りの、壮年の男性が使用していそうな手帳だ。洒落っ気の無いそれは令嬢の手には似合わないが、そもそもこれは『渡り鳥丼屋経営者の手帳』なのだ、洒落っ気は不要。
細かに書かれているスケジュールを眺め、メアリが「大量納入……」と小さく呟いた。
渡り鳥はメアリの親族が管理する北の大地から産地直送である。納入数を増やすにも向こうと連絡を取る必要があり、日数が掛かる。
それを踏まえて計算し、この日ならばと最短の一日を見出す。
今日から十日後だ。幸いお店も定休日、そこで大量入荷し……。
「ベルティナさん、買い占めは十日後にしてくれると嬉し……いえ、私とても悲しいわ!」
「な、なんで十日後ですの!? 今じゃありませんの!?」
「特に深い理由も企みも経営戦略も無いわ。ただ十日後にあのお店の商品を買い占められると、売り上げが……じゃなくて、私とても悲しくて、悔しくて、辛くて泣いてしまうかも……!」
「十日後ですのね!」
メアリを負かせられると分かってか、ベルティナが表情を明るくさせる。
そうして「十日後よ、手配なさい!」と取り巻きに命じて歩き出した。「ではご機嫌よう」という彼女の言葉は、すでに勝利の余韻に浸っているかのようだ。
だがこれで、十日後に彼女が渡り鳥丼を買い占めてくれることは確定した。
「アディ、大口案件よ!」
売上アップを前にメアリが興奮する。
だが嬉しそうなメアリに対して、アディは冷ややかな表情でベルティナ達が去っていった先を見つめていた。
「……お嬢、当初の目的は覚えておいでですか?」
「当初の目的? そんなもの当然……忘れてたわ……!」
メアリが切ない声をあげて頽れる。
当初の目的は、買い物の最中に割って入ってきたベルティナと話をすること。嫌がらせをするのは学園内に止めておけと伝えることだったのだ。
それを綺麗さっぱり忘れていた。
「渡り鳥丼への愛と経営者としての才能が暴走してしまったわ……!」
「結果として只の買い物になりましたね」
「……渡り鳥丼屋の売り上げが上がったから良しとしましょう」
「空回り」
「してない!」
空回りなんて認めない! とメアリが訴える。
ここで認めてしまえば、これから先なにを言われるか分かったものじゃない。高等部時代・大学部時代・渡り鳥丼屋開店時代……更に弱みを重ねるのは得策ではない。
だからこそメアリはスッと立ち上がり、何事もなかったかのようにスカートをはたいて汚れを落とした。ふぅと一息吐いて、肩にかかった銀糸の髪を軽く手で払う。
「さ、行きましょう」
「なるほど、無かったことにするとは新たな戦法ですね」
「うるさいわよ!」
アディを叱咤し、メアリが歩き出す。
それを見て、ようやくメアリ達の話が終わったと察したのか、アリシアが「お昼ご飯ですね!」と嬉しそうな声をあげた。パルフェットが震えながらメアリの右腕に抱き着いてくる。振動が普段より大き目なのは、空腹によるものだからだろうか。
「まぁ、こうなったら開き直って食事と買い物を楽しみましょう。ほら、アディも……」
行くわよ、と声を掛けつつメアリが振り返る。だが彼を呼ぶ途中で言葉を飲み込んだのは、「アディさんも行きましょう!」と溌剌とした声が被さったからだ。
アリシアの声。彼女はアディの腕を引っ張り、メアリ達に遅れまいと急かしている。
……アディの腕を引っ張って。
その姿は、まるで楽しみを前に親を急かす子供のようではないか。
アディの腕を取りつつも、彼女の紫色の瞳は彼には向かわず、道の先にある渡り鳥丼屋を見つめている。
彼女の目的が昼食だと、そのためにアディの腕を引っ張っているのだと、ベルティナのような他意は無いと、そう誰だって一目で分かるだろう。
……だけどどうしてか、落ち着かない。
言いようの無い焦燥感が湧き、メアリがぎゅっと胸元を掴んだ。アディの腕を掴むアリシアの手から目が逸らせない。
そんなメアリの異変に気付いたのか、ふるふると震えるパルフェットがくいと腕を引っ張ってきた。見れば、元より涙目の彼女が眉尻を下げて心配そうに見つめてくる。
今にも泣きそうな表情……いや、彼女に関しては常時泣いているのだが。
「メアリ様、どうなさいました……?」
「だ、大丈夫よ。……ちょっと胃もたれをしてるだけ。最近酷いの」
「メアリ様を苦しめるなんて、メアリ様の胃、許すまじ……!」
「私のために私の胃を恨まないでちょうだい。仕方ないのよ、これは渡り鳥丼とコロッケを愛する者に与えられた宿命なの」
「宿命……!」
メアリの大袈裟な説明に、パルフェットが感銘を受けたと更に震えだす。
そうしてメアリの腕を擦り出すのだ。その健気さにメアリも小さく笑みを零した。
見ればアリシアは既にアディの腕を放し、いつのまにか先頭を歩いている。
早く行きましょう! と急かしてくる彼女の瞳は真っすぐにメアリを見つめている。
それを考えれば、不思議とメアリの胃もたれが音たてるように消えていった。
「まったく、そんなにみっともなくはしゃがないで下さる? 同類と思われたら堪ったものじゃないわ。きっと私の胃もたれはその田舎臭さのせいもあるのよ。貴女が風上に立っていたから、田舎臭さが風に乗って私の胃もたれを起こしたのよ」
「胃もたれ……んふふ」
「……なによ、その気持ち悪い笑い方」
メアリの『胃もたれ』という言葉を聞くや、アリシアがニマニマと笑い出す。
それをメアリが睨み付け、ふんとそっぽを向くと、
「アディ、ほら行くわよ!」
と改めてアディを呼んだ。