6―3
このままアディが戻ってきたところで、なんと声を掛ければいいのか分からない。
そう判断し、メアリは足早に目的の教室へと向かった。
既に教室内にはパトリックとアリシアが居り、メアリの姿を見るとパトリックが「わざわざ悪いな」と困ったように笑った。
彼の隣に立つアリシアは見ているこちらが哀れに思えるほど眉尻を下げ、今にも泣き出しそうな表情をしている。……いや、目元がほんのり赤くなっているところを見るに、数分前まで泣いていたのかもしれない。
そんなアリシアはメアリの姿を見るとビクリと肩を震わせた。
それに気付いたパトリックが、気遣う様に優しく彼女の小さな肩を撫でる。
「メアリ、呼び出した理由は君なら察しがついているだろ」
「えぇ、振られに来てあげたわ」
メアリがニヤリと口角を上げる。
その不敵な笑みを前にパトリックが苦笑を強め、アリシアだけが二人のやりとりに元々青かった表情を更に青ざめさせた。
そうして、割って入るように「待ってください!」と声を上げる。
「メアリ様、私は……私はお二人の婚約を……!」
「アリシア、さっきも言っただろ」
「でもパトリック様、私はやっぱり……貴方は誰からも祝われるような、そんな結婚をするべきだと思うんです」
涙ながらに語るアリシアに、メアリは先程のアディの言葉を思い出した。
二人の会話から考えると、彼女はやはり身を引こうとしているのだろうか。
現にアリシアはパトリックとメアリこそが正しい婚約の形だと訴えている。確かに身分や周囲への影響を考えればそのとおりだ。政略結婚となれば、メアリとパトリック以上の組み合わせはない。
もっとも、そこに本人達の意思など微塵も組み込まれていないのだが、元より政略結婚とはそういうものである。
そうしてしばらくはアリシアの訴えを聞いていたが、涙ながらに訴える彼女の話とそれを制止するパトリックのやりとりでは埒が明かないと判断し、メアリが小さく溜息をついた。
「田舎娘が、この私に男を譲るつもり?」
と、不満気にアリシアに問いかける。
「メアリ?」
「……メアリ様?」
突然のメアリの態度に、パトリックとアリシアが驚いたように目を丸くした。
そんな二人を他所に、メアリが更に不敵に笑って続ける。
「このメアリ・アルバートが田舎娘のおさがり男で喜ぶと思ったのかしら」
ふっと笑い飛ばす様はまさに悪役そのもの。
しかし、その真意を知る二人に傷付く様子も、ましてやこの侮辱に対して激昂する様子もない。
当然だ、この場においてメアリの言葉は暴言ではない。なんとも彼女らしく捻くれて分かり難い、それでいて彼女なりに二人の関係を肯定する言葉なのだ。
「メアリ、今回の件は全て俺のせいだ。婚約破棄に関して、全て君の都合の良い理由をつけてくれて構わない」
「あら、それは助かるわ」
「メアリ様……私、メアリ様の邪魔をしたかったわけじゃないんです。お二人はとてもお似合いだと思っていました。だから……」
「田舎娘に惚れるような男、こっちから願い下げよ」
きっぱりと言い切り、メアリがパトリックに視線を向けた。
アリシアの肩を抱く彼の目に迷いはない。メアリの視線を受け、応えるように真っ直ぐ見つめ返している。
「俺は今まで両親の望むまま、ダイス家を背負う者になるよう生きてきた。だがこれからは違う、俺はアリシアの望む男になる。アリシアと共に生きていく」
そう宣言するパトリックの言葉に、メアリが満足そうに頷いた。
パトリックはまさに貴族の子息といった男だ。両親がそう彼を育て、彼もそれに応えてきた。そして今、彼は今までの全てを投げ打ってでもアリシアと共に生きることを決めたのだ。
これは良い男を逃したものだ……と、思わず内心でそんな皮肉が浮かび、メアリが小さく笑った。
「それで、貴方の御両親はどうなさるつもり? せっかく理想通りに育てた息子が、よりによって庶民の娘を選んだのよ。卒倒してもおかしくないわね」
「説得するしかないだろうな。それでも理解してもらえないなら、俺は喜んでダイス家の名を捨てよう」
「そんな、パトリック様っ!」
青ざめたアリシアがパトリックの腕を掴む。
その姿に、メアリの脳裏に先程のアディの言葉が浮かんだ。
『自分と同じレベルに落とす』
例えそうなったとしても、パトリックの気品も才能も、何一つ失われるものではない。
当然だ。彼の品格は家名に頼るものではなく、彼自身が努力と才能によって得たものなのだ。あくまで家名は、元あるものの付与価値でしかない。
それに、パトリックなら庶民の身分になったとしてものし上がることが出来るだろう。多才な男なのだ、案外に一代で貴族に並ぶ地位を手に入れるかもしれない。
だがアリシアにとってみれば、彼から家名を、それどころか家族の繋がりまでも奪ったことになる。
それに対して与えられるものといえば、質素が常の庶民の生活だ。貴族の暮らしとは比較にもならないほど不便で、華やかさの欠片もない日々。
のし上がれるかもしれないが、その為の努力はそもそも自分を選ばなければ要らぬものなのだ。愛の代償と言えば聞こえは良いが、失うものが多すぎる。
それを自覚し恐れているのだろう、アリシアは瞳に涙を溜めながら必死にパトリックの腕を引き「いけません」と繰り返している。
そんな彼女を眺め、メアリはゆっくりと瞳を細めた。アディの話を聞かなかったら、果たして自分はアリシアの気持ちを理解できただろうか。
だが理解したところで……とメアリが再び口角を上げた。
アリシアの言い分もパトリックの言い分も分かる。アリシアの為に生きようとするパトリックの決意も、対して彼から全てを奪うことを恐れるアリシアの気持ちも、どちらも理解できる。
理解できるからこそ、ここは両者の意見を考慮……などするわけがなく、全て無視するのがメアリ・アルバートだ。
「そんなに必死になって引き留めて、もしかしてあなたパトリックの家名が目当てなの?」
正体を暴いてやったと言わんばかりに、メアリが皮肉を込めて笑う。
それを聞いたアリシアが息を飲み、青ざめた顔ながらにメアリを睨みつけた。
「なんてことを言うんですか!私が好きなのはパトリック様ご本人。家名が無くなろうが、お慕いする気持ちは変わりません!」
メアリの言葉を受け、アリシアが涙ながらにそれでも今までになく強く言い切った。
睨みつけんばかりの瞳に、メアリが思わず溜息をつく。
「なら何も問題ないじゃない。それとも痴話喧嘩を見せつけたいのかしら」
「あ、メアリ様……私……」
グス、と鼻を啜りながら、潤んだ瞳でアリシアがメアリに視線を向ける。
それに対して、メアリはもうウンザリだと言いたげに片手を軽く振って話を無理矢理終いにした。
「ありがとうございます」等という言葉は、到底悪役に向けられるべき言葉ではないのだ。憎悪されて喜ぶ趣味もないが、かといって感謝されるのも恥ずかしくて好きではない。
「流石に「おめでとう」なんて言ってあげないわよ。でもまぁ、お祝い代わりにお父様の説得ぐらいなら任されてあげるわ」
「君らしい祝いだな。メアリ、ありがとう」
安堵したかのようなパトリックの声に、メアリがいよいよ居られないと踵を返した。
振った女を前に幸せそうな姿を見せつけ、その挙句に感謝の言葉など、悪役令嬢でなくとも激昂しそうなものだ。
そうして、メアリがさっさと退散しようと教室の扉を空け……壁にもたれかかるようにして待っていたアディに目を丸くした。
「盗み聞きなんて、行儀が悪いわよ」
「あの状況で入れるわけがないでしょう」
「まぁ確かに。で、飲み物は買ってきたの?」
「……え?」
何の話ですか?と間抜けな声を出したアディが、数秒して思い出したのか見てわかる程に慌てだした。
「えっと、あの、食堂! そう、食堂がまだやっていたので、飲み物を買うより話が終わってからお茶でもしようと思ったんです!」
「……なんか白々しいけど、騙されてあげるわ」
「紅茶にケーキも用意してもらいましたよ。なんていったって、今日は記念日ですからね!」
「記念日? パトリックとアリシアの婚約記念日なら、少し気が早いんじゃない?」
「いえ、今日はお嬢のフラれ記念日です」
「お望みなら、あんたの解雇記念日に変えてあげるわよ」
相変わらず従者らしくない態度に――それどころか、今まさにフラれたばかりの女性に対する態度ですらない――メアリがジロリと睨み上げた。
……が、やたらと嬉しそうなアディの表情に拍子抜けしてしまう。この従者、主人が婚約破棄されたことがよっぽど嬉しいらしい。
そんなアディに文句を言う気にもならずメアリが溜息をつけば、背後からそれはそれは嬉しそうに自分の名を呼ぶ男女の声が聞こえ、メアリが再び深い溜息をついた。
なお、パトリックとの婚約破棄を父に伝えたところ、開口一番
「あぁ、やっぱり」
で、おまけに
「彼ならお前を引き取ってくれるかと思ったんだけどなぁ」
とまで言われ、これには流石のメアリも泣きそうになった。