12
脳内で展開される新メニューの構想を振り払えば、ルークが案じるように伺ってきた。
「……メアリ様?」
「あら、ごめんなさい。ちょっと考え事をしていたわ。そうね、嫉妬の話よね」
「年上の余裕が無いと笑われそうなものですが、今も焦燥感に駆られ、胸の内がざわついているんです」
「そう、それは苦しいわね。私も最近、どうにも落ち着きがないのよ」
己の胸元を押さえながらメアリがルークを労われば、それを聞いていたアリシアとパトリックが揃えたようにメアリを呼んできた。
アリシアの手がそっとメアリの腕に触れるのは、きっと心配しているからだろう。
「メアリ様、どこか具合が悪いんですか?」
「そうなのよ。ちょっと胃もたれが酷いの」
ふとした瞬間に胃のあたりがざわつき、靄が掛かったような不快感がまとわりつく。まるで鉛でも飲み込んでしまったかのようだ。
その解消のために最近コロッケ断ちをしているのだと話せば、アリシアが腕を擦ってきた。
「コロッケを我慢するほどなんて。でもメアリ様、それって……」
「なに?」
「……いえ、なんでもありません!」
言いかけたと思えば、アリシアが表情を明るくさせて話を有耶無耶にした。
それどころかにんまりと笑い、より早く腕を擦ってくるではないか。挙句、にまにまと笑いながら肘で突っついてくる。
胃もたれを案じていたはずが一転したこの態度に、メアリが訝し気にアリシアを窺った。いったいどういうわけか、これ以上ないほどに嬉しそうだ。
彼女の紫色の瞳がメアリの胃のあたりを……いや、それより下、腹部付近を見つめている。
「……なによ、にやにやして気持ちの悪い子ね。そんなに触らないでちょうだい。田舎臭さがうつっちゃうでしょ」
「うふふ、メアリ様ってば。いいんです、大丈夫です。私その日まで誰にも言わずに、ちゃんと待ってますからね」
「その日まで待つ? 私の胃もたれ解消パーティーでも開いてくれるつもりなの? 相変わらずふざけた子だわ」
ツンとメアリがそっぽを向き、触れてくるアリシアの手を叩き落としてパトリックに押し付けようとする。だがそれより先にパトリックがメアリの名を口にした。
藍色の瞳がじっと見つめてくる。
真剣でいてメアリの胸中を探ろうとしているかのような彼の視線に、メアリもじっと彼を見つめて返した。
「パトリック?」
「メアリ、胸の内がざわついたり、息苦しくなるのか?」
「そうよ。コロッケの食べ過ぎね。それに、渡り鳥丼屋のサイドメニューを決めるためにあれこれと試食しすぎたわ」
「……その不快感は、たとえばアディが誰かといる時とかに起こるのか?」
「きっとアディを見ているとコロッケや渡り鳥丼を思い出して、胃もたれまで思い出しちゃうのよ」
参っちゃうわ、とメアリが溜息を吐き、再び腕を擦ってくるアリシアの手をペチンと叩き落とした。
次いで己の胸元をきゅっと押さえる。パトリックの言う通り、ざわつきと息苦しさ、重い鉛を飲み込んでしまったような不快感だ。
そう話せば、パトリックが小さく息を吐いた。
「メアリ、それは」
「まさかこの私の胃がもたれるなんて……。コロッケへの愛が私を苦しめているのね」
「だからそれは……。いや、そうだな、きっとコロッケの食べ過ぎだ」
何かを言いかけ、パトリックが小さく首を横に振り、コロッケ愛を肯定しだした。その表情はどことなくメアリを気遣っているように見える。
普段の彼ならば「コロッケの食べ過ぎで胃もたれ」などと聞けば呆れて溜息を吐きそうなものだが。――もしくは、「俺もアリシアの料理を食べ過ぎて」と惚気る可能性もある――
だというのに今のパトリックの表情は、まるで自分も思い当たる節があるとでも言いたげだ。
彼も胃もたれに悩んだことがあったのだろうか……とメアリが考える。
だが他でもないパトリックだ、たとえ胃もたれに苦しんでいても、人に弱みを見せまいと気丈に振る舞っていたのかもしれない。
「そう……。パトリックも同じだったのね。お互い大変だわ」
「そうだな。おっと、一曲終わったみたいだな」
曲の終わりを聞き取り、パトリックが会場へと視線を向ける。
メアリもその視線を追い……はっと息を呑んだ。慌てて振り返れば、アリシアがにっこりと笑っているではないか。
その距離は僅か……。
しまった、とメアリが己の迂闊さを悔やむ。常にダンスを、もといダンスという名の『メアリ・アルバート振り回し大会』を目論んでいる彼女が、この好機を逃すわけがない。
「アリシアさん、今日は自国じゃないのよ。今日ぐらいは王女として大人しく」
大人しくしなさい、とメアリが説得しようとする。だがその言葉を途中で止めたのは、いつもなら「メアリ様、私と踊りましょう!」と強引に手を掴んでダンスの場へと連行してくるアリシアが、今日に限ってはにこにこと笑いながら立っているだけだからだ。
嬉しそうにメアリの手をぎゅっと握ってくる。……握ってくるだけだ。
「な、なによ……。いつもの勢いはどうしたのよ。私のこと振り回さないの?」
「今のメアリ様を振り回したりなんかいたしません」
「そう? よく分からないけど、田舎娘も少しは場を弁えるようになったのね」
嫌みと共にアリシアの手をパッと振り払い、戻ってくるアディ達を迎える。
彼にエスコートされるベルティナは嬉しそうで、あろうことか「またお時間があれば」とアディに強請るのだ。
これにはメアリも眉間に皺を寄せ、誘われたアディさえも困惑を隠しきれず頭を掻く。
次いでアディがメアリに近付きそっと肩に触れてくるのは、「自分には連れがいるから」と言いたいのだろう。控えめながらにも見せる彼の姿勢に、メアリが小さく安堵の息を吐いた。
「そういうわけだから、残念ね、ベルティナさん。それじゃ私達、他の方々に挨拶に行ってくるわ」
ベルティナに対してニヤリと笑い、アディに肩を抱かれたままメアリがその場を後にする。背後から聞こえてくる悔しそうな唸り声はベルティナのものだろう。
思わず気分が良くなり、メアリがチラと背後を振り返った。アリシアとパトリックが何か話している。ルークがこちらに気付いて軽く会釈し、その隣にいるのは……悔しそうに睨んでくるベルティナだ。
頭上のリボンがふるふると震えているのは、風のせいか、それとも怒りのあまりか。
「もうちょっと煽ってみようかしら」
そんなことを呟いてメアリが踵を返そうとし、アディに制止された。
※
メアリとアディが去り、ベルティナの悔しそうな唸り声が続く。
そんな中、パトリックが「それじゃ」とアリシアに片手を差し出した。
「俺達も一曲踊ろうか」
「はい!」
パトリックの誘いに、アリシアが嬉しそうに笑って己の手を重ねる。女性らしく細くしなやかで、暖かな手だ。
その手を軽く引いて促せば、アリシアがうっとりと瞳を細めて付いてくる。だがその最中にくすくすと笑い出すので、どうしたのかとパトリックが彼女の顔を覗き込んだ。
「アリシア、どうした?」
「いえ……。ただ、メアリ様が……ふふ」
押さえきれないと言いたげにアリシアが笑う。口元を押さえてはいるものの、指の隙間から覗く彼女の唇は弧を描いている。
それを見て、そして先程の話を思い出し、パトリックが肩を竦めた。
「そうだな、あのメアリが……。まぁでも胃もたれなんて、メアリらしい誤魔化し方だ」
「そうですね。メアリ様ってば。でも発表の時が楽しみですね」
「発表? あのメアリの事だから、言わないんじゃないか?」
「ぎりぎりまで秘密にするんですね!」
パッとアリシアが表情を明るくさせ、その日が待ち遠しいとはしゃぎだす。
これにはパトリックも藍色の瞳を丸くさせた。喜ぶ事だろうか? と疑問が湧く。
なにせあのメアリが、他でもないメアリが、
嫉妬しているなんて……。
そんなことを彼女が他人に言うわけがない。他人に弱みを見せられず、そんな自分が認められず、隠し通すのではないだろうか。
まるで、自分のように。
そこまで考え、パトリックが足を止めた。今はダンスの場だ。メアリもアディも居ない。
隣に居るのは、今夜は大人しく自分の隣に居てくれるアリシア。ならば今は彼女の事だけを考えなくては。
そう己に言い聞かせ、アリシアの手を握り直した。だというのにアリシアはニマニマと笑っており、パトリックが再び肩を竦めてしまう。
いまだ彼女の頭の中にはメアリが居るようだ。
……いや、いまだではなく、常にというべきか。
「メアリも俺も、もっと正直になればいいのにな」
「男の子、女の子、どっちかしら……ふふふ」
そうパトリックとアリシアがほぼ同時に呟き……、
「ん?」
と顔を見合わせた。
まったく見当違いな事を相手が言ったような……と疑問が湧く。
だが流れ始める音楽に意識を持って行かれ、疑問を思考のよそに追いやりゆっくりと足を動かした。