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 ベルティナに絡まれては何だかんだで彼女が撤退……と、そんなやりとりが日々、それどころか一日に何度もあれば、さすがのメアリもうんざりするというもの。


 今日も何度かベルティナに絡まれ、そんな中で訪れたアディと二人きりの時間。だが自然と話題はベルティナの事になり、メアリが「困った子が増えた」と溜息を吐いた。

 なにせ事ある事にベルティナは「騒がしくて、見世物小屋でも来たのかと思いました」だの「幼稚部だってもっと大人しいわ」だのと突っかかってくるのだ。嫌味たっぷりである。

 それどころか、時にはわざとらしくメアリにぶつかってきたり、よろけたふりをして足を踏んでくることだってある。その直後に白々しく「まぁ、私ってばとんだ失礼を」と謝罪してくるのだから、メアリは微笑んで「気になさらないで」と言うしかない。

 躍起になって咎めなんてしたら、逆にメアリの方が周囲に滑稽に映りかねないのだ。……というか、日々アリシアの高速タックルを受けているメアリにとって、小柄なベルティナがちょっとぶつかってくる程度どうってことないのだが。


「お嬢は合金ですからね」

「合金は昔の縦ロールよ。……いえ、縦ロールも合金じゃないわ」


 失礼ね、とメアリが咎めれば、アディが素知らぬ顔でそっぽを向く。

 それをしばらく睨み、次いでメアリが溜息を吐いた。


「まぁでも、田舎娘に突撃され、常に軽口叩いてくる男が隣にいるんだもの、身も心も鍛えられるわ」

「俺のおかげで今のお嬢がある……。愛ですね」

「どこが愛よ」


 ジロリとメアリがアディを睨み付ける。今も昔も彼の軽口は相変わらず、これに比べればベルティナの直球な嫌味など子猫の鳴き声だ。

 最大の敵はここに居たわ、そう考えてメアリがアディの軽口を咎めようとし、「でも」と先に彼が話しだしたことで出かけた言葉を飲み込んだ。


「もしも本当に辛かったら仰ってくださいね。俺はお嬢の為ならなんでもしますから」

「……アディ」

「それに、ベルティナ様も俺が直接話せば聞いてくれるでしょうし」

「駄目よ!」


 アディの提案に、メアリが慌てて声をあげる。

 咄嗟に手を伸ばして彼の服を掴めば、錆色の瞳を丸くさせてこちらを見てきた。


「お嬢、どうしました?」

「……え、いえ、大丈夫。なんでもないわ」


 メアリがそっとアディの服を放す。だが自分の声は我ながら感じるほどに上擦っており、まるで譫言のようだ。

 自分自身、なぜあれほど焦って彼を制止したのか分からない。

 アディがベルティナの名前を口にした瞬間、胸の内のモヤが一瞬にして湧き上がった。脳裏を過ぎるのはベルティナに抱き着かれるアディの姿。その記憶がまたモヤを増させる。

 そんな言いようの無い不快感に駆られ、咄嗟にアディの服を掴んでしまったのだ。


「なんだか最近おかしいわ。賑やかになりすぎて疲れたのかしら……」

「お嬢、大丈夫ですか?」

「帰ってゆっくりしましょう」

 少し休めば胸のモヤも収まるはず。そう考えてメアリがアディと共に歩き出した。



 そうしてしばらく歩き、「あら、ご機嫌よう」と聞こえてきた声に足を止めた。

 高らかで高飛車な声。聞き覚えのある声にうんざりしつつも振り返れば、そこに居たのはもちろんベルティナだ。

 相変わらず取り巻きを従え居丈高に構えるその姿に、メアリが肩を落としつつ「一時間ぶりね」と返した。一時間前にもベルティナはこうやって現れ、メアリに文句を言い、そして逃げていったのだ。打たれ弱いくせに復活が早すぎる。

 今のベルティナは先程の敗走がまるでなかったかのように得意気にしており、その手にある水筒を見せつけてきた。極普通の水筒だ。


「まったくもって興味も無くて聞きたくないけど、一応質問してあげるわ。ベルティナさん、それがどうしたの?」

「これは庶民が使う水筒というものです。中も庶民が飲むような安い紅茶ですのよ。庶民の生活を学ぶために取り寄せましたの。聞けばメアリ様は庶民臭いところもあるというじゃありませんか、お口に合うかと思いまして」


 わざわざ目の前でベルティナが水筒のカップに紅茶を注ぐ。どうやら飲めという事なのだろう、いや、彼女の考えを予想するに飲ます気は無いのかもしれないが。

 なんて分かりやすいのだろうか。思わずメアリが肩を竦め、ここは乗ってあげようと差し出されるカップに手を伸ばした。

 もちろん、次にベルティナが取る行動など分かり切っている。彼女はメアリが受け取る直前、カップを落としてしまう。落ちたカップから紅茶が漏れ、メアリのスカートを汚す……と、こういう事だ。チープな嫌がらせである。

 そこまでを想像し、メアリがベルティナの手からカップを受け取ろうとした。

その瞬間、


「まぁ、私ってばうっかりとカップを落としてしまいましたわ!」

「お嬢、こちらへどうぞ」

「メアリ様、こちらにいらしたんですね……きゃっ!」


 と、三人の声がほぼ同時に発せられた。


 まず白々しく己の迂闊さを説明したのはベルティナ。

 次いでメアリを誘導したのはアディ。

 そして最後の声はメアリ……のものではない。なにせメアリは突然の事に目を丸くさせているだけだ。声は発してない。

 あの瞬間、メアリの予想通りベルティナはうっかりとカップを落とした。注がれていた紅茶はメアリのスカートにぶちまけられる……はずだった。

 だがその直前、何かがぐいとメアリの体を引き寄せたのだ。

 メアリがパチンと瞬きしつつ自分の体を見下ろせば、スカートにはシミ一つ着いていない。その代わり、自分の腰元に見慣れた腕が絡んでいる。背にも何かがあたる。

 まるで、誰かに背後から抱き締められているようではないか。


「……アディ」

「お嬢、ご無事ですか?」


 メアリが振り返りつつ見上げれば、そこには穏やかに微笑むアディ。咄嗟に抱き寄せて守ってくれたのだ。

 温和な声色に反してしっかりと抱き寄せてくる腕の強さに、メアリの頬がポッと染まる。なんて頼りがいがあるのだろうか。

 彼に守られ抱きしめられ、おかげで心も体も温かい……はずである。


 底冷えする冷気が漂っているなんて、そんなわけがない。

 アディの愛に守られ、メアリの心はほかほかと温まり……。


「……駄目だわ、もう目を背けていられない。絶妙なタイミングで現れたけど、どうなさったの? カリーナさん」


 アディに抱き締められつつ――互いに暖を取っているとも言える――メアリが尋ねるのは、優雅に立つカリーナ。

 相変わらず凛とした麗しさだが、アイボリーのワンピースに茶色い染みがついている。


 なにか? 紅茶だ。

 なぜか? ……あの瞬間、メアリが避けた紅茶をカリーナがくらったからだ。


「なんてタイミングの悪い……」


 思わずメアリが呟く。アディに至っては、もう言葉を発することが出来ないのか、ひたすらメアリを抱きしめている。

 対してベルティナはといえば、分の悪さを感じてはいるものの、それでも「うっかりしてしまっただけですのよ!」と訴えている。

 そしてカリーナは……これが驚くほど麗しく微笑んでいるのだ。

 彼女の性質と今日に至るまでをまったく知らぬ者が見れば、一目で虜になりそうな麗しい微笑み。母性さえ感じさせる。アイボリーカラーのワンピースがより彼女の女性らしさを際立たせ、まるで聖女のようではないか。

 ……だがそこから漂う冷気は尋常ではなく、スカートの裾にたまっていた紅茶の一滴がピチャンと床に落ちた。

 その瞬間、メアリがはっと息を呑み慌ててカリーナの腕を掴んだ。


「ベルティナさん、逃げなさい! ここは私が止めるから、早く逃げなさい!」

「に、逃げなんていたしませんわ! 私、怖くなんてありませんのよ!」

「挑むんじゃないの! 人生を踏み外させられるわよ! 真っ当な人生を歩みたければ早く逃げなさい!」


 メアリが撤退を促せば、余計に意地になってしまったのかベルティナがそれでも応戦の姿勢を見せる。

 だがカリーナがシミの着いたスカートを揺らしながら優雅に微笑んで告げた、


「……美味しい紅茶ですのね、ご馳走様」


 という言葉に、さすがこれは勝てないと察したのか、小さく悲鳴を上げると、


「こ、これは戦略的撤退ですのよ!」


 と、喚くように言い訳をして慌てて逃げて行った。

 小さくなるベルティナの背を見届け、メアリがほっと安堵の息を吐く。


「良かった、一人の少女を救えたわ……」

「メアリ様ってば、人聞きの悪いことを仰らないでください。私、ご馳走になったお礼をしようと思っていたのに」

「それを笑顔でさらっと言うのが怖いのよ」


 いまだ微笑んだままのカリーナに、メアリが冷気を抑えるように宥める。

 そうして視線を向けたのはカリーナのスカート。数滴どころではないシミが広がっており、淡いアイボリーの色が余計に目立たせている。

 これでは帰るにも帰れないだろう。カリーナも同じことを考えたのか、先程までの微笑みから困惑の表情に変わっている。


「巻き込んだのはこちらだもの、お詫びをさせてちょうだい。アディ、タオルと替えの服を持ってきて」

「畏まりました」


 アディが恭しく頭を下げ、上着を脱ぐとカリーナに差し出した。


「どこかにお座りになってお待ちください。それまで、これを膝に」

「ですが、アディ様の上着が……」

「大丈夫ですよ。それに、その状態では目立ってしまうでしょう」


 だから、と告げると共にカリーナに上着を渡し、アディが去っていく。

 学園に話をして何か用意してもらうのか、それともアルバート家に急いで戻って替えになりそうな服を持ってくるのか。

 どちらにせよ時間が掛かるのだから、どこかベンチで座っていよう。そうメアリがカリーナを促せば、彼女も頷き、アディの上着でスカートのシミを隠すようにして歩き出した。



「アディ様は優しいですね」

「そう?」

 カリーナの言葉に、メアリが意外なことを言われたと目を丸くさせつつ返した。

 次いで彼女の膝に掛かっているアディの上着に視線を向ける。男物の上着は細身のカリーナには大きく、彼女の膝ごとスカートの染みを隠してくれている。遠目には膝掛にしか見えないだろう。

 そんな上着を見つめながらのカリーナの言葉に、メアリはなんとも言えない気分を覚えつつアディの事を考えた。

 何故だろうか、妙に落ち着かない。伴侶を褒められた照れくささ……とはまた違い、妙な靄が胸に湧く。


「アディは幼い頃からアルバート家の従者をやっているし、やろうと思えば気遣いは出来るわね。あれでも従者としては優れているのよ」

「そうですね。メアリ様はあんなに優しくて頼りになる方がいつもそばに居て、うらやましいです」

「……うらやましい?」


 カリーナがポツリと呟いた言葉に、メアリの胸の内のモヤがざわつきだす。

 ここはカリーナの言葉に対して「そうでしょ」と惚気るか、もしくは「でも隙あらば失礼な態度を取るのよ」と愚痴を言うべきところなのだろう。それが分かっても言葉が出てこない。

 アディを褒めるカリーナの言葉が引っかかる。カリーナの膝に置かれたアディの上着から、それに触れる彼女の手から、なぜか視線が逸らせない。

 羨ましいという事は、カリーナもアディのような男性が良いのだろうか。……いや、『アディのような』ではなく、もしかしたら……。

 

 メアリの脳裏に、アディに抱き着き、彼を見つめ、愛想を振りまくベルティナの姿が脳裏に過ぎる。それと同時に靄が渦巻き、不快感と言えるほどだ。

 そんな不快感に押され、メアリが口を開きかける。

 だがそれより先に、カリーナが溜息を吐いた。思いを馳せるように上着を撫で、瞳は誰かを思うように伏せられる。そんなカリーナに、メアリの中で焦燥感が湧く。

 ……が、次いでカリーナが放った、


「うちのなんて、足置きにしかなりませんよ」


 という言葉に、メアリの胸に湧いていた靄がすっと消えて行った。

 綺麗さっぱり消失である。いや、消えたというよりは、カリーナの言葉から漂う冷気に凍り付いて四散したというべきか。

 不快感は消えたが、これは荒療治すぎやしないか。


「あくまで彼は足置きなのね……」

「まぁでも、足置きとしては優れていますね」

「その話、続けるの?」

「高さがちょうど良いんです。それに、最近はヒールを三回鳴らすと察して自ら足元に来るようになりましたし」

「アディ、早く帰ってきて、出来れば防寒具も持ってきて……」


 嬉々として話を続けるカリーナの冷気に震えながら、メアリが切なげに呟いた。



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