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翌朝、メアリはさっそくカリーナをアルバート家へと呼んだ。
幸い今朝はアリシアの早朝訪問も無く、話をするには適している。
挨拶もそこそこにドラ学アニメの事を話せば、彼女もはっと息を呑み、深刻そうな表情を浮かべた。どうやらメアリの言葉を切っ掛けに思い出したようだ。
「カリーナさんはどこまで覚えている? 私は随分と朧気で……。確かアニメの主人公はアリシアさん、一作目がベースになっていて、ベルティナさんは主人公の友人で……あとコロッケが絶品で、ビシソワーズは国一番を誇れる美味しさ」
「お嬢、途中から昨夜の夕飯です」
「申し訳ありません、メアリ様。私も詳しくは……。確かアニメでは個別のルートには入らず、各ルートの要所を掻い摘んでいたような。……あとはヒールの高い靴で踏んだり、時には踵で」
「カリーナ様は一切何も思い出そうとしないでください」
アディが冷静にストップをかける。
それを聞き、メアリもカリーナと顔を見合わせて頷いた。二人共記憶は朧気で、無理に思い出そうとするとつい今の自分の記憶と混濁してしまう。
これは無理に思い出さずに、今ある情報だけを整理すべきだろう。あとメアリもカリーナの話はこれ以上聞きたくない。
そうしてあれこれと断片的な記憶を話し合えば、この世界はやはり未だに……という程ではないが、ほんの少しドラ学なのだ。
ドラ学アニメの舞台はカレリア学園高等部、ゲーム同様、主人公アリシアが入学するところから始まる。
一作目をベースにした話づくりで、それでいてゲームと違い誰とも結ばれずに終わった。といってもバッドエンドだったわけではなく、続編にあった逆ハーレムエンドとも違う。仄かな恋止まりの、青春と恋のストーリーだった。
その匙加減と、そしてゲームでは描けなかった攻略キャラクター同士のやりとり、一作目と二作目のキャラクターの共演。そういったものが視聴者のツボに嵌まり、アニメは大成功に終わった……と記憶している。
ベルティナ・バルテーズはそんなアニメのオリジナルキャラクターである。
アリシアを「お姉様」と呼び慕う妹系キャラクター。貴族の学校に通い格差や恋に悩むアリシアを支えていた……はずである。高等部に通う設定ゆえにメインキャラクターほど出番は無いが、出てくるとアリシアに抱き着いたりと接触が多く、屈託のない性格として描かれていた。
少なくとも、メアリとカリーナはそう記憶している。
「アディに抱き着く要素は欠片も無いはずよね……」
「そうですね、本来ならアリシア様に抱きついているはず」
「……どうしてアディだったのかしら」
メアリが溜息を吐き、用意されていた紅茶を一口飲む。
温かく品のある味わいの紅茶だ。淹れてくれたのはもちろんアディ。
ベルティナの事を話しつつ彼を見れば、自然と昨日の光景が脳裏に蘇る。あの時、ベルティナはぴったりとアディに抱き着いていた。ダンスの時だってあれほど密着はしないだろう。
その理由をベルティナは「お会い出来て嬉しくて」と語っていたが、そのくせアディとは初対面で、アルバート家に来たのは道に迷った挙句だという。
おかしな話ではないか。その話の最中にだって、チラチラとアディを見つめていた。
「ベルティナさんも、もしかして私達みたいに前世の記憶が……。そう思いませんか、メアリ様。……メアリ様?」
「え? えぇ……ごめんなさい、少し考え込んでいたわ。でもそうね、彼女も前世の記憶があるのかもしれないわ」
そう考えれば、アディに会えてうれしくて抱き着いたという話も分かる。きっと感極まってしまったのだろう。
だけど、それはつまり……。
そこまで考え、メアリが胸元を押さえた。なにか嫌な気分になったのだ。胸と胃のあたりで熱のこもった靄が湧いたような不快感がまとわりつく。
「お嬢、どうなさいました?」
メアリの異変にいち早くアディが気付き、案ずるように問いかけてきた。
「大丈夫、なにか変な感じがしただけ。きっと無理に思い出そうとしたからね」
「なるほど知恵熱ですね」
「アディ、ちょっと黙って。カリーナさん、外に出ない? 少し風にあたりたいわ」
提案すると共にメアリが立ち上がる。その際にむぎゅとアディの足を踏むのは、言わずもがな知恵熱のお返しだ。
メアリを追うようにカリーナも立ち上がった。だがその最中にぐらりと彼女の体が揺れた。足を踏み外したのか、咄嗟に彼女の口から洩れた小さな悲鳴に、メアリが息を呑む。
慌てて手を伸ばすが届かず、手の先でカリーナの体が斜めっていく。
だが転倒する直前、アディが片腕を伸ばして彼女の体を抱き留めた。
カリーナが目を丸くさせ、アディの腕と腰元にしがみついている。驚愕を隠しきれぬ表情も不格好な体勢も彼女らしくないが、本人も相当驚いているのだろう。
「カリーナ様、お怪我はございませんか?」
「は、はい……大丈夫です」
カリーナがゆっくりと体勢を立て直す。だがその表情はいまだ焦りの色が残っており、どこか現状が掴めていないと言いたげだ。
その表情から彼女が立ち直すまで支えようと考えたのか、アディは腕を貸したまま落ち着かせるように声を掛けている。
メアリだって、カリーナの近くにいて咄嗟に彼女を支えられたらそうしただろう。アディの行動は当然と言える。
むしろ咄嗟の反射神経を褒め、友人を助けてくれたと感謝すべきだ。
……だというのに、どうして胸の内に再び靄が掛かるのか。
メアリの脳裏に、ベルティナに抱き着かれるアディの姿が蘇る。
その光景を掻き消すように小さく首を横に振り、メアリが案じるようにカリーナを呼んだ。
「カリーナさん、大丈夫? どこか痛めていない?」
「えぇ、大丈夫です。ご心配をおかけしました。立ち上がり際に足を踏み外してしまって……。いつもは足置きを連れているので、その感覚で立ち上がってしまったんです」
「そうなの。足置きを……足置きを、連れて、いる」
「はい。今回も連れてこようと思ったんですが、マーガレットさんに止められてしまって」
「やめて! それ以上話さないで!」
分かったから! とメアリが慌ててストップをかける。
カリーナが話す『足置き』。本来であれば『持ってくる』と表現するはずのそれを、どうして『連れてくる』と言ったのか。
まるで生き物のようではないか。
……生き物というか、人というか、元婚約者というか。
それを察した瞬間、メアリの背筋を冷気が走り抜けた。
アディも気付いたのか、支えに差し出していた腕をそっと引いて、一歩また一歩とカリーナから距離を取り始めている。
「とりあえず、彼も元気に……踏み外した道で元気に生活してるみたいで良かったわ」
「聞きます?」
「聞かない!」
ぴしゃりとメアリが拒絶すれば、カリーナがクスクスと笑う。足置きの事を思い出しているのか、その笑みは美しいが言い得ぬ冷気を放っている。
そんなカリーナを眺め、メアリが「もうドラ学なんて関係ないわね」と肩を竦めた。
没落どころか王族と懇意にし、北の大地に追放どころか北の大地で得た渡り鳥の肉で開業したメアリといい、新たな道を進んでいるカリーナといい、全てはもうゲームの粋を出た。
ゲームの域を出たうえで、自分もカリーナも幸せを得たのだ。
ならば今更アニメだのと言われてどうしろというのか。
……だけど、
「なんだか落ち着かないわね」
そうメアリが胸元を押さえながら呟いた。