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メアリが前世でプレイした乙女ゲーム『ドキドキラブ学園』は、アリシアが主人公となる本編とファンディスク、舞台とキャラクターを変えた続編、この三作品でゲームは終わっていた。
……ゲームは、終わっていた。
「ねぇアディ、ちょっと話があるんだけど」
そうメアリが声を掛けたのは夕食前。
ベルティナと学園長達を見送った後、アリシアを追い返そうとするも失敗し、アルバート家の一室で茶会になり、またもアリシアを追い返そうとするも失敗し、なぜか彼女お勧めケーキ屋巡りに連れ出され、そして夕方になって回収に来たパトリックとガイナスにアリシアとパルフェットを押し付けて今に至る。
色々とあったがようやく夕食前の穏やかな一時を迎えたのだ。
だが穏やかとは言い難いメアリの深刻な声色に、アディがいったいどうしたのかと首を傾げた。
「話ですか? 構いませんが。俺の部屋に来ますか?」
「大丈夫よ。ちょっとそこらへんの部屋で済むわ」
「俺の部屋にどうぞ」
「だから大丈夫だって。庭園でも良いわね」
「俺の部屋に」
「節度?」
「すみませんでした! 庭園に行きましょう! お茶の用意をしてまいります!」
メアリが拳を握ってみせれば、アディが身の危険を感じて慌てて去っていった。
脇腹を押さえながらなのは、今までくらった節度拳の痛みが蘇っているからだろう。ちょっとしたトラウマとも言える。
そんな背中を見つめ、メアリは肩を竦めつつ庭園へと向かった。
「あにめいしょん……ですか?」
というアディの言葉は、まるで異国の言葉を聞いたとでも言いたげだ。頭上に特大の疑問符が浮かんでいる。
夕暮れ時の風が彼の錆色の髪を揺らすが、今はその心地好さを堪能している余裕はないのだろう。
訝し気な表情の彼に見つめられ、メアリが話を続ける。
「そういえば以前にも話してましたが、あにめいしょんとやらは何なんですか?」
「アニメーション、アニメっていうのは……こう、なんか色々と凄い技術によって絵が動くことを言うのよ」
「漠然とし過ぎていてよくわかりませんが、ドラ学はそのアニメっていうのになったんですね」
「えぇ、確かにアニメになっていたわ。アニメが放送されて、前世の私はそれを見ていた。……多分、確か、そんな気がしないでもないの」
「最後の方、随分とあやふやですが」
「思い出したとは言っても、記憶が断片的なのよ」
困ったわぁ、とメアリが紅茶を一口飲む。
だがその声色に本当に困っている色合いは無く、前世の記憶を無理に思い出そうとしている様子もない。
なにせ元々、それこそ最初に前世の記憶を思い出した高等部の時から、メアリは前世の記憶等どうでもよかったのだ。
前世の自分がどんな人物であろうと、乙女ゲームの中のメアリ・アルバートがどんな性格だろうと、自分は自分。憐れみはするが同情はしない、何一つとして譲ってやる理由はない。
あくまで前世の記憶は知識であり、己の野望のため利用しようしていたにすぎない。
それも、今はゲームとは大きく離れた現状にある。今更前世だの乙女ゲームだのに拘っていったい何になるというのか。
……だけど、
「あの子の態度は気になるわね」
メアリがポツリと呟いた。あの子とはベルティナの事である。
思い出されるのはアディに抱き着いていた姿。頬を赤らめうっとりとアディを見つめる瞳。
メアリや学園長達と話している最中でさえ、彼女の視線はチラチラとアディへと向けられていたのだ。
彼女がドラ学アニメの通りであれば、それらは別の人物に向けられるはずのものなのに。
別の……そう、アリシアに。だけどベルティナはアリシアには見向きもしなかった。
「だから変なのよね。でも私の記憶も朧気だから、もしかしたら違っているのかも。ねぇアディ、どう思う? ……アディ?」
ねぇ? とメアリが返事を求める。
だがそれに対して、アディは渋い表情を浮かべたまま飲んでいた紅茶のカップをそっとソーサーに戻し……そしてすっと己の両耳を押さえた。
美しい庭園とのギャップでやたらと間の抜けた姿に見えるが、いっさい話を聞くまいという強い意志が伝わってくる。
これにはメアリも「なによ!」と声を荒らげ、アディに近付くと耳を塞いでいる彼の腕を掴んだ。離そうと力を込めれば、アディもまた「絶対に聞きません!」と力を入れて抵抗の姿勢を見せてくる。
「妻でもあり主人でもある私の相談に対して、その態度は何よ。話を聞きなさいよ!」
「嫌です、絶対に聞きません!」
「失礼よ、無礼よ! 愛が無いわ!」
「愛はあります、溢れるほどあります! ただ絶対に聞きません! 無礼上等!」
「言い切ったわね! 良いわよ、そこまで言うなら……というかさっきから会話してるんだから、聞いてるんじゃない!」
メアリが喚きつつアディの腕をペチンと叩く。
そうして若干あがった呼吸を整えつつ再び椅子に戻った。アディはいまだ己の耳を塞いで断固聞くまいという視線を見せているが、力勝負では彼に勝てるわけがない。というより今の状況で会話が成立しているので問題は無いだろう。
だがそれでも失礼な事には変わりないと、メアリがアディを睨み付けた。
「なんでそこまで私の話を聞くのが嫌なのよ」
「お嬢が前世を思い出すたび、お嬢のことが大好きな人が増えるんです」
「私のことが大好き? 何を言ってるのよ、そんな物好きそういるわけがないでしょ」
「俺がアルバート家の屋根に上って明かりを三度振ると、王宮からアリシアちゃんを乗せた馬車がやってきます」
「あの子は別に……なにそのシステム!?」
いつの間にそんなシステムが! とメアリが慌てて己の屋敷の屋根を見上げる。
アルバート家は国内一の名家。それどころか王家と並ぶといっても差し支えない。当然屋敷も豪華で高さもある。屋根に上って明かりを振れば遠目でも分かるだろう。
それは分かる。……が、こんな利にもならないシステムを確立されても困る。
「ドラ学のアニメにベルティナさんに、我が家に確立されていた変なシステム……、考えることが多くて嫌になっちゃうわ」
「なんてお労しい」
「本当苦労しちゃう。……夫はまだ頑として耳を塞いでいるし」
「何も聞こえませんね」
返事はしつつもいっこうに聞く姿勢を見せようとしないアディに、メアリがまったくと肩を竦める。
次いで「明日カリーナさんを呼びましょう」と話すのは、カリーナもまたメアリ同様に前世の記憶があるからだ。
はたして彼女がドラ学アニメの事を思い出しているかは定かではないが、少なくとも耳を塞いでいるアディよりは頼りになるだろう。そこまで考え、メアリがチラとアディに視線をやった。
「聞こえてないのよね」
「はい、聞こえていません」
「そう、残念だわ。さっきのシステムについて、アディの部屋で話を聞かせて貰おうと思ったんだけど」
「俺の部屋で!?」
「話が長くなるようなら夕飯を運ばせて、二人でゆっくり……なんて提案しようと思ったんだけど、聞いてないなら仕方ないわね」
残念、とわざとらしく呟いてメアリが立ち上がる。
それとほぼ同時にアディが勢いよく立ち上がった。既に彼の手は己の耳から離れている……が、メアリはそれを見て見ぬふりするとツンと澄まし、彼の制止の声を無視して歩き出した。
いつもより少し足早に歩けば、アディが慌てて追いかけてくる。
「さぁそろそろ夕食ね」
「お嬢! 夕食なら俺の部屋で!」
「夕食の後は本でも読もうかしら。そうだわ、ドッグトレーナーに質問したいこともまとめておかなくちゃ」
「俺の部屋で過ごしましょう!」
メアリが独り言のように話しながら歩けば、アディが纏わりついてくる。腕を引っ張りったり、肩に触れたり、髪に手を伸ばし……「ドリルと違ってなんて掴みにくい」とぼやいたり。――ドリル云々に関しては、メアリの気を引こうとしているのか怒らせたいのか怪しいところである――
そろそろ折れてやるか、それとももう少し粘ってみるか、今度はこちらから耳を塞いでも良いかもしれない。そんなことを考え、メアリが「なにも聞こえないわ」と悪戯っぽく笑った。